第43話 閑話 不誠実な男

※ 今回はそれなりにエロい


×××


 自分の腕の中で、普段はいかにも教師然とした、お堅そうな女が柔らかくほぐれていく。

 体のこわばりが解けてこちらの手の動きに反応し、少し抑えかけていた声を、巧みに引き出させる。

 口を閉じようとする手を拘束し、もう片方の手もついでに左手だけで抑えて、右手は胸から腹を撫でて、腰のあたりをゆっくりと撫で回す。

 もどかしげに揺れる瞳は、口には出せない欲望を露にしている。

「先生、どうしてほしいの?」

「先生って、あ、呼ばないでっ」

 反応を楽しみながら、樋口は年上の愛人を弄ぶ。


 樋口はサディストであるが、奉仕型のサディストだ。

 相手を必要以上に快楽責めにして、その恥ずかしがる反応、自分にしか見せない姿を楽しむ。

 肉体的に痛めつけることも、精神的に追い込むこともなく、ただ彼女が囚われている健全な価値観だけを、快楽という手段で破壊していく。

 自分が達することなく五回は相手を絶頂に導いてから、ようやく自分の欲望も処理する。

 こうやって散々に肉体的に溺れさせるがゆえに、相手は理屈の上では拒まないといけないと思っても、体は正直に受け入れてしまう。


 四ヶ月ぶりということもあって、さすがに苛めすぎてしまった。

 体力に差がありすぎるので、こういったことも可能なのである。

 こちらの肉欲はまだまだ解消しきれていないのだが、あちらが失神寸前ということで、しばらくは放っておくことにする。

 長い黒髪をさらさらと弄び、その匂いを嗅いだ。


 大人の女だな、と感じる。

 初めて経験した女の肉体は、年月を重ねて自分の嗜好により近くなっている。

 体の相性は、何人も他にも試したが、やはりこの人が一番いい。

 いや、初めての女の肉体に、自分の方が慣らされているのか。

「ん……あれ、私寝てた?」

「ほんの数分ぐらいですけどね」

 意識がはっきりしたようなので、また深い口付けをかわす。


 また行為が再開されるのを、彼女は止めようとする。

「ちょっと待って、私まだ体が」

「だから俺が奉仕しますよ」

「そんなこと言って、いつも無理矢理イかせて楽しんで」

 そんなことを言う口をふさいで、舌を絡ませている間にも、何度か小刻みにイっている。

 普段はパリっとしたスーツを着て、勤務先の学校に向かう彼女が、こうやって乱れるのを見るのが好きだ。

「俺がまだ全然満足してないんですよ」

「どうせ、東京でも、他に彼女作ったんでしょ」

「性欲を解消するのと満足させるのは違うみたいでね」


 だいたい樋口はモテる。この人以外も女を切らしたことはほとんどない。

 だがこの人以外はだいたい、向こうから近寄ってきて、樋口のぞんざいな扱いに離れていく。

 何があっても離れないような重い女には近寄らない。

 性欲の解消だけでは、肉体的な接触の欲望は満たされないというのは本当だ。

 やっぱり自分には、この人が必要なのだと思う。




 鈴木美咲は小学生の頃から、近所のケント少年の面倒を見ることが多かった。

 年齢差は七歳で、こちらもあちらもそれなりに分別がついていて、この頃が一番健全で楽しかった頃だろう。

 中学時代に美咲が親の仕事の都合で引っ越す時、まだ幼かったケント少年はこっそりと泣いたものである。


 そんな二人の再会は、ケント少年が現在の樋口的な存在になってからである。

 こちらの大学に進んで一人暮らしを始めた美咲が、久しぶりに顔を出して、交流が再開した。

 だが樋口はまだ小学生。二人の関係が発展するはずもなかった。

 死ぬほど頭の良かった樋口に、勉強を教えるなどのことはしなかったが、片親となった樋口は家に一人きりであることも多く、それだけ美咲も様子を伺うことは多かった。


 二人の関係が決定的に変化したのは、美咲が初めての彼氏と破局したからである。

 どこか投槍になっていた美咲が、酔って樋口に襲い掛かり、そのまま逆襲で食べられて、二人はもう近所のお姉さんと弟的存在に戻ることは出来なくなった。

