第164話 眠る機械

 その日の直史の投球の内訳を見ると、対戦した法教のバッターは例外なく、これは間違っていると言った。

 ストレート30% カーブ30% チェンジアップ10& スライダー10% シンカー10% その他10%

 分類されたのはこんなものだが、実際にはもっとずっとたくさんの球種を投げていたはずだと。

 そして実際の映像を見て、これはあれ、それはあれと、各選手が自分の判断に従って、改めて分類していく。

 するとあら不思議、大枠の分類を見れば、間違いなく正しい分け方だと分かってしまうのである。


 チェンジアップだと思っていたのが、他の者にはスプリットと判定されていたり、またその逆があったり。

 縦のスライダーとカットボールと、カーブがごちゃごちゃになっていたり。

 ツーシームとシンカーがごちゃまぜになっていたりと、全く後に活かせないデータになる。

 映像に残っているのと、バッターが体感したのとでは、全く印象が違ったりする。

 分析班泣かせのピッチャーだ。もっとも実際に対戦したバッターはもっと泣きたい気分であったが。

 なんでこんな化け物と、同じ年代で勝負しなければいけないのだ。


 ともあれ、これでまた直史の評価が高まった。

 いやもう既に、これ以上はないという評価を、どう上げようかという話ではあるのだが。

 この年、プロでは大介が、不滅の67本塁打を記録。

 そして直史は己の持っていた完全試合における記録を、さらに更新したのである。


 野球界全体を見るなら、他にも話題はあった。

 夏には甲子園で、白富東が打撃戦を制して優勝。

 そして秋にはその卒業生である二人が、大学とプロの世界で記録を作る。

 実はプロの完全試合の最少投球数は、この日の直史と同じ、79球である。

 舞台も違えばレベルも違うので、比較するのは難しい。

 だが今日の直史の投球には、全く危なげがなかった。


 プロで言うなら上杉が、パーフェクトを狙うスペックを持つ、唯一のピッチャーだろう。

 実際に既に一度のパーフェクトと、三度のノーヒットノーランを記録している。

 だがそれでも、プロの長いシーズンの中でそれらを達成することは、よりレベルは低く試合間隔も楽な大学リーグで達成することとは違う。


 色々と比べる者はいるが、本当に優れているのは上杉だと言われる。

 佐藤はしょせん、アマチュアに過ぎない。

 そうやってまるで自分に言い聞かせているのは、プロ野球の番記者たちである。

 別にだからといって自分たちの価値が高まるわけでもないことを、やかましく言ってくるのがマスコミである。

 雑誌の方はもっとマシな話題で誌面を作るのだが。

 上杉はどちらが上かなど、そんな馬鹿らしいことは考えないし、質問があっても答えない。

 ピッチャーは、エースは、チームを勝たせる方が偉い。

 誰もが認め、誰もが託す。エースはそういう運命にある。


 WBCにおいて、決勝に上杉が投げられなかったのは、もちろん実力ではない。むしろバットを破壊したなどというのは、逸話の一つになっている。

 だが上杉は自分が、あの球数でアメリカを完封出来たかというと、少し球数がオーバーするだろうとも思うのだ。

 実力で負けるとは思わない。

 だが器用さでは負けると、素直に認められる。

 そういった話をしても、それでも上杉が上だと言うのは、いったいなんなのだろうか。

 この二人を比較しても、違いはあっても優劣はないと思うのだが。




 上杉がどう思っていようと関係のない直史は、久しぶりに脳をフルに使ったので、ぐっすりと眠っていた。

 珍しく行為なしの同衾に、瑞希は少しだけ眠気を我慢して、直史の寝顔を見ている。

 だいたいどんな男でも、寝顔はそれなりに可愛く見えるそうであるが、瑞希はあまりそうは思わない。

 眠っていてもかっこいいな、と完全に盲目状態なだけである。


 直史は眠りが浅いタイプの人間だ。

 睡眠時間だけはしっかりと確保して、これまでの人生を生きてきた。

 高校時代も勉強する時に、眠気が来たらすぐに寝ていた。

 授業中はともかく自分で勉強するにおいては、眠いのを我慢して勉強をしても意味がないと分かっていた。

 野球をして疲れていたら、すぐに眠って早起きして勉強をする。

 それは今でも変わらないというか、さすがにそういった生態は大学生になってから知った。


 基本的には直史は、隙のない人間だ。

 それは瑞希と一緒にいる時も同じで、慣れてきてもあまりだらしない姿を見せたことがない。

 ただ今日の直史は、疲れていたのかかなり隙があった。

(う~ん……)

