第12話 0の行進

 春のリーグ戦第四週。

 早稲谷大学は試合のない週末であり、ゴールデンウィークとなっている。

 当然のように直史はグラウンドに姿を現さず、それでも結果を残す彼に、一年生はともかく上級生は苛々としてくるわけだ。

 一年生はもう、あまりの実力差に何も言えない。

 そして辺見も何も言わない。


「なあ、いくらなんでも佐藤、休んでるのってまずくないか?」

 いた。仙台育成出身の遠藤である。

 別に悪い意味で言っているわけではなく、ゴタゴタを心配しているのだ。

「あいつは普通に実家に帰ってるだけだぞ。それに見えないところでというか、効率的に時間使って、練習もトレーニングもしてるし」

 直史と同じ寮の樋口は、ある程度それに付き合っている。

 グラウンドを使わなければいけない練習は別であるが、それ以外は基本的に、直史も樋口も自分でトレーニングをしている。

 グラウンドでなくてもいいトレーニングを、グラウンドが空くのを待ってやるのは効率が悪いので。


 硬球が使える場所を探して、二人でキャッチボールはする。

 この二人のキャッチボールは高速で、キャッチしてから握り、そして正確に送球するまでの時間が短い。

 だいたい他の人間の、五割増しくらいでキャッチボールをする。

 それに90mほどは離れて遠投もする。これはなかなかグラウンド以外では出来ない練習だが。


 直史は普段の土日は朝から近所の公園でストレッチなどをした後、練習時間になったらグラウンドに入ってくる。

 なお本来、練習前の準備は一年の仕事である。

 ただリーグ期間中はベンチ入りメンバーが全て優先されるため、直史も遠慮なく練習はする。

 しかし基本的にピッチングは、自分だけでもある程度は投げ込める。

 直史がグラウンドまで出てきてやる練習は、ノックなどでのバウンド処理や、フットワークからの送球という、フィールティングの技術が多い。

 それと素振りもしっかりとやっているのだが、こちらは寮の庭などを使ってやっている。

 グラウンドでは他の者にチェックしてもらうために数回振るだけであるが。




 どうも勘違いしている者が多いようだが、直史も樋口も、練習量は多い。

 練習時間は短いように見えるが、それはわざわざグラウンドで行わないからである。

 この際だから言っておくか、と樋口は口を開く。

「あいつの高校時代の冬場の練習とか、聞いたら呆れるぞ。肩暖めてからバッピまでして、一日500球投げてたらしいからな」

「500!?」

 ふつうそれは、肩が壊れるというのが現代の常識である。

 樋口も驚いたものだ。上杉勝也と同じ数だったので。 

 なお弟の正也には、300球までしか投げさせていない。普通は無理な練習量なのだ。


「同じ寮だからストレッチにも付き合わされるし、まあそれは俺もキャッチャーのメニューに付き合ってもらってるからいいんだけどな。あと食事の栄養管理にもうるさいし、睡眠時間もたっぷり取るし、そんで勉強までしてるんだから」

 これでもリーグ戦の期間中だから、投げ込みは減らしているのだ。

 だが基本的に直史は、投げる筋肉は投げてつける、という考えである。

 壊れないための筋肉は、筋トレでつけているのだが。あれは負荷の小さいトレーニングなので、回数が必要になるのだ。


 樋口もたいがい効率的なやり方をためしたものだが、直史の場合は指導者がそもそも専門家であったことが大きい。

 白富東は四人のコーチを揃えて、その中でもピッチングコーチから、ネットの動画を見せられながら、練習のメニューの意味を聞いていたそうな。

 そんだけやれば強くなるな、と思った樋口である。あの夏に白富東に勝てたのは、本当に偶然が幾つも重なった上での薄氷の勝利だったのだ。

(高校レベルにMLBでもまだ効果が判明してないものを、大学の研究室と連繋しながらやっている)

