第115話 号外
WBCの日本代表に、NPBの最終候補からではなく、大学生の佐藤直史と樋口兼人が選ばれた。
これは全く驚かれはしなかったが、少し首を傾げる者はいた。
佐藤は分かるけど樋口も?
まあ二試合に出て、五打数二安打一ホームランの二打点なので、確かに勝負強くはあるのだが。
史上初めて、甲子園の決勝で逆転サヨナラホームランを打った人、と世間では認識されている。
だが高校時代には上杉兄弟、大学に入ってからは佐藤兄弟と、間違いなく世代を代表するピッチャーの球を受けている。
ひょっとしたら佐藤の球は、プロのキャッチャーでも簡単には捕れないのでは、と言われたりもした。
「まあそれはさすがにないけど」
壮行試合の後、直史は調整のピッチングをしている。
春のリーグ戦までに元に戻す予定であったが、わずか数日後にはまた試合で投げる可能性があるということで、ブルペンで調整しているのだ。
極限まで集中力を使ったがゆえの、精神的な消耗がどれだけ、実際のピッチングに影響するか。
樋口以外にも今は、小柳川なども直史のボールをキャッチすることは出来る。
ただ二人の間には、かなりの技術差があるが。
樋口は言う。経験の差だと。
「キャッチャーなんて努力したらいくらでも上手くなるポジションだろ」
それが樋口の持論であるらしいが、実際のところはかなり頭の回転が速くないと、務まらないポジションだとは思う。
それも込みで、慣れればどうにかなると樋口は言うのだが、それは元々樋口が頭がいいからである。
頭のいい人間は、悪い人間が、何が分からないのか分からないということがある。
そのあたり樋口は、やっぱり天才肌のキャッチャーだ。
直史は支配的なピッチャーであるが、樋口も支配的なキャッチャーだ。
相手のチームの心を折るほど、完全なピッチングで試合を制圧する。
直史が珍しくもコントロールを乱した試合でも、散々にランナーを殺していた。
高校レベルはおろか、大学レベルでも下手をすればピッチャーとして通用するほど地肩が強い。
動作は俊敏であり、頭脳派明晰であり、キャッチングは堅実で、そしてバッターとしても打てる。
プロ志望に転換したというし、これから後はバッティングでどれだけの成績を残すかだが、来年のドラフト一位になってもおかしくはない。
今年の早稲谷からは、おそらく西郷がドラフト一位で指名されるだろうと言われている。
ただリーグの記録を塗り替える勢いでホームランを量産していた西郷だが、最近はその伸びが鈍化している。
ある意味、佐藤兄弟のせいである。
佐藤兄弟のあまりのピッチャーとしての制圧力が高いため、早稲谷を相手にすると、一点が問題のゲームになる。
するとホームランバッターである西郷は、敬遠される傾向にあるわけだ。
西郷はホームランも多いが、実は打率も高い。
おまけに打点も多いのだ。難しいボールを外野フライに打つ技術も優れている。
長距離砲ではあるがケースバッティングも出来る西郷の、唯一の弱点は足であろう。
ファーストを守っている時の、ほんの一瞬の突進力には優れているのだが、ベース間を盗塁出来るほどの足はない。
それでも意外に成功するのは、バッテリーが全く西郷の足を考慮に入れていないからである。
西郷、樋口と続いたら、おそらく次は武史か。
誰もが口をそろえて、素質だけなら兄以上と言う。
純粋に、速い球が投げられる。サウスポー。そして変化球があり、スロースターターだがスタミナもある。
プロに行けば確実にローテを回すタイプだ。
一発勝負ではわずかに確実性で劣るが、それでも基準が兄だからだ。
本当に一発勝負に弱いピッチャーが、甲子園で優勝できるはずもない。
もっとも統計的に、ある程度勝てばいいプロの方が、やはり向いているとは思う。
もしも高卒の時点でプロを志望していたら、どれだけの球団が欲しがったろう。
そして手に入れたとして、そのプロ意識のなさに愕然としただろうが。
もしピッチャーの故障者が他にも出たなら、下手なプロよりも通用しただろう。
しかしそれを言うなら、プロ二年目の真田が選ばれるはずであるし。
素質としてはともかく、現時点での完成度は、真田の方がはるかに上だ。
と言うか根本的な野球選手としての意識が、他のトップレベルの素材と比べて低すぎる。
セイバーは武史は、誰かが管理していないと、すぐ楽な方に流れてしまうタイプの人間だと思っている。
なので自分の目が届き、そして伸ばせる球団を勧めた。
たとえば巨神や、関西ならばライガースなどに行けば、確実に楽な方に楽な方に流れていくのは想像出来たからだ。
球団の体質としては、埼玉、福岡あたりも厳しめに見てくれるかもしれないが、そちらにはセイバーの人脈がない。
あと絶対に入ってもらったら困るのが、タイタンズである。
