第104話 黄金時代

 本日の早稲谷大学、先頭打者は土方に代わって山口。

 早大付属においては主に二番打者として活躍し、小器用なバッティングでヒットを打ったり、球数を投げさせてフォアボールで出塁したりしていた。

 この第一打席においては、ツーアウトから粘っていくのだが、どうもボール球が少なく、フォアボールを警戒しているらしい。

 山口はそこまで俊足というわけでもないのだが、一回から先頭打者を出したくないというのは分かる。

 武史がいきなり三者三振などという派手なことをしたからだ。

 ロースコアゲームになると覚悟すれば、ピッチャーはランナーを出さないことを考える。

 一回の攻防でいきなり試合が決まってしまう可能性もあるからだ。


 なかなか出塁は難しいかと判断した山口は、追い込まれてからバント。

 ピッチャーの横を抜ける、絶妙なバントであるが、ショートも素早く前進して、これを捕球してファーストへ。

 あちらの動きも良かったが、山口の嫌らしい出塁は成功である。


 なるほど、と樋口は考える。

 単純に球数を放らせようと思っても、相手はこちらを打ち取ることを考えている。

 まあこの調子なら八回まではもたないとは思うが、手段を目的化してはいけない。


 球数を少なくするため、甘くゾーンに入った初球。

 振りぬいた樋口の打球は、レフトフェンスぎりぎりを直撃する。

 山口は長躯ホームを目指し、俊足の樋口は三塁を目指す。

 ボールに上手くスピンがかかっていたのか、フェンス付近に留まるボール。

 見事な先制のスリーベースである。


 樋口は抜け目ない。

 基本的には粘っていくが、それを見越して力の抜いた球が来れば、それは打ってしまえばいい。

 シンプルな考えで、ピッチャーにダメージを与えた。

 そして打線はここからクリーンナップである。




 清河が最低限の内野ゴロを打ち、西郷が容赦なくホームラン。

 これで一回の攻撃で、三点のリードをもらった武史である。

 リリーフに直史がいることを思うと、おおよそ絶望的である。


 いっそのこと武史を降ろして、他のピッチャーに経験を積ませようかとも考えた辺見である。

 いざという時には、直史をリリーフにして、そこから完全に抑えてもらう。

 直史が投げれば点が入らないというのは、もう信仰に近い宗教になっているかもしれない。

 だがさすがに、三点はセーフティリードではない。

 肝心の直史は、六点ぐらいはないと安心出来ない人間であるが。


 二回の表、樋口は武史を色々と操作して遊ぼうと思った。

 別に本当に武史をオモチャにしようというのではなく、その能力の限界を引き出そうというものであった。

 この先、この才能だけはデタラメに恵まれたピッチャーを、さらに高いレベルにまで上げてやりたい。

 卒業後は一応プロに進むつもりではあるらしいし、この処理は必要だろう。


 現在の武史の球種は、ムービング系のツーシーム、カット、スプリット。

 それにチェンジアップと、ナックルカーブである。

 緩急が取れるチェンジアップと、大きな変化のあるナックルカーブを持っていて、打たせて取るためのムービング系も持っている。

 だがやはり一番の魅力は、ストレートであろう。


 肩が温まってくると、完全に魔球になるストレート。

 魔球以前に神様ぐらいにしか打てないストレートを投げていた、上杉の次ぐらいには優れた素材だと思う。

 直史は正常な進化ではなく、時代に咲いた巨大な仇花だ。

 ピッチャーは上杉を目指す者は現れるかもしれないが、直史を目指す者はそうそう現れないだろう。

 前提として持つべき能力が、はっきり言って上杉よりも多い。




 四番をレフトフライに打ち取り、そこから五番と六番は、コンビネーションで三振を奪った。

 いずれも決め球はストレートである。

 ミートが上手い、プロに入る志村は、なんとかストレートを打つことが出来た。

 それも外野まで飛ばせたのだから、かなりアジャストの能力はある。

 だが次の対決までには、武史の肩をしっかりと暖めておきたい。


 技巧に優れたピッチャーが、よく嘆くこと。

 どれだけコンビネーションを考えても、ストレートだけで三振を取ってしまう人間を見ると、ピッチャーをやめたくなる。

 もちろんピッチャーというポジションは、一度選んでしまったら最後、絶対に離れたくないポジションではある。

 アマチュア最強の剛柔二人のピッチャーが、同じチームにいる。