 しょせんこの世は金か、と思った樋口であったが、それに自分たちは勝てたのだ。


 とにかく直史は、練習やトレーニングをしないと誤解されている。

 単に見えないところで効率よくやっているか、練習やトレーニングだと理解されないだけなのだ。

 練習やトレーニングの効果は、割と分かりやすい基準で見えてくる。

 数を増やさない、時間をかけない、効果が出るものをする。

 日本式では、とにかく数を増やし、時間をたっぷりかけ、効果を見ずに過程だけを見る。


 あとははっきりと、目標を考えることであろうか。

 直史は明確に、大学での目標を決めている。

 球速のアップだ。


 変化球の球種やコントロールは、現在のところこれ以上は求めない。

 一番トレーニングで求められそうなのは、球速だ。

 自分の体格などを考えても、150kmはなんとか投げられそうだ。

 ただそのためのトレーニングは、一度フォームの安定性などを崩してしまう可能性がある。

 単純にスピードだけを求めるのは危険だが、今のところ簡単に結果が出そうなのは、もうスピードしかないのである。


 ただ今後の予定を考えると、集中してそれに手をつけられそうなのは、秋以降になりそうだ。

 夏場にやってもいいのだが、また面倒な練習試合や、学生選抜のメンバーに選ばれる可能性がある。

 別にそんなところで打たれても、評価に関係はないのだが、どうせ高いレベルの試合が行われるなら、万全の体勢で挑みたいという程度の欲はある。


 そして直史は、ちゃんと監督や部長、トレーナーやコーチの裏方には、しっかりとお土産を持って帰ってきた。

 寮の管理人や食堂のおばちゃんにも。

 そしてさすがに部員数が多すぎるので、一人一個のお菓子である。

 父の従弟がやっている和菓子屋で、地元の星や西は知っている店である。




 樋口はもっと前から分かっていたことだが、直史は練習もトレーニングも、嫌いなわけではない。

 ただ好きなわけでもない。

 純粋に自分が上手くなるのは好きであって、そのためには効率的に練習をするしかないのである。

 そして自分よりも世の中には身体能力が優れている人間は大勢いるとも思っているので、自分に最も適した練習と、トレーニングをするしかないとも分かっている。


 直史は基本的には、サディストである。

 だから無意味に自分の肉体を痛めつけるような練習は、本能的に出来ない。

 また勉強なども、単に机に向かうだけの時間を増やすのを嫌う。

 嫌だけどもしなければいけないなら、集中してさっさと終わらせる。

 それが直史のスタンスである。


 樋口も基本的には、サディストである。

 スポーツ選手というのは、自分の体をいじめ抜くマゾの方が向いているらしいが、キャッチャーに限ってはそうではないだろう。

 ピッチャーをリードしてバッターを思うように打たせないこの性格は、サディストの要素が強い。

 きつい練習はするが、やるしかないからやっているだけである。

 この二人のドSバッテリーと戦うバッターは気の毒である。


 直史はグラウンドに来ている時間は確かに短い。

 次に短いのは樋口だろうか。

 だが二人がブルペンで投げ込みを始めたら、平気で一時間ぐらいはぶっ続けで投げ込んだりもする。

 自分たちがやっていることとは違うだけで、やっている内容のきつさはそれ以上なのだ。

 ただ二人とも、全く周囲との協調性はない。

 先輩である北村や細田、甲子園で戦った西郷、県内で戦った星や西とはかなり話すのだが、なかなか野球部全体には溶け込まない。


 かと言って完全に見下しているというわけでもなく、アドバイスなどを聞きにいくと、知っていることは教えてくれる。

 バッティングピッチャーをやってくれと言われると、まず断ることもない。

 マイペースではあるがサボっているわけではないし、野球部以外の生活も大切にしているだけで、野球部を無視するわけでもない。

 純粋に他にも重視することが多いだけなのだ。

 野球しかやってこなかった人間は、野球しか出来ない。

 二人は単に、野球だけをやっている人間ではないだけだ。


 その意味では北村や星も違う。

 二人とも教育学部であり、将来は教師になろうと考えている。

 そして二人とも、野球の指導者になりたいということは同じだ。

「野球部を変えるためには、野球部だけを変えても意味はない」

 辺見は練習の様子を見ながら、集中力を増した部員たちの変化を感じる。


 何事も、正しいやり方が一つだけあるとは限らない。

 最初の思惑はともかく、このチームは一年生の変革が、三年生にまで伝わっている。

