第6話 盤外戦

 直史は本当に手段を選ばなければ、たいがいの問題を解決することが出来る。

 ただ本質は保守的であり、社会の一般的な道徳理念に従う彼は、手段を選んでしまうのだ。

 だがとりあえず、辺見からの言質を得ることは出来た。

「では一週間後、佐藤と樋口のメニューに従って練習したメンバーと、レギュラーメンバーによる試合を行って、今後の練習方針の変更を行うかどうかを決める」

 四年生にとってはともかく、半分近くの三年生、そして一部の二年生にとっては面白くない事態だ。

 だが多くの二年生やかなりの一年生にとっては、ありがたい話ではあるはずなのだ。




 発端は芹沢という人間自体の調査から始まった。

 なんで俺はこんな探偵紛いのことをしてるんだと思いつつ、直史は近藤たちの話を聞いて、物事は野球部内だけでは解決出来ないと判断した。

 芹沢がやっていることは明らかに、イジメという名の犯罪である。

 はっきり言って過去の暴行を受けた人間から証言を取り、現在間もなく成人する芹沢が傷害となるようなレベルの怪我をさせれば、そのまま刑事事件に出来る。

 高校時代に行った暴力は、未成年であるのと同時に、学校の体面なども考えて芹沢の両親が示談にしたことにより、公式にはなかったことにされている。

 だがもちろん被害者側の親が訴え、そこから示談になっている以上、記録が残っていないはずはない。


 直史と樋口の視点から見ると、どうしてせめて野球部を退部させていなかったのかと思う次第であるが、清河の頃から軽度ないじめなどはあったため、それまで明るみに出ると確実に公式戦出場辞退や、停部などの処分が下されるはずだったのだ。

 犯罪加害者に一切の容赦をしない樋口から見れば、野球部ごと潰れろと言いたいらしいが、被害を受けた生徒もそれは望まなかったらしい。

 野球部員であった被害者は、出場辞退や停部などが、どれほど他の選手の練習などを無駄にしてしまうことを分かっていて、それを逆手に取ったと言える。

「だが芹沢は一般試験を受けて入部している。そしてまた野球部に入ってるぞ。どういうことだ?」

 早稲谷大学の野球部には、推薦も一般も関係なく、全ての新入生が入部することが可能である。

 ただしそれに加えて、野球部部長と監督が認めること、となっている。

 入部しようとした時点で弾こうと思えば弾けたはずだ。

「樋口、表向きは問題になってない事件だ。それに芹沢は一般入学で入ってる。その人間性だの野球への姿勢だの、どうやって調べるんだ?」

「……まあそういうことか。事なかれ主義が結局、芹沢をここまで増長させていると」

「許せない」

「……」

「……」


 野球部に関係のない人間が一人いる。

 直史の彼女というか、両親公認で婚約者の瑞希であるが、今回直史は事態の解決のために、瑞希の父の伝手を使った。

 直史は瑞希にこういったことへの対応など見せたくなかったので、直接父親に頼んだのだが、それをうっかり娘に洩らしてしまったらしい。

 そして現在、直史と樋口は瑞希のマンションに一緒にいるわけである。




 芹沢の過去について調べると、まあ出るわ出るわ。

 実家が会社経営者のボンボンであるということからか、軽犯罪による補導歴が中学生の頃に何度も。

 示談で済ませてあるが、かなり問題になるだろうという例が他にもあった。

 あとはボンボンにはあるだろうなと思っていた女性関連の問題もあり、こちらは事件化する以前の段階で金を払っていたらしいが、後の事件においてそんなことがあったことも発覚している。


