第150話 ただ野球が好きなだけ
延長で長引いた準々決勝の第四試合が終わってから、直史と瑞希はホテルに戻る。
準決勝まではきた。ただここからあと二回勝たなければいけない。そして難易度はどんどん上がる。
直史たちの場合は、二年目のセンバツはベスト8で敗れたし、その夏も決勝で敗れた。
自分の体験からすると、最後の夏には最後まで試合の舞台には出たいと思っていた。つまり最低ラインが決勝進出だ。
ただ手塚たち三年は、完全にやり切った顔をして、準優勝でも満足そうであった。
それは一年の夏も同じであった。涙を流していたのはジンだけで、北村を筆頭とした三年は、サバサバしたものであった。
どれだけ野球にかけたかで、最後の夏を悔いなく終えられるか、それは決まるのだろう。
北村や手塚たちは、それに費やした労力に、見合った結果だと思っていたのだ。
得に北村はまさか自分たちが甲子園に、などと思っていたはずだ。そもそもその春までは、部員数の減った野球部が専用グラウンドを占領するのは贅沢ということで、グラウンドの一部を他の部活に使わせるという、生徒会との対立もあったわけで。
あと一歩であったが、甲子園への夢は見れた。
それで北村は充分だったのだろう。ジンはしばらく地獄であったようだが。
二学期になれば意外と誰からも責められなかったので、あれでようやく落ち着いたようである。
手塚たちにしても、大阪光陰の打倒を目標としていたので、決勝で最後までリードしていても、それはオマケという程度に思っていたらしい。
史上最強のチームである大阪光陰を倒したということで、手塚たちは満足していたのだ。
自分たちは全国制覇を出来るほど、何かをかけてはいないと自覚していたのか。
だが最後の年度は、本気になった。直史だけではなく、ジンに引っ張られてきた皆も、そして大介も。
秋の大会から神宮まで全勝で優勝し、ついでのように国体も勝利し、春のセンバツと夏の選手権を連覇した。
史上最強チームとも言われたし、確かにどこと当たっても負けるとは思わなかった。
そもそも史上最強と言われたチームを前年の夏に破っていたので、その評価は妥当であったと思う。
ついでのようにそこから、甲子園をさらに二連続で制覇するとは思わなかったが。あれは卒業した直史たちの実力とは関係ない。
とりあえずホテルのレストランで食事をする二人である。
「明日はどうしようか?」
「また練習を見にいくんじゃないの?」
この夏、母校が早々に負けたら観光でもしようかなどと、二人はその予定で部屋を取っていたのだ。
幸いにもここまで残っているから、なんなら決勝で負けても勝っても、そこから観光はすればいい。
「見に行くにしても、そんなに時間はかけないと思うし」
そんなことを言いつつも、実際にグラウンドを訪れれば、何かサポートしてしまうのが直史だ。
瑞希にははっきりと分かる。
直史は明らかに、高校時代の方が、野球を楽しんでいた。
自由度は高く、対戦する相手は強く、競い合うピッチャーもいた。
今の野球は直史にとって、アルバイトのようなものだ。
はっきり言って大学入学以降、直史が多少でも苦心したのは、東大の妹たちを相手にした時ぐらいだ。
この高校野球の母校への援助は、完全に無償のものである。
直史は単純に野球が好きなのではなく、白富東の野球が好きだったのだ。
(分かってるのかな?)
