第63話 フレッシュ大学生の青田買い

 あくまでも勉学に励むことが主題であるべき大学生活において、スポーツに専念するために沖縄まで行って合宿をするということに、不自然さを感じる者はいないのであろうか。

 ちなみに高校レベルでさえ、私立の強豪は沖縄合宿などは行っている。

 プロ野球が二月からキャンプに使う施設を、冬休み期間中に使えばいいからだ。

 課外活動で沖縄にまでいって練習をするのは、さすがにやりすぎだとは、高野連は思っていないのだろうか。

「勝つために必要ならすればいい」

 直史は熱弁を振るう弟をすげなくあしらい、自分の勉強に戻る。


 直史の寮の部屋は、それなりに広いのであるが本棚が大きい。

 そこにあるのはおおよそが法律関係の本であり、あとは国際関係や心理学関係の本なども置いてある。

 大学の図書館で借りる本もあり、おそらく気に入ったら自分で買うのであろう。

 これだけ野球以外のことを勉強している野球選手は、おそらくこの大学にはいないだろう。


 それはそれとして入学式も前のこの時期、武史は知り合いも少ない東京に来てしまって、やることがない。

 直史もさすがに、自分も全く参加していない練習に、武史も参加しろとは言わない。

 毎日練習試合をして、さらに練習などをするというのは、直史にとってはバカらしいことなのである。

 そういう環境で同じく育った武史が、大学の野球部に適応するはずもない。


 ぶっちゃけ特待生と言っても、野球部を辞めたからといって退学しなければいけないわけでもない。

 ただ授業料がその次の年から発生するだけで、そのぐらいならば大丈夫だと、直史は両親から確認を貰っている

 武史は次男で、妹が二人いるにも関わらず、家来のように扱われていたため、末っ子気質が強い。

 特に大学は家族の視線も届かないため、金と暇があれば、いくらでも遊んでしまうだろう。

 だが武史が小遣い代わりにもらっている奨学金は、あれも野球部とセットなのである。


 直史はセイバーと出会って、大学の野球部というのはいかに自家中毒を起こし、存在するために存在しているか分かっている。

 もしも武史が野球選手として上のステージで活動するなら、はっきり言って大学よりも、設備の整ったクラブチームの方がいい。

 ただ今の早稲谷は野球部の部長を北村が務めているし、直史の存在が大きい。

 しかし西郷などは練習大好き人間のため、武史の最低限のトレーニングを、あまり良くは見ないかもしれない。

 それでも結果が出れば違うのだろうが。




 長男として、弟の人生設計については一緒に考えてやるべきだろう。

「武史、お前は大学生になり、ちゃんとした彼女も出来たわけだが――」

「え、なんでそれ知ってんの!?」

「双子経由で権藤さんから聞いた」

 長い片想いというか、話を聞けば意思確認だけが未遂の両想いだったわけだが。

 くっついてそれで終わりで許されるのは、少女マンガまでなのだ。

 それに最近の少女マンガは、くっついてからもまだ続くことが多いらしい。

 あとはもうやることをやって、人生設計を考えていく段階であろう。


 直史としても自分の考えが硬すぎるのは分かっている。

 だが相手が存在し、大学生ともなったなら、将来を本気で考えていく時期に入っているだろう。

 とりあえず付き合ってみただけで、将来のことなんて考えていないというなら別だが、武史はどうせそんな器用なことは出来ないので、このまま結婚まで行くのに決まっているのだ。

 長男だから分かる。


「将来的には大学を出て、だいたい社会人を一年ぐらい経験したら結婚した方がいいだろうかな」

「え、ちょっと早くない?」

「将来設計は早いうちから考えておくべきだ。だいたいお前はまだ将来の職業について、なんのビジョンもないだろう?」

「そんなの周りだって決めてないやつ多いと思うけど」

「周りが決めてないから、自分も決めなくていいという理由にはならないな。兄も妹たちも、既に決めているのに」


 ツインズは結局、東大の文科一類と文科二類に入学した。将来は法学部と経済学部に分かれて進むつもりらしい。

 あの二人が離れるというのは、はっきり言って直史たちも初めて見ることだが、キャンパスは同じである。

 芸能活動は続けながらも、二人は専門知識を学ぼうとしている。

「なんだかんだ言ってお前がレベルの高い大学にまで進学できたから、ここまでは特に何も口出しはしなかった。だが将来的に妻子を養うためには、当然ながら安定した職に就く必要がある」

 お説教モードと言うか、教育モードの直史である。

「お前の未来を現状から見るに、選択肢は幾つかある。一つは野球で食っていくこと、もう一つは野球を利用して食っていくこと、そして野球とは無関係に食っていくこと。おそらく野球を利用して食っていくことが、一番人生はイージーモードだ」

