十五章 大学四年 別れの季節
第208話 やすらぎの冬
野球ばかりしている野球バカに見えて、実は色々とやっている者もいる。
四年生の引退により、事実上の二番手ピッチャーとなった淳。
既にリーグ戦での経験もしており、短期間の間に試合をするにおいては、必ずと言っていいほど出番はあった。
直史と村上がいなくなり、これで武史が来年卒業すれば、エースと言ってもいいほどの数字は残している。
二人の兄ほどの人間離れした成績ではないが、競合相手にも完投して完封することもあり、特にロースコアゲームに強い。
下手な本格派などよりも、よほど安定しているのである。
左のアンダースローという希少種であり、プロからも注目はされている。
高校時代からもプロでも通用するのではと思われてはいたが、本人は打算もあって大学進学を果たす。
そして追い出し試合では、終わりの三イニングを投げた。
四年生組が直史が六イニングを無失点に抑えて、残りの三回を村上が一点に抑えた。
対して下級生組は武史がホームランで一点は取られたものの、その後を封じて七回からは淳が投げる。
かくして1-1といういい落としどころのスコアで、その年の試合は終わったのである。
ちなみに早稲谷は意外と、年末と正月はちゃんと休んで、年中無休というチームではない。
大学によっては元旦から練習などというところもあるのだが。
野球は戦争と違って時間を選んで行うものなので、こういう一年中練習漬けにすることに意味はない。
だからといって完全に休んでしまうかどうかは、人それぞれである。
11月中には全ての人間が契約を終え、12月の入団会見に臨む。
1月の寮開きは、ほとんどの球団が四日から七日までに行う。
それに向けて準備をしなければいけないわけである。
近藤と土方はこのまま大学で、村上は出身地の岡山で、それぞれ調整を行うらしい。
樋口と星は、ちょうどピッチャーとキャッチャーでもあることから、千葉にあるSBC施設を訪れることになる。
そんな忙しい四年生と違い、下級生たちはまだのんびりとしていた。
武史はクリスマスに、恵美理の家に呼ばれている。
生活習慣が欧米のものに近い恵美理の家は、クリスマスは家族で祝うものなのだ。
それに招待されているのは、武史の将来にとってはいいものだろう。
もちろん直史と瑞希は東京で二人で過ごす。
「たまには後始末のこととか考えないのがいいかなあ」
佐藤四兄妹とその配偶者予定の中で、一番金持ちなのはもちろん大介である。
だが二番目は芸能界で働いているツインズではなく、本の印税というあぶく銭を持っている瑞希なのだ。
クリスマスには二人して、瑞希の家でケーキを食べたりちょっと豪勢な料理を食べたりして、そこからいちゃいちゃするのが大学生活であった。
だが瑞希には微妙に不満がないわけではないのだ。
それはクリスマスムードで気分を盛り上げてからベッドに入るため、かなり過激にどたばたとするので、後始末が大変なのだ。
「というわけで今年は、イルミネーションを見てからホテルでディナーを食べて、スイートルームでゆっくりしたいと思います」
「ゆっくりでいいのか?」
「……それは言葉の綾で、色々と頑張ってください」
色々と欲望に忠実になってきた瑞希である。
そんな爆発しそうなカップルはともかく、こっそりとカップル成立していた淳は、要求に応えるために苦心していた。
「今からホテルって取れないんだな……」
クソ高い部屋なら取れるのであるが、12月に入ってからでは当たり前に遅い。
「美景ちゃんってそういうの好きなタイプだっけ? もっと素朴なイメージがあるんだけど」
「え? なんで美景さんが出てくんの?」
「あれ? お前って谷山さんと付き合ってるんじゃなかったの?」
「なんでそうなる。俺が付き合ってるのは葵だよ」
「あのキッツイ子か。 あれ? ずっと谷山さんの方と付き合ってると思ってた」
「……まあ彼女にするなら美景さんの方が付き合いやすいんだろうけど」
「だよなあ?」
淳は別に明日美に振られたわけではないが、ルートが自然消滅していったのは確かである。
そこで明日美と同じ大学で、一個上の谷山美景と付き合っていると、武史は思っていたのだが。
あの三人と恵美理は同じ学校出身なので、それなりに今でも付き合いが多い。
竜堂葵がどちらかというとキャンキャンうるさい性格で、淳は従順なタイプの女性が好きだと思っていたのだが。
「ベッドの中ではしおらしいからギャップがいいんだよ」
「……」
なるほど、と思わず納得する武史である。
まあメガネっ子の葵は、典型的なメガネを外したら美人なので、メンクイの淳の選択はありえることだ。
兄弟三人で、直史は聞くでもなく聞いていたのだが、少し気になるところはあった。