 いやまあ、確かに毎年40人以上もいるような部員の過去の素行を、完全に調べるのは無理があることは分かる。

 だが大学だけではなく、高校の段階から隠蔽が行われていたために、犯罪者がのさばっているわけだ。

 調べればまだまだ余罪はあるかもしれない。


 瑞希の家は弁護士であるが、刑事事件などの弁護を専門にしているわけではない。はっきり言ってあまり儲からないので。

 地元の中小企業や商店の書類作成、あとはご近所の遺産相続や離婚などが主な案件である。

 事件の被害者としての損害賠償などをすることはあるが、刑事事件の加害者の弁護などほとんどしない。

 特に少年法に対しては、疑問を持っている立場だ。

 だいたい弁護士というのは被害者救済への思いの強い人間がなることが多いはずだが、実際には依頼人の利益を考えると、社会通念上の道徳からは外れる人間を弁護する場合もある。

 ただ瑞希はそういうタイプではない。


 検察や判事と比べると、弁護士というのは犯罪者の味方になる場合がある。

 それはなぜかと言えば、法の正義を行使するのではなく、依頼人のために法を使うからである。あとは、犯罪者にも人権があると認められているからだ。

 瑞希の家は地元企業との関わりが多く、刑事に関わることは少ないが、当番弁護士として刑事を担当することもある。

 瑞希は基本的に性格が優しいのと、不正を憎むという意識が強いため、犯罪者の弁護士としては向いていないだろう。

 そのくせ真っ正直な物事の解決手段が選択肢に浮かぶため、現実では色々と問題が起こってしまうこともある。


 今回の芹沢の件も、直史には正規の伝手がなかったため、瑞希の父に頼った。

 そこから東京の弁護士に話がいって、調査をしてもらったわけである。

 だが恋人のことを考えるなら、アンダーグラウンドの知り合いを使って、簡単に処理してしまった方が良かったかもしれない。




 直史も樋口も、監督や学校、そして野球部を全体を巻き込むことを考えた。

 芹沢の背景にあるのは金と、その父親の伝手である。

 ここに権力が介在するが、大学本体の不祥事になる可能性があると思えば、その程度の権力は、より強い権力により排除される。

 だが芹沢が自暴自棄になっても困る。


 直史と樋口が選択したのは、伝統だの精神的成長だのを排除した、野球部の新体制の構築。

 その中で、上級生の特権を完全になくすというものであった。

 芹沢だけではなく、上級生全体だ。それを徹底する。

 だが現実的なことを言うと、それはこれまで上級生にこき使われてきた現上級生が、一方的に損をするように見えるのだ。

 間違っていようが既得権益は、手放したくない者が多い。

 ただ辺見自身は、野球部内の上下関係における様々な問題は、解消する必要は感じていた。

 しかし実際のところ野球部の設備などのリソースを考えると、一年などがある程度雑用をする状況は、必要になってしまうのだ。


 直史にはそれは分からないでもない。白富東はリソース自体を、セイバーの投資によって無理矢理拡大していたからだ。

 だが樋口にはある程度の解決策がある。春日山も上杉の家から寄付金で援助があったとは言え、セイバーほどの徹底した最新理論は導入出来なかった。

 それらは承知の上で、直史たちは芹沢を安全に無力化するため、上級生特権の排除を辺見に要求したわけである。

 使い走り程度ならともかく、下級生の身代わり講義出席などは、辺見も苦々しく思っている。

 それがずっと続いてきてしまったのは、自分が学生だった時からのものである。急に変化をさせようとしても、軋轢が起こりかねない。

「でも芹沢を構造的に無力化しないと、単に退部させるとかでは問題を起こしかねませんよ」

 直史は現実を見て、芹沢の安全な無力化を目指している。

 法律をもってマスコミで問題を拡散させれば、野球部のブランド自体に傷が付く。

 それは辺見も、大学側も、そして直史たちも望んでいない。


 なんで排除するやつの立場まで考えてやらないといけないのかと、直史たちは思わないでもない。

 だが野球部を利用しているのは自分たちも同様であるため、これは必要な苦労だと納得するしかない。

