第67話 神宮のアイドル

 高校球児のアイドル化は、定岡正二から始まったと言われる。

 元祖ジャニーズ系イケメンで、甲子園では負傷による無念の敗北。

 だがここ神宮に、真のアイドルが爆誕した。


 プレイ時にはポニテとなる権藤明日美。

 現役で東大合格、お嬢様学校出身、女子高校野球優勝、女子高校選抜日本代表。

 投げれば男子から三振を奪い、打てば男子からホームランを放つ。

 男顔負けの活躍をしながらも、顔立ちそのものはロリっぽく、性格は天然が入っていて明るい。

 これほど強いのに、女子人気だけではなく、男子人気も高い。

 そして同年代だけでなく小さなお子さんたち、まるで孫を見守るような野球ファンなど、全ての年齢に人気が爆発しつつある。

「東大の試合で神宮が埋まるって、なんなんだ……」

 一応去年の早稲谷の試合も埋まっていたが、直史の投げない試合は空席もあった。

 だいたいそういうのは、次第に樋口にスポットを変えていったのだが。ただ樋口も去年は、正捕手ではなかった。


 東大の場合であると、投げない時でも明日美は打つ。

 そしてだいたいツインズと途中で交代しながらも、土日で連投をする。

 純正芸能人のツインズは果てしなく黒いが、明日美はまるで天使の羽が生えているように白い。

 ツインズが明日美一人に試合を任せず、ちゃんとそのフォローをするので、三人組のユニットのように考えられている感じさえする。


 春のシーズン第二週。

 東大と昨年秋の覇者帝都大の第一戦は、東大の勝利に終わっている。




 応援団に混じってこっそりと見ていた直史と樋口は、顔を顰めざるをえなかった。

「マジで強いぞ」

「そうだな」

 直史としても、三人が揃っていきなりレギュラーというのは、ちょっと信じられなかった。

 だがまあ、甲子園常連の白富東の中で、男子のおおよそよりも上手くて強い二人だったのだから、ここで通用してもおかしくはない。

 おかしいのは明日美の方だ。

 本日も三イニングしか投げていないが、ヒット一本も打たれていない。

「お前は理屈知ってるんだろ?」

「まあそうだけど……色々別物になっていると言うか」

 私服で偵察をしていた二人は、これから便所で着替えて、チームと合流するのである。


 樋口は当初、慶応の敗北を聞いても、それほどには動揺しなかった。

 正確に言うと、どうでも良かった。

 だが直史からその理由と、対戦する相手の印象を聞いて、一気に表情を引き締めた。

 基本的に樋口は、直史と同じ価値観を持っている。

 原因はなんであれ、負けるのが嫌いなのだ。

 自分に全く落ち度がない場合は除くが。


 本日の相手の立政大は、ここのところあまり冴えた実績を残せていない。

 東大の次のブービー固定というほどではないが、六大学をプロのように、AクラスとBクラスで分けるのなら、Bクラスに入っているほうが多い。

 かつては偉大な選手を輩出もしていたのだが、この最近はパッとしないのだ。

 全日本最多優勝の法教や、早慶、それに帝都と比べると、ややブランドイメージが劣って見えている。

 もちろんこの春から新しい戦力がいるなら、一気に勢力図は変わるのかもしれないが。


 大学野球においては、高校野球と違って同じリーグで戦うため、データの蓄積が膨大なものになっていく。

 先週の試合でも二敗で勝ち点を献上しているので、さほど重視されていない。

 スコアラーの撮影した映像などからも、新戦力は特に見られない。

「とりあえずこの試合は、さくっと終わらせたいな」

 細田が頑張ってくれれば、直史の出番はない。

 そして細田が投げているなら、樋口の出番もないのである。




 土曜日、立政大学との第一試合。

 その前の東大戦が盛り上がったものだが、直史が先発でないこの試合は、明らかに観客席の熱気が失われている。

 アイドルパワーとはそれほど大きかったのか。

 しかしそんな雰囲気の中でも、飄々と投げられるのが細田である。


 立政のチームも別に悪くはないのだ。

 ただ細田の大きなカーブは、この試合では絶好調である。

 直史は一応クローザーとして待機しているが、このままなら完投で問題ないだろう。

 辺見も同じ意見なのだろうが、点差がついてきた。

「村上、準備しろ」

 本日公式戦初ベンチの村上に、声がかかる。

「佐藤は……必要ないんだな?」

 これは、肩を暖める必要がないという意味である。

「はい」

「じゃあ樋口、捕ってやれ」


 今日は完封出来るペースだなとのんびり思っていた細田であるが、二年の村上にチャンスを与えることになった。

