第78話 夢の終わり

 いい夢を見た。

 東大野球部の部長である魁は、目にたっぷりと涙を浮かべていた。

 おそらくは世界が崩壊しても不可能だと思われていた、東京大学によるリーグ戦優勝。

 それがここまで、現実に近くなった。


 佐藤家のツインズも権藤明日美も、野球を男に混じってやるのはこれが最後だ。

 ツインズは音楽活動と勉強に主軸を移すし、明日美は女子野球のクラブチームへの参加や、芸能事務所から仕事の声がかかっている。

 この三人が野球をやりだしたことを、直史は自分との遊びと思っていて、それもまた半分以上は正しいのだが、女子でもいいから力を借りたいと思ったのは魁なのだ。


 監督も上級生の選手たちも、これで充分だった。

 四年間一度も勝てず、それで終わることも珍しくない大学野球。

 それがまさか、こんな美少女たちと一緒に戦って、脇役ながら勝利側のチームでいられたのだから。


 東大でも野球をやって良かった。

 野球を辞めなくて良かった。

 そう思っている者たちの元へ、女神たちが戻ってくる。

「ごめ~ん」

「でも二位でも充分でしょ」

 全く気にしていない双子に比べて、明日美は泣きそうな顔をしている。

「いやいやいや、大丈夫だからね。ほら、ここまでずっと負けてきたんだし」

「そうそう。どうせ三人がいなけりゃ、俺たちだけだとどうせまた最下位だったんだし」

 ツインズは悪びれずに、うんうんと頷く。これが二人が外面のいい美少女であるのに、チームメイトからちやほやされない理由である。


 だが性格のいい明日美は、負けたことを全部自分のせいにしてしまうのだ。

「ごめんなさ――」

「明日美さん!」

 涙がこぼれそうな明日美にかけられた声は、応援席からのものだ。

 恵美理をはじめとして、東京近辺に進学した明日美の学友は、月曜日の試合も見に来ていた。

 今日の登板予定はなかったとはいえ、完全に恋人から後回しにされた武史は泣いていい。


「明日美さん! 凄かったから」

「そうだよ明日美ちゃん。MVPだよ」

「明日美、立派だったぞ」

 そうやって声をかけられて、結局は泣いてしまう明日美である。


「う~ん、あれは可愛いわ」

「ああいうのは真似出来ないね」

 メンタル的にも強すぎるツインズは、ああいった可愛げがない。

 そういうところを少し気にするあたりは、少しだけ可愛いのだが。

「アスミンが将来好きになるのって、どんな男だろうね」

「ダメ男に捕まっても更生させるぐらいの懐の深さはあるよね」

「逆にものすごく懐が深い男じゃないと、とてもあれを掴まえてはいられないだろうけどね」


 明日美の大好きリストは、男性部門は長らくお父さんであった。

 中学生や高校生の時は、同性の可愛い女の子に憧れることの方が多かった。

 今では男性にも憧れることが多くなってきたようだが、少なくとも東大生であっても、生命力にあふれた男でないと、明日美と付き合うのは難しいだろう。

 だいたいの男は、明日美のことが大好きになるだろう。

 だがいざ手を出せるかというと、そういうことにはならない。

