第87話 閑話 甲子園の裏で

 白富東が甲子園に出かける直前、直史は母校白富東を訪問していた。

 また今年もしっかり県大会の決勝まで危なげなく勝ったのであるが、これで八期連続で甲子園出場となる。

 グラウンドの中に入って秦野と話してみると、あまり優勝の自信はないらしい。

 もちろん絶対に無理だとも思わない。


 去年や二年前と比べると、投手力も打撃力も、やはり落ちている。

 全国制覇をしたチームと比べれば、それも当然というものではある。

 だが白富東は、よく分からないところからいい選手が現れて、その強さを補強してきたはずだ。

「一番のネックは外野守備かな」

 アレクがいた頃はセンターの守備範囲が圧倒的に広く、そのためライトとレフトの位置も、広く取ることが出来た。

 それに比べるとやはり、外野の守備が弱い。


 難しいはずの内野守備は、しっかりとメンバーが揃っている。

 何よりスーパーサブ的に、内野を守るのが上手い佐伯がいるし、宮武なども複数のポジションが出来る。

 自分たちの頃と比べると、ベンチメンバーの層が厚くなったなと思う直史である。

 もっともこれはこれで、問題があったりもするのだが。


 実力が充分の選手に、出場機会がなかなか与えられない。

 秦野としては体育科を作った弊害の一つだと思っている。

 本来なら他のチームでプレイし、レギュラーとして認められるような選手はたくさんいる。

 だがそれが白富東に集まっているせいで、逆に千葉県全体の力は落ちているのではないか。


 


「じゃあ投げるぞ~」

 マウンドに立った直史は、ジャージ姿にスパイクと、あまりやる気のある姿ではない。

 まあ当初の予定ではなかったのだから、仕方がないとも言える。

 このボールを受ける孝司は、大学進学後の進化に驚きを隠せない。

(速くなってる)

 試合でもごくまれに150kmを出しているらしいが、一年ちょっとでまだ球速の上限が上がっているのだ。


 変化球との緩急さがすごい。

 それに遅い変化球の後のストレートは、下手をすれば突き指をするぐらいにホップ成分を持っている。

 主にストレートと一種類の変化球だけでバッピをしてくれるのだが、ほとんど打てる者がいない。

 孝司も上山にキャッチャーを替わってもらって、バッティングをしてみる。

 だが三振を逃れるのが精一杯だ。


 カーブとストレートだけのコンビネーションでも、緩急を使えばここまでのピッチングになるのか。

 カーブも落差を変えれば、他の変化球を投げているようなものだ。


 秦野もミットを持って、キャッチャーをしたりする。

 本当なら選手に経験を積ませるのだろうが、元キャッチャーとしては好奇心をこらえられない。

 同じくこらえられない国立が、バッターボックスに入ったりしている。

(子供か)

 呆れながらも、全コンビネーションを試す直史である。


 ここまで変化球の種類があっては、読んで打つこともほぼ不可能だ。

 国立も球種を全解放されれば、バットにすら当てられないことが多い。

 すばらしいピッチャーだと思う。

 ただこのピッチングスタイルでは、中学軟式レベルであれば、キャッチャーが捕れないというのも確かだと思う。


 キャッチャーがへぼかったから負けたと直史は言っていたが、おそらくそれは正解であるが、完璧な正解でもない。

 かなり訓練を積んだ三年のキャッチャーでも、カーブをそうそうは捕れなかったらしい。

 キャッチングはある程度経験でどうにかなるものだとは思うが、その言葉通りある程度までである。

 スルーを投げられて捕れなかったジンは責められない。




 後輩相手に無双してスカッとした直史は、実家に帰省する。

 東京では武史も含めて、早稲谷の人間がオープン戦を行っているはずだ。

 だが直史は、おおよそもうアマチュアのレベルを見切った。


 おそらく現在のアマチュアで五本の指に入るのが、同じチームの西郷である。

 その西郷と対戦しても、それほどの苦労はなく単打までになら抑えられる。

 プロには西郷レベルの者が何人もいるとは聞くが、その全ては大介より下だ。

 

 大介と対決する方法が一つある。

 来年にはWBCが開催されるが、その壮行試合として、大学選抜チームとプロ選抜チームの対戦があるはずだ。

 そこでなら大介とまともに戦える。何の遠慮もなく。

 プライドを折られて後遺症が残るかもしれないが、直史的には知ったことではない。


 WBCがアマチュアからも出ることが出来るなら、選手としての参加も良かったかもしれない。

 だがWBCはメジャーリーガーの本物の一線級の選手はあまり出てこないため、たいしたこともないのではと思わないでもない。

 少なくとも大学選抜では、目立つバッターはいなかった。

 自分だけではなく武史でも、ほぼ完璧なピッチングが出来ていたのだから。

(自国の試合だけでワールドシリーズとか言ってるアメリカ人は、パーフェクトに抑えてやりたいけどな)

