第128話 閑話 観戦会

 ※ 本日も時系列はWBC編14話が先になります。


×××


 WBCは元々日本において人気の高い番組になるが、この年は特に異常に視聴率を稼いでいた。

 まさにドリームチームと言っていいほど、投打の要が揃っていたということが一つ。

 そしてもう一つは、アマチュア二人の参加である。


 佐藤直史が高卒でプロ入りしていたら、どれぐらい活躍できたのか。

 この議論はなにかとネットなどでは繰り返されて、長らく結論は出ていなかった。

 だが日本代表との壮行試合。

 完全に、完璧に、完膚なきまでに抑えこんだあのピッチングを見て、その実力に疑いを持つ者はいなくなった。

 その佐藤が故障者の代わりに、代表入りしたのである。

 40人リストに入っていない、アマチュアの選手が出る。

 それだけでも異例なことであるが、世間は大歓迎した。


 プロ入りは全く考えてないと、ことあるごとに繰り返す無敗の帝王。

 魔王サトーだの大魔王サトーだのと言われるのは、プロ野球に対して全く配慮しない発言をするからであろう。別に悪口を言うわけでもないが。

 そのくせ本当に実力だけはあるのだから、全く持って始末に終えない。


 その佐藤直史と、ついでのように呼ばれた樋口兼人が在学している早稲谷大学。

 強面の辺見もさすがにこれだけは許可をして、野球部員は本日はお休みである。

 そして早稲谷の大学内にある講堂では、巨大モニターに試合を映し、皆で応援しようというイベントなどがあった。

 それなりに集まりはよく、早稲谷以外の学生も集まったりしているのは内緒だ。




 野球部は一画に集まっているが、一部はそこから離れている。

 主に女性陣に引っ張り出された者である。

 そして引っ張り出された野郎共にくっついて、あわよくば女性陣と仲良くなろうという者である。

「結局東京にいるミカエル野球部は、全員来たんやな」

 中心人物であるのは明日美や恵美理であるのは間違いないのだが、野球以外のイベントの時などは、水沢瑠璃が誘うことは多い。

 今回の大勢での観戦は、彼女が恵美理から聞いて連絡を回したのだ。


 聖ミカエルは顔面の偏差値も生徒に求める。

 そんなことを言われるほどの、美女と美少女がスペースの一画にいる。

 そこに引きずり込まれたのは、星と西である。


 野球部の野獣のような男どもと引き離され、まあこちらの方が居心地はいい。

 ただ後で色々と言われるだろうなとは覚悟している。

「しかし上杉さんが投げられないってのは痛すぎるだろ」

 西は小声である。これは極秘ルートから知らされたもので、一般的な野球人に知られるとまずい。

「なあ和博、指のちょっとした怪我で、そんなに投げられないものなのか?」

 鷹野瞳の問いに、西は少し考えつつ答える。

「俺みたいな専任じゃない投手が適当に投げるには、どうにか投げられないこともないと思う。でもホッシーならどうだ?」

 瑠璃に隣の席を取られ、やたらと絡まれている星であるが、投手としての意識はこちらの方がはるかに高い。

「怪我してすぐなら、なんとかなると思う。でもしばらくたつと痛みをしっかりと感じてきて、どうしてもプレイには影響が出るよ」

 そういえばこいつは、センバツの試合で骨折をしていたのだ。

 ……ただ大介は骨折をしていながらホームランを打っていたりしたが。


 やがて大画面に投影された試合が始まる。

 日本の初回のパターンである、大介が打って一点という形にならなかった。

 むしろこれまでずっとノーヒットに抑えてきた直史が、初回からクリーンヒットを打たれた。

 その後にはダブルプレイでピンチを切り抜けたものの、やはり驚いた。

 ただ解説者は、さすがにメジャーのバッターなら、ヒット一本ぐらいは打たれるだろうと冷静に解説していたが。


「なあ、佐藤さん、調子悪いんか?」

「そんなことないと思うけど、ナオ君は表情に出さないから」

 星は現在ピッチャー枠なので、直史のピッチングを見ることが多い。

 正確無比なキャッチボールから始まり、50球以上はゆっくりとしたボールを投げて、弱い負荷のボールをずっと投げる。速いボールを全開で投げることは、一球もない日もある。

