第39話 解説の佐藤さん

 甲子園の準々決勝。

 直史と瑞希は、この日の試合は最初から最後まで観戦するつもりでいた。

 帽子とタオルは必須であり、あとは水分補給もお忘れなく。

 一塁側スタンドの上部、選手は小さく見えるが、それでもここまで熱気が伝わってくる。

「さあ、第一試合は山口県代表の明倫館高校と、神奈川県代表の横浜学園第一高校の試合になりましたが、どう見ますか、解説の佐藤さん」

「う~ん、そうですね。やはり総合力の高いヨコガクに対して、明倫館はどれだけその隙を突いていくか、逆に言えばどれだけ隙を見せないかという戦いになると思いますね」

「すると佐藤さんの見解ですと、横浜有利と?」

「選手たちのスペック自体は、やはり全国から選手を集めているヨコガクに軍配が上がると思いますが、それだけで済ませるわけにはいかないのが明倫館だと思いますよ」

 小芝居のような直史と瑞希の会話に、隣のセイバーは呆れたような顔を向ける。

「貴方たち、もう結婚したら?」

 そう言われると照れるあたり、まだこの二人は円熟味が足りない。


 真面目な話をすると、直史は明倫館が勝つと思っている。

「どうして?」

「なんとなく」

 直史にしては感覚的な話である。


 明倫館もヨコガクも、強いことは強いチームだ。

 ヨコガクなどは全国制覇も何度もしているし、神奈川湘南が選手の獲得に失敗してからは、完全に東名大相模原と、神奈川の両雄として並び立っている。

 神奈川で勝つというのは、特別なことなのだ。

 大阪で勝つことの方が、まだ大阪光陰と理聖舎の二強情静であるため、どちらかを選べばいいと言えるほど、神奈川は二強以外にも強豪が集結している。


 もう自分には関係のない次元のことなので、直史は両者のデータを集めていない。

 だから過去のデータから類推するしかないのだが、センバツの明倫館は強かった。

 入学式前後で忙しかったので、母校の成績ぐらいしか知らないが、明倫館と当たったのは知っている。


 明倫館の特徴は、選手が個性的だがまとまっているというものだった。

 シニア時代から同じチームのメンバーを率いて戦っているので、そのあたりの指導の一貫性が、チームにまとまりを与えているのだろう。

 二年と四ヶ月の間に、どうやってチームを作るのか。

 普通なら大変なそこが、明倫館には既にアドバンテージがある。

 あとヨコガクよりも明倫館の方が戦いにくいという、自分自身の実感もあった。


 明倫館の監督は、大介の父である。

 大介曰く、最初のキャッチボールとスイングのフォーム以外は教えてもらってないそうだが、だからと言って指導力がないわけもない。

 一番最初のキャッチボールを教えてもらったというのは、かなり重要なことではないのか。

 野球は基本的に、投げて、打って、捕るスポーツである。

 その基本の三つを、ちゃんと教えたのだ。元プロ野球選手が。


 プロ入りし、二軍から成果を出し、ようやく花開こうとした矢先に、選手生命を奪われる。

 そういった絶望的な挫折を経験した人間は、危機管理能力に長けている。

「監督としての資質とはまた別なんだろうけどな……」

 直史はそう呟いた。




 第一試合は直史の予感どおり、明倫館が勝った。

 スコアは4-3で、先制されてからの逆転勝ちである。

「う~ん」

 予想は当てた直史であるが、試合の展開というか、采配には疑問があった。

「何か?」

「いや、ランナーを出しての即継投が多かったっていうか。あのピッチャー、ひょっとしたら何か欠陥でもあったんですかね?」

 エースとしてはかなり相手を封じていたのだが、ランナーが出ると他のピッチャーへの入れ替えというのを何度も行っていた。

「聞くところによると、ランナーをサードに背負うと途端にパフォーマンスが落ちるようですね」

「サードに行く前、ランナーが出た時点ですぐ交代か」

 そんな極端な継投をして、大丈夫なのだろうか。

 試合に勝つためだけなら、もっと早くにどうにかしておかなければいけない欠点だろうに。

 だがそんなピッチャーを上手く使って、どうにか試合を勝った。

 しかしかなり、継投は危なっかしい。


 準決勝で白富東と戦った場合、おそらく勝つ確率はかなり高いだろう。

 だが決勝を意識して、どれだけ準決勝だけで消耗せずにいられるか。

 そんなことを考えている内に、第二試合が始まる。




 津軽極星はエースの南部が今年の春から、一気に球速を伸ばしてきた。

 元々東北の強豪校ではあったが、このエースの力が突出したことによって、短期決戦の突破力を手に入れた。

 対する福岡城山も、強打のチームではある。

「では解説の佐藤さん、第二試合の展望はいかがでしょうか」

「そうですね。夏の地方大会から急激に成長してきた津軽極星の南部君、これに福岡城山がどう対応するかで勝負は決まるでしょうね」

「どう対応とは?」

「南部君は確かに150kmを投げてここまで急成長したピッチャーのようですが、去年までの登板機会があまり多くないんですよね。本来ならそこを攻めるべきなのでしょうが」

