第89話 神奈川の夜
別に野球のことなんか好きでもなんでもないんだからね、と自分さえも騙しているツンデレである直史だが、さすがに大介の活躍ぐらいは自然と耳に入ってくる。
まあ一年目から三冠王という、マンガでも盛りすぎの圧倒的な活躍であったが、今季は直史の常識すら超えている。
四割に到達するのか?
まあ甲子園でも八割を打っていたのだから、プロになっても傑出する数字は残すのだろうなとは思っていた。
だが直史は勘違いしていた。
プロに行けば上杉レベルはともかく、真田レベルのピッチャーならば普通にいると思っていたのだ。
大介の二年目、そして真田がデビューして、圧倒的なピッチングを披露している。
上杉の165kmというストレートに比べると分かりづらいが、真田だって実城と玉縄のいた、最強世代の神奈川湘南を完封しているのだ。
大介の対真田の成績は、おそらく二割も打っていないはずで、やはり真田も立派な化け物なのである。
いくらなんでもそのうち三割台にはなると思っていて、実際に五月には打率は下がっていった。
だがまた上がって、下がって、そして上がる。
これはもう四割は行くな、とさすがの直史も甲子園が始まる頃には思っていた。
それにしても大介は、打率が四割ないと月間MVPを取れないのか。
さすがに気の毒に思う直史であるが、そもそも大介と同じ時代に生まれたことが、他のほぼ全ての選手にとっての不幸なのである。
――ごくわずかの例外が自分であることを、直史はまだ理解していない。
神宮でライガースが試合をしている間、直史たちは神奈川のグローリースターズの試合に招待されていた。
タイタンズ相手のこの試合、二位争いをするスターズには大切な一戦で、上杉が先発となっている。
16人が入れるVIP席に、直史たちは招待された。
人員としては直史、武史、瑞希、明日美、恵美理。ここまでは割とはっきりした人数である。
加えて星、西の二人に、明日美側の人間は鷹野瞳に水沢瑠璃が入っていて、明らかにお見合いと言うか合コンもどきの集まりである。
カップルから一人脱落している明日美のために、東大組の谷山美景と竜堂葵がいて、それに久しぶりのセイバーと早乙女がいるわけだ。
そして一番意外というか、ここまで人を集めたらこいつもと言うべきか。
イリヤがケイティと一緒にいた。
テレビには色々と出演しているらしいイリヤだが、基本的にはツインズとケイティが一緒にいることが多い。
日本、ドイツ、スイスの部品加工技術に優れた国が集まっているが、それを言うなら恵美理もイギリスの血が入っている。
これにセイバーがアイルランド系のアメリカ人、ただしソウルは日本ということで、なんだか不思議な集まりになっている。
なんだか男が少なくてバランスが悪いなと思っている直史であるが、実質明日美の知り合いは、恵美理までが明日美ファーストでお世話を焼いている。
聖ミカエルの野球部は、そのまま明日美のファンクラブだとか言われていたが、あながち間違ってもいない話である。
ただここにいる全員が、野球部にいたわけではないが。
混雑するずっと前、昼過ぎに入った一行は、なんとグラウンドに降りて、選手たちと話したりサインを貰ったりすることが出来る。
「野球選手ってどうして大きい人多いの!?」
葵はそんなことを言っているが、基本的にスポーツはデカイ方が正義なのである。大介のようなのは例外中の例外と言うより、もっと純粋に奇跡だ。
顔面偏差値の高い女子大生に近寄ってくる選手たちだが、芸大だの東大だのと肩書きを聞くと、うっとわずかに後ずさりする者もいる。
スポーツ選手の中には一定数、学歴コンプレックスを持っている者もいるのだ。
逆に学歴のある人間に対して敵対的な場合もあるが、女子相手にそれはちょとかっこ悪い。
それにスターズの選手たちが気にするのは、野郎共の中の二人、特に一人である。
佐藤兄弟だ。
プロ野球において最強の兄弟は上杉兄弟で間違いないが、それにアマチュアまで加えると、佐藤兄弟の方が上ではないのかとも言われる。
四人が全員、甲子園でノーヒットノーランを一度以上達成しているのだ。
直史のあれはあくまでも参考パーフェクトであって、正式にはノーヒットノーランなので。
先日行われた日米大学野球なども、同じ野球のジャンルゆえに、そこそこ気にはしていた。
だが出てきた結果が驚異的である。
盛り上がるプロ野球のシーズン中にも関わらず、マイナーなはずの大学野球がスポーツニュースの一番にやってくる。
それはもう、本職からするとアマチュアが何をという気分になるのだが、考えてみれば高校時代の上杉は、既にプロでもトップのスペックを持っていた。
さらに言えば直史と上杉の、正反対のように見えるピッチャーに共通することが一つ。
二人とも、年を重ねるごとに成長していっているということだ。