 そして辺見にしても、これまでの特権をなくす上級生に対し、説得力のある説明が必要になる。

 つまりあれだ。

「現状から新しい体制に切り替えるために、現在の主力と新しいシステムを比較する必要はある」

 辺見は宣言した。

「レギュラーチームと一年生の新システム派で試合を行い、最終的な結論を出そうと思う」

 つまり今まで通り下級生を奴隷のように使いたいなら、一年だけのチームに勝てということだ。




 大学野球の高校野球と最も違う点は、平均的な強さというところにあるかもしれない。

 多くの球児は高校野球で完全燃焼し、大学でまできつい練習をしようとは思わない。

 単に野球が好きなだけなら、同好会を作ったり、クラブチームでプレイするという選択肢があるのだ。


 上級生の中でも四年には、今まで自分たちも虐げられてきたのに、いきなりその悪しき特権を奪われるのかという意識がある。

 特にリーグ戦優勝を経験した最後の世代であるので、三年以下の選手には温さを感じている。

 こんな温さの連中が、さらに権利を与えられて、精神的な強靭さを得られるのかという思いだ。

 直史に言わせれば、それは単に思考停止で、現状を維持したい老人の考えだとしか言えないのだが。

 大学四年とはまだ21歳とか22歳のくせに、近頃の若い者は、と言うようなものだ。


 特に六大学はブランドイメージが先行で、実力では東都などの入れ替えがあるチームの方が優っているとまで言われたりする。

 まあそっちもそっちでいくらでも無駄にきつい練習はあるのだが、とにかく今の学生野球の体作りは、無駄がありすぎる。

 人間はいくら鍛えても、食べなければ成長しない。

 そして食べてもそのエネルギー量以上を消費してしまえば、肉体から無理にエネルギーを搾り出してしまうのだ。

 食っても鍛えても細くなるというのは、これが理由である。


 高校野球レベルでも、微妙な強さの県の進学校が、代表となって甲子園に出たりもする。

 だいたいそういうところは練習時間も短く、なんで甲子園に来れたのかと不思議に思われたりもする。

 練習を工夫するとかで話をまとめることが多いが、根本的な原因は違う。

 練習をしすぎないからだ。


 高校の強豪でも、体作りのために食事を大切にするなどと言っているところもある。丼飯三杯がノルマであったり。

 だが人間には栄養を吸収するための内臓の働きにも、エネルギーが必要であるのだ。

 食事と運動と休息は、バランスよく摂らなければいけない。

 これは何十年も前から、それこそスポーツ以外の面でさえ言われていることなのだが、なぜか無視されていることが多い。




 辺見としてはこれは、理屈の面では分かる。

 だが感情が納得しない。

 自身も猛練習で精神力を鍛えたという、成功体験が根底にある。

 だがプロ引退後に監督に就くまでの間に、アメリカで指導や育成の教育を受けているため、直史や樋口の言葉を口先だけと封殺するわけにもいかないと理性が叫ぶ。

 大学野球においては、もう技術指導ではなく、精神的なものを鍛えるのが目的とお題目を唱えることもある。

 しかしこの理屈は、そんな精神を鍛えることの中で、芹沢のような人間が存在するのだが、という現実の前では否定されてしまう。


 他にもう一つ、野球で決着をつけるというのはそれなりに野球部らしい決め方だが、チームとしての強さも野球部には必ず必要なのだと考えた。

 勝敗は大学のリーグ戦に倣い、二試合で決められる。一勝一敗だった場合は、三戦目で決める。

 これはもうはっきりと、直史対策であろう。

 それに体制改革についても、立場を考えて声を上げられない一年生はいる。

 もしも改革派が負けた後は、よりひどい嫌がらせが待っているかもしれないという考えもある。


 直史たちが手に入れた戦力は、直史に樋口、星に西、そして近藤たちの四人。

 ピッチャーは近藤や樋口、星もいるとして、根本的にあと一人人数が足りない。

 一週間以内に一年生を何人か説得するか、それとも外部から助っ人を呼ぶか。

 ただ外部の助っ人も、元プロ、ノンプロ、他大学の野球部、高校野球部の現役などは認めないという条件となった。

 辺見としてはこれは厳しいのではないかと逆に心配したのだが、直史にも樋口にも心当たりがあった。




「それで俺か」

 普通に連絡を取ってはいたが、こうやって本格的に話すのは久しぶりの手塚である。

「上位打線で点を取ったらあとは守備がまともなら完封すればいいですし」

「現役の頃のパフォーマンスは期待するなよ。協力すること自体はいいけど。でもそれでも九人ギリは厳しいだろ。新庄は野球部だし……」

 千葉の大学にいる先輩は、既に野球を引退している者がいるので、それを誘うのもないではない。

 だが樋口の方も、東京に上京していた先輩を一人用意出来た。

 夏の優勝チームのキャプテンであった本庄である。

 春日山で優勝することを目的としていた野球部の先輩たちは、卒業後はほとんどが野球から離れたか、シニアや学童野球のコーチなどをしている。プレイヤーはいない。

 その中で東京にいる人間を選んだら、こういう人材がいたというわけである。


 これで人数は10人。

 マンガのように汚い手段で負傷退場をさせられても、どうにか没収試合にはならない人数にはなった。

 そして実はあと一人、直史は心当たりを当たってみた。

 こちらの伝手を使ってどうにか出来ないかと連絡してみたら、あちらも久しぶりに東京には出てみたいと言ってきてくれたのだ。

「あと一人はいるけど、社会人なんで当日ぶっつけになる。けれど実力的には問題ないだろうし」

「社会人? ノンプロでもないんだよな。クラブチームかどこかから連れてくるのか?」

「まあいなくても最悪、10人で戦えるだろ」


 問題はポジションである。

 高校時代はピッチャーとキャッチャーだった近藤と土方だが、本来のポジションはサードとセンターなのだ。

 ピッチャーとキャッチャーの本職がいなかったこと、そして肩が強いからこそコンバートされたのだが、この試合では本来のポジションに戻る。

 するとバッテリーは直史と樋口、サードが近藤までは問題がない。

 ショートも沖田だとすると、セカンドが山口か星かでかぶる。

 外野は西がセンターで、少しブランクのあった土方がライト、手塚にはレフトを守ってもらう。


 沖田との連繋を考えると、セカンドも山口の方がいいだろう。

 だが星はファーストの経験がない。

 ファーストはポジションの難易度としては低いと言われているが、ボールに触れる回数はバッテリーの次に多い。

 星の身長だとファーストをやるのは少し不安がある。

「本庄さんできますか?」

「経験はあるな」

 つまり最初は星はベンチである。

 実は直史の頼んでいる助っ人は、ほぼファースト固定であるのだが、あまり頼りすぎるのも良くない。


 二試合目をどうするかも考える。まあ直史がもう一試合投げてしまってもいいのだが。

 ダブルヘッダーでも18イニングだ。夏の甲子園で15イニングを投げた直史なら、どうにかなるだろう。

 それにピッチャーなら近藤が出来るし、樋口だってわずかだが甲子園でも投げた。

 最初は星を使って、直史の回復を待つという手段もある。

「勝てるかな?」

 星はやや不安があるようだが、それはあちらのモチベーションにもよる。

 辺見はベストメンバーを組むだろう。選手の待遇の問題であるだけに、あえて弱いメンバーを出すという選択肢はない。


 ただ直史も樋口も、そのあたりの分析はしている。

 おそらくスタメンで出てくる中で、北村はあまり積極的には打てないだろう。

 彼はこの問題について色々と知ってしまっているため、無意識にでも力にセーブがかかるからだ。

 ただ打力においては最大の脅威である西郷が、直史との対決を強烈に望んでいるのが問題だ。

 この試合の背景にある問題を伝えれば、やはり力を発揮させずに対応出来るかもしれないが、芹沢に直接に手を出されては大事になる。

「勝つさ」

 打算も盤外戦術も含めて、負けられない試合を確実に勝とう。

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