第121話 最強
日本が冗談のように強い。
それは三カ国の四球場で行われている他国にも、すぐに伝わっていった。
キューバ戦のあとには、あのキューバを相手に圧勝かと驚かされたものであるが、キューバに比べればレベルの低い中国なら、それ以上の点差で勝ってもおかしくはない。
だがサヨナラの形とは言え、つけた点差は同じ15点。
もちろん日本としては、わざとぎりぎりまで15点差つけるのを待っているわけではないのだが、他のチームから見るとそんな無茶苦茶な手加減にも見えるらしい。
そして第三戦の先発は直史だと、内々においては当然知らされた。
WBCにおいて先発というのは、まさに国を代表するようなもので、上杉、東条は確かに、タイトルを複数取っているエース格である。
だがNPBではないが直史はタイトルというか、その二者にも優る記録は残している。
公式には甲子園における、三度のノーヒットノーラン。
ワールドカップでは最優秀救援投手。大学に入ってからはベストナインを毎回取って、あとは防御率のタイトル。
壮行試合でこの、NPBの日本代表をノーヒットと言うか、事実上のパーフェクトに抑えた。
上杉とはタイプが違うし、上杉はシーズン戦に合わせて投げているので、いちがいに直史と比べることは出来ない。
だがNPB最強の投手である上杉と比べたくなるほどの、絶対的なピッチャーであることは間違いない。
そしてそんな直史から、ほぼ唯一と言っていいほど、いくらでも話を聞けるのが瑞希である。
中国戦の終了後、直史は宿舎から出る。
一応声はかけておいたが返事は聞いていない。
問題になるかどうかは知らないし、別に問題になってもどうでもいい。
直史のやっているこれは、野球と言うよりはボランティアなのだ。
少なくとも今のところは。
樋口や大介もいるし、フォローは入るだろう。
待ち合わせの喫茶店に到着すると、一番奥の席に瑞希はいた。
「ごめん、待ったかな」
「大丈夫、色々と整理してたし」
気遣ったわけではなく、本当に瑞希も色々としているのだ。
「けれどそのサングラス何?」
「野球ファンがホテルの周りに集まってるんだよな」
案外サングラスが似合う直史である。
ちなみに夜用の伊達メガネもあったりする。
注文を取りにきたウエイトレスに、ホットミルクティーを注文する。
瑞希はラップトップパソコンを使っているが、喫茶店でも使えるように、防水シートを使っている。
お値段は10万以上もしたのだが、印税で買ったものだ。
個人事業主として開業届は出したので、これも経費になっていたりする。
白富東の本がロングセラーになって、またここで重版がかかっているので、次の執筆も兼ねて色々とやっているのだ。
勉強第一だと、あまりそちらに時間も取れないのだが。
二人は大会中の息抜きと共に、瑞希のお仕事について色々と相談するのだ。
執筆するのは瑞希であるが、監修は直史がしている。
よってペンネームは「佐藤みずき」となっているのだが、なんだか早くも結婚してしまったような感じがして、よくテレテレしてしまうのが瑞希である。
直史としては別に照れはしない。
収まりがいいなとは思う。
観客席から見た試合に対して、その時はそうだった、この時はこうだったと教えるのが、直史の役割である。
瑞希はセイバーに招待されたVIP席で観戦しているわけだが、その場にはイリヤも一緒にいることが多いらしい。
他には色々と知らない人間もいたそうだが、まるで瑞希に聞かせるように、危険な内容の話もしていた。
「NPBのマイナー化構想か。確かに昔から言われてたよな」
MLBの考えていることである。
たとえば海外ではその国のリーグであると同時に、アメリカにとってのマイナーリーグであるという球団もあったりする。
日本の場合はドラフトやFAなどで日本人選手をしっかりと囲い込んでいるが、それでもMLBはもっと安価に、日本人選手の獲得を考えているらしい。
そんなMLBの魔の手から日本の野球の独立性を守るため、色々とセイバーは動いているのだとか。
ぶっちゃけ直史のようにNPBの外からプロ野球を見ていると、それは難しいだろうと思う。
単純な話で、MLBの方が金になるからだ。