 五点ももらっているので完封したいのだが、勝利投手の条件も得ているし、後輩にも出場機会を与えるのはおかしくない。

 万一点差を詰められても、今日は直史がいる。

 キャッチボールぐらいはした方がいいのではないかとも思うが。


 バッテリーごと入れ替わり、マウンドで村上が投球練習を始める。

 表情は少し固いが、二軍戦ではちゃんと成果を出している。

 甲子園にも出ているので、大観衆の中でも、投げた経験はある。

 ただ、ここまで注目を浴びたことはないのだろう。

 それに観客が期待していたピッチャーとは違う。


 大学の応援団はさすがに普通に応援をするが、一般の観客からは、村上? 誰それ? 扱いであろう。

 二年前の夏に、ちゃんと甲子園で投げているのであるが。

 地元の岡山に戻ればスーパースターでも、六大学では完全にペーペーである。

 その点からしても、直史の規格外さは分かるのであるが。


 二回を一失点で切り抜け、村上は初登板をなんとかこなした。

 明日は武史の出番であるが、直史はもう明日の試合のことはどうでも良かった。

 それよりは今日の午前中に行われた、東大と帝大の試合の方が重要だ。




 慶応大学が一週目に土日連敗して、勝ち点一を献上した。

 そして今日の試合も、帝大が2-1で負けている。

 明日の立政大との第二戦ももちろん重要だが、今日からそれほど変わったことが起こるとは思えない。

 なので樋口は北村に話して、特にスコアラーに関しては、東大のデータをとことん調べるように言ってある。


 なんだかんだ言って東大は弱いはずなのだ。

 だがそれでもリーグ戦においては、そこそこの点を取ることは珍しくない。

 もちろん対戦チームが甘く見て、三番手や四番手のピッチャーを当ててくるというのも理由にはなるが。

「まあ女子高校野球の世界交流戦でMVPを取った権藤は、当然マークする存在ではあるんですが」

 モニターに映るのは、むしろ佐藤家のツインズである。

「こいつらいったいなんなんだ?」

 呆れて問いかける先には、佐藤兄弟の上二人がいる。


 画面の中のツインズは、打者ごとにグラブを変えている。

 右打者に対しては基本右で、左打者には基本左で投げているのだ。

 完全なスイッチピッチャー。

 一応両利きで登録された選手というのは、プロの世界でもいる。

 だが現実にはいない。水島御大が、野球における最大の夢とまで言っているのが、両利きピッチャーなのである。


 ただ幸いなことには、今のルールにおいては両利きのピッチャーも、一人の打者には片方の手でしか投げられないことになっている。

 一打席分は必ず片方の手で投げるので、打席の途中で違う打席の代打を出すという荒業も使える。

 ピッチャーはそれに対し、最低でも一人の打者相手には投げないといけない。

 だがそれも映像を見れば、げんなりとせざるをえない。


 ツインズは、アンダースローでも投げられる。

 そしてサイドスローも駆使して投げられる。

 明日美もたいがいおかしいが、あれは突出した身体能力ということで説明がつく。

 男子選手であれば、明日美並のスペックを持つ者は、それなり以上にいるのだ。

 だがツインズの真似は出来ない。


 そして直史は語り始める。

「あれは俺が中学生の頃、せっかくピッチャーに任命されたのに、キャッチャーが下手で捕ってくれない頃のことだった……」

 思わず遠い目をしてしまう直史である。




 直史のいた中学は、過疎化が進んで生徒数がいなかった。

 その中で野球部は、基本的にやりたいポジションをやれば良かったのだが、キャッチャーをやる人間は少なかった。

 自然と一年生にその役割が回り、一年生の時の直史はキャッチャーをやっていたのだ。

 そして三年になってピッチャーとなったが、それは別にピッチャーをやりたかったからではない。

 ただ、ストライクにちゃんと投げられる直史が優先されたということなのだ。


 直史はそこで、キャッチャー以上にピッチャーが、支配的な存在だと知る。

 キャッチャーの時代はリードしようにも、そんなに変化球など使えないし、コントロールもお粗末なものだったからだ。

 必要なのは確実にワンバンでもキャッチし、盗塁したランナーを刺すだけの肩。

 思えば直史のスムーズでクイックな投球は、ここに原点があるのだろう。


 ただ直史の不幸は、キャッチャーに恵まれなかったことだ。

 家での投球練習には、妹たちを使って変化球を曲げまくった。

 コントロールは四隅だけではなく、ストライクからボール球になるものまで、とにかく制球を磨いた。

 ただ速い球も、曲がる球も、キャッチャーを強制された一年には捕れなかった。

