第114話 リミッター

 野球の神様が見たがった、のだと思う。

 いや正直に言おう。自分自身が見たかった。

 四打席目の大介に、自分の球が通用するのかを。




 マウンドの上で、一番自由を感じる。

 アウトを取るマシーン。バッターに打たれなければ、点をとられなけでば、何をしてもいい。

 自分の自由な発想で、勝手気ままに勝負しろ。


 初球は、抜けたように見えたろう。

 リリースから山なりの軌道で、真上から落ちてくるかのようなカーブ。

 ワンバンして樋口のミットに入ったが、これはストライクにはならない。

 だが返球してくる樋口の顔が、ムスッとしているのは分かった。


 すまん。ちょっとパワーがセーブ出来てない。


 二球目。

 そこに投げるのかと頷いて、投げたのはスライダー。

 曲がりすぎて自分の体に当たりそうになったのを、大介はバットで弾いた。

 計画通りでは全くないが、ストライクカウントを一つ得した。

 まあ今のでデッドボールになっていたら、興ざめではあったろう。


 そして三球目の前に、樋口がしっかりとタイムを取って来た。

「何考えてんだお前」

「全力で投げたら、やっぱりコントロール出来ないんだなって」

「いつも通りに投げろよ。俺に任せてるなら、ツーストライクまでは俺のサインに従え」

 言葉は高圧的であるが、そこに含まれている感情は、むしろ直史を心配している。

 簡単に言うと、直史は入れ込みすぎている。

 どんな時でも平然と、ボール球を振らせてストライクを取るのがスタイルではなかったのか。


 ああ、そうかと樋口も悟る。

 これが、散々に舞台を整えて、やっと安心して投げられる、こいつのベストピッチなのだな、と。

(なんつー器用に見えて超不器用なやつだ)

 もっとあっさり、気楽に楽しめば――いや、無理なのか。


 ここまでしないと、本当には楽しめないのか。

 業が深すぎる。野球に対して真摯でありすぎるがゆえに、こんな状況でないと好き勝手に出来ないのか。

 中学時代は未勝利で、そこから勝つことにこだわって、そして大学では仕事として野球をして。

 一番最高の相手と自由に対戦する、最後の機会か。

(いや、ならお前こそプロに行けよ)

 そうは思うのだが、樋口は女を手に入れるために、プロを選択する。

 そして直史も女を手に入れるために、プロを選択しない。

 女を動機で動いている点で、全くの同種であるのか。

 樋口の趣味ではないが、あの女なら黙って男についてきそうな気もするが。




 戻ってきた樋口は大介の様子を観察する。

 抜けた球が二球続いたが、大介の集中力は落ちていないように思える。

(少しは油断しろよ、この規格外)

 デッドボールになるとことだったのを、バットで弾いて勝負の継続を選んだ。

 このあたりの心理を利用すれば、容易に打ち取ることも出来るが、打ち取り方に美しさを求める点で、直史は完全にらしくない。

 前の三打席をしっかりと抑えたのが、逆に不満になったのか。

 技術とコンビネーションではなく、パワーで抑えたいのか。


 それは佐藤直史ではないだろう。

 そうも思うのだが、今の直史は、本当に解放されている。


 勝利を求める自分の気持ちも、チームメイトや応援団の気持ちも。

 そして職業的にアウトを積み重ねる、野球を作業とした縛りからも。

 ここまで我儘になるために、こんなに苦労したのなら、それを発散させてやる。オナニーの手伝いのようで気持ち悪いが。


 そして出したサインはスルー。

 ベルト高から落ちてくるスルーは、大介を空振りさせた。しかし樋口もミットで捕球しきれず、プロテクターで前に落とす。

 伸びもキレも増しているが、タイミングは大介のスイングでぴったりであった。

 普段通りのスルーであったら、打たれていたということか。

(いや、今のは軸がほんの少しずれていたぞ)

