第68話 佐藤四兄妹、最後の男

 世間一般では、最後の最後で決めない男。芸人体質。ナチュラルボーンコメディ。などと散々なことを言われることもある武史であるが、次男ゆえのおおらかさかそれなりに愛されることが多い。

 いざという時には頼りないが、普段使いではよく働く。

 そんな評価をされていながら、しっかり甲子園では連覇を果たしているのだ。

 思うに世間の皆様は、兄と彼を比べすぎているのである。

 甲子園で出した球速で歴第二位、また一試合あたりの奪三振率では歴代四位など、数々の記録も残している。


 だが明らかに、波はある。

 日によって違うと言うより、立ち上がりが悪く、だんだんと良くなってくる。

 球数制限のある高校野球よりは、割ときつめの大学野球の方が、合っているとは思われた。

 それに大学野球はなんだかんだ言っても、二連戦までで済むことがほとんどだ。


 二試合目の先発は直史だと思っていた観客は、むしろこちらこそを歓迎したかもしれない。

 また今年も大学野球に、新しいスターが入ってきたのだ。

 そして東大戦の後ということもあり、本日は佐藤四兄妹の揃い踏みとなる。

 開催順の関係で、デビューは妹たちに遅れてしまったが。


 佐藤四兄妹。

 島津四兄弟や北斗四兄弟と比べて、どれが一番強力だろうか。

 まあ北斗四兄弟には、一人明らかな足手まといがいるが。

 野球に関して言うなら、金田四兄弟が一番強いと言えるかもしれない。


 東大と早大に分かれて、四人の兄妹が戦い合う。

 それなんてマンガ?とか言われそうな展開であるが、とりあえず今日は関係ない。

 まずは武史のデビュー戦である。




 他の五大学に比べて明らかに緩い東大野球部は、ツインズと明日美が離脱しても文句は言わない。

 この場合ツインズは当然ながら、兄が二人いる早稲谷の応援をする。

 さっきまでグラウンドで汗を流していたツインズが、早稲谷の応援側スタンドで声を張り上げる。

 そのノリに、ちょっと遅れてしまったのが恵美理である。


 神崎恵美理は東京芸大に進学した。

 自分の習得した中で、最も適したものを磨くことにしたのだ。

 一度は自分から放棄してしまったもの。

 音楽の道に再び踏み入って、何がしたいのかは分からない。

 だが自分に出来る最高のことは、これなのだとは分かっている。


 恵美理は三人の姿を確認したが、思っていた人間が一人いない。

「イリヤはいないの?」

 佐藤四兄妹がいれば、当然イリヤもいると思っていたのだが。

「今日はレコーディング」

「学校に行かなくていいから時間があるし」

「そっかあ。イリヤちゃん、また会ってみたかったな」

 明日美の言葉に、三人が驚く。

「え? 何?」

「イリヤ……ちゃん?」

「え? 何かおかしい?」

 おかしい。


 イリヤという存在は、何者からもイリヤと呼ばれる。

 なぜかとか、合理的な理由などはない。

 イリヤをイリヤ以外の呼称を付けて呼ぶことは、通常はないことなのだ。

 ただ、三人は同時に思った。

 明日美は、そういう人間なのだな、と。


 思えば恵美理も最初、明日美と出会った時に感じたのだ。

 太陽のように輝く存在感。

 引力を発生させて、周囲を巻き込んでいく力。

 ブラックホールのよういに周囲を吸い込むイリヤとは、似て非なる存在。

 なるほど明日美にとっては、イリヤもイリヤちゃんなのか。


 東京とは名ばかりの片田舎に住んでいた少女が、実はこれほどの世界に対する影響力を持っている。

 明日美はイリヤとは違い、音楽のような武器を持っていないが、おそらく彼女も特別な存在なのだ。

 今のところは野球という舞台の中でその力を発揮しているが、おそらくこれは彼女の本当の場所ではない。

 ツインズはほとんどの分野において才能を発する天才ではあるが、超人や、特異点的存在になる人間ではない。

 そういうものは直史や、大介に感じるものだ。だから二人は武史は奴隷のように使っても、直史には逆らわない。

 イリヤに影響を与えたというそれだけで、直史も普通の人間ではないと分かるからだ。

 むしろ直史に感じていたものを、イリヤにも感じたと言えようか。

 ただ直史に言わせれば、順序は逆なのだが。

 妹たちを抑えるために、彼は強くあらねばならなかった。




 神宮球場のマウンドは、武史は別に初めてではない。

 神宮大会で経験し、大阪光陰に負けたのが、最後の記憶である。

 さてもうすぐプレイボールという中、武史の注意は応援スタンドに向けられている。

「兄妹とは言え、うちの応援に来ているとはな」

 バッテリーを組む樋口は、感情の平坦な声を出した。

「権藤明日美か……。外見は可愛らしいが、中身はゴリラだな」

「あ、高校時代はプリティーゴリラって言われてたっすね」

 なおビューティーゴリラが恵美理であるが、恵美理はそこまで人間離れしてはいない。

