第217話 遠謀

 大学院が始まる前に、直史と瑞希は一度実家に戻った。

 自由になる時間は増えたが、勉強にあてなければいけない時間も増えている。

 束の間の帰郷の間には、母校の様子を見に行ったりもした。

 また今年も新入部員が、春休みから参加している。

 直史たちの代からはずっと、センバツに出続けていたので、見られなかった光景だ。

 だが去年ついに、センバツも含んだ甲子園出場は途切れた。

 しかもあの時は県大会を突破できなかったため、就任したばかりの国立が叩かれたと聞く。

 あの戦力はともかく、夏までずっと三年生メインであった学年が、秋に弱くなるのは仕方がない。

 そう思うと直史たちの春から、武史たちの夏までの、全国四連覇がいかに異常なことかが分かるのだが。


 国立はともかく、他に見知った人もいない白富東。

 体育科なども出来て、普通に近い学校になってしまっている。

 だがそれでも、他の学校とは違う。


 地元である中学までと違って、自分で選んだ。

 そして全てはここから始まった。

「どう?」

「一年だと思うけど、いいピッチャーがいる。多分上手く育ったらプロに行けるぐらい。バッターも、かなりいいな。悠木っていうのと、あとは一年かな、あれも。なんでこんなとこ来てんだろ?」