 まだどこか寂しがっていた美咲が、他の友達との関係のない樋口に、年上のくせに甘えてきたのが、この関係の始まりである。


 樋口はこの頃から、本格的にモテはじめた。

 シニアでは基本はキャッチャーであったのだが、ピッチャーもやる。

 そのピッチャーの姿が格好いいと、学校などで話題になりだしたからだ。

 そこで誘いをかけてきた上級生の女生徒を、そのまま流れで食べてしまった。

 だが美咲は分かっていた。

「ケンちゃんはキャッチャーが一番好きなんだよね」

 その通りである。


 美咲としては樋口が他の女にも手を出した時点で、自分から離れるべきだったのだろう。

 ただその時は、まだ自分が樋口を必要としていた。

 そして樋口はそういった女子とは、簡単に切れていった。

 本当に体だけの関係を続けて、美咲は呆れたが怒ることは出来なかった。

 その時もまだ、樋口を必要としていた。

 高校生になり、そして大学に進学して疎遠になるかという時には、もう体が完全に樋口に慣れてしまっていた。


 樋口は直史以上に、愛する存在に対して支配的である。

 別にそういった性向はないであろうに、色々とアブノーマルなプレイをやってきた。

 もっとも一度やってしまえばそれで充分で、また普段通りのノーマルなセックスに戻るのだが。

 お前の初めてのこれの相手は俺だと、自分の色を美咲の体に刻み付けるように。

 美咲だけは自分からは逃げられないようにと、美咲が本気で嫌がるようなことでも、陵辱するように行ったのだ。

 その後にはとても優しくなって、そういったことはもう二度としないのが、明らかにひどいジゴロである。


 樋口は単に、美咲の初めてを自分だけのものにしたかったのだ。

 だから一度でもやってしまえば、それでもう満足してしまう。

 美咲がアブノーマルなプレイに目覚めてしまった時は、充分にそれも満たしてくれたが。


 開発されてしまった快楽は、樋口から離れることを難しくさせている。

 樋口もまたそれを察知しているのか、乱暴なフリをして大切に扱う。

 鍛えられた筋肉に抱かれるたび、激しく情欲の炎が燃えるのは確かだ。




「今日は実家に戻るから。明日東京に戻る前に、もう一度来るけど」

 ベッドにぐったりと突っ伏す美咲に対して、樋口はやり切った充足感で笑っている。

 この優しいサディストに、美咲はたくさん言いたいことがある。

「ねえ兼人君、私にこだわらずに、普通の恋人を作ったら?」

 眠りに落ちそうな倦怠感の中で、美咲はそう声をかける。

「作っても満足できないから、先生のところに来てるんだけど」

 樋口としてはそう言うしかない。


 これだけアブノーマルなプレイで快楽を与えては、肉体的な欲求を他の男で満たすことは難しいだろう。

 美咲の手を離すつもりはない。樋口の占有欲というのは、相棒である直史よりも病的かもしれない。

「先生って言っても、ほんの二週間のことだったのに」

「その後に生徒に手を出すんだから、悪い先生だなあ」

 それはその通りなので、美咲もなんとも言えないのだが。


 身なりを整えた樋口が、美咲のベッドに腰を下ろして頭を撫でる。

「先生は、今更もう、俺以外の男で我慢出来るの?」

 大変な自信家と取るか、それとも支配者の傲慢と取るか。

 ただ樋口はひたすら、美咲の体と心を知り尽くそうとしただけだ。

 相手を自分以外を求められないほど、肉欲の虜とするために。

 樋口は返答も聞かずに、そのまま部屋を出て行く。




 しばらくして眠気と戦い、体に力を入れ、美咲は起き上がる。 

 肩からタオルケットが落ちて、白い乳房やお腹が、姿見に映る。

 これも樋口が美咲の羞恥心を煽るために、ここへ置いたものだ。


 女の体をしている。

 初めての恋人が出来た時よりも、ずっとはっきりと樋口が自分を女に変えてしまった。

 成熟して、子供も産める肉体になっている。

 樋口は色々と美咲に、美咲自身も心の底では願っていた命令をしてくるが、妊娠させようとしたことは一度もない。


 七歳という年齢差を、樋口はどう考えているのか。