「谷山さんは今フリーなのか?」
美景はなんとなく瑞希と雰囲気が似ているので、ナチュラルに親切にしているところはある直史である。
ただそこそこ胸が大きいので、貧乳好きの直史としては、外見だけなら葵の方が好みにマッチする。
直史の巨乳忌避症は、かなり大きな精神的問題だ。
「あの子は腐女子っぽいけど」
「そうか」
二次元の方が好きなら仕方がないが、二次元に興味が大きいだけで、別に三次元に興味がないわけではない美景である。
クリスマス前のこの季節には、飛び込みで彼女を作る人間も多い。
早稲谷の野球部関連では、近藤は普通に彼女持ちだし、土方は気が多い男で、沖田や山口も普通に彼女がいる。
というか山口は七年間も彼女と遠距離恋愛をしていて、それも地元に帰る理由になったらしい。
樋口はさすがに大学時代の女は切ったらしいが、どうせこいつのことであるから、遠征先ごとに女を作るのだろう。
浮気体質と言うよりは、女を切らすことが精神的にダメらしい。ちょっと一度病院に行ったほうがいいのかもしれない。
高校時代からの関係で言うと、完全に磐石な直史と瑞希を除けば、星と水沢瑠璃のカップルが一番上手くいっている気がする。
だいたいは向こうに振り回されているらしいが、星はなんだかんだ言いながら、止まるところでは自分の意志で止まる。
芯の強さについては、野球部の人間は誰も疑っていない。
だからこそ騒がしい瑠璃についていくだけの度量があるのだろう。
そして西のところは案外上手くいっていない。
鷹野瞳は東京の大学に進学し、バレーで活躍している。
二人とも共にスポーツで忙しく、むしろ瞳が高校生の頃の方が、時間の都合はあったらしい。
同じ東京に住んでいるのでそれなりに時間を作って会っているし、西も東京で就職を決めたのだが、瞳はバレーで実業団に入れそうなのだ。
高校時代はその恵まれた体格で、明日美の次の長打力を誇っていたものだが、身長で15cm以上も低い明日美の身体能力こそが、まさに恐るべきものであったか。
それはともかくクリスマスである。
「そういう時こそコネや伝手を使えばいいんじゃないか?」
直史は一線を引くことは引くが、コネを使うことには躊躇はない。
「セイバーさんに頼めばどっか取れるだろ」
「いや、それはそうかもしんないけど、こんなことを頼むのはどうかってのと、あと高すぎるところを紹介されてもなあ」
「聞いてみるだけ聞いてみろ。キャンセル待ちしているよりはいいだろ」
そしてまた勉強に戻っていく直史である。
東京は雪が降ったが、積もるほどではない。
意外と千葉の方が積もるが、やはり人口や建物の熱が関係しているのか。
12月のクリスマスは、映画を見て買い物をして、ホテルのレストランでディナーを食べて、そして部屋へGOという典型的な手順を踏むカップルである。
後始末がいらないというのは、本当にありがたい。
なんだかんだ直史に付き合っているうちに、体力もついてきた瑞希である。
(セックスして体力つけるって……)
やりすぎに注意、というやつであろうか。
大学時代、直史が泊まった場合、瑞希の準備が悪い時以外は、本当にずっといたしていた二人である。
四年間でおそらく、500回以上はしている。
これだけ何度も同衾していると、お互いの体もよく分かってきている。
自分以上に相手は、自分の体のことを知っているというのは、少し不思議な気もする。
来年からは一緒に暮らす予定であるが、寝る場所は分けておいた方がいいな、と思う瑞希である。
二人でいるとすぐにそちらにいってしまって、勉強がはかどらなくなるのではないか。
とは言っても二人の場合、ノルマをこなすまではセックス禁止ということをしているので、案外悪い影響は与えていない。
ただやりすぎると頭がカラッポになることはあるな、と思う瑞希である。
変に悩むことがないため、快楽追求以外にも、ちゃんと効果はあるのだが。
好奇心旺盛な直史のせいで、自分がエロエロになってしまったと考える瑞希であるが、実際のところは平均的である。
ただお互いが探究心旺盛だったため、色々とやりすぎてしまっただけで。
同棲しだしてから、果たしてちゃんと生活が成立するのか。
少なくとも週末に瑞希の部屋にいる間は、お互いが気になることもなかったが。
帰郷すれば今度は本当に、二人で暮らすことを説明することになる。
父は難しい顔をするかもしれないが、瑞希には切り札がある。
それは独立出来る経済力だ。
著書のあぶく銭によって、瑞希は自由に出来る金銭を多く得た。
現在も「白い軌跡」は重版され続けているし、「春の嵐」の方もそこそこ売れた。
