八章 大学二年 無敵状態
第90話 マウンドの上の実験
甲子園で順調に試合が消化されていく間、同じく東京の灼熱のグラウンドでは、直史がマウンドに立っていた。
この日の対戦相手は駒乃沢大学。少し前には元野球部員の問題があったところである。
四番を打つ立花は直史の一つ上、福岡城山高校で白富東と対決した。
今年も頑張っている福岡城山であるが、その立花は高校時代のポジションであるキャッチャーから、ファーストにコンバートされている。
キャッチャーというポジションの重要性がより高くなり、そのくせチーム数自体は少なくなる大学野球。
立花よりもキャッチャーとしての技術は高い選手がいて、立花の打力を活かすなら、コンバートも選択肢の一つである。
ちなみに、来年はまたキャッチャーに再コンバートされるのだが、それは未来の話だ。
直史はこの試合、ほとんど変化球を使っていない。
ストレートとチェンジアップ。そして球速以外の部分でのタイミングチェンジで、相手の打線を封じることに挑戦している。
自分で自分に縛りを入れていくあたり、直史も立派なドMであるのかもしれない。
だがその条件で相手を完封してしまうあたり、ドSでもある。
単純に、もう大学レベルであると敵がいない。
普通に投げても完封は出来るのに、さらにスピードを増したり、新しい変化球を身につけたりと、考えることは色々とある。
(プロと対戦する機会か……)
大学の中でもトップレベルが、プロに進む。
直史はヒットは二本か三本ほど打たれることはあるが、データの揃うプロ野球ではどうなるか。
おそらく先発するにしても、体力が足らない。
15回まで投げてパーフェクトをし、次の日も九回を投げて完封。
色々と技術的なものはあの夏から身についているとは思うが、基礎体力はほとんど変わらないように思う。
問題はペース配分だけだ。
何本かヒットを打たれることは覚悟した上で、球数を少なくする。
すると結果的には、完封で連投がきくということになる。
目下の目標とするところは、来年の二月末。
WBCの代表との壮行試合が、大学選抜で行われる。
時期的に厳しいが、なんとか上手く調整して、そこで投げてみせる。
WBCは野球の世界大会であり、プレミアなども同じ世界大会であるが、出場選手などを見る限り、こちらの方が格は上だと思われる。
現在はシード国16チームに、予選から四チームを加えた20国のチームで行われる。
日本はこのシードであるために、予選に参加する必要はない。
前回の優勝はアメリカであったが、あの頃はまだ、今の日本の主力となっている選手たちが、ブレイクする前であった。
今の日本なら絶対に負けないと思うあたり、直史はいわゆる郷土愛を持っている。
まあワールドカップで勝ったので、あの経験からアメリカもたいしたことはないと思っているのも確かだが。
そもそもアメリカが舐め腐って、MLBのトップレベルの選手を出さないのにも腹が立っている。
そして一度目と二度目を日本に優勝されて、やっと優勝したのが四度目だ。
日本だって一度目も二度目も、ベストメンバーではなかったのに。
それに文句を言いたいのは、選手への制限、さらに言えばピッチャーへの制限が大きすぎることだ。
球数制限などなくても、上杉や自分は連投で完封ぐらいは出来る。
もし許されれるなら日米大学野球では、先発三連投ぐらいして、全て完封しても良かったのだ。
それよりは制圧することを優先したため、完全試合とノーヒットノーランという結果になったのだが。
あの試合を見たアメリカのコーチや選手は投げすぎだと思ったかもしれないが、力を抜いて投げれば、球数などいくらでも増やせるのだ。
上杉が中四日を何度もして話題になっているプロ野球であるが、あれは上杉が抑えても160kmを軽く出して、完封が出来るからなのだ。
MLBだって球数はもう少し少ないが、中四日や中五日でローテを回すことが多いではないか。
自分の常識をルールにして、ようやく勝つことが出来る。
欧米の文化というのは、そういうところがあるのが気に入らない。
MLBのアメリカ人が、全力を出してきても、日本が負けるとは思わない。
そもそもMLBが、アメリカ人だけで形成されているわけではないというのもある。
だが日本人だけでチームを固めても、MLBに勝てるという確信がある。
