四章 大学一年 秋のリーグ

第45話 持続的成長

 まだ大学の後期日程が始まる前の夏休みに、六大学の秋のリーグ戦が始まる。

 直史は久しぶりに野球部に顔を出したわけであるが、さすがにもうちょっと練習に参加しろと言いたくなる辺見である。

 ただ直史の投球を見ていると、そうとも言えなくなってしまう。

「球速が上がってないか?」

 夏休み前、最後に測った時は、コントロールを意識せずに150kmに到達した。

 今はコントロールも重視しながら投げているのだが、樋口の実感でもそうらしい。


 さすがの直史も、自動車免許合宿の期間中は、投げてはいない。

 指先の感覚を鈍らせないために硬球は持って行ったが、キャッチボールすらしていないのだ。

 だがここでコントロールの調整をした後にしっかりと投げてみると、樋口が明らかに感じるように、球速が上がっているようだ。


 スピードガンで計測すると、151kmが出た。

 何度か試してみたが、コントロール出来る範囲で、150km以上が連投出来る。

「ちゃんとトレーニングはしていたようだな」

 辺見は満足して頷くが、実のところ直史は愕然としていた。

 前から指摘されていた事実が、本当だと自分の体で分かったからだ。


 投げ込みはしすぎると、逆にスピードアップにはつながらない。

 ストレッチと柔軟はしていたが、負荷のかかるトレーニングは一切していないのだ。

 いや、一切とはさすがに言いすぎで、ゴムを使ったトレーニングなどはしていたが。

 つまるところ高校時代の直史のトレーニングも調整方法も、純粋に球速アップのためには必要なかったということか。


 一応理屈は分かるのだ。

 スピードをアップさせるには、瞬発力のある筋力を鍛える必要がある。

 筋肉を鍛えるということは負荷がかかるということで、筋断裂などによってそこから超回復で筋量が増す。

 だから強い負荷のトレーニングを少数回行うというのが、筋力のアップには重要なのだ。そしてその後に休息を入れるのが、当然の道理である。

 直史は本気で投げるのはそう多くないが、一日500球を投げていた。

 明らかにトレーニング過剰の証明ではないだろうか。




 練習が終わって樋口と話したが、そういえばと樋口も頷く。

 上杉勝也は甲子園で163kmを達成したが、プロ三年目の今季には、170kmまで球速を伸ばした。

 あの超人も練習をやりすぎて、それに超人ではない周囲が付いていこうとして調子を逆に崩すので、見えるところでの練習を禁止したものだ。

「体重量ったか?」

「2kg増えてたな」

「いくつ?」

「74」

「お前の体格だとまだ細身だよな……」

 直史の体格だと、もっと筋肉があってもいい。

 ただこの身長と筋肉の量で、150kmが投げられるというのも妙な話だ。


 推測はいくらでも出来る。

 ただ根本原因を解明するには、それなりの専門家が必要になるだろう。

 だが、この直史の経験則から明らかになることもあった。

 練習であっても投げすぎているピッチャーは、スピードは上がらない。

 確かにセイバーもそれは言っていたのだが、結局監督としている間には、直史のメニューに手をつけようとはしなかった。


 投げ込みで鍛えられるのは、スピードではない。

 ちゃんと投げ込みを行っていれば、まず疲れるのは下半身であるのだ。

 直史はバッピでも変化球を多く求められるため、ストレートの全力投球は少なかった。


 変化球の投げすぎが少年野球では故障につながると言われている。

 たしかにそれも一つの側面ではあるのだろうが、実際に一番負担が大きいのは、全力のストレートだ。

 投げ込めと言われて、真面目に全力で投げ込む人間こそ故障する。

 岩崎などもセイバーが来て最初にやったのは、フォームの微調整であった。

 たったの三日ほどで球速が上がったので驚いていたものだ。


「あの人か。俺もまたちゃんと会ってみたいな」

 樋口としても自分で試してきた以外に、既にちゃんと実績の出てるトレーニングなどは試してみたいのだ。

 夏の遠征で樋口は打席にも何度か立ったが、15打数の10安打で2本塁打と、多くの先輩キャッチャーを、打撃の面だけで既に上回っている。

 パワーというか、パワーの伝え方は格別に上手いし、あとはとにかく三振が少なくて出塁が多い。

 盗塁まで出来るタイプのキャッチャーなのだから、敵に回せば本当に性質が悪い。




