第113話 四度目を求める

 大介をアウトにした後に、集中力が緩むかと、樋口は心配した。

 確かに直史は動揺したようだが、それが瞬時に消えるのも直史だ。

 いつも通りに腕を振って、続くバッターを三振に取る。

 そして最後にはないやフライを打たせて、この回も無事に三者凡退、


 七回の裏、日本代表はピッチャー交代。

 やはり上杉は大学選抜に対するには、オーバースペックだったらしい。

 もっとも全打席勝負すれば、西郷と樋口なら、一本ぐらいはいい当たりが出そうではあったが、

「いや、ないない」

 否定する樋口である。170km近いストレートを、どうやって打つのか。

 

 この回から代表側は、短くピッチャーをつないでいくらしい。

「あ、福島さんか」

「打てそうだな」

 そんなことを言われているのは、広島のセットアッパー福島である。

 去年も広島のピッチャー陣では最も多く登板し、防御率は二点台なのである。

 まあ東条や上杉と比べれば、格落ち感がすごいのは仕方がない。


 ただそれでも、大学よりも高いレベルのプロから選抜されているのである。

 年齢的には今の三年生と変わらないが、経験は段違いである。

 二番三番と、三振と内野フライに抑える。

 だがここで、打席に立つのは一年生から早稲谷の四番に座る西郷である。


 マウンドに立つ福島とは、ワールドカップの同窓。

 西郷もまた三年の夏が終わった時には、ドラ一競合のスラッガーとして見られていたのだ。

 福島としてはあれから三年、プロで揉まれたという実感がある。

 体力と回復力を活かして、連投もあるセットアッパーとして投げ続けた。

 時々クローザーなどもして、そちらになれば年俸はもっと上がるなと思っていたのだが。




 まずは自分の球を、今の西郷がどう判断するのか。

 アウトローにストレートを外したが、微動だにせず。

(相変わらず、山みてーなやつだな)

 そんな西郷に対して二球目は、内角を厳しく攻めるツーシーム。

 バットの根元で打たれた。

(よし、レフトフライ)

 そう思ってバックを見た福島は、その打球が高いところで落ちてこないのを見る。

(なんだそりゃ)

 落ちてこないはずのない打球が、レフトスタンドに入った。

 四番の一振りで、大学選抜が待望の先制点を得た。


 化け物みたいなパワーは、世代最強打者と言われた実城以上。

 単なるホームランではなく、飛ぶホームランを打つのが目標。

 そんな西郷は、バットの根元でもホームランが打てるらしい。


 動かなかった試合を動かしてしまったことに、屈辱と自責の念が強い福島である。

(もう点はやらんぞ)

 その意思の通りに、続く五番はあっさりと三振に取った。




 七回が終わった。

 大介の三打席目が終わり、このまま最後まで封じていけば、もう対戦することはない。

 そしてその裏に西郷が、待望のソロホームランを打ったわけである。

「あのコースを根元で打ってホームランにするんだもんな」

 樋口は呆れているが、そういう彼はアウトコースをホームランにするのが上手い。

 遠心力をつけて、バットのヘッドを走らせるのだとか。

 そういったバッティングの感覚は、直史には分からない。


 ただ、これでついにリードした。

 0に抑えるだけではなく、チームにも勝つ目が出てきたのだ。

 寄せ集めで愛着などはないが、そもそも直史は負けるのが嫌いなのだ。


 そして八回の表が始まるが、そろそろ守備陣にも緊張が出てくる。

 プロの日本代表を相手に、勝っているのだ。

 試合に勝てる。だがそれ以上に、大事なことがある。

 ピッチャーがパーフェクトを続けているのだ。

 普通の試合ではなく、日本代表の強力打線を相手に。

 二年連続で三冠王、打率四割の50本塁打打者は、もう三回も凡退させた。


 勝てるのではないか、という希望よりも大きいのは、こいつまたパーフェクトをやってしまうのかという、恐怖である。

 今までも散々にパーフェクトをしてきて、大学レベルでも既に敵はいないと言われていた、パーフェクトピッチャー。

 プロナンバーワンの上杉であっても、この日本代表相手には、パーフェクトはさすがに無理だと思うのに。


 化け物か、と思う。

 こいつが大学で野球をやめるというのは有名な話だが、こいつがプロに行かないという選択を、野球の神様は許すのか?

