第227話 佐藤兄弟
この年、日米大学野球はアメリカで開催された。
そしてその遠征した選手の名簿の中に、佐藤武史の名前があった。
初戦を先発して完封、第五戦を投げて三回を無失点。
102マイルを投げる日本人サウスポーに、一部の今さらなMLB関係者は驚愕した。
三年前の、あのサトーの弟か。
なぜ大学四年生で、まだプロになっていないのだ。
本当に今さらなことだが、いまだに日本の野球のレベルに懐疑的で、目を向けていない者がいるのである。
「本当に私も来て良かったんでしょうか」
「だってめんどくさいから行かないとか言ってたんでしょ、武史君は」
観客席はさほどは埋まっていないが、それでも未来のメジャーリーガーの姿を見ようと、アメリカ人は球場を訪れた。
そこで日本人のピッチャーがパーフェクトリリーフで、最終戦を日本の勝利に導く姿を見てしまったのだが。
恵美理とセイバーは並んで、バックネット裏の最上段からそれを見ていた。
メジャー下部組織のマイナーリーグ、AAAの球団のスタジアムで、試合は行われた。
当初に思われていたよりも、ずっと多い観客の数である。
七回から登板した武史は、最初の一イニングこそヒットを打たれたものの、残りの二イニングは六連続三振で、日本の勝利を決めた。
ただし全体としては三勝二敗で、アメリカの勝利である。
武史の投げた試合以外では勝てなかったのだ。
だが全体としてはアメリカ代表からは、日本選手団への畏怖の感情が見て取れる。
武史は第一戦を20奪三振のヒット一本に抑え、この試合も苦手なリリーフをこなして12イニングを無失点。
そしてあのサトーの弟と言われて、今さらながらに騒がれている。
「ねえ恵美理さん、もし将来武史君がMLBでプレイしたいと言ったら、貴方は付いて来る?」
セイバーの何も誤魔化さない台詞に、恵美理はその顔を見返す。
ビジネスにおいては巨人のような存在だと、武史からは聞いている。
数億の金をすぐに用意して動かせる。そんな人間はそうそういない。
「もちろんです」
セイバーの意図を、おおよそ恵美理は理解している。
この日米大学野球は、いいお披露目になっただろう。
去年の日本での開催の時など、どうして参加させなかったのか。
……そういえばこの時期は、普通に試験を受けていたか。
セイバーとしては武史の分かりやすいパフォーマンスは、非常にありがたいものではあった。
これから彼を売り込むにあたって、既にアメリカ人あての実績があるということなのだ。
肝心の武史が、MLBに来たがるかどうかは別の話だ。
(WIN-WINの話にはするけど、武史君は少し……かなり流されやすいから)
恵美理の好感度も稼いでおくのは、必要なことである。
セイバーの人類総野球人化計画はまだ始まったばかりである。
なお武史はこの大会中、女優並に美人の恋人について、散々にいじられることになる。
全日本クラブ野球選手権大会を前に、マッスルソウルズにもマスコミの取材がやってくる。
その中にはプロのスカウトもいたりする。直史ではなく、都市対抗でプレイした能登や山中を目当てに。
ただそれらが直史を見つければ、色々と話をしてくるのだ。
武史の日米大学野球でのピッチングをどう思うか? それは素直に兄として誇らしい。
本人はパーフェクトとノーヒットノーランに抑えているので、やや皮肉な印象を与えてしまうかもしれない。
20奪三振と言っても、直史は19奪三振でパーフェクトを達成しているのだ。
ただそれでも、佐藤兄弟の中では、一番才能のないのが自分だと思う直史である。
頭脳面においてはツインズは、直史よりも確実に上である。
直史は今、法科大学院の二年目。
来年の五月には司法試験を受けて、それに合格したら司法修習が始まる。
しかしツインズは予備試験という、本来なら法科大学院に通うのが難しい、特例のような試験で実力を証明し、司法試験の受験資格を得ている。
そして司法試験に受かる人間は、その予備試験を合格した者が多い。
直史と瑞希も過去に受けているが、合格はしていない。
下手をすれば司法試験の本試験より難しいという話もある。
ツインズは芸能活動をしながら、そこそこの勉強をして、予備試験に合格している。
元々中学生の頃から、知能指数が極めて高いことは知られていたのだ。
兄としてはプライドを傷つけられた気がするが、それはツインズの責任ではない。
だが、才能というのはいったいなんなのだろうか。
速いボールを投げる才能であるなら、直史以上の存在はいくらでもいるだろう。
変化球にしたところで、直史は真田のようなスライダーは投げられない。右利きだからだ。
左利きであることを、才能と呼ぶのか?
それはせいぜい個性とか、特徴であろう。
直史の持つ特徴はなんなのか、という話にはなる。
言葉にすれば、コントロールとコンビネーションということになるのだろうが、それだけでこの実績は残らない。
説明不可能のそれをこそ、才能と呼ぶのではないだろうか。
八月の下旬、埼玉ドームを借りて行われる、全日本クラブ野球選手権大会。
一次予選と二次予選を勝ち抜いて、八月の下旬に行われるこの大会。
一番独特なところは、そのトーナメント日程である。
なんと準決勝と決勝が、同じ日に行われるのだ。
プロの球場を借りているということで、たしかにそれなりの料金にはなる。
しかし一日に二試合というのは、確かにリトルやシニアでもそういったことはあるが、やはり高校野球に比べるとチームが少なく、ピッチャーがそれなりに一つのチームに集まるのが、このぐらいの年代のクラブチームなのである。
一回戦を一日目と二日目、二回戦を三日目、準決勝と決勝を四日目という過密スケジュール。
もちろん他のチームも同じであるし、マッスルソウルズはピッチャーは別に、直史と能登だけというわけでもない。
だがそれでも、可能な限りは勝ちに行く。
プロではないからこそ勝たなくてもいいが、プロではないからこそ、勝つということも楽しめる。
基本的にはやはり二人で、回していくことになる。
一日二試合。
ただし決勝を含めて、全ての試合でコールドがある。
もっとも本戦まで来れば、全国200チームあたりの代表となる。
そうそうコールドが成立するようなことはないだろう。
それに重要なのは、二人いたとしても、二回戦と準決勝、もしくは決勝が連投となる。
連投の経験は、もちろん直史にはある。
それも並の連投ではない。甲子園の15回パーフェクトの後の九回完封である。
つまり二日で24回を投げて無失点であったのだ。
「二回戦と決勝を佐藤君に、一回戦と準決勝を能登君に任せようか」
連投程度であれば能登も、やったことがないわけではない。
だがさすがにこのレベルまで至ると、確信が持てないのだ。
無理をして怪我をしたくないというのもあるし、それより第一には、直史のピッチングを見たいということがある。
大丈夫かな、とさすがにチームメイトは心配する。
直史はマッスルソウルズに加入して以来、無失点どころかほとんど一本のヒットすら打たれることさえ珍しい。
ただこの試合日程で投げたことはないのだ。
大学時代にも、リーグ戦では中一日を入れることが可能であった。
ただ直史にとってみれば、将来のある能登よりは、自分が投げた方がいいだろうと考えることは自然である。
夏休み中の大会であっても、直史はもちろん暇なわけではない。
だからといって数日を、大会のために使うだけの余裕はある。
勉強は高校時代からずっと続けてきたのだ。
一発合格出来るだけの知識は身に付けてきた。
だからこういう時こそ、しっかりリフレッシュするべきなのだ。
球場を埼玉ドームとしたのは、今年に関して言えば正解である。
都市対抗の予選もそうであったが、明らかに観客の数が多い。
世界最高の技術を持つ、世界最強かもしれないピッチャー。
その試合を見ることが出来るのが、こういった舞台しかない。
この大会は企業チームの都市対抗とも違い、ネット中継もされていない。
ただ埼玉ドームはジャガースの本拠地であるので、設備自体はあるのだが。
本日は直史は投げない予定だが、何があるか分からないのが野球である。
ちょっとした怪我を能登がしたりしたら、控えのピッチャーが投げるしかない。
だがもしも点差が少なかったら、リリーフで直史が投げる可能性もある。
ただし今日は投げても、瑞希は来ていない。
確実に投げる二回戦以降は、来る予定なのだが。
そしてこういうフラグは、えてして普通に立ってしまうものである。
八回を終わって4-3と、マッスルソウルズはリードしている。
対戦相手は東近畿代表の、滋賀ベースボールクラブ。
マッスルソウルズも強いチームではあるが、こちらも同じく強いチームである。
元プロ野球選手の肝煎りで結成されたこのチームは、マッスルソウルズをも上回る実績を残し、プロ野球選手を輩出した実績もある。
それをここまで三点で抑え、打線は四点も取ったのだ。
「行けるか?」
「どうれ」
肩を作る暇もなく、九回の裏、ノーアウト一二塁という状況で、直史はマウンドを渡されたのである。
「お願いします、ナオさん」
「了解」
一打逆転サヨナラの場面。
だが直史は涼しい顔で、わずかな投球練習を行う。
その様子を見ていて、対戦チームは勝利の可能性を考える。
正直な話、直史がアナウンスされた時は「あ、終わった」と思ったものである。
だが明らかに直史は、肩を作れてきていない。
夏場とは言え、いきなりの全力投球はリスクが高い。
このまま完投されるかと思ったが、代打でチャンスを作り、上位に戻した。
そして代走まで使って、完全に逆転サヨナラを狙っている。
誠二と軽く話して、組み立て方を考える。
いつも通りやればいい、と直史は計算しているのだ。
相手のベンチ側からも、当然ながら視線を集めている。
「150は明らかに出てないな。140台の半ばぐらいか?」
仮にもまだプロを諦めていない集団による、クラブチームである。
マッスルソウルズの先発は、確かにいいピッチャーであったが、実績はこちらが全く違う。
しかしどれだけすごいピッチャーであっても、状態が万全でなければ、その力は発揮出来ないだろう。
あの佐藤直史を打つというのは、選手にとって大きな自信になるだろう。
プロへの道を諦めない選手にとっては、何か一つ頼れるものがあるというのは、精神的に大きいものになるのだ。
ただ直史としては、この試合はそれほど重要な試合ではない。
打たれても自責点はつかないし、負ければ確かに終わりであるが、まだまだクラブチームの試合は多いのだ。
だからといって負けるつもりは一切ないのが、直史の直史たる所以である。
初球は落差の大きなカーブから入った。
ゾーンを斜めに切断していく球筋に、バッターは手が出ない。
そして次に投げたのはストレート。
アウトローへのボールを、セカンドに打たせる。
ダブルプレイが成立した。
ただし二塁ランナーは、三塁にまで到達している。
ツーアウトランナー三塁で、打順は三番へと回る。
なんとしてでも塁に出る。
三塁ランナーをホームに帰したら、それで同点にはなるのだ。
延長になればタイブレークに突入するのが、この大会のルールである。
最初からランナーがいる状態では、打たせて取るタイプの選手は相性が悪い。
もちろん直史が、三振も取れるピッチャーであることは分かっている。
だが今はまだ、肩が暖まっていないので球速は出ない。
そう思ってるんだろうな、と直史は涼しい顔で考える。
取らないだけで、取れないわけではない。
直史はちゃんと計算しながら投げているのだ。
このバッターで終わらせる。
そう思って投げた初球がスルーで、誠二は必死でそのボールを前に落とした。
三塁ランナーがホームスチールでもかけていれば、今のは成功したかもしれない。
だがそんな危険な選択を、こういった大会でしてくることはないだろう。
クラブチームの野球は、高校野球に比較すると気楽だな、と直史は感じている。
もちろんプロを目指す選手たちは、一つ一つのプレイがプロへの道につながっている。
だが甲子園の時にあったような、全校生徒と地元の応援、そして親戚一堂の期待までを背負っているのとは比べ物にはならないのだ。
直史はそうでもなかったが、甲子園に出られないと、死ぬような顔をしてプレイするような選手はいた。
甲子園においても、とにかく全力でプレイするというのが普通であったか。
ただ中には甲子園のその先も見ていた人間もいたが。
大学野球はあくまでも仕事であり、その点では高校時代よりも責任は重かったと言える。
だが背負っていたのは、あくまでも自分一人の人生だ。
まるで直史に、自分の夢や運命までも託したかのような、そんな人間はいなかった。
スルーの次のストレートを、バッターは空振りした。
これでツーストライクで、あと一球である。
最後に投げる球は、これだと決めておいた。
スライダーを、バッターは空振りした。
結局はわずか五球でスリーアウト。
明日の試合も見据えた省エネピッチングで、マッスルソウルズは二回戦進出を決めたのである。
×××
人類総野球人化計画……。
いったいどんなものなんだ……。
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