第13話 優勝決定戦
純粋に己の都合だけを言うならば、直史は自分の出る試合だけは勝って、他のピッチャーが出る試合は負けてくれたほうがいい。
そしたら契約にある全国大会へ出る必要はないからだ。
(なんでこんな考えになってるんだ?)
自分でもよく分からない。
高校時代は試合に負けるのが嫌だった。
自分が投げていなくても、岩崎の応援はしたし、確実な勝ちのために無理をした。また無理を強いた。
なぜ高校時代に比べて、さらに言うなら中学時代に比べてさえ、これほど勝利への関心がないのか。
樋口にもこの気持ちは言ってみたが、そう言えば俺もそうだ、と同意されただけだった。
あまり広言してもいいことではないので瑞希に話してみると、達成感の違いではと言われた。
高校時代は中学時代の反動で、とにかく勝ちたかった。勝つことが目的であった。
現在は勝つことによって自分の価値を証明し、それに対価をもらっている。
あとは仲間意識だろうか。
高校時代と違い大学では、同じ大学でもキャンパスが違うと、生活圏も生活時間帯も違う。
これでも同じ寮にでもいれば仲間意識が生まれるのかもしれないが、二人ともキャンパスが遠いため練習時間もバラバラになる。
星や西に聞いてみたところ、やはり同じチームの一員という意識はあまりないということだ。
ひょっとしたら無理矢理にそういったチームワークや一体感を作るために、無駄に長い拘束時間で、グラウンドに縛り付けていたのかもしれない。
高校時代の三年間で、立派にスコアも付けられるようになった瑞希は、当然のように土日は恋人の試合を見に来る。
真夏の高校野球と違い、春と秋にリーグ戦を行う大学野球は、かなり合理的ではある。
ちなみに大学野球を行う神宮球場は、土日にばかり大学野球をやっているわけではない。
六大学以外の東都リーグも神宮球場で行われ、おおよそ火曜日と水曜日に東都の試合は行われている。
これも原則的には間違っているのだが、事実が原則よりも多い例の一つであろう。
春のリーグ戦第六週は、法教大学との試合がある。
高校時代に対決した相手では、瑞雲の武市がここに進学している。
だがさすがに一年からベンチ入りはしておらず、スタンドから応援である。
なお法教大学に二連勝して勝ち星を上げれば、次の慶応との試合で二連敗しても春のリーグ優勝が決まる。
登録されている選手の名前を見ていて、樋口が少し唸る。
こいつはベンチの中でもデータの見聞をしているのだが、おそらく法教は、今年の秋から来年にかけて強くなる。
樋口が高校一年の時に調べた、甲子園の出場選手の中から、かなりの有望選手が進学していたのだ。
直史は一年の夏は甲子園に出場していない。
だから意識するのは、二年時の対戦相手だ。
それを見ると意識するのは、慶応大学のメンバーだ。
ここには大阪光陰で真田と、加藤福島の三人に豊田までをリードした竹中が入学している。
樋口も知っていることだが、ワールドカップの時に日本選手団を率いた木下は、投手の起用をする時に、竹中がいてくれればと何度も呟いていた。
実績的に言えば一年の秋から正捕手の座を掴み、上級生も巧みに操縦して、大阪光陰の春夏春の三連覇に貢献した。
だからもちろん、キャッチャーとしても守備の頭脳としても、優れた選手であることは間違いない。
「慶応なら村田はどうしたんだ? あいつも確か慶応に行ったはずだろ」
樋口はそう言うが、選手名鑑には載ってない。
二人は知らなかったが、明倫館の正捕手で春には準優勝、夏もベスト4まで進出させた頭脳派キャッチャーの村田は、親の跡を継ぐために医学部に進学している。
硬式でガチ野球をやる気はなく、軟式野球部でのんびりというつもりである。
確かに医者になるには、相当の勉強が必要だろう。
直史の司法試験も難関ではあるのだが、実技が多いという点が、村田の行動を拘束する。
それでも一年ぐらいなら充分に戦力になるはずだが、雑用を一年間していても無駄だろう。
高校時代のわずかな時に輝いた、名捕手の頭脳もこうやって消えていくのだ。
「あ、あと慶応は桂もいるのか」
明倫館からは高杉がプロに進んだが、他は全員進学だったはずだ。
そんな二人の様子に、ベンチの中の視線は冷たい。
「呑気だな、お前ら」
「まあ今日は出番もないでしょうし」
先発の梶原の調子が良すぎた。
八回を投げて二安打一失点。
そしてこちらは五点を入れており、おおよそセーフティリードである。
高校野球だと奇跡の大逆転があったりするが、大学野球は良い意味でも一戦の重要度が低い。
比較的プレッシャーのかからないこの状況では、変なエラーも発生しないだろう。
そんな会話をしていて、直史はやっと分かった。