「福岡城山はそうではないと?」

「小技が使えないチームではないんですが、基本的には強気に打ってきます。ただそれが拙攻につながる場合もありますからね」


 直史は野球の解説者としての才能はあるようだ。

 試合は直史の予想したとおり、福岡城山はエース南部の正面からの撃破を目論む。

 しかし内野が声を掛け合って、南部の集中を途切れさせない。


 そして先に点を取り、南部が投げるのを楽にさせた。

「福岡城山というチームはなんというか……諦めが早いというわけじゃないんですけど、あまり泥臭くないというか」

 ビッグイニングを作った時の打撃の能力は高いし、守備も乱暴ではあるがエラーは少ない。

「これも相性なんでしょうけど、南部君には比較的楽なタイプの相手ではなかったのかな、と」

 直史の指摘は的中する。


 津軽極星はチャンスを得るとそこをこじ開け、追加点を取っていった。

 福岡城山もそれで集中力が途切れてしまうというわけではないのだが、何が何でも相手を崩すという姿勢が見れない。

「バントなどで揺さぶってきましたが、これは南部君を楽にするだけかもしれませんね。点差があるので、アウトを一つずつ取っていく。取らないといけないアウトの数が少なくなればなるほど、南部君は楽になりますよ」

 4-0の点差から、ホームランが出て4-2となる。

「これはどうですか、佐藤さん」

「まあ点を取られたのは仕方ないでしょう。それにランナーがいなくなったということも大きいですね」

 ここで連打で得点し、ランナーが残っていた方が、次に立てる作戦は選択肢が広がっただろう。


 あとは、次の一点だ。

「次の一点を取った方が勝つかもしれませんね。南部君は一度きつくなったところに、もう少し心の余裕が出来ますから。福岡城山は一点差に出来れば、嵩にかかって攻め立ててきますよ」