 そして四年生たちも、自分たちが一年生の時に経験した、リーグ戦の優勝を意識している。

 野球をやっているだけの人間には、それが分からないということか。




 春のリーグ戦第五週。

 神宮球場の人の入りはやはり多い。

 なんだかんだ言って六大学リーグは、早稲谷が強いと盛り上がる。

 以前にも高校野球のスーパースターがいた時期は一時盛り上がったが、それも一時的なものだった。

 大学野球は明らかに、もう昔の栄光などはない。

 精神修養などを謳ったところで、それを信じる者などいないのだ。


 ただ楽しむだけの野球なら、いくらでも野球サークルは都内にある。

 大学野球でまで野球をするのは、本当にこのレベルが必要な人間だ。

 佐藤や樋口といったレベルの選手は、純粋にこれぐらいでないとその全力を発揮し得ないのだ。

(この大学野球の人気が、また一過性のものじゃないといいんだが)

 全てのスポーツには、それがクローズアップされるためには、スター選手がいないといけない。

 ただ甲子園のように、普段からブランドがあって、そこでスターが登場するものとは、大学野球は違う。


 大学でまで野球をする人間は、次のステージを見ている者だ。

 全てを野球にかけられないのは不純などという論理は、もう通用しない。

 野球を楽しめなくなることほど、野球人気を落とすものはない。

 大学でまで野球をする人間は増えているが、競技人口は減っている。

 かつての野球の熱が、次の世代に引き継がれていかないのだ。

 もちろんそれはサッカーなどの、他のスポーツの隆盛もあるのだろうが。




 この第五週の対戦相手は、立政大学である。

 ここまでの成績を見てみると、立政相手に無敗で勝ち点一を得られれば、トップに立つことが出来る。

 残りは法教大学と、慶応大学。

 慶応は早稲谷とは因縁のある対戦相手であり、去年から徐々に実力をつけてきた。

 もしも第八週の最終戦で優勝を争うとしたら、それはもう盛り上がることになるだろう。


 そしてこのカードの第一試合は、七回までを梶原が投げ一失点。

 残りを細田が投げて一失点。

 攻撃では中軸の三連打で二得点をし、2-2のスコアで引き分け。

 幸いにもこの日はプロ野球の併用日ではないため、延長戦に入る。

 ここで一点を取った早稲谷が、一戦目を勝利した。


 第二戦のピッチャーは佐藤直史。

 当たり前のようにアウトを積み重ねていくが、サードベースに当たる不運な内野ゴロで、ついにノーヒットの記録が途切れた。

 だが直史としては動じない。ベースに当たるようなボールであれば、普通にヒットにはなっていてもおかしくないのだ。

 九回までを完封し、この試合は打線が爆発して7-0と圧勝した。


 直史としては月曜日に第三試合が行われなくて幸いである。

 一応月曜日は講義が午前中に終わるようにはしてあるが、講義の後に試合前にアップしてとなると、どうしても時間に追われる感覚があるのだ。

「そういやお前、完全王子とか呼ばれてたな」

「頭の悪い言葉だな」

 直史も樋口も、基本的にマスコミには塩対応である。

 二人はもう、さわやかである高校球児などは求められていないし、興行が目的のプロでもない。


 ただ二人になると、話すこともある。

「初柴さん、三番で出てたな」

「立政だったもんな、そういえば」

 大阪光陰の二代前のキャプテン初柴は、立政大学に進んでいた。

 久しぶりの対戦であるが、二人とも特に意識などはしなかった。

 二年生からスタメンに入っているのはすごいが、結局はノーヒットに抑えた。


 来週の法教大学と、特別に最終週で行われる慶応大学の試合。

 勝って優勝すれば、四期ぶりの優勝となる。

 できればどちらも二連勝で終わらせて、普通の生活に戻りたいものである。

 だが優勝してしまうと、全国大会に出なければいけない。


 全日本大学野球選手権大会は六月に行われる、神宮だけでなく東京ドームも併用して開催される大会だ。

 春のリーグ戦に優勝すれば、これに出場することになり、およそ一週間の期間で、優勝が決まる。

 もし早稲谷がこれに出れば、幸いにも一回戦はシードとなる。

「つーか大学生の大会なんだから、土日だけでやってほしいよな」

 勉強大好き人間と思われつつある直史は、講義に参加したいのだ。

 別に勉強が好きなわけではなく、効率よく勉強するためには、講義に出席したいだけなのだが。


 果たしてこの0行進はどこまで続くのか。

 周囲はもちろん樋口までも多少は呆れながら、春のリーグ戦は続く。

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