 というか、こいつがプロでパーフェクトは無理でも、ノーノー連発をするところは見たい。

 打線の平均的なレベルは、さすがに代表よりも、NPBの各球団の方が低いはずだ。


 何か、規格外なのだ。

 単純にすごいとかそういう話ではなく、次元が違うのだ。

 NPBの日本代表でも歯が立たないというなら、こいつのピッチングのレベルはどこまで高いのか。

 もうお前プロに行けよと、日本中で数十万人の野球ファンが思った。




 八回の表をしっかりと抑えた。

 これで残りは一イニング。一人も出さなければ勝てる。

 ただ一人でも出せば大介に回り、ランナーが一人いるということは、逆転ホームランを打たれる可能性があるということだ。

 もちろん歩かせれば勝てるのだが、それで勝っても意味がない。


 ベンチの中に戻ると、次の打者の樋口のプロテクターを外してやりながら呟く。

「一点差だと厳しいな」

「心配するな」

 樋口が端的に言った。

 

 樋口も狙っている。

 元々プロへのアプローチのチャンスだとは、樋口も言っていたのだ。

 この試合で直史と組むことで、キャッチャーとしての実力は示している。

 キャッチャーが見れば一発で分かることだが、樋口のキャッチングはフレーミングなどと言うものではなく、外からかぶさった形でキャッチしているので、ボール半個分はゾーンが広いのだ。

 もちろん審判の好みにもよるのだが。


 プロのキャッチャーは、ある程度打てなければいけない。

 それでも三割打てれば確実に使われるというぐらい、キャチャーの打力は平均的に低い。

 だが樋口ならば打てるだろう。

 一流のキャッチャーは、読みで打つ。

 しかもそれをスタンドまで運ぶパワーもあるのだ。


 日本代表はまたピッチャーが代わったので、前の打席のデータはなくなる。

 だがピッチャーのデータはなくなっても、キャッチャーのデータはそのままだ。

(山下さんはいいキャッチャーだけど、代表のピッチャーを完全に掌握しているわけじゃない)

 それなりに首を振られることはあり、ピッチャーに投げたい球を投げさせている。

 実際にそれで充分な成果が出ているので、これはこれでいいのだろう。

 西郷にはヒット一本とホームランを一本打たれているが、これはさすがは西郷と言うべきなのだろう。

 その西郷でもあっさり三振するしかないところが、上杉の凄まじいところだが。


 ピッチャーは北海道のリリーフエース小泉。

 プロのリリーフで防御率が一点ちょっとなのだから、大変に贅沢な使い方である。

(同じパで、あんまり球種も球筋も見せたくないだろうな。まあ本番は別だろうけど)

 ならばありきたりで効果的な、あのコースに投げてくることは間違いない。

 問題はいつ投げてくるか。そしてそれを見抜かれていないか。


 初球から外角にきたボール球には反応しない。

 これは単なる見せ球だ。学生相手に慎重なことだと思うが、これで後は内角攻めだろう。

 思った通りの内角の際どいところを振っていく。

 もちろんこれは空振りでいい。

 そして次も強気で内角を攻めてこられるが、これは少し外れている。

 バットを動かして反応を示すが、スイングはしない。内角は狙っているけれど、ボール球には手を出さないよということだ。


 次の内角のカットボールをファールにして、これで平行カウントで追い込まれた。

 わずかな間がある。

 サインを出すのに迷ったということだ。そして出されたサインに、小泉が首を振る。

 内角で強気に攻めるか、外角で安全に攻めるかといったところだろう。

 一度目のサインの後にすぐ頷いたということは、山下は首を振られるのを承知の上で、次の選択肢も考えていたということだろう。


 またも内角にストレート。これは打ったが三塁線を明らかに切れていく。

 樋口はふうと息を吐き、そしてほんのわずかにスタンスを引いた。

 より内角への意識を。山下ならこの程度の意図は見抜いてくるかもしれないが。

 サインにまた首を振られ、もう一度振られて、そして頷く。

 内角を二度否定されて、外へということだろうが。

 二度もサインに首を振れば、ゾーンで勝負してくると言っているようなものだ。


 威力のある、アウトローのストレート。

 他のバッターは目に近いコースが打ちやすいと言うが、樋口は遠くにしっかりと見えるボールの方が打ちやすい。

 それに上手くスイングしてヘッドを走らせれば、遠心力と反発力で、ボールはスタンドまで飛んでいく。

 ただあまりボールの下を叩いてしまうと、甲子園であれば風のせいで外野フライになる。


 ドームは空調の関係上、むしろホームランが出やすいとも言われている。

 それが正しいかどうかはともかく、樋口の打ったボールは、ライトスタンドに飛び込んだ。

 これにて2-0とスコアは変化した。

 勝利は近付いている。




 ベンチに戻ってきた樋口が、他のメンバーとハイタッチしていく。

 そしてどっかりと直史の隣に座った。

「で、どうするんだ?」

 その問いはあまりに端的なもので、答えにくい。

 だが直史には分かっている。

「まあ別にパーフェクトを達成するために、調整してきたわけじゃないしな」

 そうだよな、と少し呆れつつも樋口は頷いた。

「好きにしろ。ここまでやったんだから、文句の言いようがないだろ」

「ああ」

 とりあえずプロから一本打ってアピールに成功した樋口は、寛容な気分である。


 フォアボールでさらにランナーは出たものの、後続がアウトになって、九回の表が始まる。

 七番打者に、打撃力重視の選手を出してきた。

 初見となるピッチャーに代打というのは悪手のような気もするが、むしろなんの情報も入れず一発勝負の方が、打ちやすいのではないかとも思う樋口である。

(まあ関係ないか)