 そしてそれを公式戦で捕れる幸せ。


 樋口はプロに進むなら、レックスかスターズがいいなとは、なんとなく考えている。

 理由は違うがどちらも、ポジションを奪いやすいと考えているからだ。

 レックスはキャッチャーが下手くそであり、スターズはそろそろ世代交代を考えるしかない。

 埼玉はFAで出て行く選手が多いので、少し微妙か。

 すぐにポジションを奪えそうな球団だったら、どこでもいいというのが本音である。

 この二人のピッチャーを上手く活かして、自分の価値を高めなければいけない。


 二回の裏、この回先頭の近藤が、またしてもホームランを打った。

 点差が四点と広がり、そして九番の武史が、ワンナウトからまたセンターオーバーのツーベースなどを打ってしまう。

 ピッチャーはピッチャーらしく投げていればいいのであるが、武史は高校時代は四番も打って、ホームランもそこそこ打っていたのだ。

 この瞬発力をピッチング以外にも発揮できるところが、武史の強いところである。


 そしてまた、めんどくさすぎる山口に打順が回ってくる。

 しかしここで早稲谷は作戦変更。初球から積極的に打っていった。

 内野の間を抜けて、ワンナウト一三塁。


 ここで打ったら決まるな、と樋口は判断する。

 延沢を攻略したら、あとはもう東北環境大には、格落ちのピッチャーしかいないはずだ。

 そしてクローザーの木場を、ここでのリリーフで使う意味はあまりない。

 延沢もプロ注目のピッチャーであるが、これを打つこともまた、自分の市場価値を高めることになる。

 キャッチャーは専門性の高いポジションだが、それでもある程度のバッティングは期待される。

 バッティングを期待されることで、正捕手が替わるということはあるのだ。


 いきなりスリーベースを打った樋口相手に、もちろん油断することはない。

 ただ、序盤でここまで点差が開いてしまったら、ピッチャーの集中力も途切れがちになるというものだ。

 初球はボール球の後、スライダーが甘く入ってきた。

 これをライト方向に飛ばしたら、見事にホームラン。

 その後は続かなかったが、二回の終了時点で六点差となったのである。




 三回ともなると、武史のストレートが魔球化する。

 投げられたストレートを打ちに行くと、必ずボールの下を振ってしまう。

 低めに投げられると、そのままワンバンするかのような軌跡を描きながら、実際には低めいっぱいに入る。


 チェンジアップを打たれて一本のヒットが出たが、それ以外はストレートとチェンジアップだけで、三振を奪っていく。

 160kmが一イニングの全てのボールで出た時は、観客席からも大声援が湧き上がったものである。

 上杉は軽く投げても160kmを超える。

 だが武史も少し抜いて投げても、160kmを超えるのだ。


 五回を終えて、点差は7-0と、ほぼ決まりである。

 辺見はここで、ピッチャーをこうたいさせる。

 ヒット一本打たれただけで交代の武史としては、当然ながら納得いかない。

 だが代わりに登板したのが星であると、文句を言うわけにもいかない。

 普段から色々世話になっている、数少ない先輩の一人なのだ。


 そう、神宮の決勝で星である。 

 一イニング。それが辺見のつけた条件である。

 もしも打たれたとしても、どこまで一気に取られるのか。

 現在の星のピッチングを、見ておきたいと思う辺見である。


 星は、愚直に投げる。

 ただリードするキャッチャーの能力によっては、短いイニングを投げるのには向いているのかもしれない。

 バッター四人に対し、被安打一の無失点。

 球数は18球で、三振は一つもなし。

 魅惑のアンダースローが武史の次に来るなど、継投としても反則である。


 辺見の実戦経験を積ませる動きは止まらない、

 七回からは村上をマウンドに送る。

 七回と八回を、それぞれ一人ずつランナーを出しながら、ここも無失点で抑える。

 だが九回には、ノーアウトから連打を浴びてしまった。


 まだ七点差なので、問題はないとも言えるのだが。

「先生、出番です」

「ど~れ」

 小柳川の言葉に反応して、ゆらぁりとベンチから立ち上がる直史である。




 一応いつ出番がきてもいいように、前のイニングまではキャッチボールをしていた。

 ただこの回は村上に任せるために、ベンチの中に入っていたのだが。

 そこまで村上に期待するなら、失点してでも使い続けたらいいであろうに。

 

