第48話 ラブストーリーはまだ始まらない
大学野球がここまで盛り上がってしまったのは、直史の責任である。
歴史的に見れば大学野球は職業野球と呼ばれたプロ野球よりも人気が高く、その大学野球のスター選手がプロに進んでから、プロ野球の人気も高まっていったという背景がある。
子供の将来の夢がプロ野球選手が一位となる時代の前には、野球選手などというヤクザな職業の男とは結婚させないと言われ、プロの道を選ばなかった者もいた。
その後は甲子園の人気が興行的に爆発した。やはり春と夏の年二回しか行われない希少価値に、全国の都道府県の代表が集まるというトーナメント勝負が良かったのだろう。
その後は大学野球は人気が凋落していったが、その原因の一つには、野球部体質と言ってしまう理不尽さがあったとも言える。
また実力のある選手が高校から、直接プロ入りするということが多くなったからだろう。
本人は大学進学を考えていたのに、周囲から裏金などで圧力をかけていって、ほとんど脅迫に近い手段で強行指名という例もあった。
野球の暗黒時代である。
また、不思議な現象もあった。
競技人口が減ったにもかかわらず、大学生の競技人口は増えているということである。
色々その原因は言われているが、とりあえず大学野球の闇は深く、直史はそのあたりの危険性を全て排除した上で早稲谷に入学したのだが、他のチームではいまだに、理不尽な野球常識が蔓延しているようだ。
もっともそれも、外部からコーチなどが入り、管理が野球畑以外によって行われることで、改善していっている場合もある。
はっきり言ってトーナメントに勝てなければ全ては終わりの高校野球や、高校野球に選手を輩出するのが最大目的のシニアなどに比べると、大学野球の闇は深い。
直史が自分勝手、と周囲には言われる行動が通せるのは、完全に実力が飛びぬけているからである。
そんなクソ生意気な一年生の中で、春のリーグ戦から出場したのは直史と樋口だけであったが、秋になって三人目の出場となったのが、まさかの星であった。
アンダースロー。確かに新人戦や練習試合では通用していた。
辺見にしても東大相手には、他にも普段使っていないピッチャーを試したりしている。
とりあえず星は一次試験は合格し、そして……モテ始めた。
星はコミュ障というほどではないが、本質的には人見知りするタイプだ。
そんなのがキャプテンをやっていた三里であるが、そんな星だからこそ、三里を甲子園に連れて行けた。
国立という優秀な指導者はいたが、星という先頭を走る選手がいなければ、三里が甲子園に行くのは不可能だったろう。
大学で野球をやるのは、あくまで野球を勉強するためであり、選手としては通用するとも思っていなかった星である。
だがアンダースローの希少性に気付いた樋口から監督に伝わり、そこから練習試合で使われ、新人戦で六大学リーグに広まった。
まあ新人戦で一番話題となったのは、シーナのスルーによるリリーフだったのだが、星も地味に活躍していたのである。
プロ野球を大介が引っ張っているように、大学野球は直史が変えていっている。
直史はプロに行くつもりもないし、いわゆる野球の人間関係を経験していないので、大介とは違って辛辣なことも言う。
ただそれでも、実力が全てを黙らせる。
直史のピッチングは、大介の熱量を感じさせるバッティングと違い、常に緊張感に包まれている。
打たれても、塁に出ない。塁に出ても、点を取られない。
全国大会も含め、ここまで63イニング無失点。
ピッチャー、特にチームのエースというのが、どれだけ特別な存在なのかを感じさせる。
その直史の余禄というわけでもないのだろうが、同じ一年で公式戦に出た星が、注目を浴びだしたのだ。
高校時代もそれなりに、隠れた女性ファンがいないわけではなかった星である。
しかしそれなりの進学校であった三里では、控え目で健全な応援がなされていた。
星の性格もあるが、平和な時間であったのだ。
だが大学では状況が変わる。
とにかく早稲谷というブランドが大きいのもあるが、直史が色々とやらかしてしまったせいで、野球のピッチャーというポジションに注目が集まっている。
そして星は将来のために教職課程を取っているわけで、そこで野球部とは違う人間関係が構築されるわけだ。
