第27話 閑話 直史の左手

 日米学生野球選手権大会の期間中、肩が痛いと言って見えるところでは投球練習はしなかった直史である。

 だが試合にでて、試合勘を鈍らせないようにはしておきたい。

 そんな直史が参加したのが、野球部ではない野球サークル。

 ただ、元ガチ勢も混ざっているため、それなりに強いチームである。

 つまり早稲谷の野球サークル、手塚の伝手でそれに参加していた。


「甲子園優勝投手なんか連れてくるの反則だろうが!」

 東京にあるクラブチームの監督は、当然の抗議をした。

 クラブチームでもガチなところから緩いところまで様々であるが、ここはかなり緩い。

 草野球とまではいかないが、本気でまだプロを目指すような選手はいない。

 だが元プロの選手もいるため、本当の草野球相手だと、実力差がありすぎる。そういう具合のチームなのである。


 早稲谷の野球サークルは、甲子園準優勝チームの主将であった手塚が入っていたり、他の大学の学生もいたりする。

 大学でも野球は楽しみたいけど、ガチなのはもう御免被る。

 そしてこうやって相手を見つけて、野球を楽しむのである。

「大丈夫ですよ。左で投げさせますから」

「左って……右のピッチャーが?」

「ピッチング練習の中で、左で投げるっていうものがあったんで。大丈夫、130kmは出ませんから」

「それ、120ぐらいは出るってことか?」

 そうなのである。




 散々文句を言っていた向こうのチームの監督であるが、あちらのピッチャーも130kmは出してくる。

 なんでも甲子園に行ったチームの控え投手であったとか。

 本物の草野球と比べると、はるかに強いチームである。


 この試合において、手塚は輝いている。

 同じく千葉から上京してきた彼女が見に来ているので、颯爽としたプレイをするのだ。

(つーか、野球ってのは本当は、こういうもんなんだろうな)

 直史の場合は大学卒業後、最短ならば一年で法曹資格は取れる。現実的に考えれば二年だ。

 そこからが本当の社会人であるが、土日のどちらかを空けて試合をするというのはいいかもしれない。


 それに佐倉法律事務所は、白富東の近くにある。

 曜日によっては月に二三度、白富東へ行ってコーチをしてやるのもいいかもしれない。

 そこまでにはだいぶ鈍っているだろうが、バッティングピッチャーとしてなら、それでも充分に通用するだろう。

 子供が生まれたら、男の子だったらキャッチボールは教えよう。

 野球ではなくサッカーに行くのが今の主流なのかもしれないが、もしも野球を選ぶなら、色々と教えてやれる。

 娘でもやはり最初は野球をやらせてしまうかもしれないが。


 直史は自分で思っているよりもずっと、野球が好きな人間である。

 夏になれば高校野球を見るだろうし、今年も応援には行くつもりである。

 50歳を過ぎても草野球が出来たら最高だ。




 そんな直史が投げる左のストレートとカーブのコンビネーションを、相手のチームは打てない。

 もっとも本気を出して、同じ球種の中でも色々と組み合わせたら、キャッチャーが捕れない可能性すらある。

 それでもたまには打たれてランナーが出るので、そしたらスライダーを使ってみる。

 左ではツーシームの握りでも上手く曲がらないが、その分スライダーはしっかりと曲がってくれる。


 こちらの攻撃としては、手塚はやはり先頭打者だ。

 130kmというのは素人には絶対に打てないスピードではあるが、手塚であれば問題はない。

 バッターとしては三番に入っている直史のヒットで、ホームにまで帰ってくる。


 白富東や早稲谷とは比べるべくもないが、中学時代に比べればはるかにまともなキャッチャーと守備。

 自分で投球を組み立てながら、直史は投げる。

(ジンか樋口がいたら、もっと楽に勝てるんだけどな)