 しかし、ノーアウト一二塁か。

 まあ二人までは点を取られても、自責点にはならない。

 軽く投球練習をした後、樋口が近寄ってきた。

「さっさと三振で終わらせよう」

「そうだな」

 ここでこのバッテリーは、驚くべき投球を見せ付ける。


 ピッチャーというのは投げるまでに、リズムを整えるものだ、

 バッターの打ち気を見て、そのタイミングを外す。

 だが直史は樋口のリードを見てすぐ、クイックで投げてくる。

 それにバッターがついていけない。


 三振で終わらせたのは、二人の打者まで。

 なぜなら内野ゴロなどでは、進塁打にはなる可能性があったから。

 三人目はカーブで内野ゴロを打たせて、スリーアウト。

 スコアは7-0で、早稲谷の完勝である。


 強い。強すぎる。

 ドラフト指名されたピッチャーも出番はなく、バッターもことごとく単打までに抑えられた。

 これほどまでに圧倒的なチームが、他に存在するのか。

 リーグ戦は春に全勝優勝、秋は帝都の後塵を拝したが、次の年の春は完全優勝で、秋にはまた全勝優勝。

 とにかく先発のピッチャーが強力すぎて、負ける姿が思い浮かばない。

 今日のようにリリーフも、直史が完全に相手を封じてしまうのだ。


 一点も取られないピッチャー。

 大学入学以来、自責点は完全に0である。

 そして今日のようなシビアな場面でも、平然と無失点に抑えることが出来る。

 本来クローザーは、奪三振を奪えるタイプがいいとされる。

 なぜならそれが、ランナーを進塁さえさせない、一番確率の高い選択肢とされるからだ。

 直史の場合は、確かに打たせて取るピッチングも出来るが、三振も奪える。

 これこそハイブリッドと言うのであろう。




 早稲谷大学の黄金時代がやってきた。

 この四シーズンで三回の優勝。

 全国大会は優勝が二回と、準優勝が一回。

 そして全てのリーグ戦において、直史はベストナインに選ばれている。


 連勝記録が始まれば、今度はどのチームがそれを止めるのかも話題になる。

 やはり一年の秋に勝ち点を奪った帝都か。

 しかしあれは選手起用、投手継投の失敗である。


 佐藤直史は、先発で使ってもよし、リリーフで使ってもよし。

 打たせて取っても、三振を狙っても、どちらのピッチングも出来る。

 二番手以下にもいいピッチャーがいて、守備は伝統的に強く、そして打線の援護も充分である。


 どこが早稲谷を破るのかではない。

 どこが佐藤直史から点を奪うのか。

 はっきり言って総合的に考えて、試合に勝つのは極めて難しい。

 ならばどれだけ食い下がれるかが、話題になってしまう。


 ラスボスにして裏ボス、真の魔王様。

 そんなデタラメでどうでもいい称号を手に入れた直史は、この冬は珍しくきつめの練習を入れる。

 なぜなら年が明けてから、WBC日本代表との対決があるからだ。

 大学選抜代表として、プロの選抜された代表と戦うことになる。

 その場には絶対に、大介が出てくるだろう。




 直史はプロの道へは進まない。

 それはもう、確定したことだ。

 だがより高いレベルで野球はしてみたいし、凄いバッターとは対戦してみたい。

 その最後の機会だ。

 相手はプロの中でも、特に選ばれた存在。

 大介を筆頭として、凄いバッターは多いだろう。


 それに対して、そういうピッチングが出来るのか。

 もうアマチュアには敵はいない。そう言っても間違いないほど、オープン戦などをしても結果が見えている。

 プロの一軍の、その中でも本当にトップレベルのバッター。

 高校時代は下手に封じてしまえば、スランプになるかと思って、どうしても手加減をしてしまった。

 だが今の大介であれば、シーズン前に負けたとしても、ちゃんと本番には立て直してくるだろう。


 そんな舞台においては、当然ながら相棒も重要なものになってくる。

 決勝では樋口は、スリーベースの後にツーベースと単打を打って、サイクルヒットなどを達成していた。

 キャッチャーとしての能力もあるが、バッターとしての能力もあるので、まず樋口も選抜されるであろう。

 あとは歴代のリーグホームラン記録を塗り替えようかという西郷に、武史あたりも選ばれておかしくはない。


 大学選抜対プロ選抜。

 さすがに平均的なレベルは、プロの方がはるかに上だ。

 しかしそれぐらいのハンデがあった上で、どれだけのピッチングが出来るものか。

 誰にも、何にも忖度せずに、全力で投げることが出来る。

 あの甲子園の決勝以来の、負けたくはないという気持ちと、負けるかもしれないという不安が両立する対戦。


 そしてこれは、大介と対戦する、最初で最後の真剣勝負になるかもしれない。

 次にお互いが真剣勝負を出来るのは、大介が現役を引退した30代後半か40代になってからであろう。

 残念な頃にその年齢では、お互いにベストのパフォーマンスは発揮出来ない。




 帰りのバスの中で、直史は樋口に問いかける。

「なあ、プロの日本代表相手に、狙ってノーノーって出来ると思うか?」

 さすがに考え込む樋口である。


 国際大会を見れば、日本のエース級ピッチャーでも、それなりに点を取られるのは当たり前だ。

 完封は結果的には出来るかもしれないが、狙って達成するようなものではない。

「無理だな。120球以内の完封が、現実の最高ラインだと思う」

「そうか」

 樋口でも、そう思うのか。


 ならば自分は、限界を超えよう。

 どうせ壮行試合が終われば、春のリーグ戦までには間がある。

 そこで疲れは抜けばいいのだ。


 一点もやらない人間が、本気になる。

 それをまだ樋口は、直接体験していないのだ。

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