大学生になってしまえば、飲み会だの合コンだのがあるが、保護者でもないが樋口はとにかく、酒だけは絶対に飲むなと星に言ってある。
樋口は星の、ピッチャーとしての価値を理解している。
通常はアンダースローで、いざという時にオーバースローにもなるというスタイルが、かなり通用するのだ。
ここで未成年飲酒などで、処分などされたら困るのだ。
もっとも野球部員の上級生などは、隠れて煙草を吸ったり酒を飲んだりはしている。
だが明らかに星がそういったことをするのはまずいのである。
意外と言ってはなんだが、樋口が合コンに付き合って、星のお守などをしてくれる。
西や、あと場合によっては北村などが学部が同じなだけに、星の保護者をしてくれる。
そんな中で、やはりピッチャーとしてリーグ戦デビューした星が、本当にモテているらしい。
これが星の、大学デビューというものなのだろうか。
仮にも甲子園に行ったキャプテンでピッチャーが、モテないことはないだろうと思われていたのだが、キャイキャイと言われはしたが、本当にモテなかったらしい。
「いい機会だから彼女でも作ればいいのでは?」
どうでも良さそうに言う直史の部屋に、樋口と西がやってきている。
西は寮の部屋の豪華さに最初は驚いていたが、それはともかく星の話である。
「つーかあいつ好きな子いるんだよ。ほら、聖ミカエルでホッシーによく絡んできた子いたじゃん」
「ああ、あの元気な子か」
「典型的な、構ってくれた子を好きになってしまうパターンだな」
樋口の辛辣すぎる物言いであるが、確かに事実ではある。
「だって可愛い女の子がぺたぺたしてきたら、好きになっちゃうだろ!?」
中高生男子のあるあるである。
ただこの二人に、そういった普通の感性を期待してはいけない。
「好きになったなら合コンなんか行かず、会いに行く口実を考えるなり、タイミングは早いかもしれないが自分の気持ちを伝えるなり、そういったことをするべきだろう」
直史がまともなことを言っている。かなり不思議である。
「あいつ童貞か? 童貞っぽいけど。童貞だよな?」
三段活用のような樋口の問いに、たぶんと答える西である。
そして西は思い出す。直史には婚約者がいてそちらに泊まることも多く、樋口にも普通に付き合っているらしい女がいる。
まあ樋口の方は、別に付き合っているわけではないのだが。
あちらが幻滅して離れていくまで、性欲の解消にお互いを使えばいいのだ。
人の色恋に、特に関心のない直史である。
まあ学友として、変な女に引っかかりそうなら、少しは止める気はある。
なお樋口は止める気はない。だいたい色恋沙汰はやめとけと言っても無駄なパターンが多いからだ。
そして直史はまともなアドバイスをしたのだが、西としてはそれでは足りないのだ。
「奥手のホッシーがそうそう行動できるはずないだろ」
まあそうか、と二人も頷かざるをえない。
直史は言ったとおり、好きだと思えば状況を整えた上で、相手にアプローチすべきだと思うのだ。
「同じ学校ならともかく、距離がありすぎるだろ」
「それはそうだ」
同じ東京と言っても、あちらは西東京の田舎である。
田舎と言っても片道一時間ちょっともあれば、到着する程度のはずだが。
星が自分からは動けないタイプだとは分かった直史であるが、ならばどうしろというのか。
「適当な女で童貞捨てたら、少しは積極的になれるんじゃないか?」
樋口の意見は、ちょっと童貞に対して優しくない。
「だからまずさ、あの子の進路がどうなのかを探ってほしいわけなんだ」
「……なんで?」
直史としては本気で分からない。
「だから卒業しても東京にいるなら、まだこの先にチャンスはあるだろ?」
「いや、チャンスを逃さないためには、もう今すぐ動くべきだろ。相手の進学先を変えさせる強硬手段も、この時期が限度だぞ」
自分は彼女に合わせて進路を決めた男の台詞である。
だが樋口にはなんとなく分かる。
とりあえず星がほしいのは、まだこれから考えればいいという安心感なのだろう。
童貞が一気に好きな女の子に告白するのは勇気がいる。
直史だってちゃんと、周りを固めてから付き合い始めたのだが。
とりあえず、こいつのヘタレな弟よりは、まだ星の方がマシなのか。
告白できないという点では、同じようなものだろうが。
