第18話 進むべき道

 10年一昔などと言うように、野球の世界もどんどん新しくはなってきている。

 一番変わらないのは指導者の質ではないかなどとは思う。なにしろプレイヤーとしての実績がないと、強豪のコーチや監督にはなれない。

 自分の考えが古くても、野球の環境自体が変わっても、それを理解していない愚か者は多い。

 野球の指導者というのは、野球を教えればいいだけだと勘違いしている者が多い。


 だが少なくとも、その結果で全てが判断される、プロの世界の革新は早い。あとはいくらでもチームを変えられるシニア以下の世代だ。

 特に過去の栄光で飯が食えるわけではない、現場以外では。

 大きく変わって、さらに変わり続けているのは査定だろう。

 また育成の環境が大いに変わった。昔と比べれば社会人のチームが減ったということはあるが、それに比べてクラブチームや独立リーグといった、プロへの道は一つではなくなってきている。


 かつては発掘されることのなかった才能が、日の当たるところに出るルートは増えた。

 だがそれは同時に、探す方のスカウトの才能も、明確になってしまうということである。


 各球団のスカウトに必要な力は、主に三つである。

 目、耳、そして舌である。

 情報を収集する耳、そしてそれを確かめる目、さらにその選手の魅力をプレゼンする舌である。

 それら二つまでは持っていても、三つ全てを持っているスカウトはそうはいない。

 最近ではそのスカウトの舌も、ひたすら数字の羅列となってきている。

 プロ野球のスーパースターとなるような選手の魅力は、数字だけでは表せないなどと言う者もいるが、分析すれば数字ではっきりと分かるのだ。

 選手の能力の見える化が進んでいる。




 手元のパソコンにデータを打ち込んだセイバーは、最近雇った社員へと、自分の名刺を一枚渡す。

「では七平さん、あのアンダースローの子に、名前を売ってきてください」

「まだ二年ですやろ? それやったらこれからめっちゃ伸びて即プロ入りするかもしれへんし、逆に野球から遠ざかるかもしれませんで?」

「それを判断する時に、選択肢を用意するのが私達の仕事ですよ」

 にっこり笑うセイバーに、これも仕事かと思って、言われた通りに東北環境大への接触を考える七平。


 敗北したところへ行くのはあちらの気分も悪かろうが、そこで物を言うのが七平の名前と顔である。

「監督さん、監督さん」

 東北環境大学を率いる監督へ、自分の名刺を出す七平である。

 そして自分の会社名を名乗るより早く、向こうが反応した。

「あなた確か北海道の」

「まあ北海道にもいましたけどね」

 生まれは大阪、高校時代は埼玉、プロでは三球団を渡り歩いた七平は、野球関係者にはそれなりに名が売れている。

 現役70勝100ホールド。プロ野球選手としての実働は12年。

「アート・コーチング? 会社の名前ですか? 宣伝部主任……。プロ関係者ではなく? 聞いたことがありませんが」

「出来たばっかの会社なんですわ。プロ野球とは関係ないんですけどね。近々仙台の方にも向かわせてもらうと思いますが。あの、先発の子と少し話していいですか?」

「移動の時間がありますので、宿舎まで一緒に来ていただけるなら」

 ほいほいとついていく七平であった。


 ついでとばかりに、監督にも一緒に話をする。

「今、日本では野球人気が再燃しようとしています。ただそれに待ったをかける老害が多いですね。老害と言うよりは慣習でしょうか」

 坊主頭になるのが嫌だ。ただそれだけで、選択肢が減ることがある。

 かつて坊主頭だった指導者にとってはどうでもいいことなのかもしれないが、今の若者にとっては重要なことである。


 野球は好きで、才能もある。それなのにそれをスポイルする要素が、指導陣と指導環境に多すぎる。

 実は最近はもういきなり高校の時点から、アメリカに渡っている選手もいる。

 それは、それだけの進路を許す親の資産などが関係しているが、ただでさえ野球は金のかかるスポーツなのに、今のシステムを変えるのには抵抗勢力が大きすぎる。

 今の時代、まだ食べていけるスポーツとしては圧倒的に野球が多いのに、サッカーの方がずっと門戸が広く、育成のシステムもどんどん新しくなっていく。

 野球の観客動員数は回復していて、大学の野球部員も増えている。だが肝心の競技人口全体は減っているのだ。

「まあ今の時代、ピッチャーに上杉、バッターに白石なんていう、私らからみたら奇跡みたいな才能が現役で見られますやん。それをもっと活かさんとあかんという話でして」

 割と話が長い。

「将来プロのドラフトに引っかからんかったら。あるいは大学で伸び悩んだら、こちらでどれだけの伸び代があるか、科学的に計測しますんや。その後に紹介するんは、社会人やなくてクラブチームか独立リーグになりますけど」

