第47話 秋の嵐

 16四死球に4エラーでノーヒットノーラン達成というのは、どうやら世界でもない記録のようである。

 また新聞の一面を飾ってしまった。

 時期的にはライガースとスターズの最終戦前であり、この年の野球は、大介直史上杉大介、武史大介直史大介上杉といった感じになっていた。


『そうですね、もちろん途中で替えようとは思いましたが、ヒットは打たれてないし点は取られてないしで、スコアラーに言われて愕然としましたね』

 なんだかMHKの夜のニュースで放送されていたりする。

 パーフェクトをやった時もそうであるが、マイナーになってきた大学野球でも、スーパースターがいればそれは報道されるのだ。

『途中からはね、佐藤も必死なのが分かりましたから。涼しい顔で勝つから分かりにくいけど、本質は熱い人間なんです。でなければパーフェクトなんて出来ません。野球の中でもピッチャーというのは、本当に精神力が必要ですから』

 間違っているとは言わないが、ならば他のポジションは精神力はいらないのか?

『正直、佐藤は天才すぎて、他の選手からは頼りにはされているけど、信じてはもらえないというか、どこか距離はあったんです。それを自分も苦しい中、味方のエラーにも嫌な顔を見せず、終盤にようやく制球が戻ってきた』

「俺って信じてもらってなかったの?」

「どうせ完封するから一点取ればいいや、程度は思われていたかもな」

 テレビを見ながら会話する直史と樋口である。

『これで本当に、佐藤はこのチームのエースになりましたね。これからもっと強くなりますよ』

「リーグ戦全勝して優勝してるんだから、これ以上の成績なんて残せないだろ」

「まあ監督はなんとなくかっこよくまとめようとしてるんだし、勘弁してやれ」

 そんな二人の周囲には、同じ寮の学友たちがいる。


 カメラが変わって、直史の顔が画面に映る。

 何度見ても自分の顔というものは、鏡や写真に写ったものよりも、動画では奇妙に見えるものだ。

『これは本当に自慢なんですけど、僕は今までピッチャーやって、一試合に多くても二球ぐらいしかフォアボール与えてないはずなんですよ。屈辱というか、一から全部やりなおしです』

「あ、珍しく本気で言ってる」

「瑞希……」

 なお寮生ではないが、瑞希もお邪魔している。

 当たり前だが直史の部屋に泊まることはない。ちゃんとこれから送っていくのだ。

 直史も明日も試合のため、本日のイチャイチャは短時間で済ませるつもりだ。


 普通にパーフェクトをするよりも、16個も四死球を与えて、味方も四つもエラーをして、それで勝つのだから訳が分からない。

 法教大の選手たちは泣いていい。

「ねえ、じゃあまた野球場行ったらパーフェクトするの?」

 ロビーなので男女が使用しているため、女子からこんな質問が飛んでくる。

「パーフェクトなんて普通はありえないんだ。プロ野球なんか年間……1000試合以上やってるけど、パーフェクトなんて数年に一度あるかどうかだし」

「夏の甲子園はこいつがやるまで、100年以上誰もやってなかったからな」

 甲子園でパーフェクトをやってしまったピッチャーと、ピッチャーにノーヒットノーランをさせたキャッチャーが言っても、あまり説得力はない。

 少なくとも野球に疎い人間たちは、パーフェクトは難しいけどノーヒットノーランぐらいなら出来る、という感覚であろう。

 無知は怖い。




 日曜日の第二戦は梶原から細田へとつなぐ内容で完封リレー。

 そして二勝してまずは勝ち点一である。

 直史としては月曜日のオフがつぶれず、投げることもなかったため良い結果と言えるだろう。

 第二週は対戦が入っていないので、この間にじっくりと調整を行う。


 出力が大きくなってしまったために、その出力の通りに変化球も投げると、より曲がりすぎてしまう。

 全体の出力を前のレベルまで戻せば、変化球のコントロールも戻る。

 およそそんな推測から試してみると、確かにブルペンでも微妙な違和感がある。

 この微調整に付き合えるのは樋口だけである。

 他のキャッチャーだと曲がりすぎるカーブやスライダーが取れないのだ。

 はからずもキャッチャーの能力を露呈することとなった。

 なお伏見ならカーブだけは捕れた。


 正直なところ、単純に試合に使うだけならば、以前のレベルで問題はないのだ。

 だが直史にとってピッチングというのは、幅を大きくすることに意味がある。

 球が速くなればそれだけ、遅い球との間に緩急差が生じる。

 せっかく使えるようになったより曲がる球が使えないのでは、もったいないというものだ。

 

