第149話 懐かしきあの日
※ 本日のエピソードは続の144話を読んでから読むことをお勧めします
×××
もう四年も前になるのか。直史は思い出す。
白富東と桜島との、高校野球史上最高に頭の悪い打撃戦。いや、あれは打撃戦というよりは、もっと原始的な何かだったような気もするのだが。
あれは何本のホームランが出たのだったか。
そう、ホームラン合戦と言った方が正しい。
瑞希ならば憶えているかもしれないが、思い出すだけでけっこう疲れてくるだろう。直史もそうであるので。
思い出したくない記録は、頭の奥にしまっておこう。
武史の覚醒と直史の先発からいったん交代し、そしてそこからのパーフェクトリリーフはあったものの、岩崎やアレクでは、あの大噴火を止めることは出来なかったかもしれない。
その桜島は今年、西郷ほどのデタラメなパワーヒッターはいないものの、どの選手も相変わらずバットが振れている。
打球で相手を殺そうというぐらいに、殺気だったスイング。
小手先でかわそうとしてもなかなか難しいのだが、殴り合いで勝つのも難しい。
ただし今の白富東は、あの頃の白富東に比べると、むしろ打線には穴がないように思える。下位打線でもそれなりに点が取れそうなのだ。
殴り合いになるか、それともピッチャーの力で抑え込むか。
抑え込めるほどの力を持ったピッチャーは、ユーキだけしかいないし、ずっと抑え込み続けるのも無理だとは思う。
少なくとも一回の攻防は、白富東が先制点を奪い、さらに相手のお株の先制のホームランを打てた。
ただ白富東側は、完全に殴り合いになっているわけではない。
ピッチャーはなんだかんだいって、バッターの弱点をリードして攻めている。
ただ逃げるピッチングはしていない。それでいいのだ。
「バッター一巡まで、一点も取られなければ白富東の勝ちかな」
そう言っていたら二回の表で、いきなり桜島が噴火を起こした。
ランナーがいなかったことが救いではあるが、打たれたくなかったホームラン。
実際のところはソロホームランでは、そうそう流れが変わることはない。
だが流れをせき止めることぐらいは出来る。
初回から先制していいムードだった白富東に水を差す。
だがランナーは残っていないわけであるから、バッテリーは開き直って次のバッターに投げられるかが問題だ。
レフトフライでツーアウトになった後、今度は下位打線の痛打。
右中間を越える長打であったが、二塁に到達してもランナーはニコリともしない。
ホームラン以外は全て失敗とでも考える、潔いのか頭が悪いのか、判断に困る価値観なのだ。
高く上がったセンターフライをキャッチして、この回は終了。
桜島はまず一本目のホームラン。一点を返しはしたが、逆に言うと一点しか返していないのだ。
この試合が乱打戦になるのなら、ここでいきなり逆転などしておきたかっただろう。
だが一点を返しただけで、また白富東に攻撃が回ってくる。
最小失点で抑えた白富東だが、ここで追加点が取れたら、かなり有利になるのは間違いない。
そして今の白富東なら、下位打線でも真っ向勝負で点が取れるのだ。
先頭打者がヒットで出て、ここから七番八番と本当の下位打線になる。
「下位打線で一点取れれば、かなり有利な展開かなあ」
もちろん直史としては、母校の応援はしている。
だがそれと勝敗の予測とは別なのだ。
期待は外れた。
下位打線での得点はなく、また桜島の攻撃となる。
だが白富東はベンチとしっかり意思疎通をして、打たれることも覚悟の上でピッチングをしている。
同点に追いつかれても、そこからまた一気に点を取る。
三点差がついて、ここから逆に白富東が爆発するかと、周囲の観客もハラハラドキドキしながら見ている。
瑞希などは平静な表情でノートに字を綴っているが、なかなかこの試合はスリリングなものになった。
これ以上の点差はつかず、またも桜島に攻撃の主導権が渡ってしまう。
5-2から5-3、そして5-4へとソロホームランで一点ずつ近付いていく桜島。
得点の全てがホームランだけという、あまりにも効率の悪い点の取り方である。
だが見ている分には面白い。
中立の観客はおそらく、この段階では桜島の味方が多いだろう。
ここで流れを変えるために、何か白富東も策を立てるべきではないだろうか。
だが白富東で切れるカードなど、それほど多くはない。
五回の裏は、三番の悟からの攻撃である。
白富東では一番の強打者で巧打者の悟であるが、この試合では得点の機会を作り出す方に重点を置いているのか。
ただこの雰囲気の中では、ホームランがほしいところだ。
ここという時に一発を打つ。チームが期待するのは、そういうバッターだ。
それが求められる場面。直史は打席に立つ悟が、狙っているのに気付く。
秦野たちと簡単に分析していた、桜島のパターン。
それは交代したピッチャーは最初に、まずストレートを投げるということ。
悟も知らされているはずだが、それを狙って打てるのか。
(ここで分かっている一球目を見逃すなら、たいしたバッターじゃないんだろうけど)
だが悟は、その初球を打った。
ライト方向で風もあったが、それでも充分な距離のあるホームラン。
バックネット裏も沸き立つ、見事なホームランだ。
たいしたものだな、と直史の心にも賞賛の気持ちが浮かぶ。
(でも俺だったらあんなボール投げないけどな)
上ばかりを見ていた直史。あの冬の日、まだ悟は中学生で、直史にとっては軽くひねることの出来る相手だった。
今でもまだ、それほど恐ろしいバッターとは思わない。だが、悟にはまだまだ先がある。