 この春、セイバーは千葉、神奈川、埼玉の三箇所で、トレーニング施設を開設した。

 クラブチームや独立リーグ、一部の学生野球とも関連した、おそらく関東では最も資本や人材を、豊富に集めた会社である。

 スポーツ選手だけではなく、一般人の怪我のリハビリや、マッサージの資格を持ったトレーナーもいる、複合型のスポーツ施設だ。

 なお子供の骨格や、靴の選び方などには、医師までメンバーとして加えているらしい。

 それを三箇所。早稲谷の直史たちの寮からでは、埼玉の施設が一番近い。


 何をやってるんだあの人はと思うが、時々聞こえる大介からの話によると、NPBにもがっつりと食い込んで代理人などを派遣もしているらしい。

「なんかプロ野球世界を裏から牛耳るつもりなのかね?」

 樋口としてはあの、見た目からは想像も出来ないほど政治性の高い経済人に、尊敬の念すら抱くらしい。

 直史もまあ、尊敬はしている。

 ただちょと、やりすぎてる人間に対して感じる尊敬だが。


 ただリーグ戦直前なだけに、さすがに連携の練習などもあり、野球部の練習に参加しないわけにはいかない。

 辺見は細田と相性のいい伏見を除くと、基本的に正捕手に樋口を使っていくつもりのようだ。

 四年の三浦はともかく、他の二三年のキャッチャーは面白くはないだろう。

 だが樋口は高校時代まではピッチャーもそれなりにやっていたので、内野の守備も出来なくはないのだ。

 本人はキャッチャー以外はやりたくないのだが。

 年功序列が存在する、実力至上主義ではないのが、大学野球である。もっとも、それも程度による。




 直史の調整は主に樋口を相手に行われるが、樋口も他のピッチャーの球を受ける以上、他のキャッチャーに投げることもある。

 基本的にその相手は伏見になることが多い。

 カーブの優れた細田に慣れた伏見は、直史の種類の多いカーブをちゃんと捕ってくれる。


 スルーを除けば最も強力と言われる直史のカーブ。

 それをちゃんと捕ってくれるのだから、さすがだなと思う直史である。

 ただ伏見の方は必死である。

 細田のカーブに慣れていなければ、絶対にこんなボールは捕れない。

 さらに細田より速いストレートに、カーブ以外の球種。そして魔球。

 こんな化け物でも、プロには行かないと言っているのだから、自分が通用するはずはないのだ。


 樋口が怪我でもした時のために、必死でスルーを捕る練習をする。

 確かに来ると伝えてあれば、どうにかこぼしても前に落とすことは出来る。

 だが難しいことは間違いない。それについて伏見は話したことがある。

「大田はどうやって捕ってたんだ?」

「だいたい最初から捕ってましたよ。でも県大会の決勝で後逸して、サヨナラ負け一回ありましたね」

 ああ、あれか。


 負けた後で悔しかったものの、さすがにテレビで見ていたものだが、あれは同じキャッチャーなら分かる、トラウマになりそうな出来事であった。

 一年であった大田は大丈夫だったようだが、もし伏見があれを三年の夏にやってしまえば、おそらくキャッチャーとして再起不能になっていただろう。


 伏見は同じ千葉の白富東のその後の活躍を、雑誌などで読むことがあった。

 直史が中学生時代は、公式戦未勝利のピッチャーであったことも知っている。

 そして白富東は伏見でも知っている、県内でも屈指の公立進学校であった。

 そんなところに進学した直史を、ちゃんとピッチャーとして活躍させた大田は、それだけで偉いと伏見などは思う。


 もちろん中学時代、直史の球速はそれほどでもなく、魔球も使えなかったことも知っている。

 しかし前はたいしたことはなかったというのは、相棒である細田にも言えることだ。

 細田はまだ三年だが、来年のドラフトの候補として、名前は挙がっている。

 プロのスカウトが何人か来ているが、それは梶原以外に、細田を見に来ているスカウトも多いのだ。




 高校時代に比べると、細田も化け物のように成長した。

 球速の上限もアップして、この体格であるからまだまだそれは限界ではないだろう。

 カーブを上手く使うことによって、下手に力任せにはならず、上手い投球術が出来ている。


 ただそんな細田の成長曲線と比べても、直史は化け物だ。

 直史のMAXは150kmに達したが、キャッチャーとしてみる限りでは、体のどこにも余計な力が入っていないように感じる。