 母校に愛を感じている直史であるが、普通に甲子園やその先を目指すなら、私立の強豪校に行くのが正道だろう。

 淳が仙台育成を蹴ったのは、かなりの例外であるのだ。

 孝司や哲平といったあたりも、私立強豪よりも白富東を選んだ。

 将来にプロを選択肢とするなら、強豪私立の方がいいのに。

 まあ白富東は、学校推薦が強いという特徴はあるが。


 ただ、他のチームの練習も見て、大学野球も見た直史は思うのだ。

 白富東の時間の使い方を知っている人間は、プロになっても上手く時間を使えるだろうと。

 はっきり言って大学野球などは、体が育ちきらなかったり、エースの影に埋もれてしまった人間が行くところだと思う。

 早稲谷はかなり環境が変わったが、それは直史が直史であったからとも言える。




 なおこの時期になると、大学では普通に練習試合が開始されている。

 早稲谷の場合は一軍が他の大学や社会人、はたまたプロの二軍に出向いて、その間に二軍が自分のグラウンドで他のチームを迎えたりする。

 そんな練習試合が春休みは毎日行われているので、ピッチャーは三人や四人でも足りない。

 なのでここでどうアピールするかが問題で、星がちゃんとスカウトに評価されたのも、そういった練習試合でいいピッチングを繰り返したからだ。

 短いイニングしか投げていないので気付く人は少ないのだが、実は星の防御率は村上と大差ない。


 この年、直史と村上、そして星が卒業してしまったため、早稲谷は大幅な弱体化をしていると言われている。

 それは間違いない。超・天元突破グレンラガンが普通のグレンラガンになったぐらいの弱体化であろう。

 ただしそれでも、甲子園優勝ピッチャーと準優勝ピッチャーがいるので、まだ六大学の中では一番強いだろうとも言われている。


 春のこの時期、年中練習しているような大学は、むしろプロよりも仕上がり自体はいいかもしれない。

 だが手を抜いて160km台を叩きだすピッチャーは、他にはいない。

 直史の成績を見て、怪物だという人間はもちろん多い。数字は嘘をつかないのだ。

 ただ伸び代だけならば、むしろ武史の方が上かとも言われている。


 起用法のこともあって、直史が四年間のリーグ戦で残した奪三振の数は416個。

 これでも歴代のトップ10に入る立派な成績ではあるのだが、武史は三年度が終わった時点で、それよりもはるかに多くの三振を奪っている。

 その数はなんと554個で、異次元の数字であると言われている。

 ただこれは上杉がもしも大学に進学していれば、同じぐらいかそれ以上の数字を残しただろうとは言われている。

 武史にしてみれば、キャッチャーの存在がかなり大きかったとも言える。


 ピッチャーはたくさん必要だが、キャッチャーは毎日出られる。場合によってはダブルヘッダーでも。

 樋口がリードしていたことによって、どれだけピッチャーは楽が出来ていたか。

 武史の場合奪三振の数は減らないが、被打数と球数は増えた。

 それでも六大学の他のエース級と比べると、はるかに少ない球数で、あっさりと試合を終わらせてしまう。


 単純に球が速いだけで、バッターを圧倒する。

 そして実は重要なことだが、抜けた球がない。

 あるいは試合の後半であると、ストレートのスピンが強すぎるため、抜け球が凶悪なチェンジアップになったりもするが。

 失投が失投にならないのは、おかしすぎる話である。




 樋口がキャッチャーをやってくれていたのは、本当に楽なことであったのだ。

 そしてドラフトよりはるか前に、レックス志望をしていたのは正しいと思う。

 自分でも考えないといけないので、つくづく感じる。

 樋口のリードは完璧であったと。


 樋口が聞けば必ず、完璧なリードなど存在しないと、謙遜するでもなく事実を述べただろう。

 結果的に正解となる、よりベターなリードは存在するが、パーフェクトにはならない。

 パーフェクトなピッチングとは、ピッチャーとキャッチャーの二つが組み合わさって成立する。

 そして樋口のようなキャッチャーは、残念ながら後輩とはいえ、上山でも不可能である。


 キャッチャーは頭脳職などとは、よく言われるものだ。

 プロの球団でも全然打てなくても、しっかりとしたキャッチャーが必ずいる。

 たとえばブルペンキャッチャーなど。

 あれはどんな暴投でもキャッチして、暴投を恐れない心をピッチャーに植え付ける必要がある。

