第64話 穏やかな失敗

 直史は努力を全くしない人間は嫌いであるが、努力と称する思考停止も嫌いである。

 効率よく経験を積み、想像力を広げて知恵を絞り、それによって結果を出す。

 その発露の手段の一つが、野球である。その中でもピッチングだ。

 ある意味、直史はピッチングにおいては、ナルシストである。

 ただそれを語ったところで、納得してしまう人間は多いだろう。


 春休み期間中は週に4~5回、日によってはダブルヘッダーで試合が入っている。

 直史は自分の先発の時だけグラウンドに来るという、思考停止の真面目さを持っている人間からは嫉妬の怒りを買いそうなことをして、そして結果を出している。

 別に投げるわけでもないのに、忙しい人間がわざわざグラウンドに来る必要はないだろう。

 ただし武史が投げるときは、出来るだけ来るようにはしている。

 ベンチの中で判例集などを読んでいたりするが。


 二軍の試合であるので、別に全て直史が投げる必要があるわけではなく、むしろこここはまだ実績のないピッチャーを試していく場面である。

 そして早々に、武史の出番はなくなった。

 とりあえずキャッチャーが芹沢であっても、せいぜい三イニングぐらいであれば、ちゃんとアイドリングしておけば、全打者凡退にぐらいは出来るのだ。

 ちょっと気になるのはスピードガンの表示が、158kmまでしか出ないことか。

 だがそれを捕っている小柳川は、死にそうな顔をしていたりする。

 ……一年生にも一人、武史専用のキャッチャーは作るべきかもしれない。




 直史は至高のピッチングを追い求めている。

 それは81球以内による完封で、一年の秋の慶応との試合で完成した。

 ヒットは四本打たれて、エラーが一つあったものの、ゲッツーを意識して、三振は取るべきところで取って、80球完封。

 そして自分は高校時代、やりすぎたことを悟った。

 パーフェクトピッチングは、見方に無駄なプレッシャーをかけすぎる。

 今さらというなかれ。確かに前からそうかとは思っていたのだが、まさか公式戦で点につながるピッチングは出来なかったのだ。


 高校時代に比べると、大学野球は平均値こそ上がったが、絶対値はそれほど上がっていない。

 黒田、織田や西郷、本多に井口、後藤といったレベルが、おそらく一般的なバッターの限界値だ。

 ワールドカップの他国のスラッガーたちは、とにかく変化球に弱かった。


 守備にほどほどの緊張感を残しながらも、バッティングにまで影響するほどのプレッシャーは与えない。

 そして自分も楽をする。それが至高のピッチングだ。

 さらに言うなら試合時間まで短縮出来れば、観客にも優しい。

 野球は他のスポーツに比べても、時間制限があるものではないので、さっさと試合を進めないと、見ている方も大変なのだ。

 なので直史が投げる場合、それを見ているスカウトにも優しいことになる。


 樋口ではなく芹沢が相手であると、直史が自分で考える必要もあるので、なかなかそれがめんどくさい。

 芹沢はバッティングの方は優れているし、肩などはいいのではあるが、キャッチャーとしてのインサイドワークスキルが低すぎる。

 おそらく頭の問題ではなく、性格の問題なのか。

 近藤たちの話では相当に悪質であるらしいが、その性格の悪さは対戦相手に向けて欲しいものである。




 そんなことを考えながら、本日も火消し登板からの無失点イニング継続でノルマ完了。

 これで大学に入ってからの無失点イニング記録を、96と三分の二にまで伸ばしてしまった直史である。

 まあランナーがいる状態で出て、そこから無失点に抑えるというのは、樋口の協力がないとさすがに難しいのだが。

 そういう時に限って芹沢が無駄に頑張るので、直史も無理に三振を狙わざるをえない。

 別に芹沢のリードに従って投げて点を取られても、自責点はつかないのだが、点を取られることは直史にとって、既にストレスになってしまっているらしい。


「という訳でそろそろ点を取られて、ミスター0とかいう恥ずかしい名前を返上したいんですけど」

「恥ずかしいって……」

 監督は一軍に帯同しているので、部長に話している直史である。

 これまでにも色々な選手から話をされてきた部長であるが、どうやって点を取られましょうかと言ってきたピッチャーはいない。

「ほどほどに点も取られないと、打撃陣の援護が少なくなってしまいますからね」

「その傾向はあるが……」

 味方のピッチャーが完璧すぎると、バッターは自分の役目を忘れてしまう。

