エースはまだ自分の限界を知らない[第四部B 大学編]

草野猫彦

一章 大学一年・春のリーグ

第1話 入部がニュースになる男たち

 引越しも終えて四月の入学式から大学生活を開始する直史であるが、実は野球部の活動はそれよりも早く開始される。

 先に入部の意思を伝えた上で、三月終盤の集合日に集まらなければいけないわけである。直史の場合は逆に、大学の方から確認されたわけだが。

 幸いにも二つ上に、白富東でキャプテンをしていた北村がいる直史は、ある程度情報収集が出来ていた。

 しかしこれを知らずに大学の入学式後に、野球部に入りたいと思った選手はどうするのだと、直史などはひっかかる。

 それに一度退部したらもう一度入部は出来ないらしいし、新入生のこの時期の入部しか認められていないのだとか。

「お前はどちらかと言うと慶応の方が合ってたかもしれないけどな」

 そう北村は言ったが、早稲谷の方が条件が良かったのである。

 なおここ数年のリーグ戦の成績は、だいたい慶応の方が上である。


 早稲谷大学の野球部はもちろんスポーツ推薦の特待生もそれなりにいるが、一般入試で入ってきた者もいる。

 あとは推薦は推薦でも、指定校推薦などで入った者だ。

 樋口とは割と頻繁にネットで交流などはしていたが、地元から他に早稲谷に進学して野球をするつもりの者もいる。

 三里高校の星と西である。


 星は甲子園に行ったチームのキャプテンとして、西はもう一枠の推薦で、受かっていたらしい。

 高校時代に星と仲が良かったのはジンであるが、見知った顔が他にもいるというのはありがたい。

 直史は人見知りなのである。


 そしてそれらとは別に、数度しか顔は合わせてないが、それでも良く知っているメンバーがいる。

 早大付属のチームで、レギュラーを張っていた、近藤、土方、沖田、山口の四人である。

 スポーツ推薦でもない持ち上がりで進学したこの四人は、春休み中から既に大学の野球部に合流している。

 そして直史のスマホに対して「佐藤ーっ! 早く来てくれーっ!」などというメッセージを送ってくるわけだ。

 なんだか少し余裕があるなと思う直史である。




「よう」

「ああ。そっちは?」

「同じ県出身の星と西。センバツにも一回出てたけど」

「ああ、三里のか。思い出した」

 直史と樋口、直史と星と西は接点があるが、樋口と三里の二人には接点はない。

 三里の二人も寮ではあるが、直史と樋口とは違う寮だ。

 完全に特別待遇の二人は色々な恩恵を受けているのだが、口外禁止である。

 大学の野球部というのは、今では使える金が多いらしい。


 集合日と言われるその期限日に、四人は野球部のクラブハウスを訪れた。

 特に講義などの入っていない日は朝の八時から練習しているらしいが、30分前の時点でグラウンドには既に多くの選手の姿が見える。

「合格してから調べてみたけど、まためんどくさそうな環境らしいな」

 冷え冷えとした雰囲気のまま、樋口は小声でそんなことを言う。

「まあ俺たちには関係のないことだろ」

 直史としても思考は樋口と同じ感じで小声で応じる。


 セイバーと秦野の指導を受けた直史もだが、樋口も自分なりに試行錯誤した上で、春日山では結果を残した選手だ。

 五期連続で甲子園に出場し、優勝一回、準優勝一回、ベスト8三回というのは凄まじい実績である。一年の夏からキャッチャーのレギュラーなど、そうそういるはずはない。

 直史としても高校時代、上級生や下級生、色々なキャッチャーを見てきたが、総合力で樋口以上のキャッチャーはいなかったと断言出来る。

「付属の近藤とか土方とかに聞いた話だと、今の三年が一番面倒なやからが多いらしいな」

 近藤と土方が中心に考えたのは、もう高校時代の二年間のような、馬鹿な上級生にのさばらせないための下克上である。

 正確には既に一年からスタメンレベルの力を持つのであるが、とにかく野球でもそれ以外でも、単に年齢が上なだけの人間にのさばらせておくのは、気分が悪い。


 直史と樋口は、共に強メンタルの持ち主であり、目的のためには手段を選ばない。

 近藤たちと話をして、そして先輩である北村などからも情報収集をした上で、大学の四年間を快適に過ごすことは決めている。

 この二人が決めたら、誰であろうが覆しようがない。


 既に一度は訪れたクラブハウスである。一階がウエイトルームとシャワールーム、二階が会議室と更衣室になっている。

 そこに入った四人は、待っていてくれたらしいユニフォーム姿の人物を発見する。

「こんにちわ」

「こんにちわ」

 別にアウトローを気取るわけでもないので、直史たちは普通に挨拶をする。

「……こんにちわ」

 なんだか向こうの方が威圧されているのは、おそらく二人がここに来るまで引き連れてきた、マスコミが外で待っているからだろう。

 そのマスコミの多さが、この二人の入部を、単なる通過儀礼ではなく、一大イベントにしてしまっている。


 ちなみに高校で卒業だと思っていた詰襟を、また直史は着ている。野球部員が野球部関連で移動する際は、学ランが正装なのである。

