第9話 セカンドピッチャー
軽く水分補給と休憩をしてから、二試合目が始まる。
一年生チームのマウンドに立ったのは星である。これには上級生チームも驚いた。
ただキャッチャーとしての樋口は、星をピッチャーとして高く評価している。
球速は遅い。それは間違いない。
だが粘りのある下半身から放られるアンダースローは、間違いなく打ちづらい。
コントロールも良く、オーバースローから投げれば球種も増えて、かなり打ちあぐねる軟投派だ。
辺見としては二試合目は、近藤が投げてくるのかと思っていた。
本職はサードと自分で言っていたが、ピッチャーとしてNPBから調査書が届いたのを、付属校からの連絡で知っている。
それに甲子園で投げた経験では、ショートの沖田も数イニングはあるはずだ。あとはシニア時代には、土方も登板経験がある。山口などは第二の投手として付属時代は成績を残していた。
だがここで使ってくるのが、そのどれでもなく軟投派である。
大学で野球を続けるには細い体格だと思ったが、甲子園に出場したチームのキャプテンで、高校の監督、つまり国立に聞いたところでは、とにかくメンタルが素晴らしい選手だと聞いている。
上級生チームの先発二番手は、三年の細田。
高校時代からのチームメイトである伏見とバッテリーを組む。
高校時代も春の県大会で優勝したり、夏も県ベスト4まで進んだりと、それなりの実力は認めていた。
だが大学に入ってから細い身体に筋肉がついてきて、純粋にまず球速が上がった。
それに腕が長くしなり、身長もあるために、かなりボールの角度が打ちにくい。
変化球としては色々と試してはいるが、左バッターにはカーブが有効である。
「とにかく左バッターには無茶苦茶打ちにくいカーブです。大介も右打席に立って打ったぐらいですから」
直史はそう言うが、因果関係としては、細田のカーブが原因で、左投手の変化球が苦手になったという可能性まである。
もっとも普通の左のスライダーなどは平気で打っているし、真田のスライダーは右打者にとっても魔球であった。
他のポジションを守ってもよかった直史であるが、強いて守るとしたら国立のファーストである。
しかしバッティングに関しては国立の方が良さそうであるし、終盤に出番があるかもしれないので、少しでも体力の消耗は避けたい。
結局九回を投げて91球の一安打無四球だったので、まだまだ体力は問題がない。
ただ本当に厳しい場面でリリーフするためにも、体力を消耗するのはやめておいた方がいいだろう。
「本庄さん、軽くキャッチボールだけ付き合ってもらえますか」
「いいのか? まだ始まったばかりなのに」
「肩を冷やしたくないんで」
直史の狙いとしては、いつでもいけるということを上級生チームに示すことだ。
確かに星はある程度は打たれるピッチャーではあるのだが、頼りないわけではない。
だが直史を意識して上級生チームが拙攻になれば、それは星を援護することになる。
今度は上級生チームが先行となり、まさに星を積極的に打ちにいこうとした。
だが内野は山口と沖田の二遊間を中心に、守備力は高い。
一度外野にフライが飛んだが、西が俊足を活かしてキャッチした。
辺見としては攻め急ぎすぎているとは思ったが、このピッチャーが打ちにくいピッチャーであることも確かだ。
球速はなく、手元でも微妙に変化しているので、当てに行くバッティングだとヒットにならない。
三振は取れないが、炎上もしにくいピッチャーということなのだろう。
そして今度は一年生チームの攻撃であるが、ラストバッターが星になっている以外は変わっていない。
国立に上位打線に入ってもらったらなどとは考えもしたのだが、いざという時に打てなくなったら困る。
膝は完治しているはずだが、全力の負荷に耐えられるかは分からない。
全力の負荷をかける勇気が出なかったからこそ、国立はプロに進まなかったのだ。
怪我持ちがプロで野球をやって食っていこうなどというのは、控え目に言っても蛮勇である。
国立は野球に対するプレイヤーとしての情熱が、野球を客観的に考える理性を上回らなかった。
だからこそ理性的に科学的に、だが情熱も持って、指導者としていられるのだ。
「確かにえぐいカーブだったな」
先頭の沖田はカーブよりも、その後のストレートとの緩急差が気になったようだ。
ワンナウトで山口が打席に入るが、特にアドバイスなどはしない。
山口であれば今の打席を見ていれば、対応できると考えているからだ。
幸いと言うべきか、この打順の上位打者は、ほとんどが右打者である。
細田のカーブは落差があるし、スピードを調整出来る。
ごりごりに曲げてくることもあれば、ふわりと羽毛のように落とすことも出来るのだ。
そして山口はそういった、落差のあるボールを打つのが好きである。
右方向、ライト前へのヒット。
長打にはならないが、ここはまずクレバーに塁に出ておく。
土方も近藤も右打者であるし、山口はこの二人を信用している。
沖田と違って高校時代からの付き合いではあるが、部内での内紛も結束して収めて、どうにか三年のセンバツには出場したのだ。
とは言っても細田も名門で二枚目に数えられるだけに、そう簡単には打ち崩せない。
カーブもだが長い腕から放られるストレートも、かなりタイミングが合わせづらいのだ。
だがこういったところで、確実に粘っていくのが土方である。
四球を選んでワンナウト一二塁とチャンスを広げる。
四番に入っている近藤は、早大付属の精神的な支柱であった。
どんな時でも折れないキャプテン。それが中心となってしまったからこそ、上級生との対立が生まれたとも言える。
同年代のバッテリーが共に学校を辞めてしまったからこそ、近藤や土方がコンバートせざるをえなかった。
あれが原因で早大付属は、後輩も近藤たちが声をかけなければ集まらなかったのだ。
言うなれば卒業した今も、早大付属は近藤たちが作ったチームである。
もっとも今の東京は、特に東東京を中心として、おかしな現象が起こっている。
公立校の台頭である。
早大付属や帝都一、また日奥第三などの超強豪はともかくとして、ベスト8クラスのチームが、都大会で公立に負けている。
シニアの後輩にも都立に進む者があって、その選択をどうして選んだのかを聞いてみたことがある。
強豪の練習やトレーニング、何より指導陣の考えは古いのだ。
常識を疑え、という言葉が最も似合うのは、日本の学生野球であろうか。
いまだにスポーツエリートの最大数を集める野球であっても、年々競技人口は減っていった。
上杉以降の甲子園効果で、野球を選んでスポーツを始める小学生はまた増えているが、辞めていく数も多い。
科学的な指導法もであるが、その精神性が、時代に合っていないのだ。
だが老境にあっても松平や鶴橋のように、自分を変えていく有能な指導者もいる。
社会人はなんだかんだ言いつつ、金をもらってプレイしている。
アマチュア野球の最高峰である大学野球が、時代の流れに合わないというのは、笑えない冗談である。
(ここで勝って、まず早稲谷の野球を変える)
近藤の打った打球はライトに大きく上がる。
わずかに角度がありすぎて、フェンス間際でキャッチされるが、セカンドランナーがタッチアップするには充分であった。
ツーアウトランナー一三塁で、バッターは五番の樋口。
もし歩かせてしまったら、間違いなく一番恐ろしいバッターである、国立を満塁で迎えることになる。
なのでここで勝負するのは当然なのである。
樋口のバッターとしての特色は、読みで打つということである。
そして次に、恐ろしいほど速球には強い。
上杉兄弟のボールを受けてきたのだから、他の投手のストレートは、ほとんど怖くない。
(そういうことも考えた上で、初球からストレートでストライクを取ってくる可能性は低い)
初球はボール球で様子を見るリードが多いのが、伏見というキャッチャーである。
やはりアウトローに外してきた。しかしかなり微妙なところではある。
ストライクを取りに来るならカーブだろう。それもおそらく、掬い上げやすい低めのコースではない。
一般的には甘いと言われる高めにカーブを入れてくるか、もっと高めにストレートを外してくるか。
この二つの見極めはつきやすい。どちらであっても対応出来る。
リリースされるボール。この角度ならカーブ。
高めに、ドンピシャ。
振り抜いたバットが、レフト線を転がっていった。
山口は問題なくホームを踏む。土方は帰る余裕があるか?
次の打者は国立。ならば塁を埋められて、西で勝負される。
おそらくは細田からヒットは打てない。
サードのコーチャーである沖田は腕を回す。
「あ、ダメだろ」
キャッチボールをしながら、直史はその判断は間違いだと考える。
沖田の考えたことは分かるのだが、何よりもまずタイミング的にアウトである。
想像通り、土方の目の前でキャッチャーまで返球されて、タッチアウト。
一点を先制したが、一点までに抑えられた。
あの場面、確かに沖田の判断は、能力的に考えれば間違っているとまでは言わない。
送球の中継などにもたつけば、もう一点入っていただろう。
だが大学野球の早稲谷レベルで、そういったミスが出る可能性は低い。
そしてもう一つ、国立を歩かせることが、上級生チームに出来ただろうか。
一年生チームの中で、国立は例外と言うか、ジョーカーのような存在である。
まさかここまでバッティング技術を維持しているとは思わなかったが、試合からは随分と遠ざかっていた。
おそらく単に歩かせるのではなく、打ちづらいところで勝負してきたのではないかと思う。
そしてその球をヒットにする程度なら、充分に期待出来る。
二三塁からのヒットなら、二点入っていた可能性もある。
確かにツーアウトになってしまっているので、国立を歩かせたら西がバントヒットを狙っても、同時にホームに突入する必要もあったため、追加点は入らなかったかもしれない。
結果論と言ってしまえばそれまでだが、国立を歩かせるというのは、明らかに向こうの流れではない。
外野からのバックホームで、こちらの勢いを止めたことが重要になるだろう。
ここまでの試合の展開が、早大付属のメンバーには見えているのだろうか。
とりあえず樋口を見るに、苦笑いをしている。
こいつが試合中にこういった表情をするのは珍しい。
「なかなか大変だな」
「いや、リードのし甲斐があるよ」
プロテクターを付けるのを手伝いつつ、二人は会話する。
「高校時代は基本、パワーピッチャーばかりリードしたからな」
上杉兄弟もそうであるし、控えの投手もそうであった。
アジア選手権でも、そういうタイプが多かったのだ。
現在の野球においては、テクニックよりもまずフィジカルと言われる。
フィジカルを正しく育てるのもまた、テクニックに一つではある。
だがそのフィジカルをコントロール出来ないのなら、せっかくのフィジカルも意味がない。
単純に食べさせて負荷の高い運動をさせる。
それで体は大きくなるし、単純な筋力などは増えるだろう。
だが体を正確に動かすテクニックは、土台の部分のフィジカルと同時に鍛えなければいけない。
星の場合は、フィジカル的には確かに通用しないように見える。
だが被打率を低く抑えるためのフィジカルは、いわゆるマッチョとは別のものだ。
九回を粘り強く投げぬくためのスタミナ。
星の小さな体には、それが備わっている。
二回の表、西郷の痛烈なショートライナーから始まった攻撃は、またも三者凡退で終わった。
ただ打球の行方が少しでも違えば、ヒットになっていた打球は多い。
辺見は黙ってそれを見ているが、星の投球に目がいってしまう。
内野のセカンドとして登録されている選手であるが、甲子園で投げているのだ。
そしてまだ二イニングであるが、大学の一軍を抑えている。
球速はないがアンダースローで、制球もいい。
これは案外、ピッチャーとして使った方がいいのではないか。
そして三回の表、やっと先頭打者でヒットが出た。
しかし遅い球を内野ゴロにしてしまい、4-6-1でゲッツーが成立する。
二遊間の守りが堅い。
そして中盤までは、投手戦の様相を呈してくる。
実際には細田はともかく星の方は、ゾーン際で三振を二つ取った以外、全てバックに任せて取ったアウトである。
五回が終わった時点で、球数は100球を超えた。
しかし打たれたヒットはわずか四本の無失点で、ピッチャーは近藤に交代である。
そしてサードには直史が入る。
近藤のボールもこれはこれで、打ちづらい球ではある。
球速の割りに伸びはない、いわゆる棒球に近い。
だが伸びないことで逆にゴロを投げさせることが多く、また球質が重い。
ホームランを打たれないタイプのピッチャーなのだ。
一年生チームは一点を追加していた。
国立が三塁にいた時点で、直史が打ったタイムリーによるものだ。
細田もまたいいピッチャーではあるが、ノーノーをするようなタイプではない。
だがMAXは150km近く出るし、さらに球速は上がっていきそうだ。
この人もまた、プロ注目のピッチャーであるのだ。
近藤は二イニングを投げて無失点。
やはり星の後に投げられると、球速がかなり上に見える。
ただボール自体は打てるのだ。それがことごとく内野ゴロになるだけで。
そして2-0のスコアから、佐藤直史がマウンドに上がる。
球数は前の試合で、せいぜい90球。
残りの二イニングをそのペースで投げられるなら、110球。
点差は二点であるが、佐藤直史が最後に二点を取られたのがいつだったか、分からない者も多いだろう。
絶望の二イニングが始まる。
×××
調査書について
wikiを見ればすぐに分かるのでここでは簡単に。
かつてのドラフトでは本人が大学や就職を志望しているのに、特定球団が強行指名してそこから家族を含めて説き伏せるという手段が多かった。
現在ではそれを避けるため、プロ志望届を出していない選手を指名することは出来なくなっている。
それ以前に球団から学校へ送られてくるのが調査書で、簡単に言うと貴方に興味がありますよという意思表明。
直史は完全にぶっちして回答をしておらず、プロ志望届も出してないので、現在の制度では強行指名などは出来ない。
なおこれは大学おいても同様である。どちらも出す先は、チームの所属している連盟。社会人は志望届は出さなくて良い。
調査書はあくまで興味を示しているだけなので、指名するとは限らない。
ただ選手との接触は禁止されている球団関係者だが、監督や担任などには、何位ぐらいで指名するとは伝えている。
実際のところは密室で交渉されている場合が多く、○○以外は行きません、と言ってもらうために裏金を出したりは、おそらく今でもしている。
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