化け物がさらに成長していって、上杉などは神様扱いされているが、まああながち間違ってもいないかもしれない。
神奈川の他に直史とある程度関わりのある選手としては、他に玉縄や明石といったところか、
大滝は一応練習試合でも戦ったが、どちらかというと大介にボロクソに負けた因縁の方が強いだろうし。
玉縄も大滝もローテ入りしているので、練習と言ってもノースローかキャッチボールぐらいである。
直史の場合はよほどのことがない限り、投げる日でもある程度調整はしていたが。
上杉の姿が見えないが、試合の前に少し体をほぐすぐらいなのだろうか。
周囲からの視線が痛いなと思いつつ、直史は見物している。
神奈川投手の強いチームであるが、バッターでもそれなりに打っている者はいる。
外国人にある程度頼ってはいるが、ローテはほぼ日本人で、上杉と同期の峠が、今年はセーブ王を取るぐらいの勢いでセーブを稼いでいる。
下手すれば三連投などもあるクローザーは、もちろん激しい練習はしない。
直史の場合はなんだかんだ言いながら、練習をしないと技術が維持できないタイプなのだ。
お前そんなこと言いつつ、普通に一ヶ月ぶりの試合でノーノー達成してるよな、と周りは言っているのだが、本人的には90%の出来なのである。
やはり95%ぐらいは仕上がっていないと、試合で投げるのは怖い。
なんだかんだ言って同年に岩崎、それにアレクや武史がいなければ、甲子園で最後までは投げきれなかったと思う。
「プロの練習は見ていてどうですか?」
セイバーにそう言われるが、どうと問われても困るのだ。
「まあ、大介レベルのバッターって本当にいないんですね」
「それは当たり前です」
あんなのが同じ時代に二人も三人もいてたまるか。
セイバーの言うのは、自分と比較して、とのことだろうか。
だが直史はわざわざ、プロの選手のデータまでは持っていない。
ただ、投げても負けることはなさそうだな、とは思う。
「ノーヒットノーランは難しそうですね」
「本当に?」
あっさりやってしまいそうなのが直史であると、セイバーはこの青年を過小評価はしない。
高校時代に直史のデータは、出来る限り取ってきていた。
他のあらゆるピッチャーと比べても、とにかくコントロールが異常なのだ。
ストレートでコーナーを狙う程度のことは、直史にとってはコントロールとは言わない。
変化球でゾーンをかすらせてくることも多いし、スピードのコントロールもある。
チェンジアップと言い切れないチェンジアップを使って、ストレートに見せかけて凡打を打たせるのだ。
球場の中を歩き回って、またVIPルームに戻ってくる。
これであとは対戦相手のタイタンズの練習を眺めて、その間には甲子園中継なども見る。
テレビで試合の中継を見ながら、応援するファンの様子も見るのは、何か下界を見下ろしているようにも感じる。
甲子園は、今年も色々とドラマを演出している。
だが当事者だったので分からないが、あの夏ほどの麻薬的な甲子園は、もう二度とないだろうと、セイバーなどは思う。
秦野に任せた、いわゆるSS世代の最後の夏。
甲子園の視聴率が、とんでもないことになった最後の一年。
あれは大阪光陰にも、真田という傑出したピッチャーがいたからこそ起こった名勝負である。
しかしなんだかんだ言って、あの試合の主人公は直史だったと思うセイバーである。
決勝の再試合を含めて、24イニング無失点というのは、怪物と言うよりは神の領域に近い。
大阪光陰には既にプロでも活躍している、後藤などといったバッターもいたのだ。
やがてまだ明るい夕方、試合が始まる。
神奈川と巨神は二位争いをしていて、神奈川が有利な状況にある。
だが今年も出遅れはした巨神も、後半にかけてチーム状態はかなり良くなってきている。
しかし、相手が悪すぎる。
「また三振……」
呆れたように言葉を洩らす武史であるが、お前は人のことは言えないだろう。
打線の援護が少ないと言われる神奈川であるが、終盤にまでリードして九回に持ち込めば、守護神と言われる存在がいる。
上杉と同期で高卒からプロ入りした峠。
一年目にも活躍したが後半戦は怪我で欠場、二年目はリハビリをして前半を過ごし、後半戦でわずかに投げる。
三年目は最初は中継ぎ、そして先発、終盤はクローザーと使われ方が二転三転したが、今年はクローザーとしてセーブ数のトップを走っている。
この選手も含めて、神奈川は投手の強いチームだと言えるだろう。
4-0という点差で、上杉はリリーフに後を託す。
まだまだ余裕がありそうに見えるが、今年も上杉は時に中四日を混ぜて投げていて、これが27先発目なのだ。
勝てば23勝無敗となり、これまた記録の達成に近付く。
ライガースとは今年は四試合先発しており、二勝二分。