直史の大学時代の話については、そのうちまたちゃんと出版するつもりであり、担当の編集者がしつこい。
司法修習に入ってしまえばとてもそんな暇はないから、大学院の二年目に入る四月までには、ちゃんとまとめる予定なのだ。
直史が大学野球で活躍し、大介がプロ野球で大活躍している以外にも、アレクや鬼塚、岩崎あたりが現在は一軍にいる。
卒業後も白富東は甲子園に行き、大学の後輩になった宮武の代では、三度目の夏の甲子園制覇を果たした。これについても書いて欲しいとは言われている。
ただこちらは記録こそもらえるが、当時者への細かいインタビューが必要になるだろう。
なので他の誰かが書くか、かなり先の未来の話となる。
映画も第二弾が作られるとか言われているが、あれはシーナが完全にヒロインとなっているので、瑞希としては複雑なのだ。
だが女子高生監督の指揮で甲子園を制したのは、フィクションにしても盛りすぎと言われる。
完全にノンフィクションなのだが。
クリスマスの日の当日は、明け方よりも早く目が醒めた。
いつもの通り裸のままで、抱きしめられながら眠った夜。
抱きしめられながら眠るか、抱きしめて眠るか、だいたいは前者の方が多い。
ただ直史は時折、甘えてくると言うよりは不安から逃れるように、瑞希の貧弱な胸元に顔を寄せて眠ることもある。
直史にはまだ何か、秘密がある。
しかしその秘密は、瑞希に対しては言いたくないもののようなのだ。
好きだからこそ全てを話してほしいが、好きだからこそ話せないこともある。
瑞希もその体質のことは、なかなか言えなかったというか、結局は言えずにその時を迎えてしまったものである。
生まれつき、瑞希はある程度体が弱い。
それだけならばもう、だいぶ普通の一般的な平均と、変わらなくなったとも言える。
だがいまだに年に一度は医者にかかっては、体調を見てもらうことがある。
直史との夜の運動を激しくするようになってからは、実はかなり調子は良くなっているのだが。
セックスというのは下手なスポーツよりも、体を強くするものであるらしい。
ただ、それでも瑞希は、妊娠と出産のリスクが一般的な女性より高い。
直史は本来は、子供はたくさんほしい人間なのだろう。
自分だけではなく親の代の親戚も、その数はかなりのものとなる。
どれだけ自分がこの先、頑丈な体になれるか。
果ては遠い未来、おそらく自分の方が先に死ぬであろうこと。
そこまで考えて、瑞希は直史の腕の中でしっとりと涙を流す。
直史もまた、わずかな瑞希の動きで、まどろみながらも目を醒ます。
たがそこから瑞希をさらに引き寄せると、手をわきわきと動かし始める。
瑞希の細い身体。
だがその全身が、折れそうに華奢でありながら、同時に直史を受け止めてくれる。
高校時代からゆっくり開発した肉体は、完全に直史だけのもの。
絶対に他の誰にも奪われないように、五年もかけて愛し続けていた。
未来は定まっていない。
だからこそ懸命に生きなければいけない。
人生は上がるのは大変だが、落ちるのは一瞬だ。
そのための安全ベルトを、世の中のあちこちに設置しておかなければいけない。
ここまで自分の好みに染めてしまった女性を、直史は絶対に失わないようにする。
二人で一緒に100歳まで生きる。
その頃にはさすがに、何もかもを受け入れることが出来るようになっていてほしい。
難しく、ひどく感傷的なことを考えながら、直史の肉体は勝手に動き出す。
そして朝に特有の臨戦態勢となったものが、瑞希の腹を圧迫する。
「まだするの」
「最後にしてから五時間以上も経過してるだろ」
「なんだか本当に、こんなことばかりしてる気がする」
「一緒に暮らし始めたら、一日に平均一度までって制限しようか」
「平均って……」
「生理期間中は他の日に回すということで」
「……」
直史の性欲は強い。
ただしその性的な関心を、瑞希以外に向けることは本当に感じさせない。
男性というのはここまで浮気しないものなのだとは、瑞希は思っていたのとは違った。
両親の仕事の関係上、離婚する夫婦というのはいくらでも見てきたのだが。
時おりふと、強烈に思うことがある。
この人の子供がほしいなと。
二人だけの空間は、確かに甘いものである。
だがそこにもう一人いれば、よりこの世界は安定するのではないかと。
二人増えればさらに、その安定感は増すのではないかと。
リスクの高い、妊娠と出産。
医学の発達した現代でも、危険がなくなるわけではない。
ただそんなリスクを払ってでも、よりこの幸福を強固なものにする。
瑞希はなんとなくだが、この22歳のクリスマスに、その覚悟が出来たと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます