第76話 決戦は月曜日

 月曜日。

 一般的なサラリーマンは出社し、一般的な学生は通学する。

 まあ小売などは除くとして、長期休暇でもないのに月曜日から公式戦をしている自分に、久しぶりに妙な感覚を持つ直史である。

 いや、去年の全日本なども、平日に行われたのだが。

 なんだか色々と釈然としない気持ちはあるが、先発のつもりで神宮に来てみれば、先発は細田という辺見の発言である。

(終わった)

 試合の先が見える。


 一回にいきなり一点を取られて、それでもそれ以上は取られない細田。

 そして終盤近くにもう一点取られて、どうにか一点取り返したあたりで試合終了。

 クローザーとして待機していた直史の出番はなし!

 見える! 未来が見える!


 あれ?

 今日は樋口が四番であったはずだが?

 そう思っていたら確かに樋口は四番でキャッチャーで入っていて、西郷のファーストの代わりに直史が入っている。

 これはあれか、あれなのか?

 左相手のところに細田の左を当てて、他は直史が投げると?

 もしかして土曜日の球数が少し多かったことを考慮しているのかもしれないが、ブルペンでは普通に300球ぐらいは投げているのだ。


 とにかく辺見も、勝つために色々と考えているのは分かった。

 だからといって細田と樋口を組ませるのは。細田は身長190オーバーのデカ物であるが、伏見と高校からバッテリーを組んでいる繊細な生き物なのだ。

(まあ樋口ならどうにかするか)

 ファーストの直史というのも、おそらく細田をそこで入れ替えるつもりなのだろう。

 直史はファーストもそこそこ練習はしたが、内野ならサードが一番得意なのだが。

 北村をファーストにしても良かった気がするが、それだと全体の守備力が低下するのか。


 色々と考えているのは分かったが、考えすぎである。

 素直に防御率0の直史を使っておけと、小一時間問い詰めたい気分である。

 過去の試合でツインズが左打席に入ってるから勘違いしたのだろうが、あの二人は打つほうだって、どちらでも打てるのだ。

(まあこれで負けても、俺に黒星がつくわけじゃないからいいけど)

 直史が考えるのは、自分は役割を果たした上で、チームが負けること。

 出なければいけない試合が減るし、自分の評価は下がらない。

 チームの勝敗などより自分の価値。このあたり直史の思考は、アマチュア的ではない。




 一方の東大側ベンチも、早大のスタメンには驚いていた。

「お兄ちゃんってファーストなんか守るのいつ以来だったっけ?」

 高一の時は限られた戦力を使うために、練習試合では守ったこともある。

 だがそれは『白い軌跡』の中でもほんの一行ほどしか触れられていないことだ。

 ただし中学生の頃は、ファーストもそれなりに守っている。


 細田のカーブについては、先輩の男どもがちゃんと分かっていた。

 だがツインズだってちゃんと知っている。

 そして攻略方法も。

 あの大介が高校入学してから、初めてはっきりと手こずったのが、細田のカーブであった。

 ただツインズは完全に両利きであるがゆえに、細田のカーブの威力もそれほどではない。


 一回の表、先頭打者の桜は、右打席に入る。

 ここまでツインズは一塁に近いという明確な理由から、左打席にばかり入っていた。

 ちゃんと調べるか、直史に確認すれば、その程度の情報は手に入っただろうに。

 辺見が慌てているが、もう遅い。


 細田のカーブは、魔球デスサイズなどとも呼ばれている。

 高身長で長い腕から放たれるカーブは、確かに滅多に見られない軌道を描いてくる。

 直史もたいがいカーブを色々とこねくり回して使ってくるが、さすがに左で投げるカーブは、ここまでの変化はない。

(確かに左打者なら打ちにくいかな?)

 そう感じる桜だが、打てないとは全く思わない。


 二球目もカーブであったが、これは落差のあるタイプだ。

 右打者に対しては横の変化量よりも、縦の変化量を意識したということか。

(こいつ)

