第84話 最終兵器の使い方
だいたい人間は常識の範囲内でしか、ものごとを判断することは出来ない。
早稲谷の監督であり、今回の日本代表の監督でもある辺見は、とりあえず直史に関しては考えるのをやめた。
あれは相手を完封してくれるマシーンだ。
だがマシーンであってもメンテナンスは必要なので、球数は注意しメンテナンス要員には確認する。
「佐藤は次はいつ投げられそうだ?」
「いやその前に、よくやったぐらい誉めてあげてくださいよ」
樋口の言葉は当たり前のものであたが、辺見は完全に忘れていた。
機械に誉め言葉はいらない。
「佐藤」
直史の前に、右手を差し出す辺見である。
「よくやった」
なんだこの右手はと見つめていた直史であるが、ああそういうことかと納得する。
持ったままだったウイニングボールを辺見に渡す。
「いや、そうじゃなくて」
ボールも貰ったが、直史と握手をする辺見である。
日本の学生野球において、監督と選手がやることはない行為である。
息も切らしていないが、データの少ない中で投げて、疲れていないはずはないのだ。
ひょっとしたらそれほどは疲れていないかもしれないが、全く疲れていないはずはない。
ロボットやサイボーグでも、部品の疲労はあるのだから。
実際、直史は疲れていた。
事前のデータが少なく、得意コースなどを探りながらのピッチング。
相手のピッチャーのデータも少ないために、出来れば一点も失点したくはなかった。
この初戦を完全に抑えることで、残りの試合も精神的に優位に進めようと思う気持ち。
出来れば三振を奪うピッチングもしたいと思っていたら、予定の100球よりもだいぶ投げていた。
経験上この疲れは、一日では抜けない。
だが二日あれば抜ける。
二試合目と三試合目、武史以外にもいいピッチャーはいるし、なんとかどちらかは勝ってくれるだろう。
そこまでにデータがあつまれば、四戦目と五戦目を、展開次第だがリリーフして勝つ。
ワールドカップのノリでいこう。
少なくとも観客数はワールドカップよりも多いのだし。
アメリカチームは確かに直史に圧倒されたが、それは大観衆による応援にも戸惑ったからだ。
アマチュアでも確かに、アメリカの大学スポーツは人気である。
しかしこの日本のスタジアムの、満員になる応援は、アメリカ式ではない。
もっと観客も淡々と楽しむもので、日本式の楽器の気合の入った演奏などは、それこそワールドシリーズなどの特別な時に例外的にあるぐらいだ。
第二戦は山口県に舞台を移す。
舞台は岩国市の愛宕山球場。収容人数は8000人。
……少なすぎる。
いや、例年であればこれで充分なのだ。プロ野球の二軍戦も行ったぐらいなので、施設としては充分なのだ。
総合運動施設の中の一つであり、在日米軍基地との関わりが大きいため、日米野球の趣旨としては、確かに利用するのもおかしくはない。
ただ圧倒的に、収容人数が少なすぎる。
一昨年と、アメリカで行われた試合を元に球場も決めたのだろうが、スタープレイヤーがいれば一気に人気が拡大するのが野球である。
もっとも直史はさすがに、この試合は投げないのだが。
直史のファンというのは、通常の野球ファンとはかなり違った層であると言われる。
そもそも直史は、非常に運がいいのだ。
なにせある程度は打たせるピッチングをするにもかかわらず、その打球が野手の守備範囲内にいくのだから。
確かにそれは直史も感じることだ。
グラウンドボールピッチャーは内野ゴロが守備の間を抜ける危険があるし、打球の勢い次第では内野安打になる可能性もある。
フライボールピッチャーであれば、よりアウトの過程の少ないフライでアウトを取れるが、それが外野まで飛ぶと普通にヒットになる可能性がある。
中学時代、あれだけボロボロに味方のエラーで負けたのが、今になって返ってきているのかと思うこともある。
だがそれにしては、返済額が大きすぎる。
変化球での空振りや、凡打は確かに狙っている。
だが打球がちゃんとアウトになるかどうかは、野手の守備力と打球の方向性であり、ピッチャーが操るのは限界があるのだ。