「まあ俺の好みじゃないしどうでもいいが、神崎恵美理がお前の彼女なんだな?」

「忙しくてなかなかデートも出来ないんですけど……」

 公式リーグ戦初先発であるにも関わらず、武史は全く緊張していない。


 緊張するというのは、勝ちたいと思うからだ。

 だが武史は別に、勝ちたいなどとは全く思っていない。

 ただ、まだ電話で話すことぐらいがほとんどの恋人に、いいところを見せておきたいというだけで。

「なるほど、まだ付き合い始めて一番楽しい時期か」

「そうなんすかね?」

「俺はそうは思わないが、世間的にはそう言われてるな」

「ケントさん的にはどのあたりがいいんすか?」

「そうだな……セックスをして肌が合ってきて、一番簡単にイけるようになったぐらいかな」

 返答がアダルトすぎて引く武史である。


 樋口は色々と倫理的に問題のある人間であるが、その一番大きなものは男女関係である。

 だいたい一人はキープしているのだが、あちらの都合が合わない時は、適当に近場の女を誘う。

 まあ思い込みの激しそうな女を誘うことは少ないし、基本的に処女には手を出さないという、謎のルールを守ってはいる。

「お前童貞か?」

「ど、どどど童貞ちゃうわ」

「いや、別に馬鹿にするつもりはない。本当に好きな人間と最初にセックス出来るなら、それに越したことはないしな。俺もそうだった」

 なんで試合前のブルペンで、自分はこんな会話をしているのだろうと武史は思った。

「ちなみにケントさんの初体験っていつでした?」

「14歳」

 早いよ。


 そこから遠い目をする樋口である。

「いいか、自分が本気で好きになった女が、既に他の男に貞操を捧げていたってのは、かなり精神的にショックだからな。特に童貞には」

 童貞童貞とうるさい。この人は童貞絶滅列島でもお勧めするつもりなのだろうか。

「全力で優しくしつつ、それでいてスキンシップを重ねて、さっさと肉体関係に持ち込むことを俺はお勧めする。ナオはまた違う意見かもしれないが……」

 直史もだいたいそのあたりは同じである。

 恋人というか、愛情の対象を束縛するのは、二人とも強すぎる。

「お前、別にNTRじゃないだろ?」

「なんすかそれ」

「寝取られ。つまり自分のパートナーが他の男に寝取られることに興奮するという、かなり理解しがたい性癖の持ち主だな」

「それ病気じゃないんですか?」

「アダルトの一大ジャンルらしいぞ。似たようなものでBSSというものがある」

「はあ。それは聞いておいた方が?」

「僕のほうが先に好きだったのに、というジャンルで、好きだった女の子が誰かのものになってしまうジャンルらしいな」

「……ひょっとして、俺をリラックスさせようとしてくれてるんですかね?」

「いや、純粋にカップルになったばかりのお前への忠告だ。大学生ともなれば誘惑は色々とあるからな」

「試合前に不安になってきたんですけど!?」

「よし、じゃあ今日の試合に勝ったら、ホテルに誘うんだ」

「まだデートもしてないんですけど!?」

「春休みに何やってたんだ!?」

「練習ですよ!」


 とてつもなく意味のない馬鹿な会話を行っている二人であるが、とりあえず相性はそこそこ良さそうである。

 だが恋愛観の違いはどうしようもないだろう。

「さて、じゃあ行くか」

 試合前から何かやりきった気がしてしまうが、これから試合は始まるのである。




 武史は割りとメンタルの状態がそのままピッチングに表れる。

 ただ落ち込むことが少なく楽天的なので、自然と好調の時が多いのだ。

 この試合も一回の表から、樋口のリードに従ってパンパンとストライク先行で投げ込む。

 樋口としても、あまり面白くはないが楽でいい。

 ホームランにさえならないリードをしてれば、あとは味方が点を取って勝つだけだからだ。


 樋口はこの日本のみならず、世界的に見ても突出したピッチャーと、バッテリーを組んできている。

 上杉兄弟に、そしてこの佐藤兄弟。

 誰が上かとかはあまり考えないが、どのような状況ではどのピッチャーがいいかというのは、ある程度判断出来る。


 試合が相手に有利であり、どうにかして流れを変えたい時。

 そういった状況では、上杉勝也が効果的だ。

 あの誰にも真似できないピッチングを見たとき、相手の打線は沈黙し、チームの状態自体を威圧する。

 それは試合のみならず、チーム自体を支配する。


 おそらくほぼ互角の戦いで、信頼出来るピッチャーに任せたい時。

 それならば佐藤直史を選ぶ。

 キャッチャーがリードをミスらない限り、必ず相手を封じてくれる。

 絶対的な信頼を置ける、唯一のピッチャーと言えよう。


 現実的な範囲で模範的なピッチャーは上杉正也で、調子が悪い時もそれなりのピッチングをして、こちらの期待に応えてくれる。

 キャッチャーとしては選択肢が最も多く、リードしていて苦労も多いが、やり甲斐は大きい。


 では佐藤武史はどうなのか?