 この回で延長もなくラストなので、遠慮なく全力で投げてもらえる。


 ボール球で釣った後の、全力のスローカーブやチェンジアップ。

 これを空振りしたり、そもそも手が出なかったりする。

 続く八番にも同じ方針で、連続三振。

 九回のツーアウト。

 ここまで打者26人に対して、当然ながらヒットも四球も失策もない。

 球数は98球で、後半になってくるとかなり増えてきた。

 それでも充分に完投出来るペースである。もし初球でしとめたら、プロ相手に99球でパーフェクトというとんでもない記録になる。


 こんなことは、上杉でさえやっていない。

 計算するタイプのピッチャーでなければ、こんなことは出来ないのだ。

 三振は15個奪っているが、上杉は完封の試合で、平気で15個以上の三振は奪っていく。


 九番は樋口が厄介だと思っている山下であるが、ここにも代打が出てきた。

 どいつもこいつも三割だったり30本だったりと、プロでも確実なトップレベルのバッターばかり。

 もしこの試合に延長があるとしたら、大学側がもう一点を取るのも難しいであろう、ピッチャーの大量確保。

 そもそも上杉が全てを投げていたら、一点も取れなかった可能性は極めて高い。

 ただ樋口としては、そのまま山下であった方が怖かったが。

(で、どうするよ)

(もちろんこうする)

 直史がグラブをさっと横に振り、樋口は立ち上がる。


 敬遠である。

 なんで? という敬遠である。

 だがすぐに、これで大介に回ると気付く。

 つまり、ほとんど意味のない敬遠をして、大介と四度目の対決を選んだわけだ。


 常識では考えられない選択である。

 やってくれたよ、とベンチの辺見は胃が痛くなる。

 だがこれでピッチャー交代などをしたら、批難は辺見に集まるだろう。

 止める手段がない。

 監督とはこんなにも、自軍の選手に対して無力であったのか。

 仕方ないのでもう、楽しむことにする。


 ベンチから立ち上がり、バッテリーに向かってサムズアップ。

 別になんの責任にもならないから、もう好き勝手にしろという諦めの境地である。

 この辺見の映像が映されて、テレビの視聴者などは勝手に辺見にグッジョブ評価を与えたりもした。




 ちょいちょいと呼ばれた樋口は、まだ何か確認することがあるのかとマウンドに向かう。

 だが直史が口にしたのは予想外のことだった。

「大介に、ホームラン以外なら俺の勝ちって伝えてくれ」

 呆れはしたが、頷く樋口である。実際にそれ以外は直史の勝ちと言っていいだろう。

 

 キャッチャーボックスに戻った樋口はそのまま、独り言のように口にした。

 そして大介は笑った。


 気配が変わる。

 単なる強打者の気配ではない。これは野生の肉食獣に近い。

 勝負ではなく、殺し合いの気配だ。

(なんだこいつ)

 これまでも間違いなく、全力で勝負してきた。

 だがここで、また違うゾーンに入っている。


 大介をバッターボックスに迎えた時の気配を、樋口は知っている。

 この試合だけではなく、高校時代も対戦したものだ。

 だがそれと比べても、確実にこれは異質だ。


 一度バッターボックスを外して、深呼吸などをしている。

 変な力みを取るためかとも思うが、火山の噴火の前兆のようで、なんとも恐ろしい。

 考えてみれば東京ドームの天井に当てたバッターは、これまでにも何人もいたはずだ。

 だが甲子園で場外ホームランを打ったのは大介しかいない。

 パワーに恵まれた西郷でも、そんな打球は打ったことはない。

 もちろん金属バットと木製バットの違いはあるが、今でも、甲子園でホームランは打てるのだろうか。


 ただ、それでもいいのだ。

 直史が、マウンドに立っている。

 大介の準備が完了するのを、静かに待っている。

 台風に対しても、津波に対しても、全く揺るがない巨山。

 あるいは直史の中にも、巨大な火山活動が存在するのかもしれない。


 冷静な男ではあるが、勝負が嫌いなわけではない。

 別になんの得もない、ただ面白そうなだけの、本気の対決を求めてしまう。

 賭けや争いごとが嫌いではあるが、勝負が嫌いなわけではない。

 こいつもまた、危険な人間だ。

(草食動物でも、象なんかは発情期、すんごい凶暴になるっていうしな)

 ライオンさえも絶対に近付かない、地上最強の生物。

 それは肉食獣ではないのだ。


 で、どういう組み立てでいくのか。

 こちらに任せるのか、自分で組み立てるのか。

 そう思って見ていると、直史はサインを出した。

 追い込むまでは任せるという、また勝手な言い分である。

(まあ、最後のボールは自分で考えがあるってことか)

 観客であると同時に、脇役でもある。

 この場での樋口の役目は重い。

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