あそこは本当に名門意識が強く、全くセイバーが手を出せる余地がないのだ。
そのくせ意外と、選手が堕落しないのは、若手を監督しているからだが、そんな環境では武史はスポイルされるだろう。
好きにやらせたらダメ、厳しく締め付けてもダメと、めんどくさい人材なのである。
その武史は今年入学の一年生を相手に、ピッチングの練習をしている。
正確には一年生のキャッチングの練習に付き合っているのだが。
一年目に163kmを出した武史は、一応ブルペンではその記録を更新した。
ただこいつも劇場型の人間であるので、試合では軽くそれを超えて行きそうな気もする。
単純に球速だけを求める段階は、もう終わっていると思う。
ただ将来的にMLBまでを視野に入れるなら、上限はいくらでも高くしておいた方がいい。
チェンジアップとナックルカーブ、そしてムービングだけで無双出来ているので、今のところはまだ意味がない。
緩急差に、そしてナックルカーブで変化量の大きな変化球もあるという点では、上杉以上とも言える。
直史の調整は完了した。
しかし本人曰く、完成ではない。
壮行試合に合わせて全てのコンディションを整えたので、それをまた上限に持っていくのは難しい。
あとは大会中に、試合の中でどう調整していくかだ。
さて、それでは記者会見である。
さっさと試合が代表に合流した方がいいのだが、大学側としては記者会見を開きたかったそうな。
辺見としては、また直史が何を言い出すのか、不安なところである。
野球部のクラブハウスには、50を超える様々なメディアが集まっていた。
面倒と思わないでもないが、おかげでグラウンドとクラブハウス以外では、大学野球の選手は守られている。
ユニフォーム姿で直史と樋口は設えた席に座るわけだが、その横に座る辺見はハラハラとして胃が痛い。
直史は一般的な権威を大切にする。
だがその権威の中に、マスコミや野球部の伝統などは入らない。
野球村の常識からは外れた、真の保守派が直史である。
なお樋口も似たようなものである。
「それでは、追加で代表に入った二人の記者会見を行いたいと思います」
そしてやり取りが始まった。
『まず、今回の代表に追加で選ばれたということの、率直なお気持ちを』
「とても名誉なことだと思います。日の丸を背負っていく以上、それに相応しいプレイを心がけたいと思います」
「同じく、とても評価はありがたいのですが、この隣のやつとセットじゃないと、選ばれなかっただろうなとは思います」
樋口の言葉に、かすかな笑い声が洩れた。
『予備人員として多くのプロのピッチャーが控えていたわけですが、それを差し置いて選ばれたことに対しては?』
このあたりからやはり、質問は直史に集中していく。
「予備の候補の方たちはプロですから。下手に全力を出してプレイして怪我などをすると、選手生命に影響がありますからね。その点ではアマチュアを選んだ方が、後腐れはないのではないかと」
いや、それはないだろう。
『先日の壮行試合の結果とは考えられませんか?』
「選考の仕方は全く知りませんから。要請があったと聞いて、大学生が出場してもいいんだな、と思いました。考えてみればプロのリーグが存在しない国も出ていますし」
そういう答えを聞きたいのではないだろうが。
直史としては、あれが自分にとって生涯最高のピッチングになるように、時間をかけて調整した。
あの時点においては、あれが100%だったのだ。
もう一度やれと言われても、出来る自信はない。
『大学のリーグ戦や全国大会、そして先日の壮行試合も含めて、またパーフェクトを狙っていきますか?』
「いや、無理ですから」
要請を受けて参加すると決めてから、直史はちゃんと大会のルールを調べている。
「球数制限が厳しすぎます。あんな基準では完投は無理でしょうね」
いや、上杉さんでも無理だろうが、お前なら出来る可能性はある、と樋口は思った。
直史は言葉を続ける。かなり挑発的とも言える物言いで。
「まあ、正直欠陥だらけのルールだなとは思います。ちゃんと全力でチームがプレイするなら、100%間違いなく日本が優勝するでしょう」
うわ、またこいつは、とひどい表情を辺見はしていた。
もちろんその映像は拾われて、色々なネタにされるのである。
『優勝の自信があると?』
「いえ、そうではなく……球数制限でピッチャーを縛っているから、日本以外のチーム、特にアメリカには優勝の可能性があるわけで」
球数制限。ワールドカップの時も痛感したものだ。
WBCにおけるピッチャーには、試合においての球数の制限と、登板間隔の縛りがある。
武史のような、スタミナは豊富なスロースターターにおいては、鬼のような制限だ。
一試合においてピッチャーが投げられるのは、最大でも95球まで。