 どんな男にも、かっこいい面ではなく可愛い面があると瑞希は思う。

 眠っていればだいたい、直史も可愛い。

 そう言うと、でもお前の方が可愛いと、言われてしまうのが瑞希である。


 寮に入っている直史は、もちろんあちらで泊まることが多い。

 だが週末は瑞希のマンションに泊まることがほとんどだ。

 そして若い二人は、性欲を爆発させる。

 お互いに完全に無防備なところを晒すのは、信頼関係と言うのだろうか。

 それともこれが愛なのか。


 直史の周りには、色々な女性がいた。

 だが彼が他の誰かに、心を奪われた様子など一度も見たことはない。

 三年以上も付き合っていると、直史の中には根本的に、女性に対する嫌悪感のようなものがあるのを感じる。

 もっともそれは抑制されたもので、普通の女子に対しては、過激な反応は見せない。

 ただ、俗に男性が好みそうな、色っぽい女性に対しては、直史は苦手意識というか、忌避感を持っている。


 そのうち話してくれるのかと思っていたが、母の助言に従っている。

 男には、好きな相手だからこそ、言えないことがあるのだと。

 待つ強さも、恋愛の中では必要なのだ。


 ぴったりとくっついていると、直史の体温と、全身を駆け巡る血液の循環を感じる。

 今はこれでいい。

 今はこれが一番幸せなのだ。




 プロ野球の日本シリーズ以外に、大学では秋のリーグのさなかではあるし、高校では既に秋の大会が始まっている。

 野球の完全なオフシーズン前に、まだ色々とお祭りごとは残っている。

 なお高校三年生も、ごく一部であるが、国体という最後の舞台がある。


 今年はプロ野球の開幕前、そしてセンバツの前から、WBCという世界的なイベントがあった。

 そこで活躍したプロは、逆にシーズン序盤に調子を落としたりしたが、主役になた選手はそのまま、それぞれのシーズンに流れ込んでいった。

 プロ野球は一年を通じて熱い戦いが行われ、大介が三年目の三冠王を取り、ついにホームランの記録を抜いた。

 直史はそれ以前からもはや無敵であったが、よりその精度を増していった。


 この二人の所属していた白富東が、春のセンバツこそベスト8で姿を消したものの、夏の選手権では決勝まで進み、伝説に残る打撃戦を制した。

 新チームとなってから、レギュラーがごっそりと引退したので、あまり話題にはなっていない。

 だが大介以外にも、アレクがプロで活躍したりしている。

 野球に限ったことでなければ、イリヤは相変わらず作曲でその存在感を示し、ツインズは歌って踊っている。

 それに『白い奇跡』が映画化された。

 出来れば夏に上映したかったのだろうが、そもそもあの映画は正確には『白い軌跡』ではない。


 白い軌跡は、直史たちが一年夏の大会、千葉県大会の決勝で敗北したところから始まる。

 だがこの『白い軌跡』にはサブタイトルに『夏の前日』という言葉がついてある。

 つまり夏の大会ですらなく、春の大会の物語なのだ。

 まあ白富東の快進撃が始まったのは、確かに春の大会でベスト8まで進出したのがきっかけだ。

 そして夏に直史が、コールド参考記録とは言え、パーフェクトを達成したこと、そして大介がホームランを打ちまくったことから、注目を集めていった。

 だがそれで、決勝に負けてからが本章なのである。


 タイトル詐欺のような気がしないでもないが『白い軌跡』冒頭と、本編の中のいくつかで、その春の大会についても言及してはいる。

 物語としても高校の入学から始めた方が、登場人物も順番に出てくるので、分かりやすいのは確かだ。

 白富東が夏に優勝し、それから秋に上映開始というのも、タイミング的にはよかっただろう。

 もしも興行的に成功すれば、夏の大会編が制作されるというわけだ。

 すると登場人物の中に、瑞希も出てくるわけだが。

 もちろん瑞希は、己の存在はそっと消去してある。

 自分の行動を客観的に見つめるには、彼女はまだ若すぎた。




 どうすれば早稲谷に勝てるのか。

 それは六大学の他の大学のみならず、全日本の各地のリーグに所属する、全ての有力大学が考えていたことだ。

 正確には、どうやって佐藤兄弟から点を取るか、という話になる。


 一番切実にそれを感じているのは、もちろん六大学の他のチームである。

 ネットで配信された試合に、偵察班による映像を確認し、帝都大の首脳陣と、石川やジンといった頭脳陣が考える。

 もちろん問題は、早稲谷の重厚打線をどう抑えるかも重要ではある。

 だがそれより何より、試合で一点も取れないのでは話にならない。


 相棒であったジンの目から見ても、直史のピッチングには隙がない。

 クセもない。まるで機械のように、必要なボールを必要なコースへ投げ込んでいる。