 縦スラになったから、空振りが取れたということか。


 先に追い詰めることが出来た。

 ここからボール球を使って、確実にしとめることが出来る。

 普段なら球数重視であっさり勝負していくのだが、ここはそういう場面ではないだろう。


 次の球はこれだ。

 待たれていたら微妙だが、おそらくこれは選択肢にはない。

(打たれても俺のせいでいいぞ)

 そう樋口は思うが、そんな樋口を信じた直史の責任である。


 投げられた球はストレートに近い。

 だが減速する。そしてベースの手前で落ちる。

 スルーチェンジであるが、大介は完全に見極めていた。

 直史のボールが制御出来ていないのを見極められたか。


 肩に力が入りすぎている。

 まさか直史にこんな基本的な不安を感じることになろうとは。

 パーフェクトの達成直前にも、涼しい顔を崩さなかったのに。

 今も別に苦しんでいるわけではないが、これを佐藤直史のピッチングと言っていいのだろうか。


 追い詰めるまでが自分の仕事、だと樋口は思っていた。

 だがこれはまだ、追い詰めたことにはならない。

 拒否されるのも計算に入れてサインを出す。

 しかし直史はあっさりと頷いた。


 ここでも自らを追い込んでいくスタイルか。

 スローカーブを外に外した。

 大介がその気になれば打てただろうが。




 フルカウント。ゾーンで勝負するか、ボール球を振らせるか。

 これまでの直史であれば、ボール球を振らせるという、翻弄するようなピッチングもしてきただろう。

 だがここではしない。

「スルーで勝負かな?」

 スタンドのシーナは予想する。ここで投げれば、大介でも反応が追いつかないと思う。

 だがジンは否定する。

「いや、それはないな」

 一番基本の球か。一番基本の球を活かす球か。

「ストレートだと思う」

 瑞希はそう言う。


 ジンとしてもストレートか、チェンジアップだとは思う。

 カーブとスライダーが曲がりすぎていた。肩の力が入っているというよりは、リミッターを外しているというべきだろう。

 コントロールを放棄したのだ。

 それが自分の一番の武器だと分かっているだろうに。

 既存の武器では、大介を打ち取れないと思ったのか。


 直史ほどのコンビネーションを持っていても、今の大介を確実に打ち取る方法はない。

 二打席目のピッチャーライナーも三打席目の天井激突も、不本意であったのだろう。

 それで四打席目を迎えてしまうあたり、確実に直史らしくない。

 今までの直史であれば、前の回に一人歩かせて、ツーアウトランナーなしで大介と対戦する状況にしていただろう。

 それだけ直前まで迷っていてのか、むしろそこまで追い込んでいるのか。


 自分で自分を追い込んで、さらに力を出す。

 直史は普段から限界近くまで練習をしていたが、ここで精神論を持ち出すのか。

(お前らしくはないけど……)

 ジンは思う。本当は高校時代も、こういう勝負がしたかったのか?

(いや、違うな)

 坂本相手の復讐以外は、直史がバッターとの対決を望んだことはないと思う。

 強打者は素直に敬遠してしまうのが、佐藤直史であった。

 もっとも強打者と感じるほどのバッターがほとんどいなかったので、結果的に逃げた回数などほとんどないのだが。

 