上杉のように日本を愛し、アメリカで投げることに意義を感じない選手は、絶対に少数派のはずなのだ。
大介にしろ今は上杉との勝負と、日本の球界で色々と動き回っている若手だが、上杉がいなければすぐにでもMLBへの移籍を考えてもおかしくはない。
もっとも大介はセイバーに、早くても25歳以降と言われてはいるのだが。
セイバーは色々と考えているし、それに大介は自然と巻き込まれるのだろう。
だが基本的にセイバーは、お互いに利益のある経済活動しかしない。
イリヤには時々予想外に振り回されているが。
真面目な話は終わりである。
夜にはミーティングを行うため、七時には戻っていないといけない。
だがそれまでには少し時間がある。
「本当にいいの?」
ラブホテルの部屋に入り、珍しそうに見回す瑞希であるが、明日は先発をするというのに、こんなことをしていていいのだろうか。
セックスに消耗するカロリーは、実はけっこう高いのである。
だが直史としては、鋭気を養う手段でもある。もちろん本当は、単に自分がしたかっただけである。
昨日もしたのにとは思いつつ、嫌だとは全く思わず、むしろその逆の瑞希である。
「ラブホテルって言っても、綺麗ね」
そう、この二人はここまで激しく退廃的な一日を送るときも、瑞希の部屋でしか行為をしていない。
邪魔が入らないのだから、利用する必要を認めなかった。
しかし門限までに帰るには、移動に時間がかけられない。
WBCを開催中に、翌日先発のピッチャーがこんなことをしていていいのだろうか。
瑞希にはそれなりに葛藤があるが、脱がされている間は全く抵抗はしない。
「どうどう、シャワー先に浴びさせてね」
「一緒に入ろうか?」
普段とは違う環境に、興奮しているのは二人とも同じであった。
ただ結論としては、家の方がいいというものになる。
やはり自分の塒でないと、落ち着いて出来ないということか。
まあ慣れればどこでも、出来るようになるのだろうが。
それに慣れていないからといって、直史が手加減することはないのである。
女性に対する配慮が足りないが、快楽を与えるという点では配慮のありすぎる直史であった。
門限とされる時間にはホテルに戻ってきた直史であるが、そこで島野から先発を告げられた。
よくもまあプロの実績豊かなピッチャーを差し置いて、そんなことが出来たものである。
三回までを投げるのがノルマと言われたが、別に必須というわけではない。
キューバ戦で一イニングを投げたが、あれは上杉が向こうのバッターの心を折っていたからとも言える。
もちろんしっかりと見る者が見れば、そんなことはありえないと分かるのだが。
そして相棒は樋口である。
大学最強バッテリーであることは間違いない。
「て言うかお前、ホテル行ってただろ」
樋口の鼻は誤魔化せない。別に誤魔化す気もなかった樋口であるが。
愛人などとは言うが、樋口の未来に影響を与えた女性は、仕事があるのでそう簡単に休むことは出来ない。
なので適当なところから発散したいのだが、遠慮しているのが樋口である。
こいつでも、遠慮する時はするのである。
「大丈夫か? 明日に響くような状態じゃないだろうな」
「むしろ頭はすっきりしてるぞ」
本当に、顔がホルモンの分泌でテカテカとしてそうな直史であった。
隠しもしない舌打ちだが、とりあえずミーティングも終わってやることは明日の準備だ。
既にある程度頭の中にオーストラリアの情報は入っているが、オーストラリアがキューバにボコボコに負けた試合は注意しておおくべきだろう。
あちらも自分たちをボコボコに負かせたキューバを、さらにボコボコに負かせた日本に、勝てるとは思っていないだろうが。
オーストラリアにはメジャーリーガーを輩出する環境があり、そこに所属する選手も今回の大会の代表になっている。
ただもちろん、現役バリバリのメジャーリーガーではない。
危険なバッターというのはいないだろう。
なので問題はただ一つ。
怪我をせずに無難な内容で、責任投球回を終わらせることだ。
最終戦はイタリアとの戦いになるが、イタリアはイタリア系メジャーリーガーを何人か用意しており、キューバにはコールドにならない程度で負けているし、中国にはそれなりの点差で勝っている。
