第46話 相対的絶不調
佐藤直史のここがすごい!
・中学 公式戦未勝利全敗(防御率は2以下)
・高校一年夏 県大会全試合合計自責点一点で甲子園出場を逃す
・高校一年秋 秋の大会は関東大会決勝まで無敗(敗北はリリーフが打たれたため)
・高校二年春 センバツ甲子園の初試合でノーヒットノーラン達成
・高校二年春 県大会から関東大会まで無敗で優勝
・高校二年夏 県大会、甲子園でパーフェクトリリーフ連発
・高校二年夏 甲子園準決勝で事実上のパーフェクトゲームを史上初めて達成
・高校二年夏 ワールドカップ代表に選出。12イニングパーフェクトで最優秀救援投手に選出
・高校二年秋 県大会から神宮大会まで無敗で優勝。自責点一点
・高校三年春 センバツ以降卒業まで無敗。ついでにチームも無敗。
・高校三年夏 夏の甲子園決勝で15回パーフェクトピッチング。なお翌日再試合を完封し優勝
こんなおかしな人間がいるらしい。
白石大介というバッターが援護してくれたというのもあるが、登板して敗北した四試合のうち三試合は、大介の援護打点はなかった。
どうやったらこんなピッチャーが出来るのか不思議であるが、こんな化け物がいても負けるのが高校野球である。
白富東に貴重な黒星をつけた樋口と、大学ではゴールデンバッテリーを組んでいるのも不思議な縁である。
「ゴールデンバッテリーって、いつの間にそんなこと言われるようになったんだ?」
「三日ぐらい前じゃないか?」
樋口の雑な対応に気分を害することもなく、インタビューを再開する直史である。
今日の直史は、本当にひどかった。
誰がどう見ても、過去最悪の出来であったと言うだろう。
一回の表、ツーシームのつもりで投げたボールが曲がりすぎて、先頭打者に初球デッドボール。
帽子を取って当然ながら謝ったが、そこからも制球が定まらなかった。
主にカーブが曲がりすぎて、二者連続のフォアボール。
練習では問題なかったのに、変化球がほとんど制御出来ない。
キレかけた辺見がリリーフの準備をさせる頃、樋口は開き直る。
ストレートとスルー、そしてチェンジアップだけで押す。
そのキャッチャーの開き直りに、応えるのもピッチャーである。
満塁で逆にスクイズがしにくかったのも良かった。
四番をピッチャーフライに打ち取り、続く打者でゲッツーを取った。
ベンチに戻るとそのままブルペンへ向かい、変化球の調整にかかる。
だがダメだ。曲がりすぎるのもあるし、曲がらず速いのもある。
使えるのは元々コントロールの微妙なスルーと、チェンジアップのみ。
ストレートのコントロールが出来ているのだけは幸いであった。
樋口も眉根を寄せる。
「どういうことだ?」
「たぶん調整不足だとは思うんだが……」
直史としてもさっぱり分からないが、練習では普通に曲がっていた。
試合で曲がらないならともかく、曲がりすぎるというのはなんなのか。
「ここで練習してるとかえって危険だな」
フェアグラウンドまですっぽ抜けたら笑えない。
理論上チェンジアップも、握りによっては変な変化をする。
よってチェンジアップの原義通りの、変化量は少ない緩急差だけのチェンジアップしか使えない。
直史の最大の武器である、コンビネーションの幅がかなり狭まっている。
一般的にピッチャーは、球種が一つ増えると、コンビネーションが三倍になるとも言われる。
ストレートを合わせて三つの球種で、この試合をどうにかしないといけないわけか。
(まあ普通か)
このぐらいのことは、キャッチャーをやっていてよくあったことである。
もっとも直史がこんな状態なのは初めてであるが。
聞けば一応、調子の悪かった時というのはある。
その時もジンがリードして、どうにか試合では勝っていたわけだ。
「つーかそれぐらい少ない方がむしろ楽しい」
直史が投げると強すぎて面白くないのは、お客さんだけではなかったらしい。
ストレートの他に二つしか球種がないというのは、別にプロのピッチャーでも珍しいことではない。
特に中継ぎやクローザーなどは、一試合において同じ打者とは一度しか対決しないため、高い確率で三振を取るボールと、それを活かすボールが必要になる。
直史のストレートは強化されている。
これに緩急差を与えるチェンジアップと、伸びるくせに落ちるスルーがあれば、バッターをことごとく打ち取るのは難しくはない。
ただそれでも、試合でどの程度のピッチングが出来るか、ランナーがいない状態では試しておきたい。
二回の表、そう思って最初に投げさせたスライダーが、またもバッターの体に突き刺さった。
故意死球と思われればあと一回ぐらいで退場になるかもしれないが、バッターだってこれぐらいは避けてほしいと思う樋口である。
なまじ直史のコントロールが良すぎた過去が、バッターからデッドボール回避の思考を奪っている。
(だけど今後のことを考えれば、荒れ球の時もあると思ってもらった方がいいかな?)