 直史のピッチングはコンビネーションが重要であり、コンビネーションを成立させるにはコントロールが必要である。

 このコントロールというのは単なるコースだけではなく、球速のコントロールも含まれる。

 曲がりの幅が調整出来るなら、わざと内野に凡退させるゴロやフライを打たせるのも、より簡単になる。


 肩に力が入っていたというのは、確かにそうなのである。

 単純に球速を上げるには、それまでよりも出力を上げるか、全体の力をより一部に集中するしかない。

 パワーのための筋肉と、コントロールのための筋肉。

 後者が足りていなかったため、変化球を曲げすぎた。

 ストレートのコントロールには問題がなかったのは、不幸中の幸いと言うべきか。


 なんだかんだ言いながら、直史は運がいい人間なのだ。

 中学時代にはチームメイトに恵まれなかったが、下手に野球強豪校などに誘われず、白富東に入学した。

 そしてそこにジンと大介がいたということが、幸運以外の何者でもない。

 インサイドワークに優れたキャッチャーと、飛距離はもちろんだが全く空振りしないバッター。

 大介のバッティングピッチャーをすることは、下手な試合で強打者と対戦するよりも、よほど緊張感があった。




 辺見は直史のことを、チームのエースだと言った。

 元々誰もが、実力でナンバーワンなのは誰か分かっていたのだ。

 それを監督が改めて口にしたことで、不可侵の存在となった。

 もっとも本人の言動や行動が、それで変わるはずはない。

 直史は、何も変わらない。

 ただ野球が上手くなるだけだ。


 第三週に対戦するのは東大だ。

 試合においてコントロールが出来るかどうか、見極めるには楽な相手である。

 ここぞとばかりにチームの打線陣も、自分の成績良化のために打ちまくるだろう。

 点を取られるのが負けることの次ぐらいに嫌いな直史であるが、そこそこ点を取られても勝てる相手というのは、ありがたいものである。


 ただ、この対戦において直史は、土曜の第一戦ではなく、二戦目の試合の先発と決まった。

 純粋に大学の授業において、土曜日に特別講座があったからである。

 野球部よりも学業優先。

 これは直史の中でも全くブレない。

 文武両道を口にする辺見なども、野球部を優先しろなどとは言えないのである。




 土曜日には教授に「野球部はいいのか? などと問われる直史である。

 大学生は学業が優先ですと言えば、こいつは意識が違うな、となる。

 実際のところ弁護士というのは、確かに難関の試験を突破する上では、何より学力が必要である。

 しかしその後、社会に出てからは人脈というものが必要になってくる。

 大学の法学部の教授などの名士に、名前を憶えておいてもらうのは大切なことだ。


 単に弁護士になったというだけでは、それほど満足な収入が得られるというわけでもない時代。

 直史は保守的な人間であるがゆえに、地縁血縁を重視し、権威権力とも仲良くお付き合いしたいのだ。

 高校時代から大学時代において、ずっと直史は野球においては、革新的でどちらかと言うとアウトサイダーとも言える人間であった。

 だがその人格の本質は保守だ。日本の古い家庭の長男なのだ。


 割と野球においては大人から敬遠されることが多かったのは、その能力と実績が大きすぎて、指導者がそれを使うのが難しかったからだ。

 セイバー、秦野、そしてワールドカップ時の木下など、直史の使い方には色々と使う側が注意することが多い。

 だが一学生として見た場合、直史は既に社会的な名声を得ていながら、大人に対しては基本的に礼節を持って接する。

 なので偉い人は、自分の偉さを再確認できて、とてもいい気になれるのである。




 直史がそうやって政治的な動きをした翌日の日曜日。

 先発として投げる直史は、メンバー表を見て少し驚いたが、とりあえず相棒が樋口であるので何も問題はない。

 あちらのバッターにも初見の一年生などがいたりするが、昨日の試合では格別の活躍などはなかったとのこと。

 ならばいつも通り、淡々と凡打を築いていけばいい。


 コントロールに注意する直史は、この試合の課題を、フォアボールを出さないこととしている。

 ツーストライクまで早く追い込むか、凡打を打たせて試合を早く終わらせる。

 ここできっちり勝っておけば、明日は野球部はオフである。

 ならば瑞希の部屋にお泊りが出来る。


 変化球のコントロールを失っていると気付いた直史は、この二週間禁欲し、樋口や伏見に付き合ってもらって、野球にかなりの時間をかけていた。

 瑞希は尽くすタイプというか、相手の重要なことを理解するタイプなので、直史の大乱調に、ちゃんと自分のすべきことを弁えている。

 即ち、自分はなにも余計なことを言わず、求められることしかしない。

 野球に専念すると言うなら、その間になすべき学業については、自分が後でフォローできるようにする。