 セイバーの16球団構想は、いったんストップがかかっている。

 今彼女が考えているのは、独立リーグまで巻き込んだ、アメリカのマイナーリーグを参考とした地域リーグの収益化と、拡大だ。

 あるいはそのプロ輩出実績によって、ランクの変化さえつけてもいいかもしれない。

 既に似たようなことをしている会社はあるのだが、彼女はそれを徹底する。


 このシステムは選手の可能性を最後まで見捨てないことの他にも、色々と考えている。

 セカンドキャリアの形成、コーチとしても成果主義の導入、そして適正を見た上でのフロント入りなど。

 ただものすごく金がかかるので、今はエージェント業務と、育成業務、人材紹介などに絞ってはいるが。

 いずれはクラブチームや独立リーグ、果ては草野球までを含めて、野球での新しい生き方を示して行きたい。

「言うてもまあ、働いてる私も半信半疑なところはあるんやけどね。ただ絶対に役に立つのが、能力評価と潜在能力評価」

 野球の技術コーチもいずれは派遣でやっていく予定ではあるが、今のところはそれ以前のトレーナーとしての活動を重視している。

 MLBで行われている最新のトレーニングなどを、そのまま一気に導入するのだ。もちろん教えられる人間も含めて。


 最終的な目標は、金は稼げるのはMLBだが、実力ならNPBの方が上だと言わせることである。

 まあ人的資源の差が大きいので、さすがにこれは無理だろうが。

「日本シリーズ優勝チームと、ワールドシリーズ優勝チームが戦って、真の世界一を決めるのだ理想ですねえ」

 セイバーはさらりとそんなことを言う。

 おそらく日本野球史上、最も大きな野望を持った女がここにいる。




 観客席に空きがあるので、着替えた選手のうちの何人かは、次の試合で当たるであろうチームの試合を観戦する。

 その中には直史と樋口もいるのだが、大学生にもなって制服というのは、果たしてどうなのであろうか。

 さすがに暑いので詰襟ではないが、高校生と間違われてもおかしくない、大学一年目の二人である。


 ここまでの試合展開を見る限り、北海道学生野球連盟の、蝦夷農大が勝ちあがってきそうである。

 農民パワーだ。とにかく体のでかい選手が多い。

 ただ農業に使う筋肉と、野球に使う筋肉は違うものであるはずだが。

 特徴としては、とにかくやたらとストレートに強い。

 ピッチャーの投げる球にストレートが一番多いのは確かなので、それを打つことに特化したとでも言うべきか。

 それは打線だけではなく投手にも同じことが言えて、150kmを投げてくるピッチャーが三人もいる。

 ただコントロールや変化球に関しては、お察しというレベルではあるが。


 ストレートに強い打線というなら、一番相性のいいのは直史である。

 一試合に一度もストレートを投げずに、ピッチングを組み立てることは出来る。

 ただ今日三イニングを投げ、明日も先発というのは、優勝までを考えると酷使である。

「細田さんかな」

「まあそうだろうな」

 直史の言葉に樋口も同意する。

 だがそうなればまた、リリーフとしての登板はあるかもしれない。


 ピッチャーの肩は消耗品などと言われた時代もあったが、最近は肘を壊すピッチャーの方が増えたように思える。

 実際に直史も肩は全く問題ないが、肘の痛みを感じたことはある。

 問題はピッチングのスローの後で、どう力を逃がすのかが問題である。

 直史の場合はコンビネーションで勝負するので、ストレートにしろ変化球にしろ、全力投球するわけではない。

 なので他のピッチャーに比べれば、消耗は圧倒的に少ない。

 なんだかんだ言ってピッチャーが一番消耗する球種はストレートであるのだ。


 予想通り勝ったのは蝦夷農大でる。

 13-9という大味な試合であったが、ストレートに対する圧倒的な破壊力を見せ付けた。

 それにしてもあれだけの速球派の投手がいて、九点取られていることも大概なぞであるが。

 スピードだけの打ちやすい球だったということだろう。

 ただホームランが一本も打たれてないので、ナチュラルムービング系のストレートなのかもしれない。


 これに対して早稲谷大学野球部監督の辺見は、先発を細田で挑むことを決定。

 本日34球を投げた直史は、クローザーでの登板機会があることを示唆された。




 直史というピッチャーは、おそらく投手寿命が長いピッチャーであろう。

 コンビネーションを最大の武器とし、球速やスピンのために、筋肉や靭帯、腱などといった肉体に負荷を与える投球を極力控えているからだ。

 球速のMAXにしても、コントロールを保った状態で、148kmまでは出せる。

 だが試合で投げるのは144km程度が上限で、必ず余裕をもって試合に挑むことにしている。