 150kmを投げるピッチャーは、早稲谷では他に梶原しかいないのだが、その梶原よりも球威自体は上だ。

 それに梶原はどうしても球威で勝負するしかない状況に陥ることがあるが、直史は違う。

 いくらでも選択肢がある。それだけにキャッチャーがリードするのは大変だろう。


 同学年に樋口がいて、本当に良かったなと思う伏見である。

 高校時代の大田、そして樋口と、直史を活かせるキャッチャーというのは、プロでもそう多くはないだろう。

 なんだかんだ言って、プロにいけるキャッチャーは、打てるキャッチャーだ。

 伏見は自分が高校時代はそれだと思っていたが、樋口を見ているとそれが勘違いだとはっきり知らされる。

 結局甲子園には行けなかったが、甲子園にはちゃんとそういうキャッチャーが出るのだろうし、大学野球でも他の本当に打てるキャッチャーは眼に入ってくる。


 他の多くの人間と同じように、伏見はもったいないな、と感じる。

 直史も樋口も、野球の才能に満ちている。

 入学した時には146kmがMAXだと言っていたのに、今は150kmに球速が到達している。

 たったの半年のことだ。しかも150kmというのは、ある程度の身体的才能の限界でもある。

 そして樋口はそんな直史の変化に、平然と付いて行っている。


 同じ年の才能と言えば、上杉である。

 163kmを投げる怪物以外の何者でもなかったピッチャーだが、プロに行ってからは「これからは本気出す」とでも言わんばかりに、球速の上限をぐんぐんと上げて行く。

 伏見はもう大学三年生で、プロ野球選手に夢を見るような年齢ではない。

 だが直史も樋口も、プロの舞台で見たい存在だ。

 何より直史の、才能の限界はまだまだ先にあると感じる。


 撫で肩のピッチャーであり、肩の駆動域が広い。

 体格だけを見ても、単純に球速の上限はもっと先にあると思うのだ。

 かつてプロ野球選手は夢を見せる存在だと言われていたらしいが、直史のような存在を見ていると、まさにそう感じる。

 細田という才能と一緒に野球が出来たことは、間違いなく伏見の野球人生にとっては幸せなことであった。

 だが直史という才能は、明らかにそれよりも上だ。


 大学で直史は野球をやめるという。

 おそらく甲子園史上最高のピッチャーが、グラブを置くこの舞台。

 そこに一緒にいれたことは、これまた伏見にとっては幸福なことであるのだ。




 大学の夏休み期間、残暑の厳しい九月に、リーグ戦は開幕する。

 この秋は早稲谷は第一週から対戦カードが組まれている。相手は法教大学だ。

 春とはまたメンバーが変わっている。具体的には一年生のベンチ入りメンバーが多くなっている。

「武市がいるな」

 樋口はそう言って、メンバー表を直史に見せる。

 背番号からいってスタメンではないのだろうが、瑞雲高校の元キャプテン、武市がベンチ入りしている。


 瑞雲には直史も樋口も、痛い目に遭わされている。正確には瑞雲の坂本にだが。

 ただその坂本の手綱を、ぎりぎりで手放さずに握っていたのが、武市である。

 最後の夏は、沖縄の荒波がジャイアントキリングを起こしたが、センバツは初出場でベスト4まで勝ち残った。

 理聖舎、桜島、春日山と強豪を打ち破り白富東と準決勝を争い、大介の一発がなければ試合の行方は分からなかっただろう。


 ただ、やはり坂本のイメージが強く残っている。

「まあ、バッターとしてはアベレージヒッターだったな。本領を発揮するのは上級生になってからだろう」

 樋口としても瑞雲には負けているだけに、ある程度は意識している。

「他の主力はどこ行ったか知ってるか?」

「岡田は社会人、中岡は関西のリーグだったと思うけど」

 やはり樋口のデータ容量は大きい。


 この法教大学との第一戦に、辺見は梶原ではなく直史を指名した。

 エースが誰であるか、明確に示したと言えよう。

 直史としては上級生のやっかみがありそうで、傍迷惑である。

 梶原でも勝てる試合であろうに。


 それに直史には懸念材料がある。

 ほんの少しではあるが、変化球が変化しすぎているのだ。

 いつもならそれも含めて、全てコントロールしているのに。

「というわけでリードは頼む」

「お前の調子悪いは、全然信用出来ないからなあ」

 樋口もだいたい、直史には慣れてきたようである。


×××


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