第170話 常勝軍団

 常勝軍団などと言われていても、スポーツであるからにはある程度からは技量の差が拮抗してきて、本当に全ての試合に勝てることなどなくなってくる。

 だがこの二年間の早稲谷は、本当に常勝という言葉がおかしくない、圧倒的に強大なチームであった。

 西郷を中心に、上位打線は打力が高く、下位打線でも色々としかけてくる。

 この打線をどうにか封じるのが、まず尋常でなく難しい。

 ちょっと油断してしまうと、普通に二桁得点取られてしまうのだ。


 そしてそんな打線よりもなお、投手陣から点を取るのが難しい。

 リーグ戦で最後に負けたのが、去年の春の東大との戦いである。

 逆に言うと東大は、早稲谷相手によく一勝出来たものである。

 もっともその東大も、直史からは点を取れなかった。

 そして武史も、まだ直史よりはマシとはいえ、完全試合やノーノ―を複数記録している。

 それでも完封されなかった試合もあるだけ、本当にまだマシだと言えるだろう。


 だが今日の先発は直史だ。

 この間は雨に苦しんでいたが、結局は無失点。

 天運さえもが直史を苦しめても、それでも結局は失点の記録が消えている。

 せめて一度ぐらいは、点を取りたかったものである。

 いや、試合はこれから始まるので、まだ過去形で言うのは早いのであるが。




 慶応から中京フェニックスに、外れ一位ではあるが、一位指名された竹中。

 実はレックスも、二位指名で狙っていたのである。

 だが一位指名にさせるまでは、鉄也のプレゼンも実らなかった。

 西郷と悟に氏名が集まり、他はピッチャーを獲得した今年のドラフト。

 結果論ではあるが、最初から指名しておけば、竹中は取れたのだ。


 鉄也としては今年も、自分のメイン担当地区から、二人の選手を指名させるのに成功した。

 話も既に通してあり、来年からプロの舞台で活躍することになる……かどうかはまだ分からない。

 素質があって、本人にやる気があっても、怪我でダメになってしまうのがプロ野球選手だからだ。


 その竹中のいる慶応と、常勝軍団早稲谷との早慶戦。

 神宮に出るであろう西郷はともかく、竹中はこのリーグ戦が最後になる。

 球団としてはもう、指名したのだからあとは怪我無く来てほしいと思っているだろうが、そう言って試合を休ませるわけにもいかない。

 早慶戦で、しかも大学最後の試合であろうこのリーグ戦、出場しないという選択肢はないのだ。


 この秋のリーグも、西郷と竹中は首位打者を争っている。

 ホームランもポコポコ打てる西郷が、打率もいいというのは詐欺のような性能であるが、実はスラッガーとしてはかなり西郷の方が上なのだ。

 最も竹中は、樋口ほどではないが走ることも出来るキャッチャーである。

 直史も武史も相手にしなくていい西郷が、首位打者を竹中と争っているというのは、実力では竹中の方が打率はいいということでもある。




 四年生のための最後の試合、直史は当然のように先発である。

 竹中とは代表ではほんの少し組んだが、それよりはやはり敵として対戦した時の印象の方が強い。

 高校時代は大阪光陰の正捕手として、加藤、福島、そして真田をリードして、白富東を苦しめた二年の春と夏。

 大学に入ってからは、慶応の正捕手として、早稲谷の打線をかなり封じ込めていた。

 もっとも直史の代、近藤たちが打線の主力になってからは、ロースコアに抑えることは難しくなったが。


 あとは竹中は、ここも樋口と似た、クラッチヒッターの面も持っている。

 悪逆非道の樋口とは違うが、相手の思考の裏をかいてくるのだ。

 慶応にもう少しいいピッチャーがいたら、早稲谷とももっといい勝負が出来ただろうに。


 今年の春には、直史にノーヒットノーランをされている慶応であるが、去年の春には自責点ではなかったとはいえ、直史から一点取っているのは慶応だけである。

 その失点の恨みから、次はノーノ―をやられてしまったのかもしれないが。

 おそらく現在の六大学の実力は、早稲谷>>>帝都>慶応>法教>立政>>>東大といったところである。

 直史も慶応を相手にした試合では、先発完投したことが少なかったため、それほど驚くような数字は残していない。

 24奪三振だとか、完全試合だとか、そういったものをどうにか阻止しているのが慶応である。

 