 むしろツインズの方にこそ遠慮のない言動をしてくるので、とにかく明日美は大切にされている。

 あれはもう、性格という名の才能である。

 兄や大介など、ごくわずかにしか人間を大切と思わないツインズさえもが、明日美には優しくしてあげたいと思うのだ。


 自分たちの生き方も、性格も、肉体も気に入っているツインズであるが、明日美のような生き方もしてみたいなとは思う。

 それでも結局、二人が想うのは同じ人間であろうが。




 完全にアウェイ状態となった早稲谷であるが、直史は全く気にしない。

 そして樋口は全く逆の立場で、同じ経験をしたことがある。

 高校一年生、夏の甲子園決勝。

 大観衆が讃えたのは、敗北した上杉勝也の方であった。


 いい性格をしているツインズには、芸能人という立場もあって、それなりの人気がある。

 だが明日美は、純粋に球場を舞台としたドラマの上では、そのツインズをも上回る注目を浴びる。

 人間としてのカリスマ性が、彼女にはある。

 樋口の知る限りにおいては、そういう人間は他に上杉を思い出す。


 現役を引退したら政治家転身を約束させた上杉であるが、四年目の今年はこれまでの三年をさらに上回る異次元の成績を残していて、そう簡単には引退しそうにもない。

 まあ政治家の選挙デビューを考えれば、40代に入ってからでも、全く問題はない。

 それまでにに名前をどんどんと売っていくことは、その後の人生ではむしろ良いことである。


 長いインタビューを終え、球場を後にする早稲谷の選手たちであるが、直史は珍しく疲れていた。

 ロングリリーフというのも疲れた原因かもしれないが、終わってみれば思っていた以上に疲労がある。

 相手が妹であることはともかく、土曜日の第一戦以上に疲れたのは、明日美の試合での影響力が高まっていたからとも言える。

 細田でも点を取られたし、武史は最小失点で負けた。

 明らかにフィジカルやテクニックではなく、試合に対する支配力が違った。

 しかしその支配力さえも跳ね返したのが直史である。


 樋口は隣に座りながら、その疲労を見取っていた。

「そんなに厳しかったか」

 マウンドでもベンチでも、全くそんな顔は見せなかったのに。

「うちの妹たち相手だとな。何をしてくるか分からん」

 真っ向勝負だけをしかけてきたのは、むしろ意外であった。


 それに、バッターとして打席に立った明日美。

 あれは、大介と似たような生き物だと感じた。

 高校時代や大学時代、そしてワールドカップでも、あれだけ懐の深いバッターはそうそういなかった。

 さすがに大介レベルではなかったが、油断すればホームランは打たれていただろう。


 そんな明日美も抑えて、バッターとしてもピッチャーとしても、妹たちには勝った。

 そしてあくまでもおまけだが、試合にも勝った。

 しかし本当に勝利だけをあちらが目指していたなら、樋口や直史を敬遠してしまって、最小失点差で逃げ切ることは出来たはずだ。

 だが何かのこだわりがあったため、負けた。そのこだわりのために、わざわざ挑戦してきたのだろうが。

(甲子園の決勝より疲れたかもしれないな)

