第19話 天才と秀才の間

 プロで通用する者と、通用しない者の差。

 それは能力を総合力ではなく、絶対値で判断すれば分かる。

 たとえば伏見は、とてもいいキャッチャーだ。

 キャッチングの技術、肩、リード、バッティング、これらは平均よりかなり高い水準にある。

 足は遅いが、まあそこは仕方ないとする。


 彼がプロで通用するかと言えば、通用しない。

 なぜならプロで通用するのは、平均値や総合力ではなく、何かに突出した絶対値だからだ。

 彼とバッテリーを組む細田には、それがある。

 カーブだ。

 サウスポーで、スライドの変化も大きなカーブ。左打者相手には、ほとんど必殺の魔球に近い。

 身長もあり、まだまだ球速の上限には限界が見えない。後一年でどこまで成長するかだが、現時点でも辺見に声をかけているスカウトはそれなりにいる。

 左ピッチャーはどの球団だってほしいのだ。


 一方、伏見に注目するスカウトはいない。

 伏見から見ると、プロで通用するようなキャッチャーというのは、樋口のような選手なのだろう。

 リードはもちろん優れているが、ピッチャーを誘導するような過激な球を要求することもある。

 それだけでもキャッチャーとしては優れているが、肩の強さは140kmを軽く出すことからも明らかだ。

 常に全体の状況を把握して、点を取らせない以前に、点を取られない状況になるように考える。


 それに何よりバッティングだ。

 直史とセットに使われているので打席数が少ないが、鋭いスイングで高い打率を誇っている。

 キャッチャーとしての伏見の目から見ると、おそらく相手のバッテリーのリードを読んでいるのだろうな、と想像は出来るが真似は出来ない。

 樋口は突出したものを何か一つではなく、いくつも持っているプレーヤーだ。

 キャッチからスローまでの動作が速く、しかも強肩。

 塁に出れば盗塁を決めるほどの足さえもある。

 試合の戦局を読んで、ここぞというところをしっかりと切ってくれる。そして逆の立場なら打ってくれる。

 直史をあそこまでリード出来るのかと思えば、伏見には全く自信はない。


 自分の野球は、ここまでだ。

 伏見は三年になってからおおよそ気付いていたが、この大会ではっきりと思った。

 自分は野球で食べていくことは出来ないと。

 もちろん野球を楽しむだけの才能はあるが、おそらくは社会人でも通用するようなものではない。

 だがそれでも、細田には最後まで付き合おう。




 全日本大学野球選手権大会の準々決勝は、投手戦とも打撃戦とも言えない、ある程度の点の取り合いと、ピッチャーの要所を締めるピッチングにより、緊迫したゲームとなった。

 あちらは荒れ球のパワーピッチャーを揃えているわけだが、速球に対しては強い西郷は、危険なところでは歩かされる。

 大味ではあるが、作戦全体が雑なわけではない。


 その中でも西郷のソロホームランが出たりするが、歩かされて鈍足の西郷が塁に出ると、攻撃がそこで止まることがある。

 それを上回る長打力が西郷の魅力なのだが、弱点であることには間違いはない。

 だが西郷が歩かされても、その次には頼れる男が五番を打っている。


 北村がフェンス直撃の長打を打ち、西郷も頑張って三塁までは走る。

 そこからさらに後続が打てればいいのだが、今日の六番伏見は、打力に関してはそこそこの信頼性しかない。

 まあキャッチャーで六番を打っているのだから、もちろん悪くはないのだが、ここで打ってくれる確実性はない。

 だがまだここで代打を出す場面ではない。

 と監督の辺見が勝手に期待値を低くしていても、そこで打ってしまうこともある。


 今日の伏見は当たっていた。

 結果だけ見ればフライが三本であるが、あと少しでミートからヒットに出来ると思っていた。

 二割五分も打っていれば、そんな当たりがいつかは野手の間を抜けていく。

 バットの根元で打ったボールが、サード後方に落ちて、西郷が必死にホームを駆け抜ける。

 これでスコアは4-3となった。




「五番の北村、いい感じだな」

 バックネット裏の特等席で、各球団のスカウトたちが雑談にふける。

 もっともこの雑談が、選手の将来を決めることもあるのだが。

「白富東出身か。三年か。あそこ出身ならもっと早く話題になってもおかしくないと思うんだがな」

「そりゃあ白富東が初めて甲子園に行く前のキャプテンだからでしょ」

 高校時代から北村を知っている鉄也は、そう言うしかない。


 三年前のドラフト、関東の第二担当という微妙な立場であった鉄也は、当然ながら北村のことも知っていた。

 ドラフトの下位指名の隠し球的な存在はないかと聞かれた時、頭の中に浮かんだ一人が北村であった。

 守備力も高く、走塁も充分で、バッティングにも勝負強い。

 キャプテンとしての人格、そして体格から見た今後の伸び代など、確かにプロでも通用しそうな資質は持っていた。

 だが性格が完全に、プロには向いていなかった。

 野球を楽しむことには一流でも、野球で食べて行くだけの力はない。それは単純な実力とは別のものだ。

