第122話 野球の世界の中心

 開催国の特権としてか、日本の試合は土日に行われることが多く、そして試合と試合の間に、二度の休みがある。

 他の国同士の対戦はあるのだが、あとはイタリアに注意するだけである。

 なにしろここまで、得点が46で失点が0なのだ。

 そう、失点が0なのだ。


 投手王国と言われる日本であるが、今回はメジャーリーガーを一人も招聘していない。

 それでいてこの数字を残しているのだから、今回の日本は強いと言っていい。

 いや、あるいは急激に強くなったのか。

 一番から九番まで、ほとんどが三割以上を打っていて、シーズンで二桁の本塁打を打っていない選手は一人もいない。

 そしてピッチャーも若手を中心としながらも、相手に一点も許していない。


 いくらなんでも今回は強すぎないか?

 だがメジャーリーガーは一人もいないし、若手中心で30代の選手は四人しかいない。

 ここから求められる解は一つ。

 日本の若手選手のレベルが、急激に上がっている。

 何か日本でとてつもないイノベーションが起こっているのか?

 元々隙のない野球をする国ではあり、その点は今回も変わっていない。

 ただそれに、メジャーリーガーが持っているような、パワーまでもが備わっている。主に大介のバッティングが注目されているが。


 ここまで三試合で、10打数8安打3ホームランの16打点。

 OPSは脅威と言うのもおろかな、2.789を記録している。

 お祭り男の面目躍如と言うべきか、これではどれだけホームランの数を少なくして目立たなくしても意味がない。

 ちなみに盗塁も五個決めている。


 もちろん打撃のパワーも異常ではあるのだが、ピッチャーの方はなんのか。

 キューバとの第一戦では、上杉-佐藤のパーフェクトリレー。

 中国相手も東条と島の完封リレー。

 そしてオーストラリア相手には佐藤直史の五回コールドながらパーフェクトと、圧倒的な投手力も見せ付けている。


 世界中のネットワークが、日本チームの情報を手に入れようとしている。

 そして今さら、球速のギネスに記されているのが、日本人だと知って驚いたりする。

 普通にアメリカと思っていたのかもしれないが、過去の記録保持者も帰化しただけでキューバ人である。

 まあアメリカはそういう国全てを内包してアメリカなので、そこが強い理由なのかもしれないが。




 一応は決勝トーナメント進出の可能性を残しているイタリアであるが、それはほぼありえない。

 直史が一人で投げ切ってしまったので、普通に上杉を80球まで使える。

 もちろん日本としても、他のピッチャーの状態を試さなければ、準決勝を安心して戦えない。

 上杉と直史を決勝でフルに使うためには、準決勝では二人とも50球以内に抑えなければいけない。

 そして準々決勝でも同じことが言える。

 どちらか一人をメインにして、あとは細かく継投するならそれでもいいのだが、とにかくこの二人の安定感が凄まじすぎる。

 もっと苦戦すると思って、ピッチャーも集めていたのだ。


 ただ召集しておいて、ただ集めただけではそれも問題である。

 なので必ず一度以上は登板の機会を与えなければいけない。

 幸いと言っていいのかはわからないが、決勝トーナメントにはコールドはない。

 対戦相手のレベルを考えても、もしコールドで勝てるとしても、終盤まではもつれこむぐらいだが。


 選手たちは明日に備えて、休んだり練習をしたりしている。

 その中で大介は、直史にバッピをしてもらっていたりする。

 決勝トーナメント対策だ。


 基本的に決勝トーナメントの、特に決勝戦においては、アメリカのMLB標準球に慣れたピッチャーが出てくるだろう。

 その時に投げられた変化球を打てなければ、優勝は難しい。

 だがMLBのボールに適応したなどと言った直史が、簡単に大介から空振りを取っているのを見ると、他のピッチャーが微妙な気分になる。

「つーかさ~、お前30歳ぐらいまででいいからプロ来いよ!」

(((来るな来るな来るな)))

「だが断る」

(((よっしゃー!)))