 どのみちフルカウントだ。

 ここで勝負するしかない。




 撒き餌はまいた。

 だがコレが餌だと、大介も気付いているだろう。

 あとは直史次第だ。


 普段通りのセットポジションから、足が上がる。

 いつもよりもわずかにタメがある。そこから投げられるのは、ストレート。

 ぎりぎりまで指にかかって、そこから爆発しろ。


 渾身のストレートは、高く浮いていた。

 それに合わせて、大介も振る。


 カーン


 音がして、ボールは高く上がった。

 だが今度は、天井に届くような打球ではない。

 マスクを外した樋口が、ボールの行方を見る。

 あった。

 落ちてくる。

 数歩後退し、そしてキャッチ。

 ほぼ定位置のキャッチャーフライであった。


 ふうと息を吐いて、樋口はマウンド上の直史に視線をやる。

 そこには晴れ晴れとした顔で、やはり大きく息を吐く直史の姿があった。

 ゲームセット。

 2-0にて大学チームは勝利。

 そして直史は、ノーヒットノーランを達成した。

 後に「三度目の幻の完全試合」と呼ばれる試合であった。




 正直なところ、疲れる試合であった。

 樋口に肩を借りるが、最後の最後でもうヘロヘロである。

 そんな直史の様子を、日本代表も、そしてその首脳陣も、複雑な表情で見つめていた。


 才能を持った者は、その才能の奴隷にならなけらばいけない。

 なぜならその才能というのは、天与のギフトであるからだ。

 しかしその才能を手段として使い、全てを野球に賭けてきた男たちを、まとめて薙ぎ払った。

 史上最強と呼ばれる打者から、一つの三振を含む四つの凡退。

 逃げずに投げて、この結果である。


 もっとも樋口としては、微妙に計算が働いていたのではと思わないでもない。

 最後のストレートは高めに外れていた。

 それだけに上手くスピンがかかり、大介のミートから逃れられたのかもしれないが。

 あれを見逃したら、大介は単なるフォアボールで塁に出ることになっただろう。

 だからあえて打ちに行くしかなかったのだろうし、実際にプロのシーズン戦でも、あのぐらいの高さならホームランにしている。


 直史のストレートの軌道が、わずかに想定を上回っていた。

 球速自体は152kmと最後まで限界を突破しなかったが、スピンの量が違ったのか。

 いずれにしても、ボール球を振らせてアウトにしたのだから、ピッチャーの勝ちであろう。


 打者28人に対して、104球15奪三振。そして故意のフォアボールが一つ。

 単純な実力だけではなく、打球が野手の正面というものもあった。

 だがそれこそ運命に従って、ボールはグラブの中に飛び込んだ。

 そしてエラーもなかったのだ。


 完璧なる投球。

 単純にスコア的に完璧なのではなく、相手と完全に勝負しての、この勝利。

 佐藤直史が投げるなら、一点あれば大丈夫。

 あの単調な歌が、頭の中に響いた。




 これでお話は終わりではなく、次の日も第二戦が行われた。

 もちろん前日完投の直史は、ベンチには入っていても投げることはない。

 ただその影響は大きい。


 本日は先発のマスクを被った竹中だが、とても困った事態になっている。

 大学選抜の他のピッチャーが、やたらと真っ向勝負をしたがるのである。

 ちゃんとサイン通りに投げてくれたのは、先発の武史だけであった。

 それでも二回を投げて、ヒット一本を打たれたが。

 極めてスロースターターである武史には、こういった短いイニングでの成果はなかなか求めにくい。


 プロの側としては、なんとか自分の評価を戻す必要がある。

 なので必死で打ってくるし、必死で投げてくる。

 それでもこの試合西郷は二安打の一ホームランで、樋口も代打で打点一を記録した。

 プロの打線も大物狙いで、三本のホームランが飛び出す。

 結局は11-2で大勝したのであるが、前日の試合のイメージは消えない。


 大学生に負けたチーム。

 正確にいうと、一人に完全に封じられたチーム。

 その実力には様々なところから、疑問符を突きつけられることになるのである。

 もちろん直史は悪くない。

 アマチュアから打てなかったプロが悪いのである。


 このところのプロのレベルが落ちたのかと言うと、そんなことはありえない。

 上杉が日本人最速を更新し続け、そんな中から四割バッターも出ているのに、レベルの低下などはありえない。

 だがそれを証明するためにも、WBCには結果が求められるだろう。

 しかしそれを言うなら、六大学リーグだけではなく大学の全国大会で、そんなに何度もパーフェクトを達成したピッチャーがいるのかという話である。

 結局のところ正しい認識としては、佐藤直史が化け物だったということである。


 プロに進まない、プロ以上の化け物。

 この存在が後の世に与えた影響は大きい。


 


