第246話 な~げ~る~ぞ~

 大学の卒業式に出た武史は、大学で散々プレイしてきた神宮球場に帰還した。

 東京ドームと並んでホームランの出やすさはトップレベルのこの球場だが、武史は特に嫌いではない。

 甲子園のあの広さは、風もあってかなり独特のものだ。

 神宮は確かにホームランは出やすいのかもしれないが、甲子園ほどにはクセがない。


 卒業はしたものの、まだ自分が社会人になった自覚がない武史である。

 野球をやって勝っても負けても、成績さえ良ければそれでいいというのは、なんだか不思議なものである。

(考えてみれば一番勝ちに貪欲だったのは、高校生の頃なんだよな)

 大学のリーグ戦は、負けても取り戻せるものであった。

 全日本と神宮大会はトーナメントであったが、優勝してもあまりありがたみがない。

 日米大学野球でも、あれはただの親善試合だ。

(プロはシビアだけど、本当にお仕事なんだなあ)

 負けてもいいって楽だなあと思う。高校時代は……そうだ、優勝出来なければ告白出来ないとか思っていたのだ。

 そんな現実逃避をしていても、このオープン戦で戦う相手がライガースであることは変わらない。


 一番毛利と二番大江。毛利の方は大阪光陰出身なので、対戦経験はある。

 だが高校時代とはかなり変わったので、とりあえずこの対決ではあっさりと三振してくれた。

 沖縄でも対戦はあったのだが、あの時は武史が投げなかった。

 なので神宮でのこの試合が本当に、ライガースとの初対決となる。

 いや、もっと正直に言おう。

 大介との初対決だ。


「そうは言っても三イニングだけだけどな」

「楽ですね」

 武史としてはそういう感想が出てくるのだが、バッテリーを組む樋口としては全く違う。

「俺はずっと出ずっぱりなんだけどな」

「丸川さんとは交代しないんですか?」

「まあこれぐらいの時期になるとな」


 丸川とは他の試合で、武史も組んでいる。

 だがリードがちょっと雑かなとは、確かに思わないでもない。強気すぎるのだ。

 打たれたのをピッチャーのせいにしたりはしないが、ごめんと謝られても打たれた事実は消えない。

 少なくとも大介を相手にするなら、樋口を外してまで組みたいとは思わない。

「今日も適当に打たせていくからな」

「ラジャりました」

 このようなやりとりがあった後、大介との対戦となっているのだ。




 武史の大きく変化する球は、ナックルカーブのみ。

 習得した当初は「俺、なんのためにこんなもの使うようになったんだろ」などと思いもしたが、確かに大介以外の相手にはオーバースペックであった。

 大学時代ははっきり言って、ストレートとチェンジアップだけで、どうにかなったと思う。

 それで簡単に勝ってようやく、大介相手に大きな変化球を覚えるぐらいでよかったのだ。


 大学時代に比べてこのプロの世界で、樋口が一番武史が短期間に成長したなと思える要素。

 それは球速でもなく変化球でもなく、肩を作る早さだ。

 大学時代は少なくとも、試合の序盤で肩を温めて、そこからが本気であった。

 気合が入ったら変身とでもいうような、そういった段階があったのだ。

 しかしプロの短いイニングで調整をしているうちに、より短い時間でボールがいくようになってきた。


 ただこれは肩のアップを無理やり早くしているようにも思える。

 樋口としてはやはり、シーズン序盤は100球前後で終わらせたい。

 この試合は先発適性の最後の試合として、勝利投手条件である五回までをなげることになっている。

(白石と二回は対戦するわけだが)

 とりあえずこの試合も、武史にナックルカーブを依頼するつもりはない樋口である。


 初球のツーシームから、大介は強振していった。

 打球は大きなものであったが、ポールの向こうのファールスタンドへ飛んでいく。

 肝が冷える思いがしたが、これは公式戦ではないのだ。

(公式戦で負けても、まだまだ次があるわけだしな)

 それが野球を、魅せるということだ。


 樋口はもっとドライに、仕事だから稼ぐだけ、という考えだ。

 武史もそんな感触であり、そのためにはここで大介と戦わないという選択肢がある。

(まあ逃げてるように見せたら駄目なんだけど)

 ここはプロレスらしく、上手く勝負を演出しないといけない。


 ナックルカーブを使わないとすると、緩急のためチェンジアップが必要になる。

(ボール球のチェンジアップかあ)

 打たれるだろうなとは思いつつ、樋口との認識の共有のためには、打たれることも必要かと思い直す。

(低めに外して)