 直史と大介の間には、友情が成立しているが、他の選手のほとんどにとっては悪夢のようなものである。

 壮行試合において完全に抑え込まれたことは忘れられない。たとえこのチームがWBCで優勝したとしても、佐藤直史のいる大学代表、正確に言うと早稲谷の方が強かったということになる。


 現在早稲谷は、大学野球史上最強の兄弟投手がいて、それをリードするスーパーグレートキャッチャーがいて、六大の本塁打記録を塗り替えようとするバッターまでがいる。

 直史のいる新三年生は、その中でもスタメンが多く、間違いなく最強の布陣である。

 よくプロの世界でも、ライガースよりPLの方が強いとか、神奈川より横浜学一の方が強いとか、そんな風に揶揄されたこともある。

 だが現実で、早稲谷のメンバーだけで、日本代表に勝ってしまったというのは、紛れもない事実なのだ。


「でも実際の話、お前の仕事って資格持ちだろ? 一度それ取得してから、しばらく野球出来ないのか?」

「なんで俺が一年のうち10ヶ月も拘束されるような、ブラックな職業に就かんといかんのだ」

 直史としても本音であるが、他の選手が聞いているところでは、あまりそういう話はしてほしくない。

「正直なところ俺は、あんまり体が頑丈じゃないからな。短い期間のトーナメントで戦うならともかく、年間140試合もするようなプロの世界だと、肉体の耐久力が足りない」

「先発なら年間30試合もねえぞ」

「リリーフに回されたらどんするんだ。とにかく無責任なことを言うな。それに俺は、今が全盛期だからな」

 これだけは本気でそう思っている直史である。


 今、あるいは今年と言うべきか。

 直史は四年生になったら、単位取得制度を使って、法科大学院に入る。

 そして大学で野球部に所属していられるのは四年間だけだ。

 正確には所属はしていても、選手として試合に出られるのが四年間なのだが。


 最後の一年はどうしても勉強が主体となって、野球にかける時間は少なくなるだろう。

 まして大学院の二年目は、本格的に司法試験対策が始まる。

 そしてその後は司法修習が一年あるため、この二年間はほとんど野球と関わらないことになる。

「週に一回ぐらいはクラブチームで楽しむつもりだけど、それも出来るかどうかは怪しい。それが二年間もあったら、野球の技術や身体能力は確実に衰える」

 それは確かにそうだろう。直史の技術は、練習によって維持されている。

「だから今、こうやってお前と最後にチームを組めるのは、面白い偶然だと思ってるよ」

 非常識なやつらの会話が、妙にしんみりとしてしまったことに、戸惑いを隠せない周囲であった。




 何がなんでもプロ野球選手になりたい、という人間はいる。

 だがプロ入りすることだけが目標になっていれば、その後に何をすればいいのか。

 受験戦争に勝ち抜いて大学生になった途端、腑抜けになってしまう者はいる。

 直史が違う。


 言葉の端々から感じられるのは、プロ野球選手になっても、そこで完結するようなイメージを、直史は持っていない。

 トップレベルのスーパースターになって、人生をそれで切り拓いていけるぐらいの成功を収めなければ、意味がないと考えているのだ。

 中途半端に数年だけ活躍しても、その後に何をすればいいのか。

 プロ野球選手は引退しても、結局は野球に関連することしか出来ないとも言われる。

 あるいはそれすらも出来ず、解説やコーチの席もなく、野球とは関係のない職業に就くというか、就ける者もいたりする。


 直史は野球から離れても、やることはしっかりしている。

 むしろここで、野球とは決別するのだ。

 草野球でやるにはさすがに、衰えてもレベルが高すぎるだろう。

 だがそこにセイバーは、クラブチームという選択肢を出した。

「プロ野球選手と言っても、ここにいるような人たちはほとんど、年俸5000万とか一億とか、そういう人たちだろ? 俺は2000万の年収を、30年以上継続して稼ぐんだよ。それが俺の生きる道だ」