 不穏なことを考える直史である。




 ベンチメンバーと少数の手伝い舞台が甲子園に出発しても、スタンドのほとんどの応援メンバーは、試合前はグラウンドで練習することになる。

 三年生の中の多くは、情報収集のために働く。彼らにはもう、試合に出る機会はない。

 だが一二年は普通に、炎天下のグラウンドで秋以降のために練習をする。


 わざわざ練習用ユニフォームを着て、それに付き合う直史である。

 試合に勝つこととか、レギュラー争いではなく、まだひたすら自分が上手くなることだけに集中する、この下級生たち。

 ある意味純粋な練習の姿に混じって、直史はバッピを引き受ける。


 わざわざ打ちやすい手加減をしてくれるのはありがたいのだが、本当になんでも投げられる直史に、呆れたように質問する者もいる。

「佐藤さんって投げられない球はないんですか?」

「たくさんあるぞ」

 そして直史は例を挙げる。

「もちろんストレートのスピードで上回る人はたくさんいるし、ストレートの質をとって、うちの弟みたいなホップ成分は投げられないし」

 あとはサウスポーだ。

 右に切り替えたとしても、細田のカーブはあの長身があるからこそ活かされるものだし、真田の高速スライダーは本当に投げられない。

 ナックルなども試したことすらないので、いくらでも投げられない球はあるのだ。


 ただ同じカーブやチェンジアップで、様々に投げ分けることは出来る。

 一つの選択を求めるのではなく、選択肢を増やすのが、変化球を身につける基本だと思う。

 スルーやパワーカーブなど、決め球的なものはあるが、コンビネーションで三振させるのが直史のタイプだ。




 秦野は愚痴をこぼしていたが、グラウンドに残って臨時の監督者に見られて練習をしている一年の中にも、それなりに成長が見込まれそうな者はいる。

「やっぱり平均的なレベルはアップしてますよね」

 地元の大学に進んだ倉田が、直史と一緒にバッテリーのコーチなどをしたりもする。

 倉田も野球部には入ったらしいが、別にリーグ戦を勝ち抜くような強豪ではなく、風通しのいい弱小である。

 おかげで一年からそれなりに、試合には出られるらしい。

 まあ甲子園優勝チームの正捕手で、ホームランも何本か打っていれば、それぐらいは当然のことだろう。

「あのデカイやつ、いいよな。まだ筋肉は全然足りないけど、サウスポーだし面白いピッチャーになるかもしれない」

 球速はMAXが120kmもないと言っていたが、カーブの落差とコントロールは魅力的だ。


 直史は基本的に、コントロールの悪いピッチャーは嫌いだ。

 キャッチャーをやっていた頃の影響かもしれないが、パワーだけで抑えているピッチャーがいるのを見ると、それぐらいどうにか打てと言いたくなる。

 スピードの出ないコンプレックスかと思ったこともあるが、今では150kmを出せるので、それも少し違うと思う。

 上杉のようなパワーピッチャーも、コントロールがいいので好きなのだ。


 ピッチャーというのはもっと、支配的であるべきだと直史は考える。

 監督がいくら作戦を考え、キャッチャーがいくらリードをしようと、投げるのはピッチャーである。

 特に高校野球、いや大学であっても、ピッチャーはマウンドの上の王様だ。

 他にもいろいろとスポーツはあるが、団体競技でここまで支配的なポジションは、他にないのではとも思う。




 直史が監督代わりというわけでもないが、甲子園組がいないこのグラウンドで、居残り組は他のチームとの練習試合を行ったりするのを見ている。

 他の全てのチームは、もう新しいチームに変わって、秋の大会を目指して動いているのだ。

 白富東はベンチ入りメンバー以外で、こうやって経験値を高めておく。

 県内の他のチームの、強豪ではないとはいえデータを集められるのは、圧倒的に秋には有利になるはずだ。


 もちろん毎日そんなことに付き合うこともなく、直史は瑞希とも一緒に行動したりする。

 そう、忘れてはいけない。

 両親が共働きで、祖父母は畑に出たり山に入ったりして、弟妹が東京にいる今、この家にいえるのは直史一人。

 つまりいくらでもイチャつけるのである。


 瑞希の家や部屋ではなかった、圧倒的なホームの感覚。

 山から吹いてくる風は、真夏でもそれなりに涼しい。

 それでも限界はあるため、冷房を利かせた部屋の中で、たっぷりと仲良くする二人である。

 東京で暮らすようになってから一年以上経過しても、直史の魂の原風景はここである。

 ここで生まれ、ここで死ぬ。直史にはそんな感覚がある。


 何気に自分のテリトリーで行為に及ぶのは初めての直史であったが、空調の効いた快適な空間で、賢者状態のまま将来のことを考える。

 当初予定していた、法科大学院を通らず、予備試験で司法試験に合格するというコース。

 さすがに野球に時間を取られすぎていて、勉強の時間が足りない。

 自分だけではなく瑞希の方も、執筆活動が取材も含めて必要なため、なかなか勉強にばかりは打ち込めない。