「前の二つは何が違うのさ」

「プロ野球選手を目指すか、社会人野球のチームに入るかだ。野球部を持っている企業は大企業が多いから、野球選手として引退してからでも仕事があるというのが大きい」

「あ~、俺も聞いたなあ」


 武史は進学を決めていたが、鬼塚がプロ待ち状態で、企業チームについて調べていたのである程度は知っている。

 特に大卒で就職した場合は、待遇的にも悪くないらしい。

 仕事の後に部活感覚で野球をして、その分は別の手当てとして出るのだとか。

「まあ野球を利用してということなら他にもあるけど、お前には向いてないだろうからな」

「え、何?」

「ジンと同じパターンだ。教職員免許も取った上で私立の高校などに入り、指導者になる。だがお前は人に教えるタイプじゃないからな」

 ああ、確かにそれはそうである。


 こういうことを聞いていると、野球を利用して食っていくのが、一番簡単そうな気がする。

 もっともそれだけ、残業をしているようなものなのだろうが。

 ただ大手企業に入るというのは、分かりやすい人生設計である。

「ただこういうことは相手があってのことだからな。神崎さんは一人娘らしいし、将来的にはあちらの家に入ることもあるわけだ」

「それはさすがに先の話すぎるような……」

「何事も早め早めに考えていたほうがいいからな」

 直史の場合は、難関の司法試験を通ることが、非常に重要になってくる。

 瑞希と二人で頑張るしかないのだが、一応は予備試験のルートも考えている。

 こちらは合格率が3%ほどとも言われる、超難関のコースではあるのだが、その代わりに早くから仕事が出来る。




 こうやって話をしていて、改めて直史は気付いた。

 武史はプロ野球選手になることを、全く望んでいない。

 惜しいな、とは自分のことを棚に上げて思う。

 武史ほどの素質のピッチャーは、そうそう出るものではないだろう。サウスポーで160kmなどというのは、ワールドカップで一人いただけだ。

 それも武史のような、尻あがりに調子が良くなってくるピッチャーとは違った。


 プロ野球選手というのは、直史はとても勧められない選択である。

 それに向こうの進路はどうなっているのか。

「なんか、ピアノをしながら、学校で教えたいとか言ってたかな」

 あちらはあちらで、それなりに将来設計を考えているらしい。

 ならば武史のほうが、あちらに合わせるという考えもある。

「プロには行かないんだな?」

「……行った方がいいかな?」

「どうだろうな。プロはどうも、才能だけでどうにかなる世界でもなさそうだしな」


 直史の知る限りでは、プロで通用すると思われていながら、故障などで挫折した例がいくつもある。

 ジンの父、大介の父、三里の国立監督などだ。

 ただ成功したらそれで、一気に稼げるということも確かなのだ。

 スペックだけならメジャー級の武史が、あちらで先発ローテを二シーズンも務められれば、日本の成人男性の生涯獲得賃金分ぐらいはあっさりと稼げる。

 大介がプロに行くと決めた時に、ちょっと調べてみたのだ。


 日本人選手がMLBで稼ごうと思ったら、よほどの例外を除いてはピッチャーでないと稼げない。

 とにかくNPBレベルに比べると、野手は打力が全く足りないのだ。

 おそらく大介ならば苦もなく対応するだろうが、あれは例外中の例外である。


 しかしピッチャーなら稼げる。

 それにこういうことは、自分よりも的確なアドバイスが出来る者がいるだろう。

「セイバーさんと話してみたらどうだ?」

「あの人ならMLB一直線じゃね?」

「そうかもしれないが、どうしてそれがいいのか、ちゃんと説明してくれるだろ」

 なるほど、それはそうかもしれない。




 セイバーは銭ゲバと評されることもあるが、実際のところは一番金を効率的に稼ぐことが上手いだけで、割りと成果の出にくいものにも投資したりはしている。

 それが将来的に大きな価値を持つと思えば、一億ぐらいの資金援助はして、後々100倍ぐらいになって返ってくるということはある。

 野球の世界で代理人に近いことをやっているのは、単なる準備段階に過ぎない。

 そしてその中で一番重要なことは、良い選手を確実に確保することである。


 大介がライガースに行ったことに関しては、彼女は関与していない。

 しかし直史が大学を卒業してもプロには行かないようには、ある程度誘導している。

 もっとも瑞希の存在によって、直史の進路選択は、どうにもセイバーの手の届かないところにある。

 弁護士となってもある程度野球とのつながりを作っておくことが、彼女にとっては重要なのだ。


 現在の直史のピッチャーとしての力は、既にプロでも即戦力レベルである。

 ただ弱点がないわけでもなくて、それがプロという生き方そのものに、慣れることが出来るかということだ。