 これは高校時代の失敗から学んだことであり、彼にとって一番重要なことは、体を壊して野球が出来なくなることを避けることである。


 天才の中の天才が集まって、それでも無理矢理自分の限界を突破しなければいけないのがプロ野球レベルなのだとしたら、やはり直史は天才だったのだろう。

 コントロールと言うと普通はコースのみを考えるだろうが、直史の場合は緩急、角度、変化量などを、好き放題にコントロール出来るのだから。

 ジンは高校時代に直史のリードするのを、鉄人28号を操作するようなものと言ったことがあるが、その例えは古すぎるにしても、かなり妥当なところだろう。

 あらゆる変化球をスピードと角度をコントロールされてゾーンに投げられたら、それだけでもほとんど打てるものではない。


 細田もかなりの天才である。

 球種は基本的にストレートとカーブだけなのだが、そのカーブを投げ分けるのだ。

 縦の変化量が大きいのか、それとも横の変化量が大きいのか。

 スローカーブとパワーカーブ。あるいは落差の量。

 実質的にはカーブに加えてチェンジアップを持っているようなものである。

 球速の上限はまだ140km台の半ばであるが、骨格と筋肉の量を考えれば、まだまだこれから成長の余地があると言えよう。


 その細田とまるでセットのように、大学はおろか高校時代からバッテリーを組んでいる伏見は、最近悩んでいる。

 それは将来のことである。

 細田にはまだまだ成長の余地がある。おそらく大学最後の一年間を使って、もっと上の領域へ到達するだろう。

 だが、自分はここまでだ。


 様々なトレーニングをし、練習も重ねてきた。

 だが明らかに上達する速度は遅くなり、その限界も見えてきた。

 それをはっきりと自覚したのは、今年の一年生キャッチャー樋口をみてからである。


 樋口は直史とセットとして扱われるが、もちろん他のピッチャーの球も受けている。

 そのキャッチング技術の高さは、伏見から見ても明らかに自分より高い。

 ピッチャーを育てるのはキャッチャーであり、キャッチャーを育てるのがピッチャーだとしたら、上杉兄弟のボールを受けて来た樋口のレベルが高いのも、頷ける話である。

 だが樋口の実績が一番高くなるのは、直史と組んだ時だ。


 高校時代のワールドカップ。並み居る剛速球投手を抑えて、クローザーとして起用されたのは直史であった。

 そして樋口はそれと専用のようにセットで扱われた。

 12イニングを投げてランナーなしのパーフェクトピッチというのは、あの規模の大会では考えられないことだ。

 そして大学に入った春のリーグ戦では、一点も取られていない。

 この樋口に細田をリードさせたら、どういう成績を残してくれるだろうか。

 自分が捕りたいという欲望よりも、それを見てみたいという気持ちがある。


 それと自分や、四年の正捕手の三浦に比べても、樋口が明らかに優っている部分がある。

 バッティングだ。

 まだ打席数が少ないのであまり参考にはならないのかもしれないが、樋口は打ってほしいところで打っている。

 キャッチャーが専門職とは言え、その専門性でも樋口の方が上な以上は、バッティングも優れた樋口がスタメンに入る方が、チームのためにはいいのではないか。


 そんなことを考えた伏見は、樋口にこの意見をそのままぶつけてみた。

 樋口は少し怒ったように眉をしかめたが、自分なりのちゃんとした答えを持っていた。

「キャッチャーの役割を考えて、打つほうでの援護を考えたとしても、細田さんには伏見さんの方がいいと思いますよ」

 その理由は明確である。

「細田さんは、伏見さんに向かって投げたいんですから」

 樋口からすれば、当たり前の事実である。


 インサイドワーク、バッティング、戦術理解、全て自分の方が、伏見より上回っているという自覚が樋口にはある。

 だがたった一つの事実。細田が伏見に投げたがっているということを、無視してはいけない。


 細田のポテンシャルを考えれば、大学を卒業するころにはドラフト指名されるまで成長していることはありえるだろう。

 伏見がこの先伸びないと言うよりは、昔ながらのキャッチャー体型の伏見は、今のプロではかなり難しいのだ。

 おそらくこの先も、プロで通用するレベルまで達するとは思えない。

 だが同じチームにいる限りは、細田は伏見と組みたいだろう。

「細田さんがプロに行けるように、しっかりと構えておいてあげるのが、伏見さんの役割だと思いますけどね」

 男の友情はめんどくさいな、と思いつつもしっかりと諭す樋口であった。

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