 その感想は間違っていなかった。




 春のリーグ戦、早稲谷は最終週の慶応大との試合も制し、勝ち点五でリーグ優勝を果たす。

 東大は勝ち点四で、現在の体制になって最高位となる、二位でリーグ戦を終えた。

 だがこの最終戦、慶応との第一試合において、直史は大学入学以来、公式戦初失点を喫する。

 試合自体は勝ったものの、あいつの人間らしいところがやっと見れたと、周囲は安心したものである。


 なおこの春のリーグ戦において、当たり前のように直史は最優秀防御率の栄誉に輝き、樋口と共にベストナインに選ばれた。

 そしてまた全日本大学野球選手権大会に出場するため、色々なものを削らなくてはいけなくなってしまう。

 しかし直史は練習時間を削り、軽いジョグとストレッチに柔軟、キャッチボールだけという調整に入る。

 もう完全にメニューは本人に任せている辺見だが、さすがに心配で樋口に聞いてきたりする。

「佐藤はどこか故障はしてないよな?」

「しててもストレート以外で抑えるでしょうけど、してないと思いますよ」

 だが直史が不調なのは、樋口も分かっている。


 最終第八週の早慶戦、土曜日に直史は先発した。

 二安打二四球というのは、直史にとっては悪い数字だ。

 特にフォアボールを二つというのは、これまでになかった。

 なおエラーが絡んで一点となっているので、防御率自体はいまだに0のままである。




 直史は東大戦で残ったフィジカルとメンタルへの影響を、公式戦を一度投げて調整した。

 去年は結局決勝での出番がなく敗退した、全日本が始まる。

 今年の直史はピッチャーがそろったこともあって、珍しく優勝を狙っている。

 日米野球も、開催が日本なので、出場を考えているのだ。


 それに社会人やプロの二軍との対戦成績を見て、おおよそ日本のアマチュア野球の上限は見えてきた。

 やはり楽しめるほどの相手は、もう日本の国内のアマチュアにはいない。

 いるのかもしれないが、少なくとも見える範囲にはいない。

 ならば本場アメリカの、層の厚い大学野球と対戦するのも悪くはない。


 高校までは日本の方がレベルの高いアマチュア野球であるが、これが大学になると逆転、もしくはほとんど差がないことになる。

 理由としては同じことが二つの面を持っている。

 つまり日本の場合、プロで通用する素質であれば、高卒後にそのままプロに進むことが多いということ。

 それに対してアメリカは、己のキャリアも考えて、ドラフトで指名されても大学に進学することが多いからだ。


 ある程度日本と同じこととしては、自分の価値をより高く売るということ。

 またアメリカにおいては、日本以上にリーグのトップとマイナー契約の差が激しい。

 最初から大きな契約金でMLB入りするために、大学を経由するということは珍しくない。

 特に年俸に関しては、MLBでは若い頃から高額年俸を得ることが難しく、大学を経由してからの方がキャリア形成には有利とまで言われる。

 まあ日本とアメリカでは、大学で学ぶということの意味が、かなり違うということもある。




 今年の早稲谷はピッチャーに武史が加わり、かなり層は厚くなっている。

 打線の方も去年の主力であったクリーンナップが、そのまま残っている。

 そして何より、辺見が直史の能力を過小評価しなくなりつつある。


 去年の全日本も、そして秋のリーグも、温存した戦力の使いどころを間違えて、早稲谷は負けた。

 ネットだけでなく学長などからも、色々と苦言はあったらしい。

 ただ直史が体調が悪いフリをしていたせいで、ある程度その声は収まったが。

 直史のフォローがなければ、解任という案件になっていたかもしれない。


 だが直史としてはここまで恩を売った監督が、いなくなってしまう方が自分にとっては不利益なのだ。

 チームとしては監督の采配に疑問符を持つが、直史個人としては、辺見が間違った判断をしてくれる方が嬉しい。

 いくらなんでもそれはひどいとも思われるかもしれないが、自分自身の幸福の最大化を目指す直史としては、これぐらいのことは考えて当たり前とも言える。


 そして直史の耳に、東大の野球部から、女子三選手が退部したという話も聞こえてきた。

 ツインズは仕事に専念するためかとも思った直史であるが、明日美までもいなくなるとは。

 どのみち明日美だけならば、いくらなんでも東大には負けるはずがない。

 このあたりの情報は武史を介して、恵美理から流れてくる。

 元々明日美が考えていたのは、関東の埼玉と東京を中心に作られている、女子野球クラブチームリーグへの所属なのであった。

 そこで広告塔をする前に、名前を売るため六大に乗り込んだというわけだ。


 確かに明日美は有名になった。

 六大学で主力級のピッチャーから、三本のホームランを打った女子など、今後現れないのではないかと思われる。

 スポーツ万能な人間は今後も現れるだろうが、それが野球を選ぶことは、考えにくいからだ。

 なんでもツインズと同じ芸能事務所に所属して、女子野球の普及に力を入れていくそうな。

 まあ大学野球であそこまで注目されたので、確かに今後の話題にはなるのだろう。




 かくして佐藤家のツインズと、権藤明日美による、春の嵐は去っていった。

 今後も二人と一人は色々と世間を騒がせることになるのだが、それはまだ先の話。

 そして直史はまた正常な毎日を送ることになる。


 彼の人生においては、騒々しさは日常的について回るものである。

 そしてその中でもこの夏に起こる出来事は、悪名も美名も、また世間に大きく拡散していくことになるのである。




×××




 六章 了   

 七章 大学の熱い夏 へ続く

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