 左利きが有利ということで、左での投球まで、妹たちには受けてもらっていたものである。

 同じくサイドスローと、アンダースローも試した。


「そしてそんな俺のピッチングを真似して出来上がったのが、完全に両利きで上からも下からも投げられるピッチャーが二人でした」

「いやお前、それなら妹たちにキャッチャーをやってもらったら、もっと上に進めたんじゃね?」

 樋口のツッコミは当然のものだが、直史にも言い分はある。

「あの二人、中学時代は問題児で、地元の中学の不良をボコボコにしてたから、下手に部員にすると野球部がなくなるかもしれなかったから」

 横でうんうんと頷いている武史である。

 事実女子バスケ部は、存続の危機になった。


 ただ、ツインズはあの頃と違い、それなりに自分の欲望をコントロールしている。

 周りに迷惑をかけてはいけない人間が増えたからというか、あの二人に匹敵する危険さを持つ人間が増えたからというか。

 とにかく全力を発揮できるようになったツインズは、はっきり言って反則過ぎる。

「でもまあ、慣れたらそれほど問題はないだろう」

 直史の言葉に、あるだろ、という顔をする部員たち。

「ここまで三試合、一点は取られている」

 そこか、と樋口でも思い至らなかった。


 東大の弱さは、ピッチャーとバッターのポテンシャルの弱さであり、作戦立案などの頭脳と、守備などの基礎はしっかりとしている。

 だが早稲谷のエースクラスを打てるのは、あの三人ぐらいであろう。

 そしてツインズは変化球をホームランにするにはパワーが足りないし、明日美も変化球を打つにはミート力が足りない。

 明日美は打率もそれなりに高いが、アウトになるのは三振と外野フライに偏っている。

 変化球で攻めていけば、失点は少ないということだ。

 しかし明日美のスイングは、本当にホームランバッターのスイングだ。

 下手に手元で曲げても、その変化ごとスタンドに運んでしまうかもしれない。

 まさにフライボール革命の体現者であるが、それだけ他のバッターでは点が取れなかったということもあるだろう。


 東大の実力は、弱いと言えばもちろん弱いのだが、弱すぎるほど弱いものでもない。

 二桁点を取られて負けることはあるが、それが日常ではない。

 完封されることも多いが、何点かは取っている試合の方が多い。

 わざわざ東大に来てまで野球を続けるということで、それなりの経験者は揃っているのだ。

 もっともその実力の上限も層の薄さも、他の五大学に比べたら明らかなのだが。


 早稲谷を見れば分かるように、ベンチ入りメンバーを見れば甲子園経験者か、そうでなくとも甲子園常連校の出身がほとんどだ。

 セレクションなどは行っていないので、普通の部員の中には弱小出身というのもいるが、基本は高校時代からの野球エリートである。

 それに比べると東大の中で、甲子園常連の私立出身の選手はほとんどいない。

 いたとしてもスタンドかベンチのメンバーで、それでも東大の選手の中では上手い方であったりする。




 東大のおおまかな分析は済ませた。

 あとはデータを集めて、女傑三人以外の部分を攻めればいい。

「よし、じゃあ改めて、明日の立政相手の試合だ」

 特に今日と変わることはない。

 だが武史にとっては、これが公式戦のデビュー試合となる。

 

 観客にとって、楽しみなのはどちらであろうか。

 公式戦無失点記録を続ける直史と、左の160kmピッチャー。

 凄すぎて面白くないなどと言われる直史に比べると、武史は数字で観客を沸かせるタイプだ。

 直史ではなく武史が先発として出ることは、どちらが観客にとっておいしいことなのだろう。

 まあ武史が自爆して、直史が尻拭いをするのが、一番おいしいのだろうが。


 隣の武史は意欲的に見えるが、直史は知っている。

 明日は神崎恵美理が応援に来てくれるのだ。

 ただ、直史はもう一つ知っている。

 恵美理は早稲谷の試合が終わった後も、東大の試合までを見続けるであろうことを。


 あとは今日の球場の雰囲気だ。

 明らかに野球層とは違う観客が、スタンドの各所で散見された。

 まあ佐藤家のツインズが出るということで、人を集めてしまったということではあるだろう。

 しかも早稲谷の試合と日が被ってしまったことが問題だ。


 ツインズのファンというか、音楽のファンが野球を見に来る。

 早稲谷では無理だろうが、東大からイリヤに発注して、新しい応援曲でも作ってもらえばどうだろうか。

 自分でも適当だと思うことを考えながら、武史デビュー前日の時が流れていく。

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