高校時代はむしろ、分かりやすかった。とりあえずショートに打たせれば大介がアウトにしてくれるし、外野はアレクの守備範囲が広かったからだ。
大学は清河は悪くないショートだし、最近はセンターに入っている土方も、それなりには信頼している。
だがドラ一指名される選手に比べれば、その守備力は落ちているはずなのだ。
「それは単にお前の球速が上がって、三振奪取率が上がったからだろ」
樋口が言うので、そういうものかとも思うのだ。
言われてみれば150kmが出ていなかった一年生時は、二度しか完全試合をしていない。
球速の上限を上げるというのは、やはり重要なことと言える。
直史が完全にノースローの本日は、先発は武史である。
サトーという表示であちらの選手は引きつったかもしれないが、安心していい。そのサトーはまだ常識的な範囲の化け物だ。
たっぷりと投球練習をした武史は、最初からギアを高めに入れている。
同じ大学ということで、今日のキャッチャーも樋口である。
第一戦を3-0で完敗したアメリカ代表としては、武史の速球は打てる範囲の球だ。
実際に初回からはチェンジアップとナックルカーブを多めに使って、緩急を意識して投げている。
二戦目は後攻のアメリカ代表は、一回と二回、それぞれヒットを打った。
だがそれも、点にはつながらない。
初回から変化球を多めに使って、三回の途中からはギアが変わる。
そこから奪三振ショーが始まった。
樋口は大胆に、チェンジアップとストレートだけで押していく。
武史のチェンジアップは、チェンジアップと言いながら140kmは出ているので、ほとんどスプリットと変わらない。
「102マイルぐらい出てないか……」
アメリカチームは真っ青になっているが、球速表示がkmのままなのは、微妙に不親切である。
電卓を使って計算しなおすと、100マイルぐらいだと計算される。
アメリカには球が速いだけならば、100マイルを投げるピッチャーはそれなりにいる。
だが武史のストレートは、体感でそれより2~3マイル速い。
日本よりもアマチュアの段階からトラッキングシステムを使うアメリカチームの監督は、これだけ三振を奪われる原因に容易に想像がつく。
フライを打ち上げているということは綺麗なバックスピンがかかり、ホップ成分が多いはずなのだ。
それを計算に入れれば打てると言いたいのだが、人間のスイングは一般的なストレートに最適化してある。
ボール半個上を振れと言われても、本能的に難しいだろう。
そしてチェンジアップを投げられれば、それが打てなくなる。
狙いを絞ってスイングする必要があるが、それを絞らせないリードがある。
日本はキャッチャーのリードが大きいと言われているが、確かにそうと言える。
(だがいったい何球投げさせるんだ!?)
球数が100球を超えても、全くパフォーマンスが落ちない。
スピードも維持しているが、スピンも維持しているということだろう。
だがカレッジの一年生に、ここまで投げさせるのが日本の野球なのか。
(やはり間違っている)
アメリカの監督がそう思うのも、前提が違うのだから仕方のないことである。
この第二戦。アメリカはさすがにノーヒットノーランまではされなかった。
だが2-0と完封され、ヒットも三本しか打てなかった。
そして奪われた三振が16個。
ワールドカップでも投げていた、弟の方のサトーの名前は、深くアメリカの野球関係者の脳に刻まれることになる。
日米大学野球は全部で五戦行われるが、どちらかが三勝しても残りの試合を行う。
第三戦は四国の三四郎スタジアムに場所を移し、またアメリカの先攻で行われる。
収容人数が三万人となるこのスタジアムには、野球王国愛媛の名に恥じず、満員の応援団が席を埋める。
この試合でやっとアメリカチームは、バッティングらしいバッティングをすることが出来た。
日本だけではなくアメリカの野手がスーパーセーブを見せても、観客からは拍手が上がる。
昔から言われていたことだが、本当に日本の野球ファンは、騒がしいことが騒がしいのだが、フーリガンがいない。
ただしライガースを除く!