 指定通りに外したチェンジアップを、ボール球にも関わらず持っていかれた。

 バックスクリーン直撃弾は、幸いにもビジョンを破壊することはなかった。




 三回一失点と、まず及第点の結果を出した。

「お前でも白石には打たれるんだなあ。まあ打たれたのは想定外の球だったけど」

 樋口はそう言うが、武史としては大介のバッティングには違和感がある。

「あの人、本気で打ってないと思うんですけどね」

「どういう意味だ?」

 本気で打ってなくて、あの成績だとでも言うのか。

「知ってると思うんですけど、最後の甲子園、打率八割オーバーだったんですよね。プロの世界のピッチャーがいくらすごくても、その半分程度しか打てないのはおかしいなって」

「それはまあ、あちらも色々と研究しているし、かなり悪球打ちしてるからな」

 本気でやれば出塁率は確かに七割ぐらいいくのではと、樋口も考えている。

 ただ歩かされて盗塁しても、それでは点は入らない。


 現在のライガースは大介以外にも、育成の星山田、大学記録のホームランバッター西郷、佐藤兄弟との因縁を持つ真田と、スター選手が多い。

 ただそれを言うならレックスも、史上最強の八位指名金原、新人王の緒方に樋口と、そして武史もいるのでレックスの未来は明るいと思う。

 金原はどうだか知らないが、吉村はMLB挑戦をしないことを明言している。

(他のチームの調子次第だけど、今年は優勝を狙えるはずだ)

 樋口が考えるに、セで優勝するために必要なのは、実は大介を抑えるピッチャーではない。

 上杉と投げ合って延長引き分けを達成できるピッチャーだ。

 現在のプロで、狙って完封が出来るピッチャーなど、上杉に真田、そして調子がいい時の本多。

 追加して武史であろう。


 スターズが上杉で想定している勝ち星を、黒にまではしなくても、引き分けに出来れば。

 そこで圧倒的に、スターズに対しては有利になる。

 ライガースやレックスに比べると、スターズは最近ドラフトが当たっていない。

 レックスは八位で金原や星、そして今年社会人から入った山中を取っているあたり、本当に下位指名の鬼である。

 全て大田鉄也案件であるところが、はっきり言って笑えるが。


「さて、とりあえずお前の負けを消してくるか」

 そう言ってベンチを出て行った樋口は、本当にタイムリーヒットを打って同点にしてしまう。

 シーズンにはまだ関係のない、オープン戦の試合。

 武史はシーズンローテをほぼ確実のものとしていた。




 六球団競合ながら、本当は野手を一位指名しようかと考えていたレックス。

 いまどきは珍しい「指名されなかったら社会人」とまで言われて競合必至で武史を指名したわけだが、言動や行動に多少ならずのクセがある以外は、上手く樋口や星がコントロールしてくれている。

 話を通しただけの鉄也としては、ハズレでも自分の責任ではなかったのだが、白富東系列や早稲谷系列の選手を今後取っていくことを考えると、成功してほしかったのは間違いない。


 オープン戦ではかれこれ30イニングほども投げたが、打たれたヒットは三本と、失点がわずかに一点。

 期待はもちろんしていたが、その期待以上の活躍である。

 鉄也としてはむしろ、八位指名で取った山中の方が心配であった。

 しかし山中は、変化球打ちに定評がある。

 やはりマッスルソウルズで、直史にバッピをしてもらっていたことが大きい。


 いくら自在に変化球を操れるといっても、一人の人間には限界があると思ったのだが、直史は緩急だけではなくタイミングまで、自在に操って投げていた。

 鉄也もそれは分かっていたのだが、実際に打席に入って対決した山中には、よりそのすごさが分かっている。

 あんなピッチャーは、今後二度と出ないだろうと、山中は言っていた。

 もちろん今年の最高のピッチャーである武史と比較して、やや全盛期から落ちた直史を取り上げての話である。


 佐藤直史は特別である。ある意味では上杉よりもはるかに。

 これは山中が洩らした言葉であるが、実際にオープン戦で上杉相手に全く歯が立たなかった山中でも、直史のことはそう証言しているのだ。

(大学卒業後、クラブチームに入ったから、指名出来るとしても今年のドラフト……)

 だがさすがに、他のどの球団も、もう指名はしないのではないだろうか。

(司法試験に落ちて他の道を探る時に、プロへの選択肢が発生するか?)