 ブルペンキャッチャーはブルペンキャッチャーで、なかなか普通のキャッチャーとは違った専門職なのである。


 自分で考える部分が多くなって、武史は序盤に打たれることが多くなった。

 それでも失点につながることはまずないのだが。

 ゾーン内のストレートで、特にアウトローを攻める。

 序盤はそれで連打は防げるし、中盤からは球威だけで押し切れる。

 完全なパワーピッチャーで、しかも確かにストレートの威力が隔絶しているから、それでいいはずなのだが。


 すぐ前の背中が、もっとすごいピッチャーであった。

 武史はプロを甘く見ているが、それでも不誠実ではなかった。

 一般的な社会人が、己の仕事に真摯であるぐらいには、マジメな男である。

「や~っとパーフェクトできたわ」

 練習試合五試合目で、どうにか達成。

 ほっと息を吐く武史を見て、こいつはある意味兄以上に恐ろしいな、と感じざるをえない周囲である。




 ピッチャーにとってノーヒットノーランなどは、一生に一度でも出来たら一生の自慢なのだ。

 武史は既にリーグ戦だけでも、六回のノーヒットノーラン、二回の完全試合を記録している。

 なお現時点において六大学野球で、これらを一度でも達成した者はいない。


 武史はスコアを見直して、また溜め息をつく。

「球数多すぎるよな……」

 いや、こいつはこいつで、どこまで行こうというのか。

 そうは思うが研鑽を積むことは悪くないので、その勘違いを正そうとはしない。

 義理の弟である淳でさえも、やっぱりこの兄も異常だなとは思うのだ。

 淳もノーヒットノーラン達成まであと少しというピッチングはしたが、達成したことは一度もない。


 武史は武史で、もちろんマジメである。

 自分は別に野球が好きではない。いや、普通にプレイを楽しむぐらいには好きだが。

 ならばプロでやっていくためには、圧倒的な実力を手に入れた上で、バッターを薙ぎ払うようなピッチングをしていかないと面白くない。

 そのためにはしっかりと、練習とトレーニングをするべきなのである。

 視点と立脚点は違うが、得た結論は正しい。


 相手は東都の一部リーグなので、もちろん弱いチームではない。

 むしろ六大学の他のチームよりも強い疑惑さえある。

 しかし21個の三振に、内野フライが五つ。

 内野ゴロが一つで終わりなのだから、あちらさんは死んだような目をしている。


 無慈悲であるという点においては、武史は直史以上だ。

 なにせまったく、無邪気で無自覚であるのだから。

 直史はまだ、相手の感情を察することがあった。

 だからといって手加減などはしないので、無慈悲なわけではないが無配慮ではあった。




 早稲谷は確かに、去年に比べると弱くなった。

 だがそれは単に、去年までの早稲谷が史上最強のチームだったというだけである。

 これでもまだ、佐藤兄弟の次男と三男がいる。

 淳はまだ一試合に一点か二点ぐらいは取られることが多いので、なんだか見ていてほっとする。

 武史はヒットを一本打たれるまでは、バックで守っている守備陣も気が気ではない。


 直史が当たり前のようにノーヒットノーランをやっていたので感覚がバグっているが、武史も怪物である。

 地球人にとっては超サイヤ人でも普通のサイヤ人でも、化け物には変わりはないのだ。

 そんな武史は試合を終えると、デートだデートだと軽い足取りでクラブハウスを出て行く。

 あれがパーフェクトを達成した男の、試合後の足取りであるのか。

 直史もむしろ、試合後にはちゃんと疲れた様子を見せていたのに。


 直史がいた頃には、本当に分かっていなかった、彼自身の言葉。

 うちの弟の方が才能はあるという、言葉の意味。

 比較対象がいなくなって初めて、他と比較してその恐ろしさを知る。

 165kmなんて投げられたら、打てないのは当たり前なのだ。

 プロなら単なる球速だけなら、打ってしまえるのだろうが。

 ……いや、当てるのと打つのは違うか。

 

 現在二番手ピッチャーになっている淳は、凡人の悩みを抱えていた。

 お前のどこが凡人なんだと、周囲の友人は言うだろう。

 だがたかがアマチュアの大学チームに、狙って完封が出来ない。

 これは傲慢ではなく、自信の問題だ。

 武史は淳よりも、プロに対する意識が薄い。

 それなのに才能が圧倒的なため、淳よりも簡単に通用していくだろう。

 