秦野から聞く限りではプロ志望であり、既に多くの球団が注目していて、バッターとしては早稲谷大学の西郷と並ぶ、今年のドラフト競合物件となりそうなのだ。
直史と対決する機会はない選手だ。
対決してみれば、やがては抑えるのが難しくなりそうなバッターではある。
(ショートの強打者か。そりゃどこの球団も欲しがるよな)
ただ大介のように、一年目開幕からいきなり一軍ということはないかもしれない。
ならば入った球団によっては、早稲谷との練習試合は行うかもしれない。
プロに入って、どれだけ悟が伸びていくのか。
それが楽しみな直史は、自分が何者の視線で悟を見ているのか、いまいち分かっていなかった。
第三試合は打撃戦を制し、白富東が準決勝に進む。
そして第四試合、宮城県の仙台育成と、神奈川県の横浜学一の試合。
明日の第一試合は早大付属と白富東のカードとなっているので、この勝者が蝦夷農産と準決勝を戦うことになる。
チーム力から考えると、このどちらが準決勝に勝ちあがるにしても、蝦夷農産が勝つにはかなりの幸運が必要だと思う。
どちらも強豪の名門であるが、仙台育成は肝心なものを持っていない。
そう、優勝旗である。
これまで何度となく、決勝までは進んだ東北の代表校はあるが、優勝したチームは一つもない。
対して横浜学一は、複数回の全国制覇の経験がある。
どちらが勝った方が、白富東にとっては楽かな、と直史は考える。
どちらが勝っても、蝦夷農産よりはチーム力は高い。
蝦夷農産は爆発力こそあっても、安定して力を出すのは苦手だと思うのだ。何よりピッチャーで劣る。
横浜学一は優勝候補の筆頭だと、帝都一と並べて言われていた。もっともその帝都一は負けているのだ。この仙台育成を相手に。
どの要素も一級品であり、弱点などはない。
仙台育成も全体的にレベルは高いが、横浜学一と互角か、わずかでも上回っているのは投手力だけである。
(ピッチャーの出来で、勝負は決まるな)
それは別に直史だけではなく、全ての野球人が思っていることだろう。
そして予想通りの投手戦となった。
仙台育成のエースはMAX154kmのストレートを投げる本格派ではあるが、スプリットとスライダーも効果的に使ってくる。
特にスライダーは、変化量こそそれほどではないものの、手元で鋭く曲がるらしい。
ネット中継で見た画面では、そのスライダーで確かに多くの三振を奪っている。
横浜学一のエースも似たようなタイプで、二種類のスライダーを使っている。縦と横のスライダーだ。
奇しくもこの二人のエースは、横に鋭く曲がるものと、縦に鋭く落ちる変化球の、二つを持っているらしい。
そして横浜学一が先制したものの、仙台育成も同点に追いつく。
1-1という緊迫した雰囲気の中、両エースの力投が続く。
ただ、その終盤から、直史は気になることが出来てきていた。
それを確かめるために、試合から目を離してスマホを操作する。
「どうしたの?」
瑞希の問いにも、短く答えるのみである。
「延長になったら、球数がどうなるかってな」
仙台育成はこのエースが、イニングのかなりを投げているはずだ。
それに比べると横浜学一は、控えもそれなりに使っている。
仙台育成は、このまま延長が続くと、勝っても準決勝で、エースを全力で投げさせられないかもしれない。
いや準決勝は大丈夫でも、決勝が問題となる。
もしもそうなると、準決勝では控えのピッチャーを使わざるをえないのではないか。
そして二番手ピッチャーは、横浜学一はそれなりであるが、仙台育成はかなり見劣りする。
このままエースが消耗した状態で、仙台育成が勝つとする。
すると仙台育成は決勝のためにも、二番手を準決勝に投げさせる確率が高い。
いやそうしないのならば、決勝でエースが投げられなくなるだろう。
蝦夷農産はそれなりに穴も多いチームなので、決勝に進むであろう早大付属か白富東と戦うことを考えると、蝦夷農産相手には二番手を出すしかない。
これは、蝦夷農産が勝つ可能性が出てきたのではないか。
もちろんこの試合を、仙台育成が勝つと仮定した話だ。元々横浜学一の方が、仙台育成よりはチーム力は上だと思われているのだ。
だが、それは本当に少しの差だ。
そう思って見続けていると、試合はさらに進み、照明がつき始めた。
白富東と桜島が、割と長めの試合だったことも、関係する。
そしてこういって普段は体験していない状況での試合になると、わずかなエラーが誘発されたりもする。
環境が変わったのが、有利に働いたのは仙台育成。
エースの一振りが、スタンドに勝ち越しのホームランを叩き込んだ。
そしてその裏、横浜学一を抑えて、準決勝進出。
準決勝第二試合は、蝦夷農産と仙台育成の試合となった。
これは予想していない。
仙台育成は球数のことも考えて、準決勝か決勝をエース以外で戦わないといけない。
少なくとも全イニングをエースで戦うことは無理だ。
球数制限がないとしても、この15回までを投げぬいたピッチャーが、次の試合までに回復しているものだろうか。
一日の休みがあり、そして準決勝、
そこでまた休みがあり、決勝。
「これは、決勝に蝦夷農産が来るのか?」
全く予想だにしていなかったが、その可能性はかなり高くなったと思う。
隣の瑞希も、どこか不思議そうな顔をしていた。
準決勝にも全力を出して、決勝で負けるのか。
それともリスクはあるが、準決勝を控えで戦うのか。
いずれにしても、まずは準決勝で勝つ必要があるのだが。
今年の夏は、どうにも波乱含みである。
ホームラン合戦のあとは投手戦と、ずいぶんと特徴のある準々決勝が終了した。
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