 恋人と言うよりは、もうほとんど旦那のバックアップをする妻である。

 なお二人の間に、その認識は共通している。


 よって二週間の禁欲生活が終わった場合、その間の寂しさを埋め合わせる行為は、随分と派手なものになるだろう。

 瑞希は恐怖にも似た期待を抱いているが、直史としてもさっさと元の生活には戻りたいのだ。




 ボール球を投げないということは、ゾーン内で勝負するということである。

 東大がいかに弱いチームであると言っても、大学の野球部で野球をするなら、それなりに上手い選手は何人かいる。

 そして全くボール球を投げないのなら、直史のボールが打たれてもおかしくはない。

 それが内野安打になったり、ポテンヒットになったりするのは運である。


 この日の直史の運は、平均的だったと言えるだろう。

 内野安打とポテンヒットが二つあり、早々にノーヒットノーランは消えていた。

 しかし援護の打線は、相手が東大ということもあって、かなり爆発してくれた。

 七回が終わって、直史の本日の出番は終わりである。


 そして八回からはリリーフというより、クローザーと言うかとにかく、試合を終わらせてこいと星がマウンドに送られた。

 星がセカンド志望でありながら、実際はピッチャーとして扱われていることは、直史も知っていた。

 新人戦でそれなりに投げたことも知っていた。そして成績がよかったことも知っていた。

 メンバー表を見てベンチに入っていたので、試合の展開次第では、勝負の決まった状態で使われるかもしれないとも思った。


 大量リードの八回から、星はマウンドに立ち、樋口を相手に投げることになる。

 お前程度のセカンドは、普通にいると言われた星である。

 ただ高校時代から既にアンダースローにしている軟投派は少ない。

 単に目先を変えるのではなく、本格的に打ちにくいアンダースローだ。




 八回の東大の攻撃を、単打一本に抑えた星は、樋口に背中を叩かれながら、笑みを洩らして戻ってくる。

 考えてみれば星は、リードの優れたキャッチャーに受けてもらうというのは、練習試合でジンと組んだりしたことはあっても、実戦では初めてである。

 アンダースローだけではなく、元々のオーバースローも高校時代には混ぜていたが、この軟投派のピッチングコンビネーションについては、国立もあまり指導は出来ず、独学の部分が多い。

 だが、樋口であればリード出来る。


 シニア時代の樋口は、右のサイドスローとサウスポーのピッチャーを使って、上杉の属するシニアを苦しめていた。

 少数派のアンダースローの特徴などを活かして、強豪を封じるのは得意だ。

 あえて極端な言い方をすれば、樋口は本当は、上杉のような本格派ではなく、コントロールのいい技巧派をリードする方が得意なのだ。

「やっぱり使えるのか」

「そうだな」

 ベンチに戻ってきた樋口に、直史は声をかける。


 知っていたことだ。高校時代に何度も練習試合でも公式戦でも、星とは戦ってきた。

 ピッチャーとして投げ合い、あるいはバッターとしても勝負してきた。

 継投が多かったのでそちらの方が目立つが、星のピッチャーとしての特徴は、弱いチーム相手でも完封は難しいが、強いチームが相手でもコールドはされないというものだ。

 相手チームの打力が、星を相手にすると平均化してしまうのだ。

 とりあえず東大の貧弱打線が相手ではあるが、樋口がリードすれば、点を取られないピッチングは出来る。


 そして九回も星はマウンドに登る。

 対する東大打線は、下手に大物打ちをするのではなく、シャープに鋭く打ち返そうと考えてくる。

 だがこれは、星に対する方法としては間違いである。


 本物の軟投派のアンダースロー。しかもコントロールがいいとなれば、あえて強振していくべきだと、直史などは思っている。

 打たれることは少なくなるが、絶対に打たれないというわけではないピッチャーなのだ。星は。

 小さなスイングでそれなりに鋭い打球を打っても、バッターボックスの手前でたれる星のボールは、強い内野ゴロまでに終わる場合が多い。

 もちろん確率的に、丁度内野の間を抜いていくことはあるが。


 星は丁寧に丁寧に投げていく。

 樋口のリードを信じ、強い打球や大きなファールを打たれても、そこで折れることはない。

 ピッチャーの条件の一つにメンタルがある以上、星は立派なピッチャーの才能を持っていると言える。


 九回も八回と同じく、センター返しの打球が一つ。

 しかしこの二本のヒットだけで、星は大学のリーグ戦デビューを果たしたのである。

 そしてこれは辺見に、場合によっては使えるとも確信させたのである。

 どうやら星の野球人生は、まだまだ波乱万丈のようである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る