第165話 コントロールの神様
最強投手はどっちだと、やたらと比較されることが多い直史と上杉。
甲子園でパーフェクトを二度、大学の六大学リーグで何度もパーフェクトをするピッチャーではあるが、直史はアマチュアである。
それなのに比較されること自体すごいのだが、上杉はプロ入り五年で既に110勝を達成している。
100勝達成は最速記録を大幅に更新する試合数だった。
いくら上杉でも、酷使すれば潰れるはずだが、このままの成績を維持できるなら、20年で400勝が見えてくる。
その時上杉は、38歳。
さすがに衰えているはずであるが、40歳を過ぎてもまだ衰えない選手もいる。
そんな怪物と比べられても、直史としては迷惑なだけである。
そして比較するべき対象ではないなどと言うと、佐藤は自分とは比較にならないと断言した、などという不思議な翻訳をしてくるのがマスコミなのだ。
高校時代、セイバーからの危機管理を学んでいたのは、確実に正解であった。
だいたい直史は良くも悪くも、マスコミに対して発言をしない。
たとえ罵詈雑言であっても、マスコミにとってはそれは、記事になることであるのだ。
完全に無視という姿勢が、一番嫌われる。
だが下手に叩くと逆に、マスコミバッシングが起こりかねない。
直史はマイペースな人間だが、プロに行かないというその選択だけで、逆張りの人気を得ているとも言える。
ただそういうファンは、野球ファンなのではなく、直史のファンであるのだ。
女性であればストーカーになったりしそうな気もするが、基本的に直史は女嫌い路線を貫いている。
彼は真性のフェミニストなので、変に女性に優しくしたりもしないのだ。
そんな直史であるが、さすがにこれだけは自分の方が上であると、証明出来るものがある。
コントロールである。
上杉も実は速球派だが、コントロールはかなりいい。
コントロールと球速は反比例すると言われがちだが、実際のところは全ての力をボールに乗せて投げれば、しっかりとコントロールも出来るというのが上杉の考え方だ。
だから特にストレートのコントロールは抜群で、ムービング系のボールも変化量の調整は微妙だが、かなりのコントロールを備えている。
だがそれでも直史の方が、圧倒的にコントロールは優れていると断言出来る。
これまでに対戦した、あるいは試合で詳しく見た中で、最もコントロールに優れた投手。
はっきり言って、自分以上のピッチャーがまるで見当たらない。
ワールドカップのヤンや、国内でも帝都一の水野などは、相当に変化球のコントロールも優れていた。
だがそれでもこれに関しては、はっきりと分かる。
直史のコントロール出来るのは、コースだけではない。
球速、スピン量、回転軸といったものもだ。
カーブを投げるにしても、パワーカーブでゴリゴリに曲げてくるのと、スローカーブで落ちるように曲げるのは違う。
だがその変化量や進入角度まで、全て調整出来るのだ。
マシーンで再現しようと思っても、数千万をかけたところで、あっという間に調整が必要になるほどの制御。
これだけは間違いなく、自分だけの武器だ。
才能ではない。ひたすらに積み上げたのだ。
職人のように、極められた技術。
それが今、こうやって集大成となっている。
秋のリーグ戦第四週、早稲谷は立政大学との対戦である。
この週は直史も大学の土曜講義などがないため、普通に参戦することが出来る。
辺見はここにおいて、直史をどう使っていくか迷ってしまう。
辺見もまた、かつてはピッチャーとして、早稲谷のエースであった。
そこそこ遅咲きであったので、先発を任されるようになったのは、三年の春から。
勝率はおよそ七割で、それほど悪くはなかった。
だが直史とは全く比べようにならない。
同じピッチャーで、そしてエースであるのに、全くそれ以外は別の存在に思える。
入学以前からスーパースターで、いきなりパーフェクトを達成し、日米大学野球やWBCにまで特例で参加して、他の誰にも残せない記録を残し続けている。
そして野球に大してはともかく、野球部への愛はない。
伝統だの協調だの、そういったおためごかしのお題目は通用しない。
理性的であるが、逆にそれゆえいに不条理も許さない。
いまや早稲谷の野球部においては、最高学年でもないこのエースが、絶対的な権威者となっている。