 ただ法科大学院の二年目までには、どうにか合格できるのではないかという手応えはある。

 大学四年を卒業するのと同じタイミングで、司法試験に合格して司法修習を行う。

 約一年の実務を経験した上で、また試験があって、そこで法曹の資格を得る。

 法曹の資格は、裁判官、検事、弁護士のために必要なことであり、この中では裁判官と検事は、さらに狭い門になっている。

 特に検事などは凶悪な刑事事件の調査にあたる可能性もあるので、メンタルの強い者が求められたりする。

 もっとも検事というのは、腐敗がひどいとか、癒着がどうこうとかも言われたりする。


 そもそも法律家というのが、正義や善悪ではなく、法律によって行動する職種、あるいは生き方であるのだ。

 もっともその中でどう、法律をいじくって判例を引き出して、解釈を納得させるかが、腕の見せ所とも言えたりする。

 法律は弱者の味方ではなく、法律を知っている者の味方なのだ。

 なので弱者を救うためには、法律はよく知っておく必要がある。




 大学のサークルでの活動としては、実際の裁判を傍聴して、自分ならどう弁護するか、あるいはどう訴えるかを考えることもある。

 家庭裁判所や地方裁判所など、色々と学ぶべきことは多い。

 だいたいの問題は金か家庭の問題になる。

 これだけ金が問題になると、やはり生きていく上で弁護士の知り合いは必要になるのだな、と思わないでもない。


 あとは結婚や離婚、未成年の犯罪など、そして多いのが性犯罪である。

 直史の生家の近くは田舎に近いため、さすがにあまり多いことではないのだが、東京に出ると一気に多くなるのが青少年の犯罪と、青少年が巻き込まれる犯罪だ。

 あとは性犯罪の、金銭が関わってくる部分である。


 こういうことは基本的に、自分がやった方がいいのだろうなと、基本的に人間不信の直史は考える。

 直史は基本的には、家に縛られてはいるが、他人に対する感情が豊かではない。

 他の誰かが自分に関心を向けてくるのも、無駄に他人に関心を向けるのも好まない。

 だがその分、信じられる人間は徹底的に信じる。


 あとはぶっちゃけ、将来的には妹たちが犯罪に巻き込まれることは多いのではないかと諦めていたりもする。

 あの二人は周囲をかき回す。なかなかその影響を無視できる者はいない。

 良くも悪くも、影響力が強い。

 自分のことは差し置いて、直史はそう考えるのだ。


 それに高校から大学にかけて、直史の世界は確かに広がった。

 いわゆるところの地元大好き人間である直史だが、東京の生活は確かに便利すぎた。

 夜中にまでやっている店があり、むしろ夜こそが本番という店がある。

「今日はご両親いつ帰るの?」

「まあ七時前かな」

「じゃあ……もっとする?」

「う~む、エロい子になってきて嬉しいよ俺は」

「! 自分がいつもいっぱいするからでしょ!」

 確かに、と反省する直史である。


 直史は、自分が性欲の弱い人間だと思っていた。

 だが違う。実際は一度おぼえたら止まらないタイプだったのだ。

「あんまりしすぎても、後片付けがなあ」

「……いつも私の部屋では、好き放題してるんですけど?」

 眼鏡を外した瑞希は、じとっとした目付きをしていて可愛い。

 そのじとっとした目付きを、さらに細めてくるのでもっと可愛い。

「卒業したら一緒に暮らそうか」

「……司法試験に受かったらね」

 最近はちょっとつれない態度を見せてくるようになって、やっぱり可愛い。


 だが、今ので言質は取った。

「修習期間は安いけど給与も出るし、二人で暮らしたら何かと効率的だしな」

「直史君、洗濯で下着ダメにしたの、まだ忘れてないから」

 そう言われても女子のお高い下着が、あそこまで繊細なものだとは知らなかったので仕方がない。

「買って返したじゃないか」

「あんな普段使えない下着じゃダメです」

 まあ確かに紐パンは直史の趣味であったのだが。


 清楚系の彼女にあえてエロい下着をつけてもらうことの喜びを、直史は世界の中心で叫びたい。

 もちろん実際にはそんなことはしないが。

 世の中にはギャップ萌えというものがあるわけで。

 ただ直史も自分の性癖が、マニアックな部分があることは分かってきた。

 樋口などと一緒に寮の男どもと話していると、だいたい樋口の話が重すぎてマニア過ぎて引くから、直史は目だっていないだけである。

「瑞希、俺は自分で言うのもなんだけど、性欲は強いし性癖は、変態手前だから、嫌だと思ったらはっきり言ってくれよ」

「え、直史君はもう充分変態だと思うよ? エッチの最中は何回嫌だって言っても止めてくれないし。愛がなかったらとっくに別れてるよ?」

 衝撃的なことを言われる直史であった。

「俺、変態だったの?」

「普通縛ったりはしないと思う」

「それは実際にしないだけで、やりたいと思ってる男は大量にいるんだけど」

 エロエロな生活が始まって、もうすぐ三年。

 まだまだ色々と追求する余地がありそうな二人であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る