第120話 果て無き進化
佐藤直史が良く言われる言葉である。
「お前それ以上、上手くなってどうすんの?」
目的ではない。手段が大切なのだ。
手段自体が目的化しているというのは、世間的にはあまりいいことではないのかもしれない。
だが趣味とはそもそもそれ自体が目的であり、そこから何かの利益に結びつけるわけではない、のかもしれない。
第一ラウンドのリーグ戦は、多くても一日に二試合までしか行われない。
そして二日目、日本はお休みであり、キューバ対オーストラリア、イタリア対中国の試合が行われる。
直史はキューバとの試合で、10球しか投げていない。
ただし肩を作るためには少し投げていたので、本当なら今日はノースローかキャッチボール程度にすませるべきなのだ。
他の部分では合理的で効率的な直史であるが、自分のピッチングに成長の余地があるとなると、試してみたくなるピッチャーの本能は持っている。
大学のブルペンに戻り、樋口を相手に変化球の調子を見る。
もちろん使うボールは、MLBの標準球である。
ボールの品質にバラツキがあるので、10球ほどを持ってきた。
ボールの中心がどこにあるかによって、効果的な変化球と、使いづらい変化球が決まってくる。
フォーシームストレートであっても、微妙に変化する場合がある。
しかも縫い目とボールの重心の位置がそれぞれ違うので、有効なボールが変わってくるのだ。
しいて言うならスプリット系が一番影響は少ないか。
「まあ確かに、カット系のボールやツーシームのボールは変化が大きくなるか」
樋口としてはそんな感覚なのである。
あとはストレートがいまいち伸びていかないこともある。
ほんのわずかなボールの大きさと、縫い目の高さ。
上手く指にかかるボールであれば、鋭く大きく曲がってくれる。
だがわずかに深く握りこまなければ、コントロールをしっかりするのは難しい。
浅めに握っておかないと、最後の指先で弾く感じが、上手く伝わらない。
試しにバッターに立ってもらうと、やはりツーシームとカットが、いつもよりも鋭い。
日本のバッターがなかなかメジャーでは通用しないのは、この速球に近くて鋭く曲がるボールも、その一因ではないだろうか。
あとはごく普通に、メジャーの方が球速の平均が高いということもあるだろう。
ただ西郷に球種を言ってから投げたら、普通にネットまで飛ばされた。
西郷はMLB向きのバッターなのかもしれない。
樋口は陰謀論が好きである。
信じているわけではないが、好きなのだ。
「MLBのボールがわざとピッチャーの技術が安定して反映しないように作られているのは、そういったピッチングの上手い日本人対策じゃなかろうか」
真面目な顔でいったものだが、それはおかしな話である。
「ピッチャーで活躍してるメジャーリーガーの方が圧倒的に野手より多いんだが?」
「それもなあ。なんで野手は通用しないんだ? まあ何人か例外もいるが」
「ドーピングしないからだろ」
それか。いや、それはまずい結論だろう。
「サイン盗みは日本もしてたなあ」
「昔の話を」
二人の会話は危険な方向に向かいそうであったが、西郷としてはまだ何かやりたいのか聞いておく。
「フォークを改めて試しておきたい」
直史としてはスプリットとフォークは、もう分ける必要もないものだと思う。
フォークとスプリットとの違いは、理論上はない。
だいたい速くて小さく落ちるのがスプリットで、より回転が少なく大きく落ちるのが、だいたいフォークと言われたリする。
実際のところはフォークの握りで投げても速かったり、スプリットの握りで投げても遅かったりする。
だいたい、という枕詞がつくように、かなりいい加減なものなのだ。
あとはスライダーを投げているはずなのに、フォークかスプリットのように落ちる球を投げる者もいる。
これまでの直史は必要としなかった球種。
深く握ったフォークを上手く指を開いて抜くのだが――。
「おっと」
確かに落ちたが、全く速度が出なかった。
ボールがやや大きいというだけで、本格的なフォークはここまで投げにくくなるのか。
まあ指を鍛えれば、それは解決するかもしれないが。
このボールはチェンジアップとして使えるだろう。
そういえば上杉はどうやって投げていたのか。
ストレートばかりの中に、ほんの少しのチェンジアップは投げていた。
チェンジアップと言うならば――。