 桜は樋口の頭を見る。今では直史の相棒であるが、高二の夏には白富東の全国制覇を阻んだ。

 その後にちゃんと負けているので、桜がどうこう言うことではないのだが。


 高めから低めに入ってくるカーブは、審判によっては全てボールにしてしまうかもしれない。

 だが樋口のキャッチング技術によって、その捕球位置を微調整している。

 あっさりと追い込んだように見えるかもしれないが、とにかく樋口はリードもキャッチングも上手い。

 直史を正面から崩すことはほぼ不可能だと、ツインズも分かっている。

 だがキャッチャーのレベルが下がれば、どうなるだろう。


 追い込まれてからのストレートを打って内野フライ。まずはワンナウト。

 樋口は計算通りにいっていることは安心しているが、細田のキレのあるストレートにも、平気で一巡目からバットに当ててくるのか。




 さて、とりあえず一人には投げた。

 相手が右打席に入るなら、ここで直史に交代してもいい。

 直史は静かに、ファーストの位置で己の出番を待っている。

 少しブルペンで肩を作っておいた方がいいかもしれない。

 だが辺見は動かない。


 直史のコンビネーションは、ほとんどの相手にはそこまで球速の必要もなく、打ち取ることが出来る。

 だがこの双子のミート力を考えるなら、ある程度のスピードがないと、わずかだが不安が残る。

 だからここであっさりと交代するのには、不安が残るのは確かなのだ。


 二番の椿は、カーブを狙ってミートした。

 ショートの正面なのでそのままライナーアウトになったが、もう少し軌道が高ければレフト前ヒットである。

 そして三番、明日美の打席が回ってくる。


 試合に勝つことをちゃんと考えるなら、ここで交代するべきだ。

 明日美はこの体格からも、ホームランを打ってくる。

 確率は低いとはいえ、ここは球種が多くて相手が決め打ちできない、直史に替えるべきだろう。

 だが辺見は動かない。

(勝つ気あるのか?)

 樋口の思考は辛辣であるが、辺見には辺見の考えがある。

 まあ浅い考えであろうことは間違いないだろうが。




 オカルト的な考えであるが、樋口はスーパースターには、挫折が必要なのだと思う。

 そのもっとも身近な例が、上杉勝也である。

 あの人は一年の夏からエースで、五回も連続で甲子園に出て、四回準優勝を達成した。

 しかし結局は一度も優勝は出来なかった。


 プロ入りしてからは完全に、無敵のスーパースターになっていたが、去年は大介のライガースに負けた。

 樋口はスーパースターは、一度は必ず劇的に敗北しないといけないと思っている。

 早いうちに栄光を掴んではいけないと思っている。

 ならばどうして大介は栄光をつかみ、そしてスーパースターになっているのか。

 スーパースターになることを拒否した、あの相棒がいたからだ。

 直史は野球の神様のもたらす劇的な場面さえも拒否した。

 パーフェクトに封じてしまえば、野球の神様でも介入する余地がないという感じだろうか。


 権藤明日美のスーパースター力は、それほどのものと考えていいだろうか。

 高校時代には二年連続で全国の決勝で涙を飲んだものの、最後の学年では優勝している。

 そして全日本選抜では、日本の選手の主力となっている。

 今では男女混合の苛烈な舞台で、まさにアイドル級の活躍をしている。


 本当のアイドルになるには、勝った方がいいのか負けた方がいいのか。

 それをどう捉えるかだが、もし勝った方が劇的でいいと言うのなら、ここで細田は打たれると思う。

 抑えるなら、直史だ。

 春日山の、上杉勝也引退後、そして樋口にとっては二度目の夏。

 決勝を投げたのが直史であれば、おそらく、いや絶対に春日山は負けていた。


 直史の存在感というのは、ドラマ性さえ拒否する絶対的なものだ。

 もちろん上杉とは違った意味ですさまじいピッチャーだが、悲劇のエースであることを直史は拒絶する。

 運命さえも捻じ曲げてしまうような、異形としか言えないピッチャーなのだ。


 明日美と直史、どちらの方が運命に愛されているか、それとも運命すら克服するか。

 とりあえず今は、細田のピッチングでこのプリティーゴリラをどうにかしないといけないわけだが。

(カーブ……縦変化の大きいタイプで。

 サウスポーのボールからぎりぎりのストライクへ入るカーブは、変化しすぎると甘く内に入ってくる。

 まず初球は、明日美の読みは外せたらしい。


 だが見れば、明日美に対してベンチからサインが出ている。

 ツーアウトから出来る作戦など、およそ知れている。

 狙い球を絞るのが、ベンチの役目なのだろうか。

(じゃあもう一球)

 今度は低めに外して、並行カウントになる。


 明日美が狙っているとしたら、おそらくストレートである。

 140km台の半ばが出る細田のストレートを椿はジャストミートした。

 ショートのほぼ正面であったが、少し左右にずれていれば、おそらく抜けていただろう。

 そして明日美のスイングスピードは、ツインズを上回る。


 樋口の記憶に残るのは、土曜日の反則打球である。

 明日美は打てると思ったら、ボールゾーンでも平気で手を出す。

 そのあたりの素人っぽさが、付け入る隙であるかもしれない。




 低めに外れるカーブと、内に切れ込むカーブ。

 後者は打たれたが、ファールゾーンに飛んでいった。

 これで並行カウントのツーツーで追い込んだ。


 何で決めるか、樋口は迷う。

 これが直史であれば、いくらでも選択肢はあるのだ。

 明日美に対しては、これまで見せていないストレートで勝負したい。

 だがデータによると、明日美はストレートに強いのも確かなのだ。


 アウトローのストレート。ただし外したボールを。

 これで目付けをストレートにした上で、また内に切り込んでくるカーブでしとめたい。


 細田が投げたストレートは、アウトロー一杯から外れている。

 ひょっとしたら振ってくるかとも思ったら、振ってきた。

(あ、やべ)

 ボールゾーンのスイングだというのに、明日美の体はバランスを崩していない。

 遠心力をしっかり使ったスイングが、ストレートをジャストミートした。


 飛距離は充分。あとは方向。

 狭い神宮のスタンドへ、飛び込んだホームラン。

 ボールを打ったスイングであったが、明日美の足はちゃんとバッターボックスの中に残っていた。




 明日美が狙っていたのは、コースではなかったのだろう。

 おそらくはアウトローのストレートを、多少のボール球でも打っていこうと決めていたのだ。

 ボール球でもホームランにしてしまう。そんな非常識なバッターは、勘弁してほしい樋口である。


 これがストライクゾーンであれば、自分も過去にはそこに誘導し、ホームランにした経験がある。

 だがアウトローに外れた球を、体幹の粘りでファールにはせず、振り切ってライトに叩き込むとか。

 神宮だからホームランだが、甲子園ならライトフライだ。

「あの、今のボールのコースですよね?」

「そうだね」

 思わず審判に確認してしまう樋口であったが、審判も呆れたような顔をしていた。


 右足で強く蹴りこみ、腰の回転を腕に伝えて鞭のように打つ。

 完璧な外角打ちであったが、明日美はプルヒッターであったはずなのだが。


 爆発するような大歓声の東大側スタンドへ、明日美は手を振っていた。

 樋口は首を傾げながらも、マウンドの細田に駆け寄った。

「すみません」

「まさかボール球をよ~、打つかよ~」

 のんびりとした細田の声からは、それほどのショックを感じられない。

「非常識なやつだな~」

 だが西郷でも、あのコースをホームランにすることは出来る。


 女子選手のパワーで、どうしてあのコースをスタンドに持っていけるのか。

 樋口としては不思議としか言いようがない。

 ボール球を、狙って打たれたのだろうが。

 樋口のリードが、完全に読まれていたというのか。

 読まれていたとしても、今のはボール球であるのに。

「まあ、終わったことはさ~、仕方ないさ~」

 細田のダメージは案外小さいらしい。




 その後のアウトは簡単に取って、ベンチに戻ってくる早稲谷の選手たち。

 辺見は難しい顔をしている。

「あれは外してたんだよな?」

「外してました」

「それがファールじゃなくホームランになるのか」

 辺見もまた、呆れるしかないらしい。


 あのバッティングセンス。ボールがバットに吸い付くような感覚。

 あれをどう表現したらいいのだろう。

 頭の位置がずれていて、ボールの軌道は上手く脳裏に描けなかったはずなのだ。

 だが倒れこみそうな体勢から、しっかりと振っていった。


 樋口は上半身のプロテクターを外し、足はそのままにグラウンドを眺める。

 守備についた東大の選手の中で、明日美は今日も先発だ。

(ボール球を打たれるのは、キャチャーの責任か?)

 外した球だったので、細田もやや力は抜いていただろう。

 だがボール球を狙ってホームランにするなど。

「あの子は女大介じゃなくて、女岩鬼だったんだな」

 直史の例えに、顔を歪める樋口である。


 ボール球をホームランにするというのは、大介も何度も行っていた。

 特に多いのは、内側のデッドボールになる球を、ゆっくりとバットを出してライトのポール際に入れるというものだ。

 外に外れた球もホームランにしていたことはあるが、大介の使うバットは長いのだ。

 踏み込みが強かったのだろう。だからスタンドインした。

 それでも納得しがたいことはあるが


 一点を先制されたのは事実である。

 昨日はその一点差で敗北したのも事実である。

 だが東大はここまでのリーグ戦、勝った試合でもほとんど一点は取られているのだ。

 一点差を返して、最悪でも引き分けに持ち込む。

 明日に決戦が持ち込まれれば、今度こそ読みきって勝つ。


 樋口は野球にそれほど愛着はないが、自分の仕事に妥協をする男ではない。

 そしてプライドも高い。

(まあ試合はここからだよな)

 静かに燃える相棒の背中を見ながら、直史も試合の展開を考えていく。

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