 50年ほど前からあることだ。


 部長にしても、直史の言いたいことは分からないでもない。

 春のリーグはまだそれほどでもなかったのだが、秋あたりからは直史が投げている試合では、明らかに得点が減っている。

 援護の少ないのは本人の性格もあるのかもしれないが、だからと言って負けてもいいわけではない。


 長い期間を安定して勝ち続けるためには、打線の援護が必要なのだ。

 しかし直史が完全に相手を封じてしまっているので、野球が相手よりたくさんの点を取らなければ勝てないスポーツだということを忘れているらしい。

 今から思えば、大阪光陰の真田が相手だったとは言え、白富東の打線で15回まで一点も取れないのはおかしいのだ。

「俺が頑張ってしまうと、皆の打撃成績が下がるんですよね」

「……」

 言いたいことが、分かりたくないのに分かってしまう部長である。




 現在東京に残っているのは一軍に属さない選手と、一部の一軍選手である。

 直史も芹沢も、本来なら一軍である。

 直史や武史のために芹沢を残したつもりなのかもしれないが、小柳川を鍛えているので、別にいらないのだ。


 それに小柳川が怪我をしたとしても、最悪直史がキャッチャーをすればいいだけなのである。

 160kmと言われてはいるが、直史としては、そんな単純な数字で武史を判断してほしくない。

 セイバーが可能性を示し、ジンやコーチと一緒になって、頑張ってここまで育てたのだ。

 いや、本当に武史の素質を開花させるのは大変であった。

 一年から甲子園で150kmオーバーを投げたものの、いきなりそこでパンクしかけるし。

 無理なものは無理と諦めるしかないのだが、直史は弟の持つ才能に、嫉妬とまではいかないが憧れはしている。

 ストレートだけの一本勝負で三振を取るなど、直史には想定できない。


 そんな武史が、本日は先発である。

 対戦相手はこの季節でもまだ寒い北陸から遠征してきた大学で、早稲谷大学のグラウンドを使ってダブルヘッダーで行われる。

 二試合目は村上が投げる予定であり、直史はどちらもリリーフとして待機である。


 チームとしての格は、圧倒的に早稲谷の方が上である。

 それでも二軍メンバーということで少しは希望を持っていたのかもしれないが、そこで佐藤家の姿を見たときの気持ちは察するにあまりない。




 二軍戦ではあるが久しぶりにマスクを被る芹沢は、さぞ気持ちがいいことだろう。

 それに武史の球であれば、リードが適当でもボールの威力だけで抑えることが出来る。

 そこそこ肩を暖めた状態からでも、普通に155kmは投げられるのだ。

 さすがに付属から大学まできてキャッチャーをやるだけに、芹沢もどうしようもない下手というわけではない。

 武史の手元で小さく曲がるボールも、分かっていたらキャッチ出来る。

 140km台後半で小さく変化する球など、かなりのキャッチャーでも捕るのは難しいのだ。


 ただ試合が進んで行くに連れて、伸びていくストレートは見誤った。

 ミットの上を通ってマスクを直撃というのが、二度ほどもあったのである。

 わざわざスピードガンで計測はしていないが、160kmが出ていたのかもしれない。

 もしくはホップ成分が増えていたか。


 しかしツーストライクからのストレートを、キャッチャーが捕れないというのは問題である。

 おかげでエラーを除いて、二人目のランナーが出てしまった。

 直史にも経験があることだが、単なるエラーでランナーが出るよりも、キャッチャーの後逸でランナーが出るほうが、ピッチャーへのダメージは大きいのである。


 ノーアウトからランナーが嫌な形で出て、ピッチャー交代である。

 スコアは5-0であり、ここから一点は取られても問題はない。

 どうせ公式戦の記録にも残らないこの試合、野手の皆さんには頑張ってもらおう。


 芹沢のリードに従い、アウトローに投げる。

 やや内に入ってしまったが、これぐらいは普通のピッチャーなら当たり前のことである。

 キャッチャーは常に、ピッチャーというのはどんな日でも完全なパフォーマンスを発揮できる、機械とは違うのだと認識しなければいけない。

 まあそれをだいたいいつもやってしまっているのが直史であるのだが。




 ここから都合よく一点を取ってもらう方法。

 まあ向こうとしては当然ながら、送りバントをしてくるだろう。

(するとワンナウト二塁になるわけだけど、そこから一点を取るのは難しいだろうに)