バッターに信用されないノーコンピッチャーを相手にすると、超一流以外のバッターは腰が引けるものである。
続くバッターに対しても、スライダー二球を投げさせてボール先行である。
(ストレートは大丈夫だよな?)
インローのボールを投げさせれば、それは上手くゾーンに入る。
スライダーがダメならカットはどうかと投げさせれば、スライダーになってしまったりする。
練習では普通だったので、これは完全に、メンタル的な問題だ。
ならば練習ではなく、試合の中で修正していくしかない。
スプリットを投げさせたらほとんど沈まないスプリットとなり、これを打たれてセンター前に抜けるところであった。
だがフィールディングにも優れた直史は、これをキャッチして二塁へ送り、ゲッツーが成立する。
フィールディングは身をたすくのである。
ランナーがいなくなったので安心してまた変化球を投げさせれば、シンカーが曲がりすぎて相手のバッターは慌てて避ける。
さすがに今日の直史の調子が、完全におかしいことに気付いているのだろう。
二球目のカーブも、抜けた感じで当たるコースになる。ただこれは球速がないので、簡単に避けられた。
そこからはストレートでストライクを取り、チェンジアップで体勢を崩し、ストレートをボール球で一つ見せて、スルーでしとめた。
なんとかこの回も終わらせたが、チームメイトは絶対のエースが絶対でないと知り、不安を隠せない。
直史にだって、こういう時はあるのだ。
「おい、大丈夫か」
辺見は直史ではなく樋口に尋ねる。樋口としても、まあ見ていて仕方がないことだろうとは思う。
「あまり大丈夫じゃないですね。一点取られたら交代しましょう」
慌ててリリーフの葛西に準備をさせるが、それよりはまず点を取ることだ。
辺見にしても元ピッチャーなので、ピッチャーにはどうしても調子の悪い時があるとは知っている。
その中でどう投球を組み立てていくかがキャッチャーの役割であり、バッテリーの仕事である。
だがそれはそれとして、こちらもピッチャーを援護しないといけない。
四番の西郷は明らかに長打狙いで打ったが、フェンス直撃の打球でツーベースまで。
しかしここで頼れる男、北村が連続となる長打を打った。
右中間をボールが転がる間に、西郷がホームイン。
とりあえず打線の方は、調子がいいようである。
一点を取られるまでとは言ったが、それにも限度がある。
毎回のランナーを出し、満塁にまでなった状況で、どうにかフライでアウトという場面もあった。
ツーアウトでなかったらタッチアップで一点だ。
それ以外にもまたもデッドボールが出たりするが、もう相手のチームも分かってきている。
今日の佐藤はコントロールがついていない。
春には完全試合をやられたが、今日のこれなら打てる。
実際にそれなりにバットには当たる。
上手く緩急差をつけてフライなどを打たせているが、これは下手に当たれば外野の頭を越えるだろう。
ただし本当にコントロールが悪いので、デッドボールには注意するべきだろう。
打てる、打てると思っているが、なかなかホームにまでは帰ってこれない。
そして試合も中盤になると気付く。
ストレートは変な暴投をしていない。
右か左に変化する球が変化しすぎることが多く、縦の変化の球はすっぽ抜けることが多い。
だが直史と樋口のバッテリーが確認したように、チェンジアップは上手く緩急差がついて、それなりにゾーンに入っている。
あとは甘い変化球を振って追い込まれたら、ストレートでびしっと決めてくる。
このストレートが球速を増していて、空振りを取ってくる。
あとは相変わらず、魔球は打てない。
一点も取られていないが、フォアボールでランナーを出すたびに、辺見の胃が痛くなってくる。
そこに珍しくもエラーなどが重なり、さらにランナーが増えていく。
しかし本当にピンチになると、スルーとチェンジアップを使い、確実に三振を取っていく。
三振を狙って、本当に三振になるか浅い内野フライになるのは、ランナーを進めないためにも重要なことだ。
あと、単独スチールは樋口が続けて刺している。
リリーフの葛西はキャッチボールをしているが、とりあえず五回までは無失点でこれた。
「そろそろ替えた方がいいか……」
「ですね」
「いいんですか?」
コーチ陣はそろそろ替え時と思ったが、スコアラーが疑問を呈する。
「いいも悪いも、今でフォアボールいくつめだ?」
「ちょうど10になりました」
「エラーも出てるよな?」
「二個出てます」
「ピッチャーを替えて、守備陣の意識も切り替えた方がいいだろう」
そう言った辺見に、スコアラーはスコアを見せる。
「ノーヒットノーランですよ?」
「は?」
ランナーは何人も出ている。
だがクリーンヒットでなくても、ボテボテの内野安打でも、ヒットで出たランナーは一人もいない。