 そしてこの日の試合も、竹中は魅せてくれた。

 三番に入っていた竹中は、一回の表にツーアウトから、直史のカーブをセンター前へ。

 初回からいきなり、パーフェクトもノーヒットノーランもなくなったのである。

 

 ここで少しでも落ち込めば、可愛げもあるだろうに。

 さすがに盗塁までは狙わないにしても、少しリードを多めに取る竹中。

 直史のオリハルコンメンタルは知っているが、雨天であった前の試合でも、直史はどうしようもないヒットを打たれていた。

 感覚を既に戻しているであろうが、それでも竹中が打てた。

 わずかではあるが、隙はあるのかもしれない。


 直史はヒットを打たれても気にせずに、いつも通りに投げる。

 相変わらずテンポが速く、リズムを合わせることが難しい。

 いまさらながらどこか球種の癖などはないのかと、じっくりと見ていく竹中である。

 おかげで樋口が投げた牽制球で、危うくアウトになるところであったが。


 ランナーを一塁に釘付けにしておいて、バッターをしっかりと三振に取る。

 一回の表のランナーは、衝撃の展開へとは続かなかった。




 かつては早稲谷も完全な野球推薦などは取っていなかったものだが、これも時代の流れか。

 六大学の中では慶応の方が、選手は集めにくくなっている。

 それでも完全に学力で入学するしかない東大に比べれば、まだマシな方であろう。


 良いピッチャーを集めるのが難しい。

 それでも大学の環境で鍛えながら、通用するところまで力をつけていく。

 ドラフトの育成にかかるようなレベルまでは成長させる。

 ただ実際にドラフトにかかる選手は、早稲谷よりは少ない。


 もしも他の条件が全て一緒であったら、直史は慶応に行っていたかもしれない。

 竹中という優れたキャッチャーがいることを、知っていたからだ。

 色々と融通をきかせてくれる大学の姿勢は、直史にとっては都合のいいものであった。

 だが早稲谷でなければいけないという理由は、直史には全くなかったのである。


 一回の裏に先制した早稲谷は、そのリードを守る気が満々である。

 直史はこの試合、ややギアを上げた状態で投げている。

 普段の投球が手抜きというわけではないが、球速をやや速めにして、ストレートで押す場面が多い。

 それは前の試合で狂った肉体の、微調整という面もあった。

 だが竹中に一回にいきなり打たれてから、慶応が何か、自分を打てる方法を見つけたのではないかという不安もあったのだ。

 そんな不安を叩き潰すのが、エースである。


 バックを守る守備陣からの、絶対的な信頼感。

 直史はゴロを打たせることを優先しつつ、機会があれば三振を奪いにいく。

 毎回三振とはならず、必要なところで三振を取る。

 なので今日は三振の記録などもなければ、球数が極端に少なくなることもない。

 直史を打つための、消極的だが有力な手段は、とにかく球数を投げさせることだ。

 とは言っても普段から八分の力の変化球を投げているため、スタミナを削るのには無理があるのだが。




 二打席目の竹中との勝負、直史はボール球から入った。

 とは言っても内角の、ちょっとずれればデッドボールになるコースである。

 竹中は避けたものの、それほど大げさな避け方ではない。


 二球目はそこから、沈むスライダーを投げてみた。

 バットが出ることはなく、ボールカウントである。

 ボール球が先行してしまって、直史と樋口は考える。

 ここで歩かせてしまってもいいものかどうか。

 打線が追加点を取ってくれていない以上、失点は避けたい。

 たとえ後半、ボールに目が慣れた強力打線が、その本領を発揮する期待があっても。


 際どいところに二つ投げたが、フォアボールである。

 直史としては一試合に一級もフォアボールがないという方が、二球以上のフォアボールを投げるよりも多い。

 珍しいことであったが、次の打席ではしっかりと勝負をするつもりだ。


 ストレート主体のコンビネーションで、その後続の打線を打ち取る。

 さすがに四番にバントはなかったが、五番はやってきた。

 だがそのストレートを上げてしまい、直史が前進してキャッチ。

 竹中は一塁に釘付けである。


 野球は失点しなければ、いくらランナーを出そうと負けないゲームである。

 直史も樋口も、それははっきりと分かっている。

 基本的にはグラウンドボールピッチャーとしてゴロを打たせる直史は、この回も無失点。

 初回のヒットの一本も含めて、出塁したのは竹中だけである。