 自責点なしで失点するという素晴らしいチャンスであるのだが、普通に投げていても打ち取れてしまう可能性が高い。

 わざとフォアボールを出すのは、はっきり言って嫌である。


 作戦上の敬遠ならともかく、わざとフォアボールにするなど、ピッチャーとしての本能に反する。いや、あるいは人格にさえ悪影響を及ぼすかもしれない。

 なので芹沢の要求してくれた球はありがたかった。

 送りバントをさせず、バットにも当てさせずに失敗させて、二塁で刺す。

 意図は分かるがその能力が、自分にあるか分かっているのだろうか。


 直史の投げたのはスルー。

 バントするバットの下を潜り、芹沢のミットの下も潜っていった。

 キャッチャー後逸でアウトカウントが増えることなく、ランナーは二塁へと進んだ。

 送りバントが決まってワンナウト三塁。

 スクイズなり外野フライなりで、一点が取れる場面。

 点差から考えて、普通にスクイズをやらせて、アウトカウントを増やせばいい。

 だが直史のバックを守る野手陣は、恐れてしまう。


 失点するのか?

 あれだけの四死球を与えておきながら、結局完封するようなピッチャーが、キャッチャーの後逸からリリーフで出て、またもキャッチャーの後逸で失点の危機。

 こんな、ピッチャーの責任でない点を取られていいのか?

(とか思ってたらまずいけどな)

 直史は冷静である。

 どうせ公式戦でもない練習試合、しかも立場をなくすであろうはキャッチャーの芹沢。

 自責点がつくわけでなし、そろそろゼロ行進はやめておこう。


 スライダーを転がされた。ファースト方向であるが、直史が早い。

「こっち!」

 芹沢は叫ぶが、タイミング的に微妙であるのは、一瞬の目配りで分かった。

 体勢を崩したバッターは、当然ながら一塁になど間に合わない。

 直史はゆっくりとボールを捕って、一塁へ送球アウトを取った。


 かくしてゼロの記録は途切れた。

 無失点神話の崩壊であるが、無自責点記録はまだ続く。

 そして直史も、あえて自責点まで献上しようとはしないのである。




 食事を終えて午後からの二試合目。

 村上はそれなりに打たれたが、失点まではなかなかいかなかった。

 早稲谷の打線は何か吹っ切れたかのうように、大量点を奪っていく。

 七回の終了の時点で、11-3のスコアになり、ここでコールドゲームにしてもいいのだが、出来れば試合を続けたいというのがお互いの認識である。

 それにそこそこの点差はついているが、完全に一方的なわけではない。


 七回を投げて、村上も降板する。

 そして本日二度目の、直史のリリーフである。


 八回の頭からのピッチングは、芹沢のリードに首を振っていく。

 前の試合の失点と、現在の点差のこともあって、野手陣に変な緊張感はない。

 一度投げたピッチャーが、ダブルヘッダーで二試合目も投げるというのはあまりないことだが、イニング数だけを見るなら先ほどは三イニングで、今度は二イニングだ。

 キャッチャーは小柳川に代わっている。


 直史のボールは、あまり走っていなかった。

 それは一試合目の疲れか、それとも初失点の精神的なものによるのか、小柳川は分からない。

 ただ投げる直史は、いつも通りの無表情である。


 変化球を続けた後では、それほどの伸びのないストレートでも打ち取れる。

 そして大きく変化させれば、それで空振りを取ることも出来るのだ。

 特に効果的なのは、カーブであろう。

 角度や緩急差、それに変化量の大小で、いくつもの球種と錯覚させる。

 小柳川としても、サインはようやく憶えたものの、よく樋口はこんなものをリード出来るものである。


 結局この試合は、二イニングを投げて無失点のパーフェクトリリーフ。

 全力を出さなくても、コンビネーションでバッターは打ち取れるものなのである。

 あとの問題は、味方がエラーしないこと。


 佐藤兄弟は一方は無邪気に、もう一方はかなり確信を持って、キャッチャー芹沢のプライドを折っていった。

 これまで大学野球において、無失点であったピッチャーが、ついに点を許したのだ。

 ただしキャッチャーのエラーによって。

 パスボールでチームが負けた時の、キャッチャーの無念さはよく知っている直史である。

 だがこれは別に負けたわけでもないので、ほどよくプライドが傷つけばいいなとは思う。


 ただ、注意すべき点は一つある。

(今のうちから一年に、武史のリードを出来るキャッチャーを作らないといけないよなあ)

 単純に及第点のキャチャーならば、六大レベルなら普通に作れるだろう。

 だが武史の能力と性格を把握し、それをコントロールするというのは、それなりに大変なことである。

 樋口が卒業した後に、それなりのキャッチャーが入学してくれるとは限らないのだ。


 ボールをコントロールするだけでなく、試合の流れと、チーム状態もコントロールする。

 とにかく直史は、絶対的に周囲をコントロールすることに、苦心しているのである。

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