 高校時代のことを考えても、直史は本来集団行動には向かない性格だ。

 大卒でも二年間は寮に入るという日本のプロ野球界のシステムは、野球とプライベートを割り切って考える直史にとっては、苦痛なだけであろう。

 だから直史をどうやってプロの世界に引きずり込むかは、いまだにセイバーにとっての最善手は見えてこない。

 強引に引きずり込むには、相手が悪い。

 直史を敵に回すということは、その妹たちに加えて、イリヤまで敵に回す可能性がある。


 だいたいは金の力でなんとかなるのがこの世界であるが、イリヤの影響力は金で買えないものである。

 彼女と良好な関係を続けていくことは、セイバーにとって非常に重要なことなのだ。

 つまり今は、直史には手を付けないほうがいい。


 それに対して武史は、そもそも将来の選択がまだ決まっていないのがありがたい。

「プロ野球選手になることのリスクは、確かに存在しますね」

 セイバーは元プロ野球選手の引退後の没落を、よく知っている人間である。

 野球に限らずアメリカのプロスポーツ選手は、引退後に破産していることが多い。

 ただでさえ成功することが難しいのに、成功してからも失敗して破産する。

 そういった例をどれだけ見てきたことか。


 武史の才能は、よく分かっている。

 そして大成しない可能性があることも、よく分かっている。

「もし失敗したら、私の会社で働いてください」

 セイバーは朗らかな笑顔で告げる。

 ここにやって来たのが、武史だけで良かった。

 おそらく直史であれば、セイバーの提案であろうとその裏を疑っただろう。

「まず大学在学中に、リーグ戦で主に活躍してください。そして日米大学野球選手権大会に出てください」

 すらすらと、一人の人間の人生に、レールを敷いてしまえるのがセイバーだ。

「大学卒業時のドラフトにはかかるでしょうから、レックス以外なら社会人と言って、出来ればこの時点でレックスに入ってください」

 これでセイバーがレックスの人間なら重大な協約違反になるのだが、セイバーはまだレックスと取引はしていても、レックスの人間ではない。

 レックスの人間であれば、ライガースの強化に力など貸さないのだ。

「社会人では二年間プレイしないとドラフトにかかりませんが、ここでもレックス以外は拒否してください」

「あの、どうしてそんなにレックス推しなんですか?」

「それは私が影響力を振るえる球団が、限られているからですね。それに武史君は、在京球団を志望しているのでしょう?」

 確かに関西や北海道や九州に飛ばされれば困る。

 それにセイバーの手間を考えても、プロ入り後の武史をフォローするためには、在京球団にいてくれないと手が回らない。


 セイバーの目的ははっきりとしている。

「そしてそうですね、五年を目途にポスティングでアメリカに行きましょうか。まあここから先は日本での活躍次第になりますが、10年間で二億ドルぐらいを目指しましょう」

 これが相手が直史であれば、セイバーは三億ドルと口にしただろう。

 代理人というのは、どれだけの選手を抱えておけるかも、その実力の一つだ。

 セイバーはアメリカのマイナー選手と契約を多く抱えていて、MLB球団とも伝手がある。

 優秀な選手を多く抱える代理人は、はっきり言ってプロスポーツ世界の中では、悪い影響も多大に与える。

 だが、とにかく稼げればいいという銭ゲバとは違うのがセイバーだ。

「そこまで豪勢な生活を求めてるわけじゃないんですけど……」

「能力があるなら、それを活かして収入にするのは当然です。まあ資産運用の仕方はまた別の才能が必要ですが、そこは私がしっかりと教えてあげます」

 セイバーは銭ゲバではない。

 ただし、そこに儲かる余地があるのなら、積極的に利益を取りに行くのは間違いなかった。




 帰ってきた武史が、基本的にはプロ志望というのに変わっていて、直史はそれなりに驚いたものである。

 だが最終的に失敗しても、セイバーが雇うと言っているなら問題ないだろう。

 彼女にとっては成人男子一名の給料を出すことは、甲子園で優勝することに比べたらはるかに簡単なのだから。


 直史のように将来を自分で決めているのと違い、武史はまだふらふらとしている。

 それならいっそのこと、信頼出来る他人の意見に従ったほうがいいだろう。

(すると春からは、俺の仕事が減るわけか)

 武史は完全に先発完投タイプのピッチャーであるから、投手が一枚固定されることになる。

(細田さんもいるし、この一年は楽になりそうだな)

 また試合に出なくていい理由が出来て、直史も嬉しいのである。

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