 世間一般の流行などはともかく、美咲の周りでは同じ年齢の友人たちが、そろそろどんどんと結婚していっている。

 既に出産し、女であり母である存在になった者もいる。

 樋口が大学を卒業する年には、自分は29歳。

 晩婚化が進んでいると言っても、地方都市では29歳の女は、ごく普通に結婚している年齢だ。

 それに樋口は、愛しているとは何度も言うが、将来を約束するようなことは一つも言わない。


 樋口は野心家だ。それは知っている。

 自分の体が自分だけのものであれば、いくらでも彼のために日陰の存在であれただろう。

 しかし美咲は樋口に縛られているが、彼女を縛るものは樋口だけではない。

 家族、職場、知人に友人。

 社会というもの全体が、彼女が良き人間であることを求めてくる。


 女は、他の誰かを愛したまま、違う男と結婚できる。

 それを彼は知っているのだろうか。

 美咲の持つ選択肢に、樋口は気付くのだろうか。




 美咲の事情を、実は樋口ははっきりと知っている。

 このあたりは田舎ではないが、はっきりと都会というほどでもなく、近所の世間話はいくらでも宣伝されるのだ。

 まして美咲は教師という職にあり、樋口とは子供の頃からの知り合いだ。噂はいくらでも耳に入ってくる。

 そろそろ結婚適齢期であるし、あれだけの美人であるのだ。こんな時代であるが、周囲からいまだに縁談を持ち込まれる。


 美咲が持つ年齢のコンプレックスを、樋口もまた持っている。

 自分がもっと年上で、美咲が七歳下であったら、いくらでも彼女を自由に出来た。まあ男女の年齢差が逆であると、圧倒的に犯罪っぽさが増すが。

 甲子園優勝捕手だの、天才的なキャッチャーだの、そんなことは樋口がまだ学生であるという立場の前には、何の役にも立たない。

「美咲ちゃんみたいな美人は、早く結婚した方が、変な噂も出なくていいんだけどね」

 食事中に母がそう言って、樋口としてもその内容を聞いているのだ。


 あれだけの美人で、恋人がいるわけでもないようなのは、他人には言えない恋愛をしているからではないか。

 たとえば教師などという職業は、不倫が最も多いという統計さえある。

 樋口はそれはない、と知っている。

 自分がいるからというだけでなく、美咲が誰かに触れられていたら、自分がそれに気付くだろうと思うからだ。

 それに高校生の時代は、誰にも見つからないようにお互いに気をつけていた。

 

 正直なところを言えば、東京に出てきてほしい。

 高校生と高校教師であれば問題だが、大学生と高校教師であれば、なんの問題もない。

 それに東京は地元よりもずっと、他人の目を気にする必要がない。

 高校時代に考えていた自分の未来は、かなり都合のいいものだと気付いている。

 美咲を愛人として扱うのは、かなり難しい。

 彼女との年齢差というのもあるし、樋口は彼女に自分の子供を産ませたいとまで考えている。

 自分の子供を産ませて、そして育てさせることを、樋口は支配欲の頂点だと考えている。


 それに大学に入って、改めて気付いてしまった。

 自分のキャッチャーとしての能力と、バッターとしての能力は、思っていたよりも高い。

 正確にいえば他のキャッチャーのレベルが低い。

 遠征中にプロの二軍と試合をしたが、キャッチャーのレベルの低さには逆に驚いた。

 プロ野球選手という道が、自分にとってはかなり現実的だと思えてきたのだ。


 日本を変えるという、その野心は消えることはない。

 だが迂遠ながら目標を達成するには、他の手段もあるのではないかと考える。


「兼人も美咲ちゃんみたいな人がいれば、結婚したいと思うでしょ?」

 何も知らない母の言葉に、樋口は生返事をする。

「やっぱみー姉ちゃんみたいなのが息子の嫁さんだと安心する?」

 樋口としては何気なく質問出来る。

「あんたはなんだかんだ言って、ああいうタイプとくっつきそうだけどね」

 わずかに顔をしかめる息子を見て、何か変なことを言っただろうかと思う、やや鈍い母親であった。

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