なおこれは決勝トーナメントの話であり、トーナメント進出を決めるリーグ戦ではさらに厳しい。
あとはたとえごく少ない球数でも、連投をしたら必ず中一日は空けないといけなかったりして、クローザーとしても投げづらいのである。
「上杉さんが150球投げて完封したら、その間に誰かさんが一本ぐらいホームラン打ってくれるだろうから、負けるはずがないと思うんですよね」
確かに現在はMLBにさえ、上杉ほどの球威のあるボールを投げるピッチャーはいない。
たださすがにそれは仕方がない。
大会の主催であるのはMLB機構であり、MLBでもおおよその目安とされている球数は、先発が100球である。
はっきり言って直史のような、全力投球はかなり少ないピッチャーは、150球を投げても肩肘は消耗しない。
消耗するのは神経の方である。
あとは直史は、この主導権が一方的にMLBにあるのも気に入らない。
世界大会で、確かに一番プロ球団の多いアメリカではあるが、WBCの優勝最多は日本である。
特に最初と次と、二大会連続で日本は優勝しており、これは日本人の選手が、高校野球のトーナメント戦で鍛えられているからだと思う。
直史は現在の日本の野球体質は批判するが、野球の実力は認める。
アメリカ人が大雑把な試合をする限り、日本選手が協力して緻密なプレイをするなら、絶対に負けない。
直史にはそういった、日本人的な側面もある。
おざなりな権威や権力には阿ることはないが、それこそアメリカの本場と称するベースボールなど、たいしたものではないと思っている。
佐藤直史は何か断言することは避ける。
ただ自信自体はあるのだ。
自分がプレイしてきた日本の環境は、間違いなく最高のものである。
と言うか純粋に、保守的であるがゆえに、革新性のあるアメリカの考え方が嫌いなだけとも言える。
『もし投げるときは、やはりパーフェクトを狙っていきますか?』
「ピッチャーなら誰だって、最初はその考えでマウンドに立つとは思いますよ」
お前と一緒にするな。
普通のピッチャー、特にプロの先発ともなれば、クオリティスタートを目標として、堅実な成績を残すことを考える。
そうでないと給料が上がらないからだ。
その意味では直史は、全くプロ向きの性格ではないのかもしれない。
記者会見は終わったが、おおよそ主役は直史であり、樋口は終盤までほとんど話すことがなかった。
とは言え直史が投げた試合以外でも、プロの代表から打点を上げていて、とてつもなく勝負強いことは確かだ。
それにバッテリーを組んだピッチャーが、豪華絢爛すぎる。
高校時代も大学時代も、樋口は実は日本一を経験している。
しかもその中の高校時代の一度は、白富東の最強世代と戦って勝ったものだ。
キャッチャーとしての技術も高く、スカウトからの評価も高い。
そのくせ本人は、ある程度は黒子に徹しようとする。
なぜなら注目されていない方が、いざという時の打席において、決定的な仕事が出来るからだ。
大介が皮肉にも、四球で圧倒的に避けられているのとは違い、樋口は警戒されつつも勝負される。
そこで打ってしまうのが、クラッチプレイヤーということだ。
もちろん大介も、日本シリーズの驚異的な数字を見れば分かるように、充分に勝負強い。
だが普段から強打者であるがゆえに、勝負を避けられてしまう。
『最後に、優勝の自信はありますか?』
「自信というわけではありませんが、参加することに意味がある程度に考えている選手なんて、いないとは思いますよ」
つくづく煽るのが上手い男である。
直史と違って樋口は、ここらあたりからは意図的に、自分の名声を狙っていく。
プロ野球選手の寿命というのは、キャッチャーは比較的長めであるが、それでもおおよそ40歳ほど。
世間一般から見れば若くはないのだろうが、政治の世界から見れば、青二才の年齢である。
そこまでに名声を高めた上で、政治の世界に乗り込んでいく。
最初は上杉のバックアップに徹する予定であったのだが、自分もある程度は動けるだけの影響力はほしい。
下手に官僚の社会に入るよりも、プロ野球を使って名声を稼ごうという考えだ。
ある意味完全に野球を手段としているのだが、このあたりは直史と正反対と言えるのか。
ただ大学のこの時期は、両者の利害が完全に一致してはいた。
WBCのロースターは28人。
その中に入る、二人のアマチュアが、どれだけ決定的な仕事を出来るか。
(少なくともこのルールの中では、大介の方が活躍しやすいだろうな)
直史としては縛りがきついが、やってやれないことはない。
正直なところ、名誉がかかっていなければ、絶対に出場などしていない大会である。
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