大学野球は練習こそ厳しく見せているが、一番肝心なところが温いのだ。
一度負けたらそこで終わりというトーナメントとは、敗北への緊張感が違う。
ゲームというものを楽しむには、負けたときに悔しければ悔しいほどいい。
特にピッチャーというのは、ほとんど一人で試合を作ってしまうことが出来る。
プロの世界もそうだ。
年間に100試合以上もして、ピッチャーは先発がかなり多くて30登板。その中で一回や二回は負けるのが当然。
直史のように全部勝つと考えているのは、心意気としては立派かもしれないが、最終的には戦力を上手く運用して、勝率で一位になればいい。
その後のクライマックスシリーズと日本シリーズはまた別の気はするが、リーグ戦というのはその程度にしか感じない。
真剣になればなるほど、勝利という結果がほしくなるだろう。
だがリーグ戦は敗北がそのまま終了とならないだけに、どこか甘いのだ。
そしてこれがプロになると、自分の成績にこだわるのが、10年とか20年に渡って続いていく。
(やっぱプロになんかなりたくないな)
直史としては実際のプロの生活を想像してみて、全くそれに興味が湧かないのを再確認する。
キャンプが始まると一ヶ月以上は家を空けて、昼間は野球ばかりの生活。
出張がシーズンの半分を占めて、愛する家族とはなかなか会えない。
特に新人などは寮に入ることが義務付けられて、大卒でも二年はいなければいけないなどの決まりがある。
それと最も大事な問題は、勤務地である所属球団を自分で選べないということだ。
直史は惣領息子である。
今どきそんなことがあるのかという人もいるのだろうが、直史としては価値観の根底にあるもので、それを否定することは出来ない。
千葉に生まれて、千葉で生き、千葉で死ぬ。
今は例外的に東京に出てきているが、生活の基盤はあくまで千葉で一生を過ごすつもりだ。
そしてそれに、何も疑問など持たない。
司法修習で全国に飛ばされるのだけは仕方ないのだが、それも希望は千葉で出してあり、とにかく将来的にも地元に戻ることだけは決めている。
大学と、司法試験に受かるまでの期間、そして司法修習の期間まで合わせれば、短い人間は本当に短いが、長い人間もいる。
それでもプロ野球とは比べ物にならない。北海道だの福岡だの、たとえプロになる選択があったとしても、直史には家族と離れて暮らしてまで野球で働くことのメリットが見出せない。
トレードで勤務地は変わるかもしれないし、故障して戦力外になるかもしれない。
そんな危険を持ったままで、自分に合わない野球をするというのか。
千葉県にはそれなりにクラブチームがあって活動している。もちろん直史レベルがそこで投げれば無双であるが、そこは左手で投げるなどに手加減すればいいし、ピッチャー以外をやってもいい。
野球自体はそれでも楽しめる。
とにかく価値を見出せない野球であるが、直史は手を抜くわけではない。
チームの勝敗にはあまり関心が沸かないが、自分の投げる試合で負けるのは気分が悪すぎる。
土曜日の第一戦が終わって、第二戦は先発となる。
結局一戦目も勝利出来たので、ここで勝てば月曜日は完全にオフである。
そんな直史を相手に、法教大学も気合を入れている。
なにしろ甲子園の優勝投手に、ワールドカップのタイトルを持ち、ここまで無失点の0の男。
とはいえこの間まで高校生だった選手に、法教大学としてだけではなく、六大学の人間として、そろそろ黒星をつけてやらなければ気が治まらない。
「とか考えてると思うんだが」
「奇遇だな、俺もだ」
樋口と一緒に淡々とゲームプランを考える。
この日の直史は、調子は悪くない。
つまりいつも通りだ。
なので当然のように相手の攻撃を0で封じていくのだが、こちらも点が取れない。
六回の攻撃までをまたパーフェクトに抑えたりしてしまっているが、向こうのピッチャーもヒットは三本打たれているが、まだ点が入っていない。
無茶苦茶いいかげんで、なんの根拠もないのだが、味方の援護の少ないピッチャーというのは存在する。
実際のところ直史も、高校時代は後半はその傾向があった。
正確には相手のピッチャーの攻略が難しい場合に投げていたから、当然の結果ではあったのだが。
坂本とか真田とか、あのあたりである。
「そろそろ一本打ってくれ」
汗を拭って水分補給し、直史が気だるげにそう言った。
「打てと言われて打てるなら苦労はないけどな」
そう言ってネクストバッターサークルに向かう樋口である。
本日の樋口は七番に入っていて、あまり打撃は期待されていない。
本当に期待していないというわけではなく、打撃でまで活躍されたら、上級生の面目が立たないからだろうと、直史は勝手に思っている。