野球部内での権威をかざそうななどと思っていないところが、どうにか辺見たちも許容出来る環境となっている。
土曜日の先発は直史。
第一戦の東大相手には投げなかったため、これが秋のシーズン二度目の先発である。
立政にもドラフト候補の選手はいて、それも高校時代から見知った顔である。
大阪光陰出身の初柴だ。
高校時代は確実にランナーを返す四番として起用されていたが、大学に入ってからは三番あたりを打つことが多い。
長打力もかなり成長しているが、打率と出塁率の高さによって、二番か三番を打つことが多い。
今ではほとんど三番を打っている。
確かに高校時代よりも成長はしているが、それでも直史に比べるとその成長度合いは大きくない。
高校時代に直史は、自身の登板した公式戦で三回負けている。
だがそのうちの一度は既にリードされてからの試合である。実際に負けたと言えるのは、一年の夏と二年の春。
そのうちの、二年の春に対戦した大阪光陰のキャプテンだったのが初柴である。
あの頃と変わらない器用さと打率はあるが、それだけに直史の成長度合いも分かっている。
「なんかええ手段あらへんかなあ……」
大学野球は高校野球と違って、リーグ戦のためピッチャーの情報が徐々に明らかになっていく。
一年の時から活躍する選手などは、成長しなければ四年目には、完全に攻略されてしまうこともあるだろう。
だが入学時から直史は、確実にストレートの球速を高めた上で、変化球もバージョンを増やしている。
直史が打たれないことの一番の理由は、やはりこのピッチングスタイルの幅広さだろう。
一番多い変化球のカーブを狙われていると思えば、それを封じてしまう。
ストレートに強いバッター相手には、ストレートを一球も投げずに封じてしまう。
そういった無茶がいくらでも使えるのが、直史のピッチングである。
機械的にバッターを処理する。
ピンチを一つも経験したくないのであれば、一人のランナーも出さなければいい。
ピンチになってから全力を出すのではなく、そもそもピンチにならないようにする。
それはあくまでも理想論だと思うが、実践してしまっている人間がここにいる。
本日はカーブを投げてこない。
カーブは直史の変化球の中では、もっとも使われる割合が多い。
ただそのカーブにも変化の仕方が色々とあるので、カーブ封印となってもボール球には投げてくることもある。
そして低めに沈むカーブを振って、空振り三振してしまう。
ランナーが出ない。
ボール球をほとんど投げないため、審判も際どいところはストライクとコールしてしまうことが多い。
どうせ三振するのだから、もう素直にストライクにしておけという、投げやりな審判さえ出てきている。
直史の圧倒的なピッチングをどうにかするには、ゾーン内で変化するボールを厳しめにジャッジするぐらいはしなければいけないのだが、現実はそれとは逆の方向に行っている。
直史は法律は犯さないが、野球村の常識にはとことん反発する人間である。
そして言葉ではなく、成績で語る。
千変万化のピッチング。
それに対応出来るようなバッターはいない。
分析すればするほど、注意するべき球が多くなっていく。
決め球が無数にあるのではなく、どんな球も決め球に使えると言った方が近い。
試合は進んでいく。
直史のピッチングに対し、立政はとりあえず早打ちは避けたようである。
先週の法教のように、歴史に残る圧倒的な惨敗は、どうにか回避したいらしい。
だがそうであると、ツーストライクまでを簡単にゾーンに入れてくる。
三打席目の初柴も、ツーストライクまでは振っていかない。
だが際どい三球目をしっかりとカットしていく。
まさかここからフォアボールなどは期待していない。
だが甘くストライクを取りにきたら、それをどうにか打ってやる。
初柴への四球目、樋口のサインに直史は簡単に頷く。
何が狙われているのかは分かっているが、どのみちこの球は打てないだろう。
そして投げられたのは、ほぼど真ん中へ。
スプリットかスライダーかとも思ったが、おそらくこれはチェンジアップ。
確実にミートしにいったボールを、空振りしてスリーアウト。
ベンチに戻ってきた初柴は、チームメイトに尋ねる。
「なあ、俺の最後に振った球、ベンチからは何に見えた?」
「ストレートだと思ったけど……」
球速は140kmで、速くはないが遅くもない。