 後に千葉が調査書を出したとは聞いたが、本人には全くプロに行くつもりなどなかったのだ。


 北村はこう言ってはなんだが、まともすぎる。

 プロ野球選手というのは、もっとどこか頭のネジが外れた、野球バカでなければいけないというのが鉄也の判断基準だ。

 それと比較すると、北村ははっきりと、プロ向けではないと分かる。

 後に息子からも聞いたことだが、中学時代に野球の強豪から勧誘はあったらしいが、その時も勉強を優先して進学校に進んだという。

 あえて言うなら、賢しい人間だった。


 資質としては間違いなく、今もこうやってスカウトの間では話題になる。

 だが鉄也は自分だけが知っている情報源から、北村が完全にプロ向きではないと分かっている。

 教職を取って、母校である白富東高校の野球部で、監督をしたい。

 あまりにも真っ当な野球好きすぎて、いかれたプロの世界では埋没するだろう。

 北村もまた、総合力は高いが、突出したものがないというレベルなのだ。プロ基準では。


 少しはもったいないと思う。

 案外プロに行けば化けるのかもしれないとも思うが、既に将来設計をしている大学生が、ドラフトの下位で指名されるのを喜ぶだろうか。

 それに北村は来年のキャプテン候補だとも聞く。早稲谷というのは傲慢なところがあって、主将がプロに行くなら上位縛り、それ以外でも育成ドラフトは禁止という、鉄也からすると謎の方針を持っている。

 早稲谷というブランドを守るために、そんな制限をしているらしい。

 別にそんな大学の選手などいらないと思うのが鉄也であるが。




 七回が終わって、スコアは4-3である。

(残り二イニングか……)

 八回の表に、こちらに追加点が入ったらいいが、一点差のままで残り二イニングを細田に投げさせるのは厳しいか。

 細田の調子は普通であるのだが、カウントを整えるためのストレートを狙われている。

 カーブを自在に操るとは言え、他に使える球種は、見分けやすいチェンジアップぐらいだ。

 蝦夷農大に左打者がほとんどいないことも、細田の力を充分に発揮出来ない理由になっている。

「佐藤、樋口、このまま追加点が入らなかったら、八回の頭からいくぞ」

 また出番か、と思わないでもない直史である。


 追加点が入れば、もう少し細田を引っ張れるのだろう。

 昨日は三イニングで、今日は二イニング。

 最後までクローザー登板でいいなら問題ないが、決勝戦だけロングリリーフとかになれば、ちょっとしんどいかもしれない。

 準決勝は実力どおりであるならば、首都大学リーグの東名大が来る。

 そして決勝は、これまた前評判と戦力分析なら、東亜大が勝ち進んでくるだろう。


 直史としてはデータの少ない相手と戦うのは、あまり気分が乗らない。

 初対決は投手有利と言われるが、直史にとってはまずデータが必要になる。

 スルーの連投という非常手段もあるにはあるが、あれは多投すると肘に悪い。

 それに何より、楽しくないのだ。


 上杉や大介と違って、直史の野球は力と力の野球ではない。

 頭脳も使い技術も使う、総合的なものだ。

 もちろん上杉や大介も頭脳や技術を使っているのだが、大前提として向こうは力を第一においている。

 蝦夷農大の事前データと、今日のここまでの打席を見る限り、直史があえてストレートを使う理由はない。

 カーブやスライダーの変化量の多いタイプの変化球を使えば、打たれたとしても単打で済むだろう。


 そして八回の表の早稲谷の攻撃が終わる。

 結局は追加点は入らなかった。

(どうせなら代打に樋口を出せばいいのに)

 直史はそう思うが、辺見はまだ樋口の能力を過小評価している。

 キャッチャーとしてちゃんと最高級の評価をしているだけで、良しとすべきだろうか。

 樋口を代打に出して追加点を取り、守備固めの選手を入れ替える。

 ただ樋口は伏見よりも優れたキャッチャーだが、細田にとっては最高の相棒とは言えないだろう。

 そのあたりも考えているのかもしれない。




 八回の裏、中軸の攻撃を三振三つで片付ける。

 変化球でストライクを取り、ストレートを見せ球にして、また変化球で空振りさせる。

 相手のバッターはスイングは鋭いが、変化球に対して柔軟な対応は出来ていない。

 このままでも一点差を守って勝てそうではあるが、九回の表はこちらは西郷に回る打順だ。


 ツーアウトランナーなしから西郷。

 だがここで蝦夷農大は敬遠策を取る。

 先ほど打たれた北村とはまた勝負をするわけだが、それは甘く見すぎだと思うのだ。

 ライト前にわずかに押されながらも弾き返し、ツーアウトからランナーは一二塁へと変わる。

 そしてバッターは伏見に代わっていたので、樋口である。


 樋口はリスクとリターンを考えてプレイする選手だ。

 キャッチャーとしてのリードをする場合は、かなり攻撃的なリードを行う。

 だがバッターとしては凡退する以上に最悪なことはないので、全力で打つことに集中出来る。

(一点差か。あちらは下位打線だけど、当然情報の少ない代打を出してくるだろうな。すると一点差は微妙か)

