第10話 大学デビュー
伝統ある大学野球部の、変革を決める試合が終わった。
スコアとしては4-0と2-0でそれほどに実力差があるようには見えないが、直史は11イニングを投げて被安打一で無四球の準パーフェクトピッチである。
直史が凄いだけではと言われるかもしれないが、星と近藤をリードして、一点も取らさなかった樋口のリードもすごいのだ。
もっとも西郷は一度敬遠されたが。
「手塚さん、さすがに走れなくなってますね」
「そりゃあんだけ走ってた高校時代に比べればな」
手塚はもう、高いレベルでの野球はしないらしい。
そこまでレベルが上がってしまうと、守備や走塁はともかく、打つ方が全然足りないからだ。
サークルの中でなら、バッターとしても活躍出来る。
これもまた野球の楽しみだ。全ての人が野球が上手くなることを一番に考えるわけではない。
だがそれを言うなら、国立はどうなのか。
プロ注のエースからホームランを打ったそのバッティングは、未だに大学レベルでもトップだろう。
教師として監督として働きながら、よくもそこまでのスキルを維持出来ているものである。
とまれこれで、早稲谷の大学の変革となる試合は終わった。
辺見はこれから、OBたちの批難を一身に浴びるかもしれない。
だが世界は変化していっている。
彼はまだ全然知らないことだが、プロの世界ではMLBと互角以上に対決するため、色々と考えている人間がいるのだ。
おそらく10年か20年後には、辺見は未来を見据えていた指導者と讃えられるようになるだろう。
自分の彼氏がモテすぎて困る。それが瑞希の心情である。
いや元々直史は、それはそれはたくさんのファンがいたスーパースターではあったのだが。マスコミに対してもファンに対しても塩対応であった。
だが地元にいる頃は、それでもオラが村の英雄であった。
それが東京に出てくると、こっそりとカメラを向けてくる一般人が多い。
対処するためサングラスをかけたり、マスクをして顔を隠したりしている。
あの試合を見ていたのは学部内の生徒も多く、大学の講義中はさすがにサングラスもマスクも外すのだが、はっきり言って知らない人間が一方的に自分を知っているのは鬱陶しい。
いや自分だけならまだいいのだが、瑞希と一緒の時も視線が多いのだ。
たかが大学野球の自分でさえこれなのだから、プロに行った岩崎や大介はどうなのかと思っていたが、二軍生活の岩崎は平穏らしい。
大介は、プロだからと言うより大介なので、色々と騒がれている。
一回り同じリーグとの三連戦は終わったのだが、現在首位打者と打点王を取っている。
ホームランもトップから一本差の二位だ。
加えて盗塁数もトップであるので、プロ初年度からタイトルどころか、三冠王の期待までかかっている。
たださすがに、二巡目からは研究されて、打率は落ちていくだろうと直史も思っている。
あの試合は、対外的には大学外で行われていた研究の成果を、実戦形式で試してみるというのが口上であった。
そのために去年公立でセンバツに行った三里の人間や、野球部外の白富東の人間が、一年生の同じ考えの者と一緒に、上級生チームと戦ったわけである。
結果変わったのは、一度の練習の間に、グラウンドにいる人数が減ったことだ。
ただ練習量自体は減ったように思えず、すぐに部員が入れ替わって、絶えず鋭いノックが行われたりする。
こなすために流す練習がなくなったと言っていい。
直史などはこれを、ピッチャー独自の練習の間にやっている。
今週末にはリーグ戦が始まるので、調整の段階には入っているが。
対戦相手はラッキーと言うか、東大である。
既に先週末に行われた試合では、帝都大学に当たり前のように負けていた。
去年の秋のリーグ戦では、帝都、早稲谷、慶応、法教、立政、東大の順で帝都大が優勝していた。
ただ上位四チームの力にはそれほど差はない。特に慶応と早稲谷は勝ち点は同じであった。
東大が圧倒的に弱いのは仕方がないが、選手の集め方や、プロ輩出では圧倒的に上回る早稲谷が、慶応に負けるのはどうしてなのか。
聞く限りにおいては、慶応の方が理不尽さは早稲谷より少ないらしい。
だがそれならば、理不尽の王様である東都大学リーグの某大学が強いのは、どうやって説明するのか。
国立も大学だけでなく高校においても、過酷な練習をする意味は一応あるのだと言っていた。
それはプロへの選別という点である。
アマチュアとプロの最大の違いは、耐久力だと国立は言う。
下手にプロに行って壊れるよりは、アマチュア時代にそれに耐えられず、プロ志望を取り下げるほうが、その人物にとっては幸福であるかもしれないからだ。
ただプロにいって20歳を過ぎてからようやく激しい練習についていけるようになり、どんどんと能力を伸ばす人間もいるので、ふるい落とすための練習は国立もしない。
「なあ佐藤、週末の試合って、お前も出るのか?」
こんなふうに声をかけてくる友人が、それなりに出来たりもする。
なお野球部に友人はまだ出来ていない。
「出るかもね」
「まだ決まってないのか?」