 この直史の予測は完全に正しかった。

 津軽極星が五点目を入れたところから、南部の伸び伸びとしたピッチングが復活。

 結局は5-2で勝利したのである。


 直史は試合の潮流を見る目があるな、とセイバーは思う。

 まあプレイヤーとしては超一流であったのは確かだし、打たれてはいけない場面では必ず抑えていた。

 ピッチャーとバッターとでは全く違うという意見もあるだろうが、大介は打って欲しい場面で必ず打つバッターではなかった。

 それは二人の差とはいえないが、どちらかというとセイバーは、単純に重要な場面では、直史の方が頼りになると思っている。

 なにせバッターは、きてほしいところで打順が回ってくるとは限らないのだから。




 第三試合は、大阪光陰と日奥第三の戦い。

 言うまでもなく優勝候補の大阪光陰であるが、西東京という強豪私立の多い代表の日奥第三も、かなりの強豪ではあるのだ。

 あの地区は早大付属に東名大菅原、烈士館に鶴ヶ峰といった甲子園出場のみならず、かなりいいところまで勝ち進んでいるチームが多い。

 今年も西東京は早大付属と思われていたが、そこを破ってきたのだから、弱いはずがない。


 大阪光陰の試合だけに、直史の観点には興味がある。

「ここは間違いなく大阪光陰と言いたいのですが、一つだけ懸念もあるんですね」

 直史の言葉にセイバーも同感であった。

 そしてその予感は的中する。


 大阪光陰の先発は真田ではない。

 センバツの決勝でも投げた緒方だ。いいピッチャーではあるが、真田に比べるとかなり格落ち感はある。

「真田君の状態はどうだと思う?」

 セイバーの問いにも、気のきいた答えなどない直史である。

「最近はもう高校野球はフォローしてないんで。どうせセイバーさんは知ってるんでしょ?」

「完治はしてるはずよ。予選でも甲子園でも、一試合は完投してるし。念のためでしょうけど」

「センバツからここまでの時間で、確実に治ってると?」

「不安があるからこその継投でしょうね」

「まあ大阪光陰は継投が基本だから、逆に一試合完投させたというのが、まだ不安があったんでしょうね」


 試合自体は比較的地味に進んだ。

 どちらのピッチャーも長打を打たせないピッチングで、点が入るのはランナーを進めてからの戦術的なプレイ。

 連打を許さないピッチャーは、どちらも上手い。

「緒方君も142kmまで出してきたのね」

 春の段階では、まだ140kmも出ていなかったのだが。


 だがやはり、勝負の流れを決定付けるのはホームランなのか。

 後藤のスリーランで、一気に大阪光陰は点差をつけた。

 そしてここでピッチャーも真田に交代である。

「残り三イニングか。緒方はショートにして、6-3だから、まず決まりでしょうね」

 直史の見たところ、投球練習をする真田に違和感はない。

 少なくとも本人は、肩や肘を庇う様子はない。


 直史の目からすると、真田は復活している。むしろ成長している。

 おそらくは投げられない間、下半身のトレーニングはしたのだろう。フォームの安定感がさらに増している。

「これは決まったかな」

 直史としては、真田が三点を取られるという光景が想像出来ない。

 高校時代に多くのエースと投げ合った直史であるが、一番苦戦したと言えるのが真田であるのは、大介と同じ感想である。

 そして二番目も坂本で一致している。




 予想は正しかった。

 真田のスライダーは相変わらず大きく変化しているらしい。スタンドからはむしろ見えにくいのだが。

 ただ三イニングであるのだ。カーブとストレートもほどよく混ぜて、必殺のスライダーを効果的に使っている。

 ストレートも150kmが出ており、完全に復活したと言ってもいいだろう。

 パーフェクトリリーフで、6-3の点差は変わらず、大阪光陰が準決勝に進んだ。


 さて、最後の試合は白富東である。

 対戦相手は帝都一で、おそらく今日の試合の中でも、一番待ち焦がれた観客が多いであろう好カード。

「あれ? 甲子園では初めての対戦だっけ?」

 関東大会や練習試合では散々に戦っているが、実はそうなのである。

 お互いに隣の地区なので、かなり戦力の分析は完了しているはずだ。


 さて、この試合の直史の予測は?

「身内がいるから冷静に判断出来ないな。関東大会では勝ってるわけで、帝都一もスタメンに一年は入ってないから、順当に勝てるんじゃないかな」

 そうとしか言いようがない。


 スタンドからこうやって応援するというのは、やはり実際にプレイするのとは違う感覚がある。

 なるほど、自分の手が届かないところで選手たちが動くというのは、心配になってもおかしくはない。

 瑞希の書いた文章が、あくまでも客観性を失わない範囲でも、読者の感情に訴えかけてくる理由が分かる。

「ここから試合を見ていて、どう思う?」

 セイバーの問いかけに、普通に直史は答える。

「もう甲子園では試合はしないんだなって」

 甲子園球場の熱気というのは、神宮とは違ったものだ。

 学生野球相手でも平気で野次を飛ばす者がいるので、猥雑な感じはこちらの方が強い。


 直史が今後試合をするとしたら、ほぼ神宮か東京ドームのどちらかになるだろう。

 この間の全日本は日程の関係で東京ドームが一度もなかったので、来年は一試合ぐらいは東京ドームでも戦ってみたいものだ。

 神宮は高校でも神宮大会で試合をしたので、目新しさというものがない。

「国際大会で甲子園が使用されることはあるかもしれませんけどね」

「国際大会は出場しなくてもいいんで、まあここで投げることはないですね」

 あっさりと直史は言う。


 甲子園への感傷は、直史も持っている。

 だがそれは、過ぎ去った過去へのものだ。

 たとえばこの先、直史がクラブチームに入ってその大会などに出たとしても、全国大会はおおよそ東京ドームで行われる。

 甲子園を使う機会は、確かなんらかの国際大会ではあるかもしれないが、直史が大学との契約において出場の義務があるのは、あくまでも通常の大学の公式戦のみである。

 つまり春と秋のリーグ戦に加えて、全日本大学野球選手権大会と、神宮大会の二つだけだ。

 もちろんこれは出なくてもいいだけで、直史が出たいと思えば別なのだが、日米大学野球などは、全く興味がないので出なかった。


 それでも割と接戦が多かったので、あちらも強いチームではあったのだろう。

 来年は日本で行われるので、それならば参加してみてもいいかもしれない。

「大学野球は楽しい?」

「楽しくないですね」

 レベルの高さはさほど感じないし、勝利の達成感も薄い。

 チームへの帰属意識がうすいからだろうな、と自分でも思っている。

「じゃあ卒業したらクラブチームに?」

「そっちは前向きに考えています」

 ノンプロのトップと戦うトーナメント戦というのは、それなりに楽しいものではないかと思えるのだ。

 それに甲子園と比べると、神宮はどことなく堅苦しい。


 直史の態度にも言葉にも、まだ野球に対する飢えがない。

 彼がより高いレベルで野球をしたいと、もう一度思えるようになるかどうか。

 エースの行く先がどうなるか、まだ誰も知らない。

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