スコアも4-3でアメリカが勝ち、日本側も常識的な継投をしてきた。
そして第四戦は、新潟に移る。
ここにもまた三万人を収容する野球場があり、しかもこれはプロ球団の球場でもないのだという。
アメリカならともかく、国土の面積の狭い日本でも、これだけのアマチュアの球場を維持出来ているというのが、アメリカの選手にとっては驚きである。
ここまで二勝一敗ということで、この第四試合も日本側は、常識的な継投をしてきた。
アメリカもいつあの化け物がまた投げてくるかと、戦々恐々とはしている。
だがこの試合も3-2と両者譲らぬ形の中から、なんとかアメリカが勝利した。
これで最終戦、二勝二敗の五分から、神宮球場での決戦が行われる。
最終戦の先発が第一戦目のサトーだと聞かされて、さすがにアメリカ側のポポビッチ監督は、辺見に語りかける。
辺見はプロ野球選手だった現役時代、アメリカのキャンプに何度も参加しており、英語がそれなりに使えるのだ。
「ミスターヘンミ、本来はこういうことは言うべきではないのかもしれないが、日本のアマチュア野球はプロでもない選手を酷使しすぎではないのか?」
分かる。言いたいことは分かる。
辺見も同じようなことを考えて、直史を温存してきた過去があるのだ。
「ポポビッチ監督、貴方は間違えていることが二つある。まず一つ、彼はプロになる気は全くなく、それよりは投げて投げて勝つことの方が大切だということ」
あの才能がプロには全く興味がないと言われて、ポポビッチは目を白黒させる。
「そしてもう一つ、彼は全力を出していない。キャッチボールを150球したところで、普通は故障などしないだろう?」
それはつまり、全く本気など出さずに、アメリカの代表をパーフェクトに抑えたというわけで。
「全力を出していないと?」
「私もそれに気付かなかった時は、無駄に彼をセーブしたがね。彼は二試合を連投してパーフェクトゲームを達成して、それで平然としているピッチャーなのだよ」
このあたり辺見は、やはり直史を理解していない。
全日本の試合と日米野球の試合を見れば、球数だけでその苦労の多少が分かるであろうに。
第五戦目まで、優勝は持ち越された。
神宮球場で、決着はつけられる。
ちなみに直史は不機嫌である。
さすがに事情を考慮して、大学のテストは追試という形で行ってくれることになったが、本来であればそんな必要もなく、一日で終わっていたからだ。
やはりわざわざアメリカまでいって、野球をやらずに済んだことはありがたい。
最終戦、第一戦と第二戦、マスクを被った樋口とまたバッテリーを組む。
第三戦と第四戦では、マスクを被った竹中には悪かったなと思う二人である。
アメリカに合わせてそれなりの継投をしていた日本であるが、本来ならそれは必要なかった。
精神論とか根性論とか言われるかもしれないが、日本の高校野球の夏を経験したピッチャーたちは、一試合程度ならば普通に完投能力があるからだ。
ほんの三イニング程度しか投げず、投げさせてもらえず、いいところもなく替えられてしまったピッチャーは気の毒である。
プロのスカウトも、それなりに見に来ているのに。
第五戦、神宮にて夕方の18時から、最後の試合が行われる。
マウンドに立つ直史は、不思議な感覚がある。
日米野球は時間帯を夕方にして行われる。
そのため直史は午前中の練習になどは出ずに、自分で調整だけは行ってきた。
どれだけマイペースなやつなんだと、辺見ならず思ったものだが、もう諦めた方が精神衛生上いいだろう。
リーグ戦の間は、土日の昼間に試合は行われてきた。
だがこの試合は日曜の夕方からであり、日曜も仕事のサラリーマンでも、自宅に帰ってテレビで見ることが出来る。
前日に辺見が、最後の試合は直史でいくと言ったこともあり、またテレビの前にはしっかりと視聴者が集まった。
全国中継である。CSチャンネルとはいえ、初回は無料で見られる試合だ。
高校時代に頭のおかしな記録ばかり立てていた直史であるが、大学のリーグ戦の昼間の試合とも違って、これはリアルタイムで視聴できるのだ。
これまでも入学以来、大学野球に客を集め続けていた。
早慶戦などはテレビ中継もされるが、基本的にはあまり視聴者は多くなかった。
だがこの日米野球という形では、全国の目が集まっている。
同じ頃には高校野球の地方大会が始まっているわけだが、当然ながらこの試合の方が注目度は高い。
甲子園やワールドカップで、常識を覆す記録を残してきた、おそらくは最高のピッチャー。
ステージが違うはずであるのに、トッププロの上杉と比べられる、才能のまた違った方向の極致。
上杉と比べて、どちらが上なのかと、日本の関係者はよく問われる。
両者がピッチャーとして投げ合ったことはないし、同じチームになったこともない。
ただ客観的な成績だけを見るなら、直史の方がじゃっかん上ではある。
奪三振は上杉の方が多いが、直史の場合はあえて狙っていないだけなのだ。
だから直史は最速のピッチャーではないが、最高で最強のピッチャーなのかもしれない。
チームを勝たせるのがエースだと言うなら、直史も間違いなくエースだ。
アメリカチームも考える。
ストレートのMAXはそれほどではないが、とにかくコントロールがいい。
アメリカのストライクゾーンを意識して投げてきて、そこからボールに逃げていく球というのも使う。
簡単に言ってしまうと、ピッチングが上手いのだ。
どうやってこれを攻略するかと考えても、第一戦を見る限り、一人の打者に一度しか同じボールを投げないぐらいの精度と球種を持っている。
日本の観客や視聴者も期待している。
果たしてどのようなピッチングが見られるのか。
勝つことは大前提の上で、どれだけ素晴らしいピッチングが見られるのか。
「タケを先発にして、危なくなったら俺が出た方がよくないですかね?」
「今さら何を言ってるんだ」
本人はこの期に及んでも、完全に他人事であった。
全国において野球マニアが、野球ファンが、そして単に騒ぐことが好きな人間が。
パソコンのチャットをしながら、試合の始まりを待っている。
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