 大学生の春休みは長い。

 直史は体調を整える程度に運動をしながらも、短期間だが怠けていた勉強の遅れを取り戻そうとする。

 しかしそれを瑞希の部屋でやっていると、頭の運動の後には体の運動ということで、ベッドを揺らすことになる。


 ピリピリした感じのなくなった直史は、むしろ気の抜けた感じがする。

 完全に精神的には緩まっているのだ。

「かくして佐藤直史の、生涯最大の挑戦は終わったのであった。第二部完」

「ん? じゃあ第一部はなんなんだ?」

「高校生の甲子園編」

「すると第二部は大学の神宮と東京ドーム編か」

 こくこくと頷きながら、ぽちぽちとキーボードを叩く瑞希である。


 それは白い軌跡じゃないな、と直史は思う。

 シリーズとしては同じ系列なのだろうが、また別のサブタイトルでもつけなければいけないだろう。

 しばらくはのんびりとそんなこと考えていたところに、電話がかかってくる。

『佐藤、明日は時間があるか?』

「ありません」

 電話の向こうで辺見が黙った。

『近日中で暇があるのはいつだ?』

「全然暇はないですけど、どれぐらい時間がかかりますか?」

『話としては30分ぐらいで終わると思うが』

「30分ですか。じゃあ明日の……午前中ならなんとか時間を作りますけど」

『10時にクラブハウスに来れるか?』

「10時ですか。ええ、なんとか」

 話はそれだけだったのだが、また面倒なことが起こるのか。

 すぐ来いと言われなかったし、時間も短時間なので、問題ではないと思うのだが。


 首を傾げる直史に対して、瑞希が声をかける。

「どうしたの?」

「また用が出来たらしいけど、なんでわざわざ呼び出すのかね」

 お偉いさんはどうも、こちらが自分に合わせるのを、当然と考えている節がある。

 年寄りと違って若者は、やらなければいけないことが色々とあるのに。




 そして呼ばれてクラブハウスの監督室には、大阪ライガースの島野監督。

 つまり先日の日本代表を率いていた監督がいた。

「故障離脱した代表選手の代わりに、君たち二人を招聘したい」

 首を傾げつつ隣の樋口を見れば、全く不思議そうな顔をしていない。

「代表候補には補欠がいたと思いますけど」

「ほとんど断られたんや」

 ある程度は直史のせいである。


 直史にボコボコにやられたピッチャーが奮起して、やりすぎて肘を痛めた。

 そしてそれとは全く別だが、元々怪我の多かったキャッチャーの東も膝を痛めた。

 バッテリーが一組減ってしまったのなら、一番息の合っていそうなところから選べばいいだろう。


 わざわざプロの候補がいるのに、大学から選ぶというのか。

 そもそもそんなことが出来るのだなとも思うが、他の国にはプロのリーグがないチームだってあるので、アマチュアから選手が出るのもおかしくはないのだろう。

「俺は構いませんけど、ナオが選ばれないなら、他の誰かを選んだ方がいいでしょうね」

 樋口としては直史とセットの予定らしい。

 直史は考える。

「開催はいつまででしたっけ?」

「25日までやな」

「それって日本のプロ野球大変じゃありませんか?」

「まあ大変やけど、それはそれとして、君はどうや?」


 直史は考え込む。

 問題は移動による負担だが。

「あまり期待してくれないなら構いませんけどね」

「めっちゃ期待しているんやけど、ええんやな?」

 まあ期待するのはいい。それを裏切るかどうかは、別に裏切ろうと思って裏切るわけではないが。

「分かりました」

 元々、レベルの高い対決は欲していたのだ。

「行きます」

 直史にしては珍しい、即決なのであった。


×××


 4.5WBC編へ続く! んだと思うよ?

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