 それではたとえ左で投げても過剰戦力である。


 試合は九本のヒットを打たれながらも、完封して3-0で勝利した。

 なおピッチャーゴロでの併殺が三つあった。

 手塚はもちろん向こうのチームからも、また練習試合であれば参加してくれと言われたりした。

 そしてその後、右の本気のピッチングを少しだけ見せてくれと言われる。


 大学野球でもレギュラーをしていたという、向こうのキャッチャーを座らせる。

 危ないから、キャッチャーミットは動かさないようにと言って投げる。

 低いと思って下げたキャッチャーミットの上を弾き、プロテクターの胸を強く打ちのめした。

「だから動かすなって言ったのに」

 何も悪びれず、直史はそう言った。




 140kmを超えるスピードで、曲がるボールをキャッチする。

 おそらく最盛期の能力ならば捕球出来たのだろうが、今の直史の実力は、おそらくプロの中でも上位の上澄みだ。

 大学の野球部でレギュラーと言っても、ピンキリなのである。


 そこからはキャッチャーのミットを動かさないようにして、曲げながら投げ込んでいく。

 あちらも対角線を使ったり、低めにミットをべたりとつける。

 ストレートならともかく、変化球の変化量を大きくして、ミットにちゃんと投げ込むのは難しい。

 途中からはキャッチャーをどんどんと代わっていって、百発百中でそこに投げ込んでもらうのを楽しんだりする。


 その中で、向こうのチームの選手たちは思うのだ。

 なんでこの人、プロに行っていないの、と。


 これまでにもドラフトでプロにいった人間を、数多く見てきた。

 大学や社会人でも、150kmを出すピッチャーや、えげつない変化球を投げるピッチャーはいた。

 だが直史は、ストレートは体感でそれよりも速く感じるし、変化球も全てがえげつない。

 甲子園の決勝で、史上初の15回パーフェクトなどという人間離れしたピッチャーというのは、こういうものなのかと感じさせる。


 どう考えても、プロに行くべきだ。

 大学野球でもMVPや最優秀投手に一年から選ばれているなど、ニュースでも散々話題にはなっている。

 だがこの試合、基本的に直史が左で投げたことから、一つ類推出来る。

 直史は細く見える。実際は必要な筋肉はあるのだが、この体の細さが、プロには行かなかった理由かもしれない。

 全日本の決勝で投げなかった理由は、準決勝で肩を痛めていたからと聞く。


 プロ野球は現在、年間で143試合のシーズンである。

 プレイオフを入れると、さらに試合数は増える。それに比べると大学や高校野球は、連投する可能性はあっても、ずっと戦い続けるわけではない。

 体力不足からプロには行かないというなら分からないでもないが、甲子園で連投し24回を無失点に抑えたピッチャーが、体力不足と言えるのだろうか。

「プロ野球だけが人生じゃないでしょ」

 直史は散々、プロに行かないのはもったいないと言われるが、たとえば秦野やセイバー、そしてジンなどには言われたことがない。

 単純にプロ入りするだけなら、確かに直史は志望届さえ出していれば、複数の球団から指名されただろう。

 だがプロになるのと、プロであり続けるのと、野球でずっと食って行くのとは、それぞれ別の問題である。

 あとプロ野球は単純に、どこのチームに行くかを選べないというのもある。


 プロ野球選手はそのほとんどが、プロを引退してからの人生の方が長いのだ。

 だがそんな直史の才能に、嫉妬せずにはいられない者もいる。

「才能と言ってもな……」

 直史としても、才能で片付けられたくはない。

「毎日バッピ含めて500球投げて、30mダッシュ100本、ストレッチに柔軟、ノックもしっかり打ってもらうし、ちゃんと練習はしてましたけどね」

 おまけに直史は成長曲線こそ鈍ってはいるが、大学に入ってからもさらにピッチングは進化を遂げている。


 もちろん運もあった。セイバーという指導者とそのコーチ陣、さらにジンがいなければ、直史はここまでの力量を得ることは出来なかったであろう。

 だが直史と同じ環境を得ることが出来ても、他の選手はここまで大成しなかった。

 大介はちょっと特殊すぎるが。




 佐藤直史は、単純な天才ではない。

 だが努力の人間でもない。

 計算高く効率よく、練習とトレーニングを欠かさず積み重ねていった結果が、今のこの選手として完成しているのだ。

 いや完成ではなく、さらに伸びていっているのだ。

「俺たちもそんなトレーニング受けたかったな……」

 そんなことを言う者もいるが、セイバーが直史を一番特別だと思ったのは、そのメンタルである。


 ピッチャーというのは孤高の存在であり、エゴイズムの塊であることもある。

 だが手塚は、直史が投げている試合では、負けるとは思えなかった。

 初めての秋の関東大会も、直史が投げている間は大丈夫。ずっとそう思っていたし、それは最後まで変わらなかった。

 こいつが投げているなら負けない。

 チームにそう信頼されることが、エースの最高の条件であろう。


 それはともかく、直史としては営業もかけておく。

「白富東の前の監督、トレーニングセンターの会社を作ったみたいですけど」

 とりあえずは千葉、神奈川、埼玉の三箇所で、野球のみならずトレーニングの仕方を教えたり、身体能力の向き不向きを分析する会社を作ったそうな。

 今は人材が足りないので関東圏だけだが、おそらくいずれは関西にも進出すると言っていた。

 そこはコーチが教えるだけでなく、コーチに教えるトレーニングセンターであるという。


 かなりまだマイナーではあるが、日本には野球の専門学校というものもある。

 分類としては社会人野球になるのであるが、セイバーはそれと提携して、トレーニングセンターを作った。

 グラウンドなどの場所は、さすがに確保が難しいのだ。しかし最新の計測機器やスタッフなどは、セイバーが用意できる。

「あの人もまた、めちゃくちゃなことやってるよな」

 手塚は呆れたように言うが、セイバーが日本の野球界に与えた影響は大きい。

 単純に指導者として、直史と大介を教えたということだけでも、それは明らかだ。


 ちなみに大学と提携して、MLBの指導をさらに超えた、世界最先端のトレーニングを考えているそうな。

 まったくもって、金も伝手も、色々なところにある人間である。




 楽しい野球の時間は終わった。

 直史はあまり感情を表に出さない人間であるが、手塚の目から見ると明らかに、野球をやっている時は楽しそうなのだ。

 プロに行く気はないという直史の言葉は、本音ではあろう。

 だが、もっと高いレベルの野球を楽しみたいという欲求はないのだろうか。


 手塚は直史の先輩であるだけに、そしてプロ野球のみならず大学野球の関係者でもないので、そういったことを気軽に聞けた。

 直史としても手塚に対しては、少し踏み込んだ言い方をする。

「そもそもプロ野球って、そんなに高いレベルですかね?」

 ひどい。

「年間に100試合以上もしてれば、捨て試合とかもあるでしょう? 興行的にたくさん試合をしなければいけないのは分かりますけど、全ての試合を勝ちにいきたいんですよね」

 それを聞いて手塚は思った。

 直史であれば上杉のように、自分の投げた試合では全て負けずにすむことが可能ではないのかと。


 直史はただもう、自分が楽しむ範囲で野球をすると決めている。

 だが世間一般の人間からすれば、こいつの投げる試合を見られないというのは、かなりもったいないことなのではないだろうか。

 試合後の打ち上げを終えて、大学の寮に戻っていく直史の背中を見送る。

 もしも本当に、野球の神様がこの世界にいるのなら、直史を世界の人間が見つめる舞台へ引きずり出すであろう。そんなことを思った。

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