自分や上杉、それに真田あたりが投げて、大介が一発打てばいい。
今年は世界的レベルで非常識な成績を残しているあの二人がいて、自分がクローザーを務めれば、そうそう負けることはないはずだ。
もし日本が負けるとすれば、それは開催がアメリカで行われるからであろう。
ワールドカップのカナダで経験したが、日本と北米ではマウンドの硬さが違う。
角度などもあるため、ピッチングフォームを慣らすのに時間がかかる。
だが140km以下で抑え込めたアメリカのハイスクールチームを、150kmが投げられるようになった自分が抑えられないとは、どうしても思えないのだ。
セイバーは直史に、壮行試合で投げるように言った。
あれはひょっとしたら、アマチュアからWBCに直史を送り込むための、手段ではないのだろうか。
直史の思考は野球に関しては革新的だが、政治信条や世間の風俗に関しては保守的である。
日の丸を背負って投げるということを、名誉だと感じる意識はある。
こういったものは、やはり田舎の長男だからこそ持てるものなのかもしれない。
ヒット四本を打たれたものの、フォアボールはなしで98球の完封。
遊び球を入れない直史の投球は、ほとんどまともに前に打球を飛ばさなかった。
ただ詰まった球が四本も内野の頭を越えてしまったあたり、やはり変化球はもっと必要だ。
顔面蒼白でお通夜状態の駒乃沢大学の面々は、どうやら走って大学まで帰るらしい。
それじゃあまともにランナーを進められなかった監督が、一番先頭を走るべきだと直史は思うのだが、わざわざ口に出したりはしない。
アホにかかわると、碌なことにならないからだ。
(うちの監督はそのあたりまともで良かった)
直史に及第点扱いされる辺見であるが、もうこのあたりになると、直史の存在感の方が、監督よりも大きいだけである。
九月に入れば残暑が厳しい中、また秋のリーグが始まる。
これまで三期連続でベストナインに選ばれている直史であるが、別にそれで給料が上がるプロなわけでもないので、どうしようもない。
ただバッターを凡退させることが、完全に趣味になってしまっている。
より肉体への負担を減らし、球数を減らし、試合時間を短くする。
短時間に楽しみを終わらせて、あとは日常生活に時間を使うか、さらに技術を上げていく。
大介はどうなっているのだろう。
試合は何度か、テレビでは見た。
だが球場に足を運んでは、まだ今年になってからは見ていない。
神宮で試合が行われることもあるので、見てもおかしくはないのだが。
今年の大介の成績はおかしい。
プロの世界に慣れたのか、それともさらに成長しているのか。
プロの世界は上杉がいるだけに、大介もさらに技術やフィジカルを上げるか、バージョンアップが必要なのだろう。
今の大介は高校時代と比べて、どれだけパワーアップしているのか。
高校生の時点でも、大介とまともに勝負出来たのは、最後の一年では坂本と真田ぐらいであったが。
その真田が今年からは同じチームなのだから、大介としても楽なことだろう。
ただ、あの真剣勝負を愛する友人は、むしろ落胆したかもしれない。
真田が同じリーグの他球団に行かなかったことで、おそらく大介の成績は年間を通じてかなり上がったのではないか。
今年は上杉を相手にシーズン中は苦戦しているが、お祭り騒ぎになれば本気になるのが、大介の真骨頂である。
おそらく色々な記録がかかっている今は、ストッパーをかけながらプレイをしている。
本気の大介がどういうものかは、ワールドカップで直史が色々と見てきたのだ。
怪物が怪物の行方を気にする中、秋のリーグ戦が始まる。
まだ残暑が酷暑レベルで残る九月、第一週は立政大学が対戦相手となる。
この二年の秋ともなれば、高校時代に甲子園で戦った同学年や一つ上たちは、普通に他の大学のレギュラーとして出てくる。
立政大の場合は、去年から二番や六番を打っていた、元大阪光陰の初柴が、三番を打つようになってきている。
高校時代は四番ではあったが、打点は多くてもホームランは少ないバッターであった。
そして大学に入ってからも、その傾向は変わっていない。
(格段に上達はしてないよな)
変化球でツーストライクまで追い詰めたあと、ストレートで三振を取る。
だいたい普通のコンビネーションだ。
だが三振した方の初柴は、驚きと言うよりは恐怖さえ感じる。
(あいつ、まだ速くなってないか?)