 自分の在学中にやめさせよう、と既にゴーイングマイウェイの思考の直史であるが、樋口も同意していたりする。

 ただ優先順位は低い。

 なにしろ二人の目的は、野球部の現体制を崩壊させることなので。

 単純な実力、そして先制するための契約、あとは裏工作などを準備している。

 別に服装程度なら妥協は出来る。


 なお、直史も樋口も、そして星と西も、入学式まで練習には参加が出来ない。

 なぜかと言うと、大学の野球部などの事故の保険が、学生にしか使えないからである。

 大学の練習に参加するなら他の保険に入る必要があり、そんなものに入ってまで大学で練習するような意義を見出せなかったのがこの四人だ。

 ちなみに樋口は春日山で、星と西は三里で、後輩と一緒に黙々と自主錬をしていた。

 春日山はついに甲子園連続出場記録が途切れたのである。




 この日のイベントは直史と樋口が大学のユニフォームに着替え、監督や部長に挨拶をして終わりである。

 星と西も顔出しだけで、やはり練習には参加出来ない。これもまだ、正確には入学式が終わるまで、野球部の正確な一員ではないというか、保険の範囲に入らないからだ。

 直史と樋口には関係のないことであるが、随分と不親切なことだと思ったら、ちゃんと別の保険は用意してあるらしい。


 直史と樋口、ついでに星と西も合わせて、監督に「よろしくお願いします」と挨拶をするところでイベントの第一部は終了。

 その後は記者会見などが行われるわけだが、これは別に直史が頼んだわけではない。

 大学としても甲子園に優勝したエースと、同じく優勝したキャッチャーを揃えた姿を見せたかったのだ。

 それにこの両者のチームは甲子園で二度戦い、一勝一敗なのである。

 だがワールドカップではバッテリーを組み、日本の初優勝の最後を決めた。

 大介がオープニングで信じられないぐらい打ちまくっているのも、回り回って直史に感想のインタビューをしたりする。


 直史としてはプロのレベルは、吉村や織田の活躍でおおよそ分かっている。

 この時期に平気で打ちまくるのは、予想できたことだ。

 樋口とバッテリーを組んでいた上杉弟も、ジャガーズでは一軍のオープン戦で投げている。そしてそれなりに打たれている。

 プロというのは高校大学ノンプロの、ほんの上澄みの存在で構成されたものだ。

 二軍の育成ならばまだ話は別なのだろうが。


 直史は高校時代は基本的に、チームプレイに徹していた。

 傍から見ればどうかはともかく、本人はそう意識していたのだ。

 だが大介のようなバッターをどう抑えるかは、それなりに考えたことがある。

 その一つが敬遠策だ。

 さらに言うなら足を利用させないために、前の塁も埋めておけばいい。


 直史は大介のおかげで勝てたし、大介は直史のおかげで勝てた。

 最強の矛と最強の盾が同じチームにあったわけである。ならば対することはないので、矛盾が起こらない。

 ただあの送別試合の最後の打席をどう考えるか。

 直史は三振を狙ったが、それは果たせなかった。

 まあもしツインズが陥落させることに成功すれば、未来の義弟になるので、プロで成功してくれることを祈ってはいるのだが。




 マスコミは大学に対する印象も聞いてきたが、施設が立派で綺麗に使っているという無難な答えをしておいた。

 伝統ある野球部の一員になった感想なども問われたが、まだ全く自覚はないし、そもそも伝統だけなら白富東だって相当のものである。

 数々の伝統を破壊した後に、あのチームが甲子園連覇を果たし、センバツでも勝ち残っていることを知らないのか。

 厳しさとか過酷さとか根性とかは、白富東には無用である。

 入部の時点でまだ素材であれば、それを鍛えて技術を叩き込むのに、よけいな精神論を入れてる余裕は無い。


 樋口にも色々と質問はされたが、基本的にこいつもマスコミはゴミだと判断する派である。

 ただ樋口は樋口で、裁判官はクソだとも思ってたりするし、人権派弁護士大嫌い人間であるが。

 この二人は政治的な主張が強いのである。そして頭脳が筋肉で出来てはいない。

 直史も樋口も、野球で食べていくつもりはないが、好きな野球が上達するためには、ヘタクソの指導を受けるつもりはない。

 ただの生意気なコゾーではなく、頭の切れる生意気なコゾーなのである。


 そんなわけで会見は終わった。

 笑顔を見せない二人は、おそらくふてぶてしく映っただろう。

 だが二人の意識としては、自分たちは試合で勝つのが役割であり、そのための契約を大学とかわし、戦力を提供するのだ。

 生意気だとか協調性がないとかで使わないとすれば、それは指揮官である監督の裁量である。

 このあたりの意識は、待遇と引き換えにチームを勝たせるという意味で、プロに近いかもしれない。




 無駄に注目の高かった入部会見は終わった。

 実際のところ早稲谷の学生としては四月の一日から始まるのであるが。

 直史と樋口としては、自前で調整をしていくしかない。

 幸いにも近くには、ボール遊びの可能なスペースの公園がある。

 やることはボール遊びではないが。