樋口としてもそれほどバッティングでまで目立つ必要はないのだが、さっさと試合を終わらせたいのは同じである。
ツーアウトランナーなしからバッターボックスに入った、今日は無安打の一年キャッチャー。
甲子園でホームランを打っていると言っても、樋口はそこまでの長距離砲ではない。
ただ、打つべき時に打つという能力は、直史も良く知っている。
膝元に入ってきたスライダーを、掬い上げ過ぎないように掬う。
それがレフトスタンドに入って、試合の均衡を崩した。
0-0が先制の一点から、急激に動くということはある。
追加点を取ろうという動きに、反撃の逆転を狙う打線が絡み、急に打撃戦となることはある。
だがそんな空気を断ち切るピッチャーもいるわけだ。
「え~」
「マジで~」
「空気読めよ~」
法教のベンチも応援席も、げんなりとしてきている。
試合が動くと思われていた。
だが動いたのは、相手の打線だけであった。
一気に追加点を奪われて、5-0とスコアは変わっている。
それに比べると法教の打線は死んだように動かない。
九回の裏ツーアウト、ラストバッターに出された代打から、この試合13個目の三振を奪う直史であった。
即ち、またも完全試合達成である。
もちろん凄いことは凄いし、これで勝ち点からいっても優勝は決定したのだが、あまりにも平然としているバッテリーに、他のメンバーもドン引きである。
マスコミ陣もドン引きである。
大学野球の歴史に記録を刻んだこのバッテリーは完全に辟易とした表情を隠さない。
直史も樋口もマスコミ嫌いは有名であり、これまでの試合でもほとんど愛想笑いも見せない。
パーフェクトを狙っていたのかと訊かれても、直史が狙っているのは、常に完封である。
何本ヒットを打たれても、何人ランナーを出しても、点さえ取られなければいいのである。
そのへんをくどくどと長く言って、記事に出来そうな部分を多く提供する。
どうせまた明日の新聞では、適当に言動を切り貼りした記事が載るのであろう。
普段は強面の辺見は、さすがにさすがに久しぶりのリーグ優勝に、喜びを隠せない。
優勝パレードなどは最終戦が終わってからになるが、急遽宴会でもするかとなる。
早稲谷の野球部はOBなどの寄付などもあり、こういった時には当然の如くどこかの店を貸切にする。
「あ、俺はこれから用事があるんで」
「俺も。ちょっと今日は」
バッテリーは仲良く宴会拒否である。
「まあ、予定が入ってるなら仕方ないが……」
そうは言われるが、試合で不甲斐ないところなどを見せた場合、グラウンドに戻って罰走などが行われるのが大学野球である。
直史が入学してからは、一度もそんなことは行われていないが。
グラウンドまでは一緒に帰るメンバーであるが、そこで着替えた二人は、それぞれ途中まで同じ方向に向かって行く。
ここからレギュラー組以外は練習であるのだが、二人には関係のないことだ。
「女か?」
「ああ。お前は?」
「同じだ」
月曜日にはきつめの講義を入れていないので、日曜日は遊べる二人である。
「あとは再来週の早慶戦か」
「優勝が決まってもやらないといけないのが、リーグ戦の面倒なところだよな」
「そういえば千葉県の公立では、独自に公立だけのリーグ戦をしようかって動きがあるんだよな」
直史も聞いたばかりだが、どうやら東京や神奈川では、既にそれが行われているらしい。
そして公立校の間で、技術交流や情報交換が活発化しているらしい。
「それは面白いな」
樋口としても私立相手に戦うことは色々と考えていたが、やはり強力な個の力をどう活かすかしか、思いつかなかった。
公立でもまとまって、それぞれが役割を分担すれば、私立に勝てるだけのリソースが作れるのかもしれない。
異なる学校が連合して、私立に立ち向かうというのは、今までの指導者にはなかった思考だ。
セイバーもたいがいの合理主義者であったが、この主導した人物もまた、違った方向の視点を持っている。
だが全ては、過去のこと。
現役時代であれば、果たして白富東はどうしていただろうか。
はっきり言って県内では敵なしのレベルだったので、あまり戦力強化の役にはたたなかったかもしれないが。
「それじゃ俺はここで」
「ああ」
考えるのは目の前にある、恋人との逢瀬のことだけでいい。
性欲の強い二人は、心身両面の満足を得るべく、待ち合わせ場所で急ぐのであった。
×××
東都リーグの試合は本来木曜と金曜に神宮で行われるそうですが、引き分けを含めても六大学の試合はまず月曜日には終わるので、実際には火曜日と水曜日に行われることが多いようです。
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