 不公平ではある。

 だがこの世界はたいがいが不公平だとは、分かっていない子供ではない淳である。

 次にある試合では、当然ながら淳が投げる。

 肘や肩の消耗を防ぐために、徹底的に下半身を強化し、柔軟性を高める。

 淳の選んだスタイルは、サウスポーを最大に活かすためのもの。

 もちろん上から投げても、それなりの球速は出る。

 だがプロのトップレベルに達するために、この異端とも言えるスタイルを追求する。


 天才ではない。

 淳が葵と付き合い始めたのは、お互いにそんなコンプレックスがあるからだ。

 そのコンプレックスと正面から向かい合うのに、二人の相性は良かった。


 葵もまた聖ミカエル時代に、勉強で絶対に勝てない相手がいた。

 ガリ勉メガネなどと呼ばれていた時代から、成績がいいというのは葵にとっての拠り所であった。

 だがそれでも谷山美景は勝てなかった。

 科目別に言えば、明日美にも負けることはあったのだが、常にほぼ満点を取るような相手には、どれだけ努力をしても勝てない。

 憧れるのは、太陽のような明日美。

 同じく無邪気でありながらも、誰も傷つけない存在。

 だが現実で寄り添えるのは、こういったお互いの傷を理解し、癒えるまで待ってくれる存在なのだ。




 プロ野球選手になるまでの人間というのは、誰だって化け物のようなものである。

 だがその世界に入った時点で、既に化け物の中の化け物という存在はいる。


 淳は高校時代に大介とチームメイトになった。

 一緒に戦ったのは半年もなかったが、それでも傑出したバッティングを間近で見てきた。

 そして大学に入ると、リーグ戦の中では平均的なバッターも、高校のトップクラスである。

 さらに上澄みが、プロに進むのだ。

 それらとの戦いにおいて、淳は自分がプロでもやっていけるだろうと、確認出来た。


 才能と単純に呼ぶには、どれだけの鍛錬をしてきたか知っている。

 それでも淳は直史が、形は違えど天才であるとは思っている。

 どれだけ磨いたとしても、ただの岩は輝くことはない。

 日本刀のような切れ味で、ばっさりと的確にバッターを片付けていく。

 武史はそれに比べると、鉈のようなものだろうか。

 切れ味はそこそこであるがその重さで、鈍器として強力なものなのだ。


 それに比べると自分は、自殺にも一工夫がいる剃刀程度か。

 だが剃刀であっても、人間にとっては有用な存在だ。

 



 翌日の試合では先発し、八回一失点で勝利投手となった淳である。

 対戦相手は社会人野球の名門で、プロ注の選手がいたりする。

 ある意味では大学野球よりもさらにエリートな、アマチュア野球。

 そのチームを相手にしても、淳は勝利することが出来る。


 そしてデートをするのは、義理の兄と同じである。

「へえ、勝ったんだ」

 葵は関心なさそうに言うが、普通に野球のルールに詳しくなっていってくれるところは、年上ではあるが可愛いと思う。


 次で大学四年生になる葵であるが、就職はせずに院に進むことになっている。

 理系の彼女は研究職を狙っているのだ。

 よっておそらく、就職も東京になるであろう。

 実家も少し離れてはいるが、東京であるのは変わらない。


 小柄な葵が、淳の手を引く。

 この二人はお互いがあまり正直でないので、けっこう喧嘩をする。

 幸いにも周囲の友人が優れているので、仲裁が入ったりするのだが。


 葵が院生となってから研究を続けていくのなら、淳の方が先に社会人になる。

 随分と特殊な職業ではあるが。

 今日の試合も淳を見に、プロのスカウトが来ていた。

「どこが有力とか、分かってるの?」

「だいたいどっこの球団もピッチャーは見に来るんだけど、北海道か東北が有望かな。左少ないし」

「そう言えばそうね」

 特にピッチャーが欲しいというなら、今はパの球団が多い。

 ただし来年の話であるから、必要性は選手の台頭によっては、順位が変わってくる。

 自分は上杉や大介、またアレクや西郷のような、複数球団かだ一位競合とまでされるピッチャーではない。

「タイタンズは?」

 なにしろ一番有名な球団ではある。

「あそこは……多分ないかな」

 淳の性格的に、合わないと思うのだ。


 正直なところ、レックスに行きたいと思っている淳である。あそこには樋口がいる。

 ただしレックスは使えるピッチャーの枚数自体は揃っているのだ。

 まして今年は武史が逆指名している。

 もちろん逆指名でも競合してくる球団はあるだろうが、なんとなく武史はすいすいと、思っている球団に入れる気もする。


 自分はプロになるだけではなく、そこで一流となりたいのだ。

 そう考えるならば、淳はパの球団の方がいいなと思っている。

 東北であれば生家も近い。

 両親は喜んでくれるだろう。

「言っとくけど、あたし遠恋とか嫌なんだけど」

「まあ在京球団は多いけどね……」

 セの球団は、おそらくバッターの方を重視している。 

 だがトレードやFAで、チーム事情はあっさりと変わってしまうものだ。

 なので今からこんな話をしても、鬼が笑うというものだが。


 淳はピッチャーらしいピッチャーであるが、佐藤家の中では、もっとも人間らしい人間であった。


×××


※ 今回出番の少ないナオフミ=サンは、高校編の方に出張しております。

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