第35話 独立リーグ
いい話が進んでいたのに、肝心の観戦していた試合で台無しである。
途中では社長さんや監督も、セイバーまでもが手に汗握って応援していたというのに。
クールで穏やかなセイバーが顎外しそうな顔になっているのを見たのは、初めての直史であった。
「本当にあいつは、詰めが甘いという言うか、あと半歩足りないというか……」
自分よりでかくなってしまっても、直史にとっては可愛い弟である。
試合後のインタビューでも完全に目が死んでいたし、秦野の目も泳いでいた。
だが滞在先の宿舎に行くと、案外立ち直った様子を見せていた。
なんでも意中の女の子から、励ましの長文メールが届いたそうな。
お手軽なやつだなあ、と直史は完全に自分のことを差し置いて考える。
京都に戻った直史と瑞希であるが、観光の予定を少し変えることにした。
名所旧跡巡りはある程度行うのだが、その後が違う。
甲子園で汗だくになっているであろう後輩たちを気にもせず、二人がセイバーの秘書の一人に案内してもらうのは、大阪と京都の独立リーグ、そしてクラブチームの活動を見るのが目的だ。
なおセイバー本人は、甲子園の暑い応援スタンドで、試合を見続けるらしい。
甲子園とは全国区の試合で、今どき珍しく全ての試合が地上波で放送される。
こんな大会は他にはない。プロのシーズンでさえ、全ての試合が見られるわけではないのだ。
ここで今まで無名だった選手が、いきなり脚光を浴びるということはある。
大昔であれば逆に、噂だけは凄かった選手が、いよいよ本当に見れるということもあった。
今では通信環境の整備などで、地方の弱小校からいい素材を見つけてくることも珍しくない。
セイバーがそれでも甲子園に行くのは、ただの趣味である。
彼女には見ただけで選手の才能を見抜くことは出来ないので。
関西には名門の社会人野球チームが多い。
そしてクラブチームもそれなりに強い。
この二つの違いは、社会人が企業の野球部に所属するのに対し、クラブチームは企業の社員だけで構成されているわけではないというところか。
クラブチームでも企業がある程度バックアップしているところもある。
この二つを合わせて両方をクラブチームと言ってしまう場合もある。
安定を求めるなら当然企業の社会人野球チームが良く、三里の古田などはその進路を取った。
野球漬けの毎日ではないがちゃんと仕事があり、社員として入っているので選手としての引退後も会社には残れる。
さらに企業によっては野球部手当てが出るところもあり、主力メンバーはその野球部手当てが多かったりもする。
忙しいこともあって割と薄情な直史は、鬼塚がこの選択をしようとしていることだけは知っている。
ただあの金髪はどうするのか。まあ工場などで加工作業などに従事するなら問題ないだろうが。
営業や企画などでは絶対に無理な姿である。
あそこまで貫き通すと、本人もいいかげんに止め時を見失っているのではないだろうか。
まず直史が見学したのは、関西の独立リーグである。
このリーグは現在大阪を中心に、六つのチームが所属して活動している。
夏の暑いさなかでも試合を行っていることがあり、年間では各チーム60試合を行っているそうな。
セイバーから話は通っていて見学はさせてもらったのだが、独立リーグはプロと同じ扱いのため、練習などをするのには手続きがいる。
だが監督自らが、二人を案内してくれた。
「なんや佐藤君はマスコミで言われてるより、ちゃんとした子やなあ。有名税も大変やな」
そう同情されたりもしたが、実際にフリーダムに動き回っている直史は、ある程度の批判は覚悟している。
「気にしなければいいだけですし」
「そういうところはピッチャーやなあ」
出た。野球関係者の「ピッチャーだから」理論である。
独立リーグは基本的に、NPBに選手を送り込むことを目的に存在していると、自らが言っていた。
NPBで現役を引退した選手が所属しているのは、NPBに復帰を目指す選手もいるだろうが、このリーグでNPBで通用する選手を育てるという者もいるそうだ。
直史の目から見ても、独立リーグの選手というのは、大学野球よりもさらに、体がごつい選手が多い。
経路は色々であろうとも、大学を中退したり卒業したり、あるいは高卒であったりと、さらには高校中退までもいる。
だがどの選手にも共通しているのは、野球への飢えである。
下手に強制されたりなどはしない。ここでやらされている選手はいない。
高校野球も大学野球も、望んで野球部には入っているはずだが、打算がないわけはないのだ。
野球部でキャプテンをすれば推薦に有利であるとか、どこどこの大学の野球部は就職に強いとか。
直史は別にそれを否定するわけではないのだが、独立リーグは選手の純度が違う。
独立リーグもプロであり、シーズン中はちゃんと給料が出るところが多い。
だが給料は出ず、その代わりに食事と住居は世話してもらえたりする。
オフシーズンはそんなこともなく、そのあたりの扱いは日本のプロ野球の助っ人外国人に似ているかもしれない。
他に副業を持ち、あるいはアルバイトをしながら、高校野球よりも大学野球よりも、そして社会人野球よりもマイナーな、独立リーグ。
そこでプレイするような選手は、もう野球に人生を捧げたようなものだ。
選手によっては本業までを持ち、妻子を養っている者もいる。
ところで、と監督は話を変えた。
「あのネットで話題になってる『白い軌跡』っていう本、お金出したら買えるん?」
なんだかこんなところでも話題になっているらしい。