 いやそれ以前に、あのピッチングのクオリティを維持できているのか。

(さすがに無理だな)

 誰も、直史を動かすことは出来なかった。

 そんな伝説が残っても、それはそれでいいではないか。

 転生したら佐藤直史だった件、とかで高卒後にプロに進んでいたらどうなったか。

 球速の上昇を見る限りでは、せめて大学卒業後すぐであれば。


 夢を見せるのがプロ野球選手というなら、直史は多くの夢を見せてくれた。

 甲子園での活躍に、大学野球での活躍に、国際戦での活躍。

 あの時に直史に抑えられたバッターの中には、メジャーに昇格して活躍している選手もいる。

 可能性というのは、夢のままでいた方がいいのかもしれない。




 昨年Aクラス入りしたレックスは、開幕戦を地元で行うことが出来る。

 その開幕戦のピッチャーを誰にするか、首脳陣は色々と話し合っている。

 常識的に考えるなら、吉村か金原。

 やや吉村が調子が上がりきっていないことを考えると、金原でいいのか。


 東条がいた頃は、ずっと東条であった。

 しかし今年は、難しい問題が存在している。

「大学野球のスターに投げてもらいましょう」

 フロント陣の誰かさんから、そんな声が上がったのだ。


 興行的には、分からないでもない。

 プロ野球の開幕戦を新人が投げるというのは、上杉もやったことだ。

 ただあの時は緊急登板であり、さすがの上杉でも開幕からとはいかなかったのだ。

 だが、だからこそやる価値はあるのかもしれない。

 単純に大学野球のスターというなら、二戦目か三戦目で神宮で投げればいいのだ。

 一応21世紀以降も開幕で投げたピッチャーはいるが、上杉以外は負けている。


 上杉は例外だと言うなら、武史は例外ではないのか。

 確かにオープン戦の成績は一番いいし、しかも尻上がりに調子を上げてきた。

 やってしまってもいいのかもしれない。

「まあ、悪くはないと思いますけど……」

 正捕手である樋口は、武史とも長くバッテリーを組んでいる。

「とりあえず、開幕だからって緊張するタマじゃないのは確かですけど……」

 樋口が断言しきれないのは、開幕戦の相手である広島カップスが、おそらく海野で来るからだ。


 サウスポーとして、広島の暗黒期を支える海野。

 毎年ローテを何回かは飛ばす、吉村と同じく一年を完全には回しきれない投手だ。

 だがそれでも毎年二桁を勝利し、着実に貯金を作ってくれる。

 樋口としてはもう少し楽な相手で、プロデビューを飾ってほしいものだが。

「いや、やっぱり大丈夫です。やりましょう」

 意見を変えたのには、やはり武史の適性を考えてのことだ。


 おそらくプロでも、武史は通用するはずなのだ。

 それに開幕戦というのは、同じ一試合であっても、他の一試合とは違う。

 ここで鮮烈に勝てるかどうかで、シーズン序盤の乗り切り方は変わるのだ。

 大卒ルーキーを大事な開幕戦で投げさせる。

 大学野球を知っている神宮のファンには、特別のサービスという意味合いもある。

 それに武史であればその大学の実績と関係から、まだしも他の先発に恨まれることは少ないと言える。




 監督室に呼び出され、開幕投手を告げられた武史は、分かりましたと言っただけで、全く動揺を見せなかった。

 図太いのではなく、単純にその価値と責任が分かっていないだけだ。

 よってさすがの樋口でも、振り回され気味に、このことの説明を語っていく。


 開幕を新人が投げているのが不思議ではなかったのは、1950年代にまで遡る。

 他には世界大会などで、エースが投げられなかったために、新人が開幕投手を務めたという例もある。

 上杉の場合は純粋に、上杉が一番当時のスターズで優れていたからだろう。

 だがレックスには他に、吉村が調子が悪いと言っても、金原や佐竹あたりが、開幕の務まるピッチャーとして存在する。


 武史はへ~という顔をしながら、なぜかボタンを押すような動作をするが、そのネタは古すぎる。

「海野さんは毎年20試合ぐらい先発して、12勝6敗ぐらいの成績を残してくるからな。負けの倍の勝ち星を作る、立派なエースだ」

「三回に一回負けてもいいって、プロって楽ですね」

「お前絶対それ俺か星の前以外では言うなよ!」

 さすがの樋口もブチ切れ必至の案件であった。

 だが、こう言えば武史にも分かるのだ。

「真田だってルーキーから開幕なんてやってないんだからな」

 もっとも三年目には開幕投手をしているし、ライガースの場合は地元開幕戦が大事になるのだが。


 ただ細かい事情を知ろうともしない武史には、それで通じたようだ。

「あいつでも無理だったのか……」

 頷いた武史は、ようやくやる気になった顔をしていた。

「あ、彼女にチケット渡したいんですけど、どこで買ったらいいんですかね」

「場所にもよるがちゃんと広報に言えばある程度融通してもらえるぞ」

 新婚の樋口は、実は自分も妻に席を用意しているのであった。

 まことにもって、息が合ったバッテリーである。あるいは割れ鍋に綴じ蓋と言うべきか。

 そしてここから恵美理と美咲の付き合いが始まる。

 残念ながら明日美は、婚約者である上杉の方の開幕戦に行くことになったので。

 もちろんツインズは、ライガースのフェニックス戦での開幕のため、名古屋に行っていたりする。

 司法試験まであと一ヶ月ほどの時期であった。

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