どちらにしろエースクラスを、最終戦の日本相手に持って来ることはあるだろうが。
ざっと見回したあたり、それほど追加で注意する点はないと思われる。
なので問題は、どう勝つかでもなく、どういうピッチングをするかになる。
最終日のイタリア戦を前に、もう一日の間がある。
なので50球以内に球数を抑えれば、第一ラウンドの最終戦、万が一苦戦したときにリリーフが出来る。
あとはオーストラリア戦も、コールドになるかどうかである。
コールドはいい。
ピッチャーの球数も抑えられて、バッターは気分が良くなり、次の試合への勢いがつく。
油断してしまわないようにすることは、重要ではあるが。
直史と樋口は、二人でしっかりと考える。
他の監督やコーチ、それにチームメイトも交えない。
下手に人数がいると、方針がしっかり決定しないからだ。
基本的にはこれまで通りでいい。
球数は少なく、スピーディーに試合を終わらせる。
明日は日程の関係で、日本とオーストラリアの試合しかないので、それ以外の時間は自由にすればいい。
金を持ってるはずの大介にたかって、適当にご馳走でもしてもらおうか。
そんな邪悪な考えとは別に、試合に関しては真摯に考える直史である。
もうリーグ戦での通過は決まったようなものなので、あとは決勝トーナメントが重要である。
事前からこちらの山は、アメリカ国外で行われた、AグループとBグループで準々決勝と決勝を行うことは決まっている。
勝ち上がってくるのも、そして対戦するのも、台湾と韓国は、どちらかとは必ず当たると思っていた方がいい。
グループBは他に、オランダ、イスラエル、スペインが入っている。
この中ではかなり番狂わせを起こらせる可能性があるのはオランダである。
世界ランキングでは韓国が三位、台湾が四位となっているが、オランダも九位なのだ。
それにオランダには、NPBやMLBから、しっかり代表に戻っている選手がいる。
今のところはまだアジアの二強とは当たっていないが、オランダの動き次第で、グループBは波乱が起こるかもしれない。
決勝で当たるのは、どうせアメリカだろう。
プエルトリコ、ドミニカ、メキシコなども、現役メジャーリーガーを有しているが、アメリカは若手とはいえMLBと3Aの中間のような選手を大量に保有している。
このWBCの投球制限のルールの中では、一番強いのかもしれない。
ただ直史としてはキューバにあっさりと勝てたので、あとは楽だなと思わないでもない。
あちらの山で、アメリカ、プエルトリコ、ドミニカ、メキシコが潰しあってくれる。
他にはカナダやコロンビアも、それなりに一発はありそうだ。
地球を半分移動する、時差ぼけなどは怖いだろう。
だが二試合を行えばそのハンデもなくなるだろうし、そこから決勝に挑むわけである。
なお準々決勝は一日に二試合ずつ、準決勝は一試合ずつ行われる。
日本の属するグループAとBは、準決勝と決勝の間に一日の余裕があり、その点でもトーナメント上は有利なのだ。
第一ラウンドのリーグ戦は、初戦のキューバを相手に大勝した時点で、ほぼ通過は決まったのだろう。
あとは他の試合である。
実力的に順当なところでは、韓国と台湾のどちらか、あるいは両方と戦うことになる。
どちらでも構わないし、もしデッドボールを投げてきたりしたら、むしろありがたい。
日本の戦力は攻撃面では、大介以外は代わりがいる。
そして大介はデッドボールのコースに投げられても、普通にヒットにはしてしまう。
WBCの先発投手を任されたことへの不安などはない。
不安があるとしたら、移動による体調面の悪化だ。
ワールドカップの時に、自分はあまりそういうものがないとは分かっているが、他の選手はどうなのか。
あとは鉄人と言われる上杉であるが、ちょっとした怪我をしてしまったらどうなるのか。
まあ日程的に考えて、直史が50球までは投げられる試合が続く。
だから終盤までリードしていれば、それで勝つ。
そして思考はまた、とりあえず明日の試合へと向かうのであった。
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