 竹中とは最後の勝負なのだろうな、と思うと少し感傷的な気分になる。

 プロとアマチュアの境界線が、そこにはある。

 せめて竹中が在京球団にいるなら、いずれ直史がクラブチームにでも入って、対戦することなどはあるのかもしれないが。

 あるいは随分と年を取ってから、草野球の場所で出会うか。

 三打席目が回ってくる。


 ランナーは二度出した。

 だがそれ以外は完全に抑えている。つまり三番の竹中に四打席目が回ってくる可能性は低くなっている。

 逆にここで竹中が出塁すれば、もう一度最後に回ってくる可能性がある。

 しかしわざとランナーを出して対決するほど、直史は竹中との勝負に執着していない。


 スルーから入る。

 他の変化球ほどの精度はないと言っても、だいたい四分割程度には操れるようになった球。

 竹中はバットを振らず、それを見送った。

 あの夏を思い出す。

 大阪光陰にとっては、前人未到の四連覇を阻まれた夏。

 高校野球の最後の夏を、最後まで勝って終わることが出来なかった。

 甲子園で直史と対決することは、もうない。

 神宮で対決することも、もうない。

 最後だからこそ、打っておきたい。

 初回のような決め打ちではなく、相手も完全に集中した、打ち取るためのピッチングから。


 二球目はストレート。

 ゾーン内の球だが、竹中はこれに手を出さなかった。

 ぐんと伸びてきて、ホップするようにさえ見えた。

 球速は現在の野球では、プロの中で平凡な直史。

 だがその球質は間違いなく、トップと比べても一級品であろう。


 日米大学野球や、日本代表壮行試合において、練習でボールを受けたことはある。

 だが試合の中のひりひりした場面で、直史と組んだことはない。

 今から思えば機会はあったのだから、組んでいればよかった。

 この変化球を捕っていれば、必ず自分の野球人生においてはプラスになったはずだ。

 樋口のことが、うらやましいとも言える。


 全ての変化球が、トッププロの決め球と比べても、遜色のない変化球投手。

 だが中でも多用するのはカーブである。

 最後はカーブで来るかと思ったが、速い球だ。

 この軌道はスライダー。

 切れ味鋭いスライダーを追いかけたバットは、かろうじて当たってファールになった。


 マウンドの上で、苦しい表情を見せない。

 それはエースとしての条件だろう。

 コントロールがぐちゃぐちゃになっていたあの試合は、かなり表情が憮然としたものになっていたが。


 もっと楽しんでもいいのに、と思う。

 竹中がプロへの道を選んだのは、色々と打算はあるが、高いレベルで野球を楽しめるのは、若いうちだけだからだ。

 もちろん野球というのは、バットが振れて球が投げられれば、何歳からでも楽しんだらいいものだ。

 だが、己の可能性を試したいと思い、それが可能であるのは若いうちだけだ。


 佐藤直史には、そういった感情はないのかもしれない。

 中学時代には完全に無名であったが、一年の夏から県大会で、いきなり名前が出てきた。

 決勝では味方のエラーで敗退したが、勝ち上がってきたら甲子園で当たっただろうか。

 そう考えても、どうせ次の春には対戦しているのだ。

 雨の中の試合は、経験の豊富な大阪光陰が勝利した。

 だがあの試合でも、雨が降っていなかったらどうだったのだろうか。




 直史は冷静に、最後のボールを選択する。

 樋口のサインには頷いた。

 投げられたボールは、ストレートに見えた。

 だがそれは一瞬。遅い。


 チェンジアップ。そう判断して、竹中はスイングを開始する。

 だがチェンジアップにしては伸びがあり、沈まない。

 スイングの修正が間に合わず、しかしながらカットも出来ず、打ち上げてしまった。

 キャッチャーフライ。樋口のミットに、ボールは収まった。


 いいな、と竹中は思った。

 こいつと組んで好き放題に投げさせたら、さぞ楽しいだろうな、と思ったのだ。

 全てはもう、不可能なことであるが。

 どこかで少しでも運命が動けば、バッテリーを組むことはあったかもしれない。


 この日、慶応が出したランナーは二人。

 ヒットとフォアボールで、竹中が出たのみであった。

 早稲谷は一回の後、一点だけ追加点を入れたが、全体を見れば投手戦に近かった。

 実のところはキャッチャー対決であったのだが、組んだ相棒に差がありすぎた。


 全勝優勝まであと一勝。

 そして直史は、己の役割を終えたのであった。

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