 ただ直史はバッテリーを組む樋口と合わせても、球の威力ではなく組み立てでアウトを重ねていくタイプだ。

 真っ向勝負は、それが意味のある時にしかしない。

 たとえば負けても全く問題なく、それでいて全開を出せる相手との戦いの時など。


 直史にとって球威というのは保険のようなものだ。

 基本的には技術によるコンビネーションだけで、ほとんどのバッターを打ち取れる。

 だが時には力押しでいってしまいたい時もあるし、力のあるボールを見せることで、その後の試合展開が楽になる場合があるのだ。

 試合に勝つこと、そのためには点を取られないこと。

 直史は問題が起こった時のために、ほどほどの余力を残しているのだ。

 その余力がなくなったのが、あの三年の夏、甲子園の再試合だったりする。


 後から聞いたことであるが、あれは体力の限界とかそういうものではなく、頭脳の思考回路がショート寸前になって、今すぐ眠らないといけないと判断したらしい。

 体力よりも思考力の限界が早く来るというのが、他の野球選手には理解出来ないことである。

「するとナオさんが打たれてるのって、どういうことなの?」

「ナオ兄は統計で投げるから」

 明日美の問いに、秒で答えたのは淳である。

 正確にはまだ早稲谷の学生ではないのだが、それを言うなら明日美たちも他の学生である。


 直史は統計で投げる。

 それは淳が直接に直史から聞いたことだ。

「100%抑えられるけど100の力が必要な時と、90%の確率でしか抑えられないけど50の力が必要な時は、状況によって後者を取ることが多いってことです」

「でも樋口さんはいつも、100%を求め続けるって仰ってたけど」

 キャッチャーとして樋口に師事したこともある恵美理は、その言葉を憶えている。

「それが球数制限の限界なんじゃないかな。ナオが本気になれば、悪魔みたいに組み立ててバッター打ち取れるけど、ある程度は球数が多くなるし」

 つまり時々はヒットが出ても、負担の少ない投げ方をするということである。

「普段は本気を出さずに、リーグ戦ではパーフェクトを連発してると?」

「それも違うみたい」

 星や西は県内でやりあっていたことから、それなりに身近な存在だ。

 だから色々と話もする。

「どういう種類の本気を出すかだけの問題だ、って本人は言ってたかな。だってリーグ戦は土曜日に勝っても日曜日に負ければ月曜に投げないといけないわけだし、その時のための余力を残しておかないといけないし」

 それが普通のピッチャーであれば、肩の消耗やスタミナになるのが、直史の場合は思考力の維持ということか。


 だがキャッチャーであった恵美理は気付く。

「すると直史さんはバッテリーを組む樋口さんのことを信頼していないのでは?」

 明日美は完全に考えるのは、キャッチャーに任せていた。

 高校では恵美理に、大学ではツインズのどちらかに。

「そういうわけでもないと思うで」

 応じたのは瑠璃であり、その言葉も納得出来るものである。

「うちらかて明日美のことは信じてたけど、なんもせんとただ突っ立ってるだけなんてことなかったやろ」

 普通はそうであるし、直史もある程度バックを信頼できるから、それなりに打たせることがあるのだ。


 複雑な信頼の形である。

 だがバッテリーというのは、息が合っていないといけないが、息が合いすぎていても良くないものなのであろう。

 同じ思考をする人間が二人いても、出てくる結論は同じものだ。

 ならばどこか違う人間である方が、出てくる思考も違うものになる。

 ならばやはりバッテリーは、上手く組み合わさるものではあっても、上手く重なるだけのものではいけないのだろう。




 試合が進んでいく。

 直史としては奪三振が少なく、味方のエラーなどもあった。

 アメリカチームが三塁にまでランナーを進めた時は、モニタールームのあちこちで小さな応援の声が上がっていたものである。


 だがここで直史は本気を出したかのように、確実に三振を奪う。

 三振は取るべきところでとるのだ。

 そのためには普段は球威を偽装し、いざという時にはギアを上げるのか。

 確かにペース配分をして、抜いて投げる球が多いピッチャーはいる。

 だが直史はそこにコントロールをくっつけて変化させることで、相手打線の本気を逸らしているのだ。


「すごいなあ……」

 明日美の感嘆に、こくこくと動く頷く野球関係者である。

 佐藤直史は、負けないための確実なピッチングをしている。

 そしてそんな中で、日本に先取点が入った。

 もっと一気に大量点が入るかとも思ったが、なかなかそうもいかないものである。

「和博、私はピッチャーをやったことがないけど、センターでもピッチャーは一度はやってみたいものなのか?」

「肩が強いのにピッチャー経験ないのか。まあ権藤さんが全部やったからな。男の子は普通最初はピッチャーをやりたがって、皆で試してみるもんだけどな」

 ただ特定の野球選手のファンであると、センターやライト、サードやショートをしたがる男子もいる。

 なお最初からキャッチャーをしたがる男子は、極めて稀であるが、なぜか存在する。


「たとえばやりたくないポジションってどこなの?」

 野球部には入っていなかった竜堂葵が、そんな質問をする。

「私はもう絶対に外野はいや」

 谷川美景が言った。 

 彼女の場合は二年生の時、籍を置くだけであったのに、負傷で退場した選手に代わって、外野を守った。

 そしてなんでもないフライを捕れずに、チームはサヨナラ負けをした。


「俺はキャッチャーはしたくないな」

「悪いけど俺も」

「経験者だけど私も」

 西と星は当然のようにそう言って、恵美理も賛同する。


 キャッチャーというポジションは、とにかく痛い。

 キャッチャーミットは頑丈だし、プロテクターをしているから痛くないだろうとか思われるが、明日美のストレートがファールチップで鳩尾に当たったりなどしたら、それはもう地獄のような辛さである。

 それ以外にもファールになったボールが軌道を変えて、プロテクラーのない部分に当たったりもする。

「恵美理ようそんなんで、キャッチャーやってたなあ」

 恵美理の場合は下手をすると、指を痛めてピアノが弾けなくなっていたかもしれない。

 それも含めて、もうキャッチャーは出来ない。


 どこのポジションが一番かというなら、途端に饒舌になる。

 西はあの広い外野で、一番広い範囲を守るセンターが好きだった。

 ただ同じ学年に土方がいるので、自分がスタメンを取ることはないだろう。

 どちらにしろ外野はするのだが。

「分かるな、それは。私も追いかけて追いかけて追いかけて、やっとキャッチした時のあれは、すごく気持ちよかったし」

 瞳もそういう感覚は分かるらしい。


 ちなみに星はゲッツーをするのが好きなため、セカンドが好きであったりする。

 一応ノックは受けているが、ほぼピッチャーとしてしか扱われていないが。

 贅沢なものである。ピッチャーは、ピッチャーという才能を持っていないと出来ないのだ。




 懐かしい話をしている間にも、試合は進行している。

 こうやってある程度の間があるのが、野球のいいところだろう。

 野球観戦は時間をたっぷりと取って、のんびり観戦するからいいのだ。

 もっとも最近では、そういう楽しみは時間のコスパが悪いなどと言って、敬遠する人も多いのだが。

 終わる時間がはっきりと分からないというのも、都合が悪いらしい。


 野球観戦はつまり、余裕がある人こそが楽しめる娯楽なのか。

 そんな難しいことを考えなくても、直史の奪三振や大介のホームランを見ていれば、それだけで面白いものであるのだが。

 MLBなどはホームランが出ることを推奨してピッチャーを苦しめたりと、やたらとピッチャーに不利なルール改正をすることが多い気がする。

 審判によってコロコロと変化するストライクゾーンなど、ピッチャーにとっては地獄であろう。


 しかしこの決勝は、見ごたえがある。

 主にピッチャーをメインに見る人にとっては。

 アメリカは先発こそ長く引きずったものの、その後はコロコロとピッチャーを毎回代えている。

 それに対して、日本は佐藤直史ただ一人。


 実況のアナウンサーは興奮を隠せないようで、解説者も感嘆の声を隠さない。

 このピッチングはまさに、WBCの決勝に相応しいものなのだろう。

 直史はいつもそうだ。

 本当に大切な試合では、それに相応しいピッチングをしてしまう。

 日本代表相手の壮行試合は、ちょっとやりすぎであったと思うが。


 いよいよ試合は終盤に入る。

 リードしている日本であるが、ワンチャンスで逆転されることはありうる。

 それが野球というスポーツなのだ。

 それでも最初は敵として対戦し、今では仲間となって戦っている早稲谷陣は、確信している。

 誰かが自然と鼻歌を歌いだしたように。


 ―― 佐藤が投げるなら ――

 ―― 一点あれば大丈夫 ――


 そう、多くの人間がまるで信仰か何かのように信じていること。

 直史が投げるならば、一点あれば大丈夫なのだ。

 それはもちろん錯覚というか、冗談のようなものである。

 しかし事実としての記録は存在する。

 直史が投げて完投し、味方が一点を取ってくれたのに負けてしまった試合。

 それは高校一年生の夏にまで遡らなければ、存在しないのである。

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