 そこへ星と西もやってくる。

 二人も母校で国立監督の手伝いをしながら、自分たちの練習もしていたらしい。

 三里もセンバツ出場と、最近の大会の成績から、新入部員は多くなったそうだ。

 さすがに国立は自分だけでは手が足らず、自分の後輩や卒業生に声をかけているそうな。


 高校野球においてコーチングスタッフは、重要な問題である。

 はっきり言って公立は私立に比べて設備なども劣るが、それ以上に格差があるのは指導者だ。

 だいたいの野球部において監督というのは、経験者であるだけでコーチの教育等は受けていない。

 自分の経験などを元にして指導などをしたりする。

 それは単に時代遅れなだけではなく、それ以上に問題があったりするものだ。

 野球における監督という存在の、悪い意味での重要度は高い。


 国立がまともな指導を出来るのは、高いレベルの学生野球の環境に身を置いたのと、教育者としてまともな教育法をちゃんと学んだからだ。

 そしてスポーツ生理学なども学んでみれば、野球の環境がおかしいことには気付く。

 日本における野球は、リトルやシニアまではまだマシなのだが、高校や大学という、まさに上を目指すための環境においては、科学ではなく感情で指導が行われる。

 そしてそれはプロでも同じ場合が多く、人間関係の構築を学ぶための場所が、高校や大学のチームになっていたりする。

 ますます日本の野球界はガラパゴス化するわけである。




 運動着に着替えた四人は、次々に相手を変えて、キャッチボールをしていく。

「星は大学はもう野手で行くのか?」

「うん。でもバッピとかはするかも」

 確かにアンダースローは大学でも、圧倒的に少ない。

 もっとも上のレベルで通用しなかったピッチャーが、サイドスローやアンダースローを試す場合は多い。

 星の場合はそれが高校時代であっただけだ。


 だが星ぐらいに打ちにくいアンダースローであれば、大学でもワンポイントなどで使えそうな気もする。

 スイッチピッチャーはルールで、一人のバッターに対しては一方だけとなったが、オーバースローとアンダースローの切り替えを禁止するルールはない。

 ワンポイントとしては充分に使えるような気もする。

「それで、手はずはどうなってるんだ?」

 樋口としては自分の快適な大学生活のためには、100年の伝統などもぶち壊していいというエゴが存在する。

「いくつかあるらしいが」

 直史としても早大付属時代であった頃の問題などは、あくまでも聞いた話でしかない。


 早大付属が名門であり、選手を揃えながらも、ここ最近は低迷していた元凶。

 やはりそれは、人間関係もあるがそれを覆う伝統などである。

「私立の大学なんて金もかけてるし人数もいるんだから、指導法とか練習法のアップデートは必須だと思うんだがな」

 樋口などはシニアの時代から、自分にあったトレーニングや最適な運動などを、指導者の指示など全く聞かず、自分で判断して行ってきた。

 そして高校に入ってからは、上杉兄弟にまでそれを徹底させ、全国制覇を成し遂げたわけだ。


 上級生からはあまりにも嫌われていたために、キャプテンにはならなかった。

 ただ実質的に春日山を動かしていたのは樋口であったのだ。

 まあほしいと思っていた機材などは、上杉の家の寄付金で買ってもらったりもしたが。

 一応指導法については詳しく残しておいたが、やはり樋口が実際にやらないと無理だったのか、秋の県大会では勝ちあがれなかった。


 直史としては円滑な人間関係と、効率的な練習をしたいだけである。

 そのためには伝統と呼ばれる悪しき保守思想を崩壊させ、練習法だけでなく思考法も、バージョンアップさせなければいけない。

 そもそも学生野球の中でも一番レベルが高くなければいけないはずの大学が、一番効率的で効果的でないのが、おかしいと考えなければいけないのだ。

 まあ六大学の中では早稲谷は、もっともそのあたりはめんどくさいらしいが。

 それは良い条件と学業の環境を整えてもらった直史が、まとめて解決しなければいけないことの一つである。


 おそらくどれだけのことをしても、大学の野球部自体が廃部になることはないだろうし、精々が停部になる程度であろう。

 早稲谷の野球部というのは、OBが大変に幅広い分野に存在するため、この野球部自体は潰れない。直史がどんだけ過激なことをしようと。

 ただ権力や法律に関しては、直史にも色々と伝手はあるのだ。

 問題は相手を自棄にしないことと、そして組織を正しく変革すること。

 そのために必要なのは法律に強い人間と、権力に強い人間だ。

 前者はともかく後者は、樋口を巻き込んだことで確保出来た。


 味方となるのは積極的には早大付属出身の四人に、この場にいる四人。

 あとは監督や部長などはおそらく中立。

 だがこいつらは保守的であるがゆえに、無自覚の内に消極的な敵対者になりうる。

「野球は楽しくしないとな」

 真面目な顔で言う直史であった。

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