「タケ、ちょっとこのボールで投げてみろ」
「ほいな」
見学ではなく見物していた武史が、言われてボールを握る。
「確かに滑りやすいかな?」
「ストレートをちょっと試したら、チェンジアップを投げてみろ」
「ああそういう」
高速チェンジアップを使うのは、武史も上杉も一緒である。
もちろん手の大きさによって、投げられるボールは変わるのだろうが。
少なくともブルペンでは、このボールでもしっかりと投げていた。
言われて渡されたボールを、樋口のミットに投げ込む。
「滑るって言うけど、ストレートは上手く引っかかるな」
武史の感想としてはそうらしい。確かに直史も、ストレートにはそれほど違和感はない。
そして武史の投げたチェンジアップだが、やや揺れながら落ちた。
やはり変化はフォークっぽい。
それからストレートとチェンジアップを交互に投げてみたが、はたしてこれでムービング系を投げたらどうなるのか。
「ちょっとツーシーム投げます」
樋口の開いたミットへめがけて、いつもの調子でツーシームの握りから投げる。
ベースの手前で、鋭く大きく曲がった。
ぎりぎり捕球できたが、かなり変化が違う。
明らかに威力は上がっており、確実に空振りが取れるほどの変化がある。
武史のMLBのボールに対する適性は、直史以上ではないのか。
そんなことも考えてしまったりする。
続いてカットボールと小スプリットも試したが、カットボールはいい感じで曲がった。
150km台後半で鋭く曲がるなど、バッターにとっては悪夢のような話である。
スプリットに関しては、さほどの変化は見られなかった。
ただ、珍しげにボールを見に来て触れたり投げたりしたピッチャーとしては、やはりしっくり来ない者が多いようだ。
直史としてもやはり、抜くタイプの球はよりすっぽりと抜けるが、スライダーやシュートは少し変化が小さくなった気がする。
シンカーも変わらないが、その分ツーシームがやたらと投げやすくなった。
小さく曲げるつもりの球が、大きく変化する。
それもスピードはそれほど変わらずということは、三振を奪えるボールになったということだ。
また西郷にバッターボックスに立ってもらって、間近でしっかりと観察してもらう。
やはり小さく曲がるはずの変化球が、日本のボールと違って大きく曲がる。
ボールの重心も関係するが、おそらく縫い目の高さの方が、より明確な理由ではないのか。
他のボールも試してみたが、普段なら使ってないタイプの変化球も効果的であったりする。
たとえばパームボール。これは直史にとっては、チェンジアップの一つである。
より精密に操作出来、他のチェンジアップで代用できるので、普段は使っていない。
だが滑るボールを使った場合、故意に抜けたボールにすると、上手く球がブレてすとんと落ちる。
そしてあとは、ナックルに挑戦である。
日本でナックルボーラーが誕生せず、日本にやって来たナックルボーラーが通用しない理由。
その中の一つには、ボールの違いというものがあるのだろう。
無回転で投げられるボールというのは、風や空気中の水分の影響を、縫い目が受けて変化する。
日本の場合はその縫い目が低く、ドーム型の球場が多いために通用しないのでは。
仮説は色々と立てられたが、ワクワクとしながらナックルを試してみる直史である。
「使えねえ」
「そうだな」
結論が出るのは早かった。
確かにナックルの変化は、普通のボールを使っていたときよりも感じられる。
だが打てない変化球であれば、左右に投げ分けられるようになったスプリット以外にも、スルーやカーブなどたくさんあるのだ。
もちろん相手のバッターが、こちらの球種を読みきったなら話は別だ。その時はどう変化するのか、ピッチャーでも分からないナックルは、充分通用するだろう。
しかしそんなサトリのようなバッターはいないはずだ。
キャッチャーの中には読みで打つタイプがけっこういる。
樋口自身がそうであるが、直史を相手に自分と同レベルのキャッチャーが組んで投げた場合、投球のバリエーションが多すぎる。
その時の最適解を選ぶ必要はなく、絶対に危険な球だけさえ避けていれば、どうにか抑えられるのだ。
「同じナックルなら、近藤から習ったあれの方がいいだろ」
「そうだな」
樋口としても頷くだけである。
同学年の近藤は高校時代はピッチャーで、特徴のあるストレートを投げていた。