直史は野球が好きではあるが、ただ好きであるというだけではないと、瑞希は思っている。
何人も瑞希は見てきたが、野球に囚われた人間はいる。
直史はそういった人々と比べると、確かに違う印象はある。
だが同時に、それ以上に野球の呪いを受けているようにも思うのだ。
たとえば、こういう時。
直史と瑞希は食事を終えて身の回りの整理をすると、シャワーを浴びてからたっぷりと仲良くしていたわけだが、そのピンク色空間を破壊する、電話の呼び出し音。
動きを止めて息を整えた直史が、スマホを操作する。
ごく短いやり取りであったが、直史の体の下の瑞希は、おおよその内容が聞き取れた。
結局は、母校を助けに行くのだ。
「午後から行くの?」
「いや、午前中は早大付属の方を見ようかなって」
「それじゃあ……その、今日はもうこれぐらいで」
直史はあまり筋肉質には見えないが、実のところはしっかりと鍛えられている。
その腕力で上にされたり下にされたり、またひっくり返されたりと、好き放題にされるのが瑞希である。
あまり自分では動かないようでも、充分に疲れるのである。おもちゃのようにくるくる回されるのは、実はけっこう好きなのだが。
「うん、だから今日は、もう一回だけで終わろうか」
性欲強いなあと思う瑞希であるが、それに付き合える自分も充分に性欲が強いのには気付いていない。
早大付属の練習グラウンドの場所は、既に調べていた直史である。
知り合いになったスポーツ記者の名刺は、何枚も持っている。
さすがにただの偵察というだけではなく、しっかりと手土産も持っていく直史、
瑞希はマスコミの記者たちのところまでだが、直史はしっかりと連絡も入れている。
「こんにちわ」
「やあ」
早大付属の監督片森は、気さくに応対した。
直史は白富東のOBであるが、同時に早稲谷大学の現役学生で、早稲谷のOBである片森から見れば、後輩にあたる。
「急ですみません。栄養飲料水、それなりに持ってきたんですけど」
「ああ、ありがとう。じゃあちょっとベンチの人間を使ってくれていいから」
早大付属ほど層が厚いチームでも、スタメンとそれ以外は、ピッチャーでない限りかなりの差がある。
打力に優るのか、守備固めに使うのか、そういった差はあるが。
そういった控え数人に、レンタカーで運んできた補給食などの差し入れを運ばせる。
練習の様子を見ている片森は、選手たちの動きに集中している。
だが直史と全く会話もしないというわけではないようだ。
「次の対戦が、事実上の決勝戦になるかもしれませんね」
「それは確かに」
「今年はプロ志望選手どれぐらいいますか? 大学組もいるでしょうけど」
「ああ……。そういや君、大学の野球部を無茶苦茶にしちゃったって聞いたけど」
「普通にリーグ戦で優勝を目指してるだけですが」
直史の認識としては、勝つために改革するのは当然である。
そして結果が出ているのだから、それで正しいのだ。
片森としても、大学の野球はおかしかったなと、今なら思う。
まだしも高校までの方が、理不尽なことは少ない。
そんな大学野球を壊してしまったのが、直史なわけである。
大学のOBには色々な有名選手もいるが、直史以上の実績を残した者は、一人もいない。
実力が全て。
直史はそういう実力優先主義でありながら、別に問題児なわけではない。
一般的な意味とは違う問題児ではあるが。
ただ異なる価値観を持つことによって、組織が強くなるということはあるのだ。
あるいは価値観のアップデートは、常に必要とも言える。
早大付属はエースの成沢の他にも、プロ志望届を出す選手が四人いる。
直史もチェックしていた選手であるが、はっきり言って現段階ではまだプロのレベルに達しているとは思えない。
ただ成沢だけは、そのままプロ入りして一年も鍛えれば、モノになるかと思うが。
最近では大学で四年間を鍛えて、それからプロ入りする方が成功率は高いとも言われる。
だがピッチャーだけは別で、高卒の方が大学で無理をさえないからいいとも言う。
休憩中になると、直史は別に弱点を聞きだすなどという露骨なことはせず、普通に進路を聞いてみたりする。
だが最後の夏の決戦に向かう選手には、それを聞くのは野暮というものだ。
そして休憩の間には、マスコミも寄ってくるのだ。
普通に早大付属の選手の方に行けばよかろうに、なぜか直史の方に寄ってきたりする。
「佐藤君はプロに行かないって言ってるけど、本当にそれでいいの?」
もう何回聞いたか忘れたが、同じ質問である。
「プロになりたいなんて思わないですから」
他に何も特技がなければ、一発逆転を狙って、プロを目指すのもいいだろう。
だが直史には他に、選択肢があるのだ。
「才能を持った人間は、その才能の奴隷になるべきだと思うけどね」
「才能?」
簡単にその言葉を使わないでほしい。
「才能なんてのは、160kmを軽く出したり、当たり前のようにホームランを打ったり、そういう人間のことでしょう。一日500球も投げてやっとここまで達した人間に、才能があるとでも?」
直史の練習量は、異常であった。大学に入ってからは、ほどほどに鍛えているが、それでも球速の上限は上がった。
確かにそんな練習をこなせることを、才能と言っていいのなら確かに才能なのだろうが。
「周囲の期待に応えたいとは思わないのかい?」
「俺が恩義を少しでも感じている人間で、俺にプロに行けなんて言っている人は、一人もいませんけどね」
「ファンの期待に応えたいとかは?」
「そのあたりの質問にはもう何度も答えてるんで、そっちを確認してからにしてもらえますか?」
溜め息をつく直史である。
直史のマスコミ嫌いは良く知られている。
その理由の大きなものの一つは、同じ質問に何度も答えさせるというものがある。
ちなみにファンの期待など、直史の知ったことではない。
直史は、本当に直史の力になってくれた人のためだけに、野球をする。
そしてそんな人々の中で、一番直史で商売が出来そうなセイバーでも、プロへの道をしつこく勧めることはない。
たとえ直史の持っている能力を、最高の才能だとしても、別にプロになりたかったわけではないという言い訳があれば、やはりその世界では通用しないだろう。
言い訳を持ったままプロ野球選手のような特殊な職業に就くのは、成功への道は細すぎるということが分かっているのだ。これは野球だけに通じるものではないだろうが。
直史は来年からは、勉強に専念する。
そしてまずは司法試験、そこから司法修習、二回試験と繰り返していく。
大学でも野球にある程度打ち込まなければいけなかった直史は、人生の最速での法曹資格取得経路は、さすがに難しいと思っている。
まだ色々と言ってくるマスコミは無視して、直史は片森と早大付属の選手たちに声をかける。
「じゃあ、俺はこれで失礼します。うちの後輩は手強いですよ」
「それは覚悟しているよ」
マスコミも本来の取材対象が早大付属である以上、直史を追っかけてくることは出来ないだろう。
直史としても相手をしたい人種ではない。
車の中に戻って、ふと呟く直史である。
「もし俺が司法試験に落ちたりしたら、あいつら大喜びで報道するのかな」
「さすがにそこまで暇な集まりだとは思いたくないけど」
瑞希はそうは言うが、マスコミの報道の二次被害などには、法律が関わってくる部分も多分にある。
まだ色々と未整備な部分があるのだ。
マスコミの中にクズがいるように、弁護士の中にもクズがいる。
ただ面白おかしく報道することがないだけ、弁護士の方がマシではあると思う。
直史も瑞希も、自分の目指している先が、単純な正義につながるものだとは思っていない。
世の中は法律によって定められている範囲が多く、その中で普通の人間が普通に生きられるように、調整していくのが弁護士だと思っている。
おそらく性格的には、直史などは検察の方が向いているのだと瑞希は思う。
だが公務員で、組織の中で多くの上司の下で働くことが、直史には難しいだろう。転勤もあるのでそれも問題だ。
そもそも中学時代は、公務員を目指していたのが直史のはずではあるのだが。
「事実上の決勝戦になるかなあ」
雰囲気を変えるべく、直史は片森に言った言葉を思い出す。
「そう思っていると、普通に大番狂わせが起こるかも」
瑞希も野球の奥深さと言うか、逆転する展開を知っているだけに、下手なことは言えない。
仙台育成がどうエースを運用するかと、あとは逆にこの準決勝で、白富東と早大付属が、共にどういった具合に消耗していくか。
直史には岩崎という同学年に優れたピッチャーがもう一人いたため、投手運用で指揮官が悩んでいたのをあまり見ていない。
それにいざとなれば、連投でも勝てる程度に、力をセーブして投げればいいだけだ。
その意味では球数制限などというのは、直史には完全に無用の存在なのである。
「勝たせてやりたいなあ」
直史の単純な呟きは、とても小さいものであった。
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