 もう一点はほしいのだが、相手のピッチャーは樋口の嫌いな荒れ球タイプだ。


 コントロールのいいピッチャーは、樋口との読み合いに勝てなければ凡退させることは難しい。

 だが単純に力で押してくるピッチャーも、樋口は大好物だ。

 ただ力で押してくる上に、自分でもどこにいくか分からないコントロールのピッチャーは嫌いである。

(それでも打てなくはないか)

 ストレート一本にしぼり、強く打つ。

 ツーアウトからなので自動スタートではあるが、それでも西郷の足では、単打で帰ってくるのは難しい。

 しかし長打になれば、一気に北村まで帰ってこれる。


 難しい球を無理にヒットにする必要はない。甘いコースのストレートを、そのまま打っていく。

 甘いコースに来なかったら、ツーストライクからはカットしていこう。

 そう思った初球に、甘い球が来た。

(行け!)

 強く弾き返した打球は伸びて、レフトスタンドに突き刺さる。

 深く考える必要はなかったな、と思えるスリーランホームランであった。




 九回の裏、最後の攻撃。

 ビッグイニングを作れる蝦夷農大の打撃力であるが、さすがにこの四点差はセーフティリードだろう。

 というわけでマウンドに登った直史は、試したかったことを試すことにする。

 付き合わされていた樋口としても、この点差なら文句はない。


 樋口が直史をすごいと思うのは、自分のフィジカルとメンタルを厳密にコントロールする以外に、常に成長していこうとしていることだ。

 この夏は球速のアップを考えているという。確かに変化球やコントロールはここまで極めてしまえば、一度置いておくのもいいのだろう。

「というわけで、頼む」

「まあ、分かった」

 直史が試そうとしているのは、新しい球種などではない。

 だがある意味それよりも恐ろしいことだ。

「打たせるぞ!」

 バックに直史が声をかけるのは珍しい。

 直史がそう言うのなら、本当に打たせるつもりなのだろう。


 この内野守備に関しても、直史は色々と言いたいことがある。

 北村は別であるのだが、ショートの清河をはじめ、姿勢が腰を落としすぎているのだ。

 いわゆる踏ん張った姿勢であって、これは昔からのスタイルである。改善している選手もいるのだが、まだこれを主流に、腰を落とせと言っている馬鹿な指導者は多い。

 MLBを見ても分かるのだが、そんな腰の落とし方をしている内野はいない。

 ほぼ棒立ちというのが、打球に対応する上では正しいのだ。


 早稲谷の野球部も腰を落とせなどとは言っていないが、それを修正させようともしていない。

 内野の守備力が高まれば直史はもっと楽に投球出来るので、早く改善してほしいものなのだが。




 九回の裏の直史のピッチングは、不思議なものであった。

 高めに外れたストレート、インハイ、アウトローのストレートを使い、変化球を使わない。

 だが相手のバッターは、普通のストレートを少し泳ぐような体勢で、内野ゴロを三つ続けて打ってしまった。

 そしてそれをショートとサードが着実に処理してスリーアウト。

 早稲谷は準決勝へと進むことになった。


 代打で出てきた蝦夷農大の選手は、おそらくわけが分からなかっただろう。

 直史が内野ゴロを打たせた球は、ストレートである。

 手元で細かく動くムービング系の球ではない。

 だが体勢が泳いでしまって、タイミングが合わなかった。

「効果はあるけど、撒き餌に球数を使いすぎるな」

「これだけで勝負するんじゃなくて、他の球と一緒にコンビネーションの中で使うべきだな」


 バッテリーの会話を聞いている辺見は、二人が何をしたのか分からなかった。

 ただなんとなく、相手のバッターの体勢が崩れていたことから、チェンジアップのようにタイミングを外したのだとは思ったが。

「何をしたんだ?」

 ピッチャー出身の辺見であるが、傍から見ていたのでははっきりとは分からない。

「チェンジアップの一種です」

 直史はそう説明したが、それだけで納得出来るものではない。


 だが、そうとしか言いようがないのである。

「ホップ成分とスピンがある、伸びとキレのあるストレートの後に、棒球のストレートを投げたんですよ。前のストレートでナオのストレートの特徴をインプットしていたバッターには、伸びずに減速するボールに見えるんです」

 樋口の説明により、理屈は分かった。

 だからバッターの体が、あれだけ泳いでいたのか。

 確かにチェンジアップの原義的に言うなら、それはチェンジアップだ。


 基本的な効果はスルーに似ている。

 あちらは伸びながら沈み、打てたとしても差し込まれるボールだ。

 だがこちらのボールはチェンジアップだとは打つ直前まで気付かないし、一般的なチェンジアップのように沈む変化もない。

 ただの棒球。

 だが使いようによっては、それでも効果はあるのだ。

 進化し続けるピッチャーは、上手く投げれたと喜びながら、これから行われる大学の講義に向かうのであった。

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