回転数が少なくわずかに揺れるが、カクンと落ちたりまではしないストレートだ。
直史はあれを、使いはしないが投げられるようにはなっている。
低めに投げたらホームランを打たれない、都合のいいコースにきまってくれるからだ。
弱ナックルストレートと名付けられたその球は、本当にわずかにぶれるだけだ。
ただそのおかげでジャストミートが少なく、近藤はホームランを打たれにくいピッチャーだったのだ。
そして武史も試しに投げてみたりするのだが、全く変化のないただの棒球になった。
これもまたチェンジアップの一つとして使えなくはないかな、というものである。
ベースの手前でわずかに沈むので、よっぽど投げる球に困った時は、このボールを投げるべきかもしれないが。
それよりはストレートを磨いた方がいい。
別に将来MLBに行くわけでもなかろうに、どうして直史がそこまでやるのか、辺見にはようやく分かっていた。
直史は単純に、投げるのが好きなのだ。
だから二度とないであろう、MLBの標準球を使ったピッチングを、ここまで試しにやってしまう。
これは才能ではないな、と辺見は思う。
もちろんある種の才能ではあるのだが、むしろそれよりは執着だと感じる。
それもまた、才能の種類の一つだと言ってしまえば、その通りになるのであろうが。
「おお、曲がる曲がる」
今回の場合は楽しそうにしているのは、武史のほうが大きいであろう。
ナックルカーブとチェンジアップ以外に、武史は大きく変化する球を持っていなかった。
それがボールが変われば、鋭い変化球が投げられるのか。
プロの選手でもMLBに行くと、使う球種が変わる者はいる。
おそらく武史のように、雑な人間には雑なボールの方が、投げやすいのだろう。
もっともある程度手が大きくないと、使える球種は一気に減るだろうが。
基本的に体の柔らかい直史であるが、一番柔らかいのは指である。
おかげで投げられなくなる球種というものはない。
スポッと抜くタイプの変化球も、むしろ投げやすくなったので。
そして考えるのは、このボールに慣れたピッチャーが選択しやすい球種と、そんなピッチャーの球を打つバッターの思考である。
ムービング系の球の全盛から、打つ側はフライボール革命へシフトした。
今はブレーキング系の大きな変化球と、長打になりやすい高めのストレートをしっかりと投げることがトレンドだという。
大きな変化球、つまりカーブは直史にとって一番、好き放題に操れる球種だ。
それはボールがこのMLB基準の物になっても変わらない。
パワーカーブやスローカーブ。そしてドロップなど、様々なカーブを投げることが出来る。
メジャーリーガーが複数所属する国のチームを相手に、もっと試してみたい。
少なくともキューバの代表は、あっさりと打ち取ることが出来た。
ストレートによる空振り狙いも有効であった。
なおオーストラリアにはMLB傘下のマイナー球団があるので、MLN標準のバッターが揃っていると考えて良いだろう。
イタリアは国のリーグとは別に、イタリア系のメジャーリーガーで、両親のどちらかの国籍などがイタリアにあると、イタリア代表として出ている場合がある。
生粋のイタリア人は少ないが、イタリア系のメジャーリーガーはそれなりにいて、今回も参加している。
またイタリアのリーグからは、アメリカのマイナーに選手を送り込んで、レベルの向上も考えている。
つまるところイタリアは、アメリカ系の野球と考えていい。
なおプロスポーツと言うにはその給料は少なく、レベルもさほど高くはない。
やはりメジャーリーガーをどれだけ召集出来ているかが、国としてどれだけ強いチームを作れるかの問題になるだろう。
そして宿舎に戻った直史は、色々な思惑の末に、オーストラリア戦で先発をすることになるのである。
別に文句があるわけではないが、アマチュアを先発に持って来るというのは、随分と大胆な起用だ。
今度はさすがに50球までを投げてもらうということで、バッテリーも組み慣れた樋口とのコンビだ。
「50球までなら中一日の可能性もあるのか」
「まあ最後の対戦相手はイタリアだし、そんな出番もなさそうだけどな」
五回コールドにしてくれたら、一人で最後まで投げきるつもりの直史であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます