第226話 諦めの悪い人々

 七月下旬、都市対抗野球大会の本戦が行われた。

 もちろん直史は参加もせず、見物にもいかない。

 東京ドームで行われるこの試合は、実はかなり応援にも力が入っている。

 参加チームが32チームなところなどは、ちょっとセンバツを思い出す。

 ネットでも配信されているが、決勝のみは地上波でやっている。


 直史も社会人野球のクラブチームに入るまでは知らなかったことだが、千葉県にも強豪のチームはあったりする。

 そして今年はなんと、その千葉のチームが優勝してしまったりしていた。

 レンタルされた能登と山中は、ちゃんとしっかり活躍してきた。

 おそらくスカウトの目には止まったろうし、プロのドラフト指名はなくても、企業チームからの移籍の誘いはあるかもしれない。

 

 直史としては不思議に思うのは、企業チームへの移籍などを、社長であり監督でもある中富が、完全に肯定的に見ていることだ。

 言葉では説明されたが、どうしても完全には納得出来ない。

 プロ野球選手を育てるためなら、マッスルソウルズは腰掛でいい。そう考えているとしか思えない。

 そのくせこれだけの設備を維持して、チームを持ち続けている。

 選手が育つことの宣伝効果を当てにしていても、いくらなんでも割りに合わないと思うのだが。


 これもまた、野球にとりつかれた者の、一つの形。

 大学から社会人でも野球をやる人間などは、年齢的にこれがプロへのラストチャンスと考えている。

 また高校や大学でドロップアウトした人間を、どうやっていわゆる正当な道に戻すか。

「道楽だと言われても仕方ないな」

 珍しくも直史は、中富に誘われてレストランになど来ていた。普通ならこういった誘いは断るのだが、中富のやっていることには興味があったのだ。

「まあちゃんと利益は出してるし」

 カツカツでやっているなら、確かにあの設備を維持することは難しい。

「この世界、プロの選手になるよりも、その周りにいた方がよほど稼げるってもんだからな」

「それは分かります」

 たとえばプロ野球選手の代理人になったら、その報酬は年俸の5%が一般だ。

 大介の年俸更改に毎年携わるなら、それだけで3500万の利益が出る。


 日本の代理人制度なら、まだマシなのである。

 しかしこれがアメリカになると、一人のエージェントか複数の選手を抱え込んで、選手の年俸の釣り上げ合戦が行われたりする。

 個人事業主のプロスポーツ選手と、代理人、そしてチームの関係については、昔は一方的にチーム、野球なら球団側が強かったものだ。

 誠意は言葉ではなく金額というのは、資本主義社会では完全に正しいものである。

 もっとも金にこだわらないのが美徳というのは、いまだに経営者側が労働者に求める価値観であるが。

 日本人的とも言える。なので腕を持つ人間は搾取され、あるいは正当な評価を求めて外に出て行くのだ。

 

 マッスルソウルズはあくまでも、選手をプロに送り出すことを、最大の目的と考えている。

 都市対抗の選手レンタルに関しても、ちゃんと見返りがあるのだ。

 しかしその見返りとなる選手を、別に引き止めるわけではなく、そのまま移籍させたり、プロに送り出したりしている。

「長期的な視野というのと、あとはこういう会社が、日本にもないといけないと思うからかな」

 マッスルソウルズのスポーツセンターは、実は関東だけではなく、かなり日本国内に存在している。

 一般的なトレーニングジムであることが一番多いが、完全にそれだけというわけでもない。

 そして地方の高校や大学などから、選手を東京に引っ張ってくる。


 正直なところ、直史から見てメンバーたちの待遇は、それほどいいとは言えない。

 だが育成でやることや独立リーグでやることに比べたら、経済的には恵まれているのかもしれない。

 最近は独立リーグも変化しているが、直史的には人生の一番の勝ち組になれる確率が高いのは、企業チームでやることである。

 何がいいかと言うと、引退しても仕事があるのだ。

 それに野球部で成績を出すと、ボーナスにも影響があるという。

 マッスルソウルズは食事に関しては会社内でしっかりと食べさせている。

 ただ給与体系などを見たら、企業チームが全て大手企業だということを考えると、さすがに勝ち目がないだろう。


 それでも中富はこのやり方で、ちゃんと利益を出し続けている。

 そしてマッスルソウルズのやり方によって、今年もまた才能が、その相応しいところへと向かって行くのだ。

(それでちゃんと収益を上げてるのか。たいしたもんだけど)

「ちなみに君が来たことで、いい宣伝効果にもなっている」

 思わず直史は笑ってしまう。


 中富はどちらかというと露悪的な男だ。

 しかし野球に対する熱量は、かなり高いのだろう。

 あえて野球を選んでいるのか、それとも野球以外ににはなかったのか。

「君もまだ、野球から離れられないと思うがね」

「そうでしょうか」

「まあ今度の大会に参加して、また違った野球の姿を見ればいいさ」

「予選に出てない私が、本選の試合になど出ていいのですか?」

「君と一緒にプレイしたい人間が、どれだけいるか考えた方がいいな」

 八月下旬、夏休みの間に、全日本クラブ野球選手権大会は行われる。

 舞台はなんと、プロ球団埼玉ジャガースの本拠地埼玉ドームである。

 かつては持ち回りで球場を変えて行われたものだが、やはり関東でやった方が経費削減にもいいとなって、そこに落ち着いている。

 予選の試合の間、直史は出場していない。

 都合が悪かったので仕方がないことだが、何も貢献していなかった人間が、本戦のみに出ていいものか。


 だがそれは直史の認識違いである。

「君の存在自体が、チームのレベルアップにつながってるんだ」

 こんな環境になっても無自覚なのが、直史の直史たる所以である。




 夏休み中も少しは休憩をしているとは言え、ひたすら勉強をしているというのは、かなり大変なことである。

 なので直史は瑞希を時々連れ出し、自分が練習やトレーニングをしている間に、ジムの方に放り込んでいる。

 たまには一緒に、汗をかいたりもする。

 直史は恋人に自分の趣味を強制する人間ではないが、瑞希は確かに華奢なのだ。

 そういうタイプが好みの直史であるが、あまり華奢すぎると、この先の勉強でも体力勝負なところがある。


 勉強は体力勝負のところもある。

 それまでずっとスポーツをしていた生徒が、部活を引退したら急に成績が伸びることはある。

 これはスポーツにかけていた時間を勉強に回すことが出来たというのもあるが、体力があるため勉強に集中できるという理由もある。

 実際瑞希は、適度な運動で体調が良くなってきているのを感じている。

 これは千葉に戻ってからも、ジム通いはした方がいいかな、とさえ思うものである。


 そんな瑞希に、中富は話しかける。

 純粋に興味があったのだ。直史の恋人に対してと言うよりは、あの『白い軌跡』を書いた人間に。

「そんなにたいしたものはないけど、ここは私が奢るよ」

 それではと瑞希は、ジムに併設されたフードコートで食事をする。


 瑞希は生来食が細かったのだが、さすがに運動すれば空腹になる。

 そして運動のすぐ後に、プロテインを摂取するのは重要である。

 そのあたりもふまえて、中富は瑞希と話をしたくて、この場所を選んだ。

「佐藤君は今まで、一度もプロの道に進もうとは思わなかったのかね?」

 よくある質問であるが、瑞希としてもそこは断言できない。

「本当は高校で野球は辞めて、草野球で楽しもうとしてたみたいですから」

 プロテインジュースに鳥胸肉のサラダを食べながら、瑞希は会話をする。


 直史は大学においてさえ、地元を離れることを嫌がったのだ。

 ただ卒業後のことを考えると、早稲谷で奨学金をもらいながら勉強することは、将来的にいいことだと判断した。

 田舎の旧家の長男というのは、墓を守っていかなければいけない。

 畑などは農家の人間に貸してもいいが、あの実家は守っていく。

 山も持っているし、その中には小さな里もある。

 広大な田舎を守っていくために、直史は生きている。

「う~ん、プロ野球選手なら引退年齢も考えれば、それからそっちに進んでも悪くないと思うがねえ」

「直史君は基本的に、ものすごく負けず嫌いなんです」

「ああ、それはそうだろうね」

 でなければあれほどの成績など残せない。

「プロに入るとさすがに、それなりに負けると思います」

「それはまあ、そうなのかもしれないが」

 プロ野球は統計だ。

 セイバーメトリクスの数字は、まず嘘をつかない。

「年に何度も負けるプロ野球が、嫌いなんだと思います」

「それは……負けず嫌いにもほどがある」


 あるいはバッターであったらどうなのか。

 四割打てれば宇宙人という世界で、大介は四割を打ったが、直史はピッチャーである。

 無敗どころか、自責点0という数字を残した直史は、おそらく今後も二度と出てこないピッチャーだ。

 あるいはピッチャーの概念が変わるか、ルールが根本的に変わらない限り、二度と出てこないであろう。

 高校のトーナメントならともかく、大学のリーグ戦で無敗。

 それをプロの世界でも続けるというのか。


「つまりは――」

 中富は息を飲んでから続けた。

「負けるのが嫌だから、プロには行かない?」

「本人も自覚しているかどうか分からないですけど、私はそうじゃないかと思います。もちろん怪我のリスクとかも、全て本当のことだとは思いますけど」

 中富もさすがに、それには言葉がない。


 野球に限らずプロの競技というのは、ある程度負けて当たり前なのだ。

 ラグビーなどはジャイアントキリングが起こりにくいスポーツだと言われるが、野球は違う。

 あの上杉でさえ、プロではしっかりと敗北している。

 負けから何を得るか、そして新しい力としていくか、それが大切なことである。

「確かに無茶だなあ」

「個人的には、直史君がプロで投げるのは、見たい気はありますけど」

「そうか……」


 瑞希の父が弁護士であるから、一緒にその事務所を継ごうという考え。

 瑞希がいることが、直史を縛り付けているのかと思った。

 だがそれ以前に、本人は地元を離れるつもりがないのだ。

 この大学の四年間でさえ、直史には故郷を離れるものであった。

 もっとも大学時代は大学時代で、ちゃんと楽しんでいたのも事実だが。


 甲子園では最後の一年間は無敗、大学は無敗、国際戦では無失点。

 学生でありながらWBCのMVPに選ばれたピッチャーは、そこまで考えていることが無茶苦茶なのか。

 プロのピッチャーを見れば、超一流でもある程度負けるのは当たり前である。

 上杉は一年目、無敗の19勝を上げたが、それ以降は25勝1敗が最高の記録である。

 プロのピッチャーというのは、負けてもそこに華があるものだ。

 それなのに負けたくないと言うのだから、どうしようもないことなのかもしれない。

「身内の方で、反対している人がいるとかは?」

「そんなことはありません。でも自分で決めたから、それは破らない人です」

 頑固なのはピッチングの内容を見ていれば分かる。




 帰路において、直史は話していた。

「能登と山中は、プロで指名されるか、企業チームに引き抜かれるかもしれないそうだ」

 瑞希は色々と知りたがりなので、車を運転しながらも直史は話す。

「まあ直接今年のドラフトにかかるかもしれないけどな。本当に、諦めずに頑張れば、そこそこ報われる者もいるんだな」

 直史は諦めたわけではない。

 ただ選択肢において、選ばなかっただけだ。


 野球を楽しむことは、諦めていない。

 だが直史がこの先、満足出来る相手に会えるのだろうか。

 シーズンオフに大介と、バッティングピッチャーとして対決したことなども聞いた。

 今はまだ、ほとんど差はついていない。

 三冠王を取るようなプロのバッターを相手に、まだ勝負することが出来る。

 だがこの先の直史は、技術も筋肉も、どんどんと落ちていく。

 もしもプロの道に進むなら、25歳ぐらいまでがさすがに限界だ。

 それ以上の年齢でプロに入った者もいるが、活躍するにはやはり若いうちから、周囲のレベルが高い環境にいた方がいい。


 瑞希はプロのピッチャーに関して、少しは調べてみたのだ。

 ローテーションのピッチャーであれば、出番は週に一度。

 先発としてそこだけ投げて、あとは地味にトレーニング。

 弁護士と兼業できないかなと考えたが、もちろんこれは無理である。

 クラブチームに所属していれば、プロの二軍などとは試合をすることがある。

 せいぜいこれが、直史にとっても満足出来る相手か。


 直史は全く練習をしなくても実力を維持出来るような、そんなタイプの才能は持っていない。

 弁護士という仕事は、要領よくやれば楽ではあるが、それだけでは通用しない面はある。

 今は弁護士の数自体は、かなり余っているとも言えるのだ。

 企業の中で働くなら別だが、それは経験が必要である。

 だから瑞希の父のように、地元の企業や住人などと密着して仕事をするのが、一番いいのである。

 離婚の案件がけっこうな依頼にもなっているそうだが。


 直史がプロの世界に興味がないというのは、嘘である。

 正確に言うならば、ほとんど興味がない上に、リスクを取ってまでやりたい仕事ではないというだけだ。

 世間一般の人間が、大企業への就職を望むように、直史も最難関の資格を求めた。

 これはリスクを取って、仕事を選んでいるということだ。

 野球は好きだが、プロ野球の世界では生きていくつもりがない。そういうことなのだ。

 本当に? とは何度も瑞希は思い、数度だが確認した。


 そして直史は答えるのだ。

「大介と武史が活躍するなら、それで別にいいんじゃないかな」

 間接的にではあるが、直史が勝った相手が活躍すれば、それは直史も満足するということなのだ。

 ただそれだと、上杉との対決だけは、直史も出来ないことになるが。

 直史と上杉の投げ合い。

 想像しただけで、震えがくる瑞希である。

「冷房効きすぎだったかな?」

 心遣いの細やかな直史に、瑞希は首を振るのである。

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