とりあえず直史としても、理解はしがたいが相手の進路を聞きたいというところまでは分かった。
なのでまず武史に連絡を取る。
武史から恵美理へ。そして恵美理であれば、おそらく同じチームの一員であるから、この時期にはもうそういった話はしているだろうと思ったのだ。
そしてヘタレの弟は、恵美理と話す機会であると考え、連絡を取ってみる理由が出来るのなら文句はない。
実際にそれで星の好意の先の少女の進路は分かったのだが、武史としては不本意なことに、あまり恵美理と話は出来なかったらしい。
野球で特待生が決まっている武史と違って、あちらは普通に受験生であるのだから、時間を大切にしたいのは当たり前だろうに。
このあたりの無神経さが、武史を非モテにしてしまった原因ではある。
「進学先は東京だってさ」
神戸出身なので、大学は地元に戻る可能性もあったのだが。
ただ直史は情報を集めていて、あの子はかなり難しいのではないかとも思っている。
聖ミカエルの少女たちというのは、お嬢様が多い。
明日美は庶民の出身であるし、恵美理は名士の娘ではあっても大企業や政治家の娘ではないので、それほど問題はない。
だが彼女はホテルをいくつか経営している経営者の娘であるのだ。
一人娘というわけではなさそうだが、ザ・庶民である星が手を出すには、少し高嶺の花である。
このあたり、直史もちょっと考えるところがある。
直史の家は別に富豪ではないが、土地では顔の利く家であった。
その結婚相手ということで、直史の母や祖母は、それなりに名家というか、身元のしっかりとしたところからの嫁入りをしている。
瑞希にしても父が弁護士という堅い職業であり、近隣には知られている人物ということで、佐藤家では了解を得られているのだ。
「いや、ホッシーの家も金持ちだぞ」
でなければ東京の私立に、下宿をさせるのは難しいだろう。
星は推薦で入学はしているが、学費などの免除は受けていないのだ。
今更であるが知ったのは、星の家は祖父が建築会社をしているということ。
大企業という訳ではないが、家に行った時はかなり大きな家に住んでいた。
まあ両親は父親はその会社で親族として働いていて、母は企業の研究職にあるらしいが。
なお兄弟はいない。
どうでもいいことではないが、さほど重要でもない情報を、直史は頭の中に入れておいた。
ここからどう事態が展開していくのかは分からないが、自分の迷惑にならない範囲でなら、協力するのはやぶさかではない。
それに星の家が金持ちというのは、直史にとっては将来の顧客になってくれる可能性もあるという、下心が湧いてくる。
あえて計算高い面を持ち出して、星に協力する理由とするところが、直史の直史たる所以である。
しかし、相手は受験生であるし、女子高の生徒である。
とりあえず彼氏がいないことまでは武史も確認したらしいが、相手がこちらに来てからが問題だ。ラブストーリーはまだ始まらない。
「で、適当な相手で童貞捨てておくってのはどうだ?」
樋口は男女の肉体関係において、直史から見てもかなり倫理観が薄い。
まあ寄って来たものを好きなだけ食らうような、見境のない人間でもないのだが。
「いや、好きな子がいるのにそんなことをしたらまずいだろ」
「どうせ野球部に寄って来る女なんて、そんな先のことなんて考えてないだろ。とりあえず軽く遊んでおくのはいいんじゃないか? 俺も童貞だった時は苦労したからな。相手が処女だとよけいに苦労するぞ」
「お前ちょっといいかげんにしろよな」
西が半ギレになっているが、直史としてはもう慣れたものである。
樋口に対して、男女の性道徳を期待しても無駄である。
友人の彼女に手を出したりでもしない限り、相棒としては何も問題はない。
「しかし大学に入ってからこっち、色々と色恋沙汰が多いような」
白富東は野球部内の恋愛が禁止であったため、単に見えていなかっただけとも言えるが。
馬鹿馬鹿しくも思えるが、当人たちにとっては切実な問題が、こうやって話されているのであった。
×××
本当は今回のサブタイは「ごうこん!」にする予定でした。
あ、カクヨムコン読者選考通過しました。
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