 分かったらまた投げるぞ、という直史である。


 惜しいな、とは思う。

 采配を握る島野などの首脳陣や、ピッチャーにしろバッターにしろ、ここにいるのは日本の野球界の上澄みであるプロ野球選手の中でも、特に選ばれた傑物である。

 それから見ても佐藤直史という人間は、少し一般的ではないが、明らかに彼にしかない才能を持っている。

 MLBの標準球を持ってきて、それで変化球を変えてしまう。

 もちろんその肉体を維持しているのは、適切な運動によるのだろう。

 しかし肉体をコントロールするその技術は、やはり才能だ。


 フィジカル重視でまずは体を作らなければいけないというのが、現代の野球である。それは全てが間違っているわけではない。

 直史もある程度フィジカルを鍛えて、球速のアップには取り組んでいる。

 ただその過程において、コントロールが乱れないようにとも考えている。

 豪快なフォームから繰り出される、スケールの大きなピッチング。

 それは直史とは完全に無縁のものである。

 球速のアップすらただの保険で、本当ならば大学で無双するぐらいなら、入学時の球速でも充分だったのだ。


 とにかくスケールの大きさとかをお題目に、出力の大きな選手ばかりを取るスタイル。

 現在のプロ野球、それもNPBだけではなくMLBにさえ喧嘩を売っているような、一人だけ異質な存在。

 いずれ技術がさらに洗練されていけば、上杉並のパワーを持って、直史のようなテクニックさえ、同時に必要になる時代が来るのかもしれない。


 直史は己の技術を誰かに教えることに躊躇はない。

 必殺のスルーについては、さすがに自分でもコントロールしきれないので、とにかく軸の方向だけを注意するしかないのだが。

 おおよそは教えて欲しいと思っても、直史の指や手首の柔らかさは、長年の蓄積で育まれたものだ。

 そのまま真似することは出来ないが、新しいきっかけにはなった。

 プロともなれば教えられたことをそのままではなく、自分なりの形で身に付けなければいけない。

「つーかあいつ抑える方法教えてくれよ」

 大介を親指で示しながら、そんなことを言ってくる者もいる。

 そう言われても直史としては、コンビネーションとしか答えようがないのだが。

「遠慮はいらねーぞ。下手に逃げられるよりも、勝てると思ってゾーンに投げ込んでもらった方が、俺としてはありがたいし」

 大介も大介で、ナチュラルに煽ってくるのだった。




 一日を地味なトレーニングと、ほとんどバッピで終わらせた直史である。

 昨日は投げたとはいえ、わずかに36球。

 プロの中継ぎなら連投もありえる球数だ。

 しかし今日は、他のピッチャーに見本を見せたり、あとはバッターの苦手なコースを克服するために、200球以上は投げただろう。

 まあ普段よりは少ない練習量である。


 しかしプロのトップレベルというのは、やはりたいしたものである。

 かなり正確に苦手コースを抉っていっても、しばらくしたらアジャストしてくる。

 もちろん直史のコントロールが優れているため、それを信じて合わせてくるというのはあるのだが、それにしても凄まじい適応力だ。


 投手陣は投手陣で、MLB基準のボールについて、それぞれ話し合ったりしていた。

 そして結論として、自分はMLBで投げられるタイプではないと判断してしまう者もいたが。

「今日は出かけなくて良かったのか?」

 樋口としては直史が、また瑞希に会いにいくと思っていたのだが。

「オーストラリア戦はやりすぎたな」

 直史も反省はする。おかげで宿舎の周りがファンに囲まれて、普通に出歩くことが出来ない。


 MLBの標準球に慣れたことで、手足が伸びたかのような感触を持った。

 それでどれだけ通用するかを、本番になるであろうアメリカか、他のどこかとの決勝前に試しておきたかったのだ。

 結果がアレである。

 あまりにもひどい。

 だがおかげで、またピッチングの幅は広がった。

 投球術というのは、投げる球と、それによる組み立てで、成立するものである。

 また一段レベルが上がり、そしてその一段は、他の誰かには真似できないような一段である。


 直史がピッチャーをやりはじめたきっかけを、もちろん樋口は知っている。

 その運命は直史の人生を、明らかに変えた。

 世界は誰かを中心に回っているわけではない。

 だがその行動が世界を変える人間はいる。

 樋口はそれをよく知っている。上杉がそうであった。

 春日山が優勝した時には、自分にもわずかだがそういう力があると知った。


 いや、違うか。

 誰かがいてこそ、自分の存在は何かを動かせる。

 自らは光を発することない、惑星や衛星のようなものだ。

 上杉勝也、白石大介、この二人は間違いなく巨大な恒星だ。

 直史には二人と似た引力を感じるが、とにかく異質であることは間違いない。

 それはつまるところ太陽よりもよほど巨大な引力を持つ、ブラックホールのようなものなのかもしれない。

(本当にこいつ、どういうつもりなんだか)

 直史は言っていることとやっていることが、正反対の結果を起こすことが多い。

 正直言って見ている分には、それはそれで面白い。しかし近付きすぎると、厄介なことが起こる。

 それを身近で見ていたいと思うのは、やはり自分の困った性であるのか。

 騒がしいWBCは、まだ半分が終わったばかりである。

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