大介とまともに勝負して、取られた点が二点だけと、とんでもない強さである。
とんでもない試合を見せられたなと思う直史であるが、セイバーの目的の方はなんだったのか。
武史にはレックスを志望しろと言っておいて、そのレックスとライガースの試合ではなく、タイタンズとスターズの試合を見せるのはどういう意図か。
「直史君はちなみに、プロ野球ではどの球団を応援しますか?」
「別にどこも。強いて言えば千葉かレックスですが」
地元愛の強い直史であるが、別に野球に好みはない。
逆に嫌いなチームなら色々と言えるのだが。
マイナス評価の少ない球団はセなら広島と大京と大阪、パなら埼玉と北海道と神戸といったところである。
実は地元の千葉のこともそれほど好きではないのだが、愛着はある。
「早稲谷の選手の一員としてなら、戦ってみたい相手はどこですか?」
「戦ってみたい相手……」
そう言われると真っ先に思い浮かぶのが、ライガースなのである。
ただあそこはファンも過激なのであまり好きではない。
「巨神、埼玉、福岡あたりですかね」
「なるほど」
何がなるほどなのかはともかく、とにかくセイバーが何かを企んでいるのは確かである。
ただ彼女は巧妙に、お互いの利益が出るように、物事を運ぶ。
高校時代は一つのチームにこれだけの投資をしてどうするのかと思ったが、今の彼女はプロ野球の世界に大きく入り込んでいる。
これが最初からの狙いだったのか、それとも途中からの路線変更だったのかは分からないが、彼女のような若さで、しかも女でこの世界に入ってくるのは、かなり難しいことなのだろう。
「来年のWBC、日本代表の壮行試合に、大学代表が選ばれるわけですが、参加するつもりはありますか?」
「大学の日程と重ならなければ」
プロからセンバツされる日本代表と、それと戦う大学代表。
それなら別に出てもいい。日本の代表はおおよそ、ちゃんとプロのトップレベルを出してくるのだから。
「ただキャッチャーがまともじゃないと、とても抑えられないでしょうね」
「今の大学のキャッチャーなら誰がいいんですか?」
「地方は知りませんけど、首都圏なら樋口と竹中さんでしょうね。ジンは打撃が追いつかないし」
「なるほど」
またもなるほどである。
二人の会話を聞いている周囲は、それなりに緊張するか、全く関係ないさと試合の展開に集中している。
次の次のWBCには、おそらく選ばれるであろう武史などは、完全に自分には関係のない世界だと思っているらしいが。
セイバーは色々と考えているのだ。
武史は野球の世界に取り込むことが出来そうであるが、直史をどうするべきか。
野球界再編という大仕事と並行して、これについては考えている。
上杉と大介によって、日本の野球界は大きく変わった。
それはプロと高校の世界において、顕著な影響を与えている。
だがその中で大学が違う影響を受けているのは、直史の影響が大きい。
大学野球は、次のプロへのステップとして考えている者も多いが、その中で完全に直史が無双している。
高校時代にプロから指名を受けたが、希望の球団でなかったとかで大学に進んだ者もいる。
だがそういった選手も含めて、直史は全てを封殺しつくしている。
直史が動けば、大学野球は激震する。
投げれば必ず勝つピッチャーを抱える早稲谷は、かなり特別な状況にある。
そもそも一年の春からベストナインに選ばれ続け、プロ的に言うなら17登板11勝無敗5セーブである。
これはリーグ戦だけだが、他の公式戦の全日本や、準公式戦とでも言うべき日米大学野球でも、無敗記録は継続中である。
不敗神話。
ただ途中でリリーフに任せた試合だけは、一度負けてしまっている。
だが選手起用は監督の仕事なので、直史の責任ではないし負けもつかない。
この青年を、どうにか野球の世界にとどめないとけない。
セイバーは考える。そして千葉のクラブチームにも紹介した。
どうやったらこの才能を、大きな舞台で投げさせることが出来るのか。
とりあえず試してみた、上杉の圧倒的なピッチングを見ても、特に影響を与えたようには思えない。
それに、直接は関係ないが、明日美のこともセイバーは気になっている。
少なくとも大学野球までは男子にも対抗できた明日美は、どこまでが限界なのだろう。
公式戦に出るには、さすがに無理が過ぎるだろうが、球界に与える影響は少なくないはずだ。
人と人とのつながりが、世界を変えていく。
セイバーの考える、そして望む未来は、まだ見えてこない。
彼女は考えるのだ。
一度でいいから、直史と大介の真剣勝負の舞台が見たいと。
そして出来れば、その舞台は大きければ大きいほどいい。
これは夢だ。
しかし多くの人間が同じ夢を見れば、それは夢ではなくなるだろう。
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