辺見としては沈黙してしまう。
この回もどうにか、ランナーは出したものの無失点でベンチに帰って来たバッテリーである。
直史は難しい顔をしているが、ノーヒットノーランである事実は変わらない。
「わざとか?」
辺見としてはそう問いかけてしまうが、直史も樋口も言葉の意味を分かっていないらしい。
「ランナーを出してその後を封じているのはわざとかと訊いている」
「なんでそんな疲れることをしないといけないんですか」
樋口としてもこんなケチの付け方には、さすがにムッとするらしい。
辺見は自分がそうされたように、スコアを見せる。
「ここまでランナーが12人出てる」
「そんなに出てましたか。でもなんとか抑えてます」
「ノーヒットノーランだな」
「え」
樋口としてもリードに精一杯で、そこに意識はなかったらしい。
確かにランナーが進めば、三振か内野フライを打たせることを狙っていたが。
だが辺見の言葉には、やはり怒りを禁じえない。
なんで球数を増やしてまで、そんなことをする必要があるのか。
もしも明日の二戦目で負けた場合、三戦目まで直史が球場に来なければいけないというのに。
「球数は今で何球ですか?」
だが直史の問いはそんなところにはない。
「98球。いつもの調子ならもう完投しているとこかな」
確かに直史は、100球以内で完封してしまうことが多い。
変化球投手で、打たせて取るタイプで、そのくせヒットの数は少なく、ノーヒットノーランはおろかパーフェクトまでやってしまう。
だが直史は、ここまで投げてようやく不調の原因が分かってきた。
「やっと肩の力が抜けてきたんで、そろそろコントロールも戻ってきたと思います」
「肩の力……」
なんだかものすごく普通のことを言っているので、辺見は直史が、普通のピッチャーのように勘違いしかける。
普通ってなんだっけ?
「試合の中で調整したいので、このまま投げさせてください」
「まあ……打たれてはいないからな」
一イニングに二人以上をランナーに出している計算になるが、ダブルプレイや盗塁失敗が多く、それもまた得点につながっていない。
こちらの追加点は三点で、まだ安全圏とまでは言わないが、とりあえず満塁ホームランを打たれても同点どまりではある。
明日の試合で負けて、月曜日の第三戦にもつれこんだらどうするのか。
そんなことも辺見は考えるが、梶原と細田がいれば、どうにかなると思わないでもない。
どちらにしろこんな調子なのでは、直史は第三戦などにも使えないだろう。
ここは当初の予定通り、一点を取られるまでは我慢して使い続けるのみだ。
力を抜けば、本当に必要なところに力が入る。
パワー用の筋肉ではなく、コントロール用の筋肉を意識して投げるのだ。
七回から、直史の変化球が安定してきた。
ただそれでも基本的にはボール球として使い、打てないスルーでカウントを稼ぐ。
三振が取れる。
ストレートのキレも増してきたのか、追い込んでからのストレートで三振が取れる。
それでもまだ制球が完全には定まらず、四つ目のデッドボールを与えてしまったが。
だが、その後を絶てばいい。
終盤は、意識して球数を使い、三振を奪っていく。
いつもの凡打を打たせつつ、追い込んだら三振を奪うのとは違うスタイルだ。
こういうピッチングもやってたな、と直史は若かりし頃のことを思い出す。
なおたったの三年ほど前のことである。
樋口は呆れていたが、確かに球数が100球を超えたあたりから、ピッチングの精度が戻ってきた。
相変わらず微調整をするためにフォアボールは出してしまうが、計算の範囲内で歩かせることが出来る。
相手チームも直史の調子が戻ってきたのと、何やら変な記録が出そうで焦りだす。
いったいノーアウトのランナーを、何人無駄にしてきたことか。
だが、調子が悪くても、直史は直史であった。
九回の表、法教大最後のバッターをセカンドゴロに打ち取り、147球を投げながらも完封。
いや、正しく言おう。ノーヒットノーランである。
甲子園の決勝だって、15回154球でパーフェクトをしているのだから、それと比較すればおかしいことではない。
打者39人に対して、16の四死球と四つのエラー。
そして奪った三振は11個。
ちなみに一試合において、九回を投げてピッチャーが16の四死球を記録したのは、六大学史上これが初めてであった。
しかも勝ってしまっているのである。
ゲッツーと盗塁死が多かったとは言え、どうしてこれで一点も入らなかったのか。
間違いなく過去最低のピッチングをして、それでもどうにか勝てた。
珍しくも心の底からホッとする直史であった。
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