「決まってても言えない。他の大学のスパイかもしれないし」
「へ~、そういうもんなのか」
大学野球のベンチ入り人数は、六大学リーグの場合は25人である。
一年の春からこれに入るような選手は、そもそも高校卒業時点で、プロから上位指名されるような選手だ。
18歳からいきなり働きたくないというような理由で大学に進む者もいるが、ドラフト上位指名されるような選手で、プロに全く興味のない直史や樋口などは、極めて例外なのである。
今年も春のリーグからベンチ入りした一年は、直史と樋口だけである。
そして樋口が入ったことにより、キャッチャーは一人外された。芹沢である。
大学野球の場合、いざという時のことを考えて、キャッチャーは三人はベンチに入れる。
四年の三浦、三年の伏見、一年の樋口で三人になる。
代打に使うにしては、他に同レベルの選手がいる。ならば守れない選手が外されるのは当然だろう。
樋口が逆恨みされないことを祈るが、こいつは実はかなり喧嘩も強いのである。殴られたら上級生だろうと平気で殴り返す男だ。
しかし大学は、もっと暇なところかと思ったのだが、案外やることが多い。
いや、遊んでいる人間は遊んでいるので、人によるとしか言いようがないのだが。
直史の場合は週末はリーグ戦が始まるので、日曜日から月曜日にかけては瑞希の部屋に泊まるサイクルにしようと思っていたのだが、この時期に直史の周囲にはマスコミの姿が多い。
大学野球は甲子園よりもマイナーだと思っていた直史であるが、それは白富東が千葉にあり、注目選手が少なかったからである。
東京には六大学以外にも首都や東都のリーグがあり、またプロ球団の本拠地もある。
上級生にドラフト候補がいれば、それだけマスコミも多くなるというわけだ。
特にゴシップ系の雑誌などは多い。
(ラブホにも入れない)
それが直史の下半身による思考である。
大学に入れば色々と、めくるめく官能の日々を期待していたのだが、とりあえず春のリーグ戦が終わるまでは集中するしかなさそうである。
なお樋口は合コンであっさりと、現地妻を確保したらしい。
野球部の人間も本当に完全に、野球だけに縛られているわけではない。特に樋口などは。
客観的に見ても樋口は面がいいし、野球の実力もある。
あと脳筋が多い中では、インテリである。
樋口としても新潟時代の同級生とは切れているし、年上の人には仕事があるのでこちらに来ることも難しい。
六大学でも特に早稲谷と慶応の野球部は、合コンなどをしたらモテる。
樋口は先輩たちに客寄せパンダとして連れて行かれたわけであるが、本人にとっても悪い話ではない。
この、根本的なところでは女を下に見るような男は、しかし女を切らしたことがない。
適当に遊べる女をお持ち帰りして、そのまま続いているらしい。新潟の年上の人はそのままに。
簡単に切れる、お互いに遊び相手の関係である。
そんな樋口に比べると、圧倒的に一途にしか見えない直史は、いよいよ公式リーグ戦の初先発を迎える。
ただ相手が東大であるだけに、全く気負いなどはない。
東京六大学リーグというのは、国立の東大を除いては、全て私立で構成されている。
その中でぶっちぎりで弱いのは東大であって、それにはちゃんと理由がある。
東大には野球で入ることが出来ないからだ。
ただ慶応も野球だけでは入りにくいが、やはり学力だけで勝負しなければいけない東大とは、集められる選手と集まってくる選手が違うのだ。
それに直史のような人間も、私立であれば特待生として私立を選ぶ。
樋口は学閥的には東大に行きたかったそうだが、やはり経済的な面から早稲谷を選択した。
前日の土曜日にも既に勝っている早稲谷は、この日に勝てばまず勝ち点がつく。
六大学のリーグ戦というのは、土日に同じ対戦が組まれて、両方を勝ったほうに勝ち点がつくというシステムである。
これが一勝一敗とか一勝一分けでも、どちらかが先に二勝するまで続く。
つまり土日で終わらなければ、最高で水曜日まで同カードが続き、そこでも決着がつかなければ、翌週の平日に決着がつくまで行われる。
だが東大を相手にそれは、まずありえない。
東大に負けたら恥どころか、全員が倒れるまでの罰走とか、それぐらいは普通にありうるのがこれまでだった。
野球エリートである、ガチで野球をやってる他の大学が、別に甲子園選手を集めているわけでもない東大に負けるなど、確かにありえない話ではあるのかもしれない。
(でも俺と樋口が入ってたら、たぶん勝てたよな)
一点も取られずに、一点を取って勝つ。
高校時代は珍しくなかったことだ。
大介のような狙ってホームラン一発というのは難しいだろうが、ランナーが二塁にいれば普通にタイムリーが打てるのが樋口である。
先週は開幕式だけのために来た神宮球場。
ここで試合をするのは、神宮大会以来である。
週末ということもあって、観客は満員である。
関東の人間が、甲子園まで見に行けなかった人間が、週末なのでようやくこのパーフェクト投手のピッチングを見れる。
早慶戦でもないのに、テレビ中継に各校の応援団も気合が入っていて、甲子園とはまた別の、熟練された応援の熱気がある。
上級生たちはこれが、去年までとは全く違う報道だと分かっている。
大学野球はスターを求めている。これまでもスターがいなかったわけではないが、甲子園であれだけの実績を残した選手が、そのまま早稲谷に入って一年からベンチ入りというのはそうそうにない。
開幕に投げてくるかとも思われていたが、残念そこは日曜日である。
直史を見たいと思って、その土曜日にもチケットは完売したそうな。
野球で数々の特権を得ていながら、あまり練習にも出ていない直史であるが、こういった試合での宣伝効果などを考えると、そういった特権にも後ろめたさはおぼえない。
これがスポンサー契約の出来るスポーツであれば、莫大な収入が発生するであろう。
学生野球であるがゆえに選手にはほとんど何も還元されないが、甲子園によるテレビなどの広告収入は500億円以上になるとも言われている。
それに野球の競技人口を増やすという裾野の活動でも、どれだけの影響があるか。
(金がほしいなあ)
直史の当然の気持ちである。
プロアスリートは野球に限らず、その人気で莫大な金銭を得ることが出来る。
日本の市場はまだまだ狭いが、野球ならばメジャーに進めば、それこそ一年で、普通の人間の生涯年収を稼ぐこともありえる。
ただ直史にとってその道は、リスクが高すぎる上に、性に合っていない。
精神性はプロよりもプロらしい直史であるが、それでもプロにはなりたくない。
(さっさと終わらせてデートするか)
戦う前から上から目線の直史であった。
六大学の中では東大は散々弱いと言われてきたが、それでもわざわざ大学で野球をする集団なので、高校の弱小と比べるとはるかにその実力は上である。
また野球などのスポーツを研究していたりもして、頭で野球をする集団である。
直史も考えて投げるピッチャーであるし、樋口もピッチャーの特色を活かすタイプだ。
前年までの相手選手のデータは全て頭に入っている上、先週の帝都大相手のデータと、一戦目のデータでほぼ丸裸になっている。
直史としては樋口の複雑なリードに、正確に応えていくだけである。
そして打線の方も、充分に直史を援護してくれる。
六回の攻防が終わった時点で11-0であるが、六大のリーグ戦にコールドはない。
そして点差以上に重要なことは、その内容である。
見事に0が続くスコアボードに加えて、ここまで早稲谷の守備は無失策。
樋口も適当にゾーンでリードしているので、無四球である。つまりパーフェクトだ。
直史の高校時代のパーフェクトは、結局コールドなどを含めた参考記録でしかない。
相手が弱いとは言え、いきなり大記録が達成されそうである。
ただ直史的にはパーフェクトそのものよりも、もっと重要な点がる。
それはアウトの種類と球数である。
三振も奪っているが、内野ゴロと内野フライが多い。
外野はさぞ暇であろうが、さすがに外野フライを狙ってアウトの範囲で打たせるのは難しい。
今日の外野が疲れるのは、試合ではなく攻守交替時のダッシュが原因であろう。
辺見としてはある程度の期待はしていたが、それ以上の結果である。
まあ早稲谷の一軍相手にほぼパーフェクトのピッチングをしていたのだから、東大相手ならパーフェクトをしてもおかしくはないが。
ただどれだけの好投手と言えど、パーフェクトはそうそう出来るものではない。
前に飛んでいるボールがあるのに、それが内野を越えないのは、何か実力以上のものが働いているとしか思えない。
当初の予定は、点差を見て六回ぐらいまで投げさせる予定だった。
「佐藤、最後までいけるな?」
「いけますけど、別に他の人を使ってもいいんじゃ?」
頭が痛くなってくる辺見である。
こいつを使う監督は、さぞ頭を痛めたのだろうと思う。いや、痛くなるのは胃か。
「パーフェクトが続いてる間はいけ」
「分かりました」
これがプロなら、狙ってみるのもありだろう。
年俸査定にプラスになることは間違いないからだ。
だがアマチュアの試合である。他のピッチャーの調子を見てもいいだろうに。
樋口でさえさすがに呆れた顔をしているが、ワールドカップと違い大学のリーグ戦は、敗北しても優勝の可能性はある。
この点差と相手の打線を考えれば、他のピッチャーも出番はほしいだろうに。
来週末も試合はあるが、まだリーグ戦は始まったばかりだ。
疲れが残る球数でもないし、じゃあ狙ってみるかとなる。
打たせて取るピッチングが変化した。
試合が進み、それがどんどん実現に近付いてくると、応援の声も一気に強くなる。
直史よりもむしろ、バックの味方の方がよほど緊張しているだろう。
そしてそれより緊張しているのが、相手チームだ。
これだけ戦力に差があれば、それほど凄いことでもないだろう。
そう思いつつ投げたボールに、ラストバッターは気合で当ててきた。
ピッチャーフライを捕球して、27個目のアウト。
ミスターパーフェクトは、ここにきてもミスターパーフェクトのようである。
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