商業化出版の話はきていて、既に校正もほぼ終えているが、瑞希の手元というか白富東の野球部には、まだそこそこの在庫が残っているはずだ。
「よろしければお送りしますけど、追記のある商業版も今度発売されますよ?」
瑞希がそう言うと、監督はうむうむと頷いた。
「なんかえらい面白いって言うし、商業流通には乗ってないから、読みたくても読めへんかったんよな」
そして瑞希が著者であることを言うと、おおいに驚く。
「そんで監修してるんが佐藤君なんか。失礼やけど君ら二人、そういう関係なん?」
「そういう関係がどういう関係かは知りませんけど、婚約はしてますけど」
それもたいそう驚かれたものである。
チームやその施設の説明なども聞きながら、色々と話は野球に関する雑談になってくる。
直史の故障説なども言われたが、そんなものは本人さえ聞いていないことである。
基本的に直史は、大学野球のニュースには興味がないのだ。
色々とアンチも多い、強すぎる投手としては、そのスタンスは正解であろう。
「プロ行く気はないんか~。メジャーでも通用すると思うけどな~」
これまでにも、多くの逸材と言われた選手がアマチュアにいた。
だがそれもプロの舞台では、全く通用せずに終わるという例は類挙に暇がない。
ただ直史の場合は高校と大学の二つの舞台で圧倒的な成績を収めているので、おそらくちゃんと通用するタイプだろうとは思われる。
資格試験の大変さを伝えれば、それは確かに野球ばかりやっているわけではないと思える。
野球以外にやりたいことがある。ただそれだけなのだ。
人は己の才能の奴隷にならなければいけない、などと言われることもあるが、直史としては真っ平御免である。
「どれぐらいかかるもんなん?」
「まあスムーズなルートをたどったとしても、大卒社会人がドラフトにかかるぐらいまでの期間は必要ですね」
「じゃあそれからプロ目指したらええやん」
この軽さは関西人ゆえなのか。いや、違うだろう。
直史の練習量は、世間一般で練習嫌いと思われている者のそれではない。
逆に言うと直史は、そこまでのことをしなければ、現在の技術を保てないのだ。
体を動かす程度なら、その二年間でも出来るだろう。
だが二年間のブランクは、さすがに致命的だ。
もっともセイバーに紹介されたように、地元のクラブチームで楽しむことは出来るだろう。
しかし野球で食って行く人間相手に、そこまでのブランクを持って、どうにかなるとは思えない。
具体的に言ってしまえば、直史は24歳の自分が、大介を抑えられると全く思わない。
目指すところが高すぎると言われるかもしれないが、せっかくやるなら高みを目指してしまうのが、直史という人間である。
「関東のクラブチームとは、さすがに当たることはないやろうなあ……」
残念そうな顔をする監督であった。
野球をする道というのは、別にプロを目指す一本道ではない。
この二日間で直史は、セイバーから多くの選択肢を提示された。
本人としては、草野球レベルならやってもいいかな、と本気で思っている。
帰りの車の中で、瑞希は尋ねる。
「野球、やらなくていいの?」
「片手間にやれる仕事を、俺は選んだつもりはない」
これもまた、直史にとっては本音である。
だがせっかく高いレベルの試合が出来るというなら、そちらを選ばない理由もない。
千葉のクラブチーム。セイバーが目の前に吊るした餌は、魅力的なものだった。
それに介護関連の会社であると、何やら法律の出番が来る気もする。
「人間らしい生活を犠牲にしてまで、野球をやりたいとは思わない」
直史は心の底から言っているつもりなのだろうが、瑞希としてはそれはどうかと思うのだ。
人間は、その人らしく生きるのが一番いい。
瑞希が直史の輝きを見たのは、千葉の県大会決勝。あと一歩で甲子園に行くという場面。
おそらく瑞希が魅了されたのは、あの場面が一番大きい。
直史は器用さと、そしてある意味の不器用さを持っている。
野球が存在する限り、直史がその世界から本格的に遠ざかることはないのではないか。
何より、瑞希が見てみたいのだ。
直史がまた、マウンドでピッチングを行うところを。
人生の進路の選択は、直史はもう決めたつもりであるのだろう。
だが瑞希には、まだこの先に分岐が見える。
弁護士になってからでも、また野球をすればいい。
あの監督は弁護士という職業の忙しさや専門性を知らずに、ああ言ったのかもしれない。
それは無理だと、直史は思っていた。
だが佐藤直史という人間は、これまでにいくつもの、不可能を可能にしてきた男である。
(う~ん、とんでもない人を好きになってしまった)
瑞希としては、今更ながらそう思う。
本気で優勝を目指す野球は、高校で終わり。
大学では野球は、楽しむためのものではなく、勝って生活を安定させる道具とする。
そんなことを言っていたので、日曜の草野球に、お弁当をもって応援に行く、自分の姿を想像していた瑞希である。
だが本人がどう思おうと、周囲の人間がどんどんと、野球への道を舗装していってしまう。
それだけの力が、魅力が、直史にはあるのだ。
瑞希は考える。直史が野球と離れない未来を。
そしてその中でも、当然自分は直史に付いて行く。
あるいはそれが、海の向こうであっても。九州や北海道という意味ではなく、日本の国外であったとしても。
結局のところ直史は、とんでもなくめんどくさい人間であるが、とんでもなく魅力的な野球選手なのであった。
×××
※ なお独立リーグの体制は様々です。
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