 樋口はその回の守備を終えると、ベンチの隅に座っている直史の隣に座る。

「お前の弟はいつもあんなのなのか?」

「あんなのと言われても分からないが、調子がいい時はあんな感じだ」

 六回を終えてパーフェクトピッチング。

 三振を16個奪っている。

 なお六大学リーグの一試合の最多奪三振記録は、22個である。

 それも相手は東大で、おおよそ奪三振記録は東大が相手の時が多いのだ。


 あと三イニングを投げて七つの三振を奪えば、それで新記録か。

 いやそれ以前に、完全試合も並行してやっているし、何より三回辺りから、明らかに球威が増してきている。

 直史は試合の途中から良くなると言っていたが、少なくとも練習試合のオープン戦では、そんな兆候は見えなかった。

「観客多いし彼女も見てるし、張り切ってるんだろうな」

「それでここまで調子が上がるのか?」

 樋口としても、上杉や直史とはまた別のベクトルで、理解しがたいピッチャーである。


 監督はむっつりと黙っているが、顔がかすかに引きつっているのは間違いない。

 ベンチの中でも周囲に人が寄らないので、自分から西郷などに話しかけにいっている。

 全くプレッシャーは感じていないようである。


 試合展開が早く、早稲谷側も早打ちをしてしまっている傾向にあるが、それでも三点を取っている。

 このままならば、完全試合に奪三振記録の更新と、二つの大記録が更新されるかもしれない。

「ぎりぎりで達成出来ないっていうのが、あいつのこれまでのパターンだったんだけどな」

 直史としても、意外ではあるのだ。


 武史が調子のいい時というのは、だいたいイリヤが関わっていた。

 だが今日はイリヤが来ていないのは、ツインズから聞いて知っている。

 恵美理が早稲谷の応援団に混ぜてもらってトランペットを吹いているのは知っているが、女だったら誰に応援してもらっても調子が上がるというわけでもないはずなのだが。

「人生初彼女が出来て舞い上がってるんだろうな」

「だけど球速自体はまだMAXになっていないな」

 神宮のスピードガンは159kmを何度も記録しているが、160にはどうしても一歩足りない。

「球数的には150球までは間違いなくて、そこからは少しずつ落ちていくからな」

「100球以内で完投出来そうだが」


 上杉もそうであったが、剛速球投手のくせにコントロールもいい。

 チェンジアップとナックルカーブを見せ球に、基本的にはストレートだけで三振が取れる。

 スピン成分がものすごいのは、投球練習の時から分かっていた。

 だがこの試合においては、明らかに練習時を上回っている。

「あいつは本番に強いからなあ」

 そういう問題なのだろうか。




 武史が本番に強いか弱いか。

 数字だけを見れば、強いに決まっている。

 初めて150kmを出したのは甲子園であるし、初めて160kmを出したのも甲子園だ。

 練習と本番とでは、明らかにリミッターが違うのである。


 これで、まだ上がある。

 樋口としては戦慄する想いではあるが、直史としてはそのリミッターを問題だと考えている。

「自分でもまだ自分の限界が分かってないから、下手すると故障するんだ。ムービングを使って、ある程度抑えて投げさせてくれ」

「記録に挑戦しなくてもいいのか?」

「記録よりも、まず無事故だな」


 樋口としては高校最後の試合で、武史相手にやたらと三振を奪われて記憶があるので、味方としてもそれを使いたくなる。

 だが、まずは怪我をしないことか。

 直史の言うことなら、ほぼ信用して間違いはない。


 実際、七回にすっぽ抜けたナックルカーブが、相手のバッターを直撃した。

 これでパーフェクトの記録は途切れた。

 もっともこのランナーは即座に、樋口が牽制で刺したのだが。


 ムービング系のボールを使って、打たせて取る。

 ただこの打たせて取るのは、どうしても打球の方向がランダムになるので、一本のヒットぐらいにはなってもおかしくないのだ。

 完全試合もノーヒットノーランも、ある程度は好守備に助けられた結果なのである。

 ならば直史の完全試合はなんなのかと聞かれると、それは答えられないのだが。


 七回を終えて、打者21人に対して、18奪三振。

 あと六人を三振でアウトにすれば、新記録達成である。

 直史はああ言っていたが、このまま記録を達成させてもいいのでは?


 八回、160kmの球速表示が出た。

 神宮球場がまだ四月なのに、夏の甲子園のような雰囲気に包まれる。

「狙ってるのか?」

「いや、ムービングを打たせようとしてるんだが、ファールになってるからな」

 そうなると追い込めば、ストレートで押していく方がいいだろう。

 直史としては心配であるが、武史はおおよそ期待を裏切る男であるのだ。

 良くも悪くも。


 九回、一人を内野フライに打ち取って、残りの二人は三振。

 一試合23奪三振と、ノーヒットノーランであっさりと記録達成である。

 なんだかどこかでこけると思っていた直史だが、こういうどうでもいい試合では、あっさりと記録を達成するのが武史であるらしい。

 そして当然ながら、マスコミもこの新たなるスーパースターに群がるのであった。




 なお、その次の朝、肩が痛いと言ってきた武史は、特に致命的な異常はないものの筋肉の炎症で、二週間は投げられないことになる。

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