表示は148kmなので、春に出した150kmを上回っているわけではない。
だが、体感速度は確実に速い。まともに反応できない。
スピンか、フォームか、それとも球持ちか。
ひょっとしたらその全てかもしれないが、確実に成長、あるいは進化している。
プロに行く気はないと言っているが、今の時点でオーバースペックだ。
スーパーコンピューターでテキストの執筆をしているような、無駄なほどの高性能さ。
話に聞くと野球部の練習にはあまり出ず、勉強をしているのは間違いないらしい。
凡人がどれだけ努力をしても、天才には勝てないというのか。
単純に、練習をしすぎたら逆にフィジカルが弱くなるだけであるからだ。
直史は体力が維持出来る範囲内でしか、練習もトレーニングもしない。
夏場はスタミナや体重の維持のために、管理された運動しかしない。
まだ暑さが存分に残っているこの季節は、スタミナの温存が完投のためには必要だ。
そのためにはテンポよく投げて、自分がマウンドの上に立っている時間も短くしていく必要がある。
元々ワインドアップ投法は使っていなかったが、最近ではセットからも、ほとんどクイックに近いモーションになってきている。
球威ではなくタイミングなどで勝負するなら、クイックでタイミングを変化させるのは有効だ。
肩や肘を消耗させず、体全体を均等に使って、変な疲労がたまらないようにする。
おかげでピッチャーのみならず、野手陣も炎天下のグラウンドで守っている時間が短くなる。
バッターは逆に、積極的に打っていく。
いやこれも、無駄に試合時間を長くしないという意味では重要なのだろうが。
四番の西郷が敬遠されることが多いため、五番の北村の打点が多くなってくる。
西郷はパワーに加えてミートや器用さもある、万能型のバッターであるが、選手としては足の遅さが明確な弱点だ。
すると六番に入る樋口が、得点圏では確実に打ってくる。
普段の打率は平均して三割に満たない樋口だが、得点圏の打率は五割にもなる。
またランナーのいない投手戦では、狙い球を絞ってホームランを打ってくることまである。
キャッチャーとしての役割を優先しているだけで、間違いなくバッターとしての才能も高い。
樋口と直史のバッテリーは、大学入学以来敗北を知らない。
この日もヒット一本とエラー一つで、出たランナーを一人ダブルプレイで殺し、28人を完封。
球数は89球で三振は12個と、相変わらずの省エネピッチである。
東大の野球部から女子の三連星が消え、また大学野球は早稲谷を中心に動くようになってきた。
だが直史の投げる試合は、確かに凄いことは凄いのだが、打たれなさ過ぎて面白くない。
上杉と違って球速で興奮することもない。三振の数も、段々と少なめにしてきている。
体力の温存のためには当たり前のことなのだが、観客からすると翻弄されているバッターの方が可哀想になるらしい。
もっとも投げている方からすれば、効率を最大化して何が悪い、という気分になるのだが。
まだ去年は、直史一人であるからマシだった。
ただ今年は細田が完全にドラ一レベルまで覚醒し、さらに武史がいて、サウスポーなら村上の台頭も著しい。
そして地味ではあるが、星がリリーフとして短いイニングを投げてきていたりする。
大学からは完全に野手のつもりでいた星だが、それなりに上手いセカンドとしての守備や、犠打なら自身があるバッティングよりも、ワンポイントや短いイニングのリリーフの方が、試合には出やすい。
そしてピッチャーとして実績を残してしまうと、さらにピッチャーとして使われることになる。
ブルペンでキャッチャーをしている樋口も、これは面白いなと思って投げさせてしまう。
スプリット気味の握りで投げさせると、まるでナックルのような変化をする。
変化しないことで変化するナックルであるが、星の場合はこれに普通のボールや、オーバースローまで合わせると、打者一巡ぐらいまではどうにかなってしまいそうなのだ。
今はまだ、変わったピッチャーだと噂されるのみである。
だがこれからまだ二年をかけてピッチャーとしてのスタイルを確立すれば、もっと上でも通用するのではないだろうか。
とりあえず土曜日に勝った次の日、日曜日は武史が先発をしている。
恵美理が友人たちを誘って見にきているので、その士気は高い。
序盤にぽんとヒットを打たれたが、三回ぐらいからは奪三振ショーの開幕である。
スロースターターな武史は、完全に先発でしか通用しないピッチャーだ。
ブルペンなどで投げて肩を暖めておいても、自然とセーブして全力を出さない。
試合の中で序盤は上手くリードして組み立て、中盤の無敵モードにまではキャッチャーのやる仕事が多い。
辺見としては途中で交代させ、他のピッチャーの経験も積ませたいところなのだが、軽々と投げて三振を積み重ねていく様子を見ると、なかなか交代のきっかけがつかめない。
何より余裕で完投出来る雰囲気のピッチャーを替えるのは、なかなか勇気がいる。
観客やOBや大学の関係者も、直史と違って160kmを投げる武史の奪三振は、見ていて面白いのだ。
野球選手として見た場合、もちろん直史の方が技巧に優れていて、数字もちゃんと残っている。
だがスペックを見た場合は、武史の球速の方が魅力的に映るだろう。
まだ一年生であるのに、プロ志望を口にしたことから、スカウトの注目は集まっている。
しかし本人が、レックス以外なら社会人に行くと明言してしまっていて、レックスはお前何やってんだと、関東の第一スカウトは責められたりしている。
四年後のドラフト一位、レックスの指名は決まったようなものである。
だがドラフトには競合ということがあるので、いくら明言していても、指名すること自体は避けられない。
他の球団なら行かないと言っていても、それで済まないところが日本のプロ野球である。
いっそのこと完全ウェバー制にして、新人からトレードに使えるようにすれば、もっと選手の流動性は保てるのではないだろうか。
打者30人に112球の被安打二本、19奪三振で、この試合は終わった。
早稲谷はほとんど佐藤兄弟二人の力で、勝ち点一を手にしたのであった。
×××
※ ウェーバー制
日本の場合はおそらくドラフトを盛り上げるために、一位指名だけは競合ありにしている。
実際に何球団競合とかになると盛り上がるので、完全否定はしづらい。
ちなみに事実上の、新人からトレードという例が江川卓である。
本日、群雄伝に投下があります。
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