 高校卒業の時点で、球速は142kmであった。

 そこからさらに、10kmを増している。

 既に完成されていたと思われたあの投手像から、さらに進化している。

 そう、これは成長などではなく、進化と呼ぶべきレベルだ。


 基本的には、待球策は考えられている。

 だが直史はほとんどボール球は投げないし、もし投げるとしたらここはゾーン内に投げてくるだろうという時ぐらいだ。

 徹底的に待球策で、ツーストライクまでは振らないという手もある。

 だが直史は全力をかけずに、八分の投球でストライクを取ってくる。

 変化球でコースを狙って、投げ込んでくるというのは難しい。

 そんな難しいことを、高校時代よりもずっと上がった出力で、高校時代よりも高い精度で行っている。


 視線が集まっているのが分かる。

 直史の成長を、もっとも近くで見てきたジンであるが、それでもどうしようもない。

「ピッチャー本人の攻略と言うか、対処はあると思います」

 どんなものかと目を輝かせる人々に、ジンは情けない分析結果を話す。

「早稲谷の辺見監督が、明らかにナオの実力を見誤り、継投などを失敗していることです」

 それは以前からそうだ。

 そこにつけこんで、帝都は一度リーグ優勝を果たしたのだ。


 監督の采配ミスに期待する。

 そんなところで勝とうというのは、もちろん尋常な思考ではない。

 ただしジンは感じているし、データでも明らかなのだが、辺見は明らかに直史の起用に失敗している試合がある。

 早めに継投して後続が打たれたり、温存したまま負けた試合というのがある。


 辺見は他のピッチャーに関しては、そこまでおかしな起用はしていない。

 だが元ピッチャーという過去が、一般的なピッチャーの基準を頭の中に作ってしまって、それに直史を当てはめてしまっているというのはあるかもしれない。

 簡単に言うと、相性が悪いのだ。

 それともしかすると、同じピッチャーとしての嫉妬もあるのかもしれない。

 大学野球で、辺見も同じように投げていた。

 だがそれと比べても圧倒的な成績を残す直史に、活躍の場を与えたくないということか。


 そんなジンの説明に、最初は突飛なことを聞かされていると思っていた面々も、最後には頷くものがあった。

「起用の隙を突いて、どうにか先制。そこからは相手の打線を封じることに力を入れるか」

 もっとも早稲谷の打線は西郷を中心に、かなりの破壊力を持っている。

 それをいくら封じようとしても、三点や四点は必要になるだろう。

「まあ球場の外で策を巡らすという手もありますけどね」

 そう言うとやはり注意が集まるが、これはジンもさすがに推奨できない作戦だ。

「早稲谷が強いのは直史がいるからで、辺見監督はなんの役にも立っていないというコメントを流すんですよ。まあ実際にそうでもあるんですけど、これでナオを投げさせない、という手段も、勝敗だけにこだわるならありかと」

 それはさすがにえげつなさすぎる。


 辺見の直史の起用法の失敗は、確かに言われていることである。

 だがそんな話を広げて、直史を使わずに勝とうなどと辺見が思うだろうか。

 常識的に考えれば、辺見は自分の監督としての経歴を彩るためにも、直史には登板させるだろう。

「その常識が通用しないのが、相性の悪さなんでしょうけどね」

 確かに、それはある。


 現実の世界でも普通に、監督とウマが合わずに干される選手というのはいる。

 選手としても監督の采配に文句を言って、首脳部批判だと問題になることはある。

 直史にしても辺見を批判などはしたりはしないが、そのピッチング内容が自然と、辺見の失敗を浮き上がらせていく。

 ただ直史に関しては、野球部だけではなく大学全体の問題でもあるので、辺見の都合だけで処分など出来ない。

 そもそも直史は、大学とはギブアンドテイクの関係で、野球部に所属しているのだ。


 攻めるべきはそこだと、分からないでもない。

 だがジンのような容赦のないことは、アマチュア野球でやるべきなのだろうか。

 ただ現在の早稲谷一強の状態は、どうにかしなければいけないと思われるのも確かだ。

「まあ弟の方の攻略も考えたり、打線を抑えることも考えないといけないわけだよな」

 この秋で引退する石川は、既に就職も決めている。

 社会人野球には進まず、一般企業への就職となる。

 もっともそこにも、普通に会社内で、野球のクラブは作っているそうだが。


 石川にとっても、この秋が最後のガチ野球。

 どうにかして勝ちたいと思うのも当然だ。

 どうやったらあれに勝てるのか。

 なんだかもう賞金首とかと同じような感覚で、話されている直史であった。

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