それをどうして空振りしてしまったのか。
論理的に考えるなら、球速から判断して、スプリットと思ったスイングをしたため、ストレートの下を振ってしまった。
だがそうするとあれは、ただのストレートだったということか。
初柴だから咄嗟に沈むと判断して下を振っていったが、あるいはもっと打力の低いバッターなら、逆にミート出来たのではないか。
どういうメンタルでピッチングをしているのか。
初柴が知る限り、一番いい性格をしていた大阪光陰のピッチャーは、二歳下の真田であった。
自分たちの最後の甲子園、いきなり神奈川湘南と対戦し、苦戦を予想していた。
だが真田は甲子園でビューを、完封で果たしたのだ。
その後のワールドカップではチームメイトになったが、直史はやや距離を置いていたところがあった。
大介のように、平然と年上の中に混じってくるタイプではなかったというか、そもそも野球社会の常識が通用しないタイプであった。
樋口もその傾向はあるが、直史ほどではない。
軟式がシニアに混じったとか、そういうレベルではない。
サッカー部と野球部が混じったとか、そういうレベルでもない。
図書室の文学少年が、体育会系の中に混じったような。
そんな価値観の乖離を、初柴は感じていたものだ。
だが現実においては、全てを制圧する圧倒的なピッチングを繰り広げている。
試合が終盤になると、これまで使ってこなかったカーブを、ゾーン内に投げてくるようにもなった。
そしてそれに手を出してしまうのだが、落差の大きいカーブには、すぐ対応出来るものではない。
試合の前にはむしろ、このカーブを狙っていこうとさえ思っていたのに。
投球術がもう、至高の領域にある。
ボール半個分をアウトローで出し入れされたら、打つほうとしてはたまらない。
それにこれだけコントロールのいいところを見せ付けると、審判のストライクゾーンも自然と広がっていってしまう。
あるいは逆なのか。
審判の取りやすいストライクゾーンを、あえて狙ってきているのか。
どちらにしろさっさとプロに行けと言いたくなるピッチャーなのだが、そのプロの代表相手にも、普通にノーヒットノーラン、実際にはパーフェクトを達成している。
天才とかではなく、まるで突然変異。
技巧派であるのは間違いないが、その技術はどこまでのことが可能なのか。
さっきは当てられたから、今度は球速を2kmほど上げてみる。
すると今度はちゃんと、三振を奪えた。
そんな微妙なことをして楽しむのが、本日の直史である。
コントロールするのはコースだけではない。
球速や変化量も操作してこそ、本当の技巧派と言えよう。
九回の立政の攻撃も、もはやツーアウト。
ラストバッターには代打を送ってくるが、前の二人の代打が凡退しているので、あまり意味はないだろう。
ただしあまり細かすぎる技術を使うと、むしろあまり通じないこともある。
大きく鋭い変化球で、さっさと勝負を決めてしまおう。
ストレートをわずかに外して手を出させるのに成功した。
次にはツーシームを懐に投げて、かろうじて当てさせてファール。
最後にはチェンジアップで空振りを取って、試合終了。
合計97球、16奪三振で、完全試合達成である。
直史は間違いなく化け物の一種であるが、実はリーグ戦においては、二試合連続の完全試合はしたことがなかった。
だがこれで、連続完全試合記録などという、すさまじいことに挑戦する権利を得たと言っていいのではなかろうか。
ほとんどボールの飛んでこなかった外野陣を中心に、味方からさえ生暖かい視線を向けられる。
本人としては三振を取るために、必要以上に球数を使ってしまったという気がしないでもない。
相棒の樋口からすると、相手のバッターとの技量差がありすぎる。
初柴の他にも、スカウトから注目されている選手はいたのだが。
相手チームのベンチもスタンドも、お通夜状態になるのは見慣れたものだ。
もっとも味方のベンチからも、畏怖するような視線を向けられたりはしているのだが。
(こうなったらパーフェクト記録、どこまで続くかためしてみるか)
樋口としても自分のリードに従って、全くミスなく投げるピッチャーというのは、自分が直接投げているような気もしてくる。
そんな注目の的である直史は、とりあえずほっとしていた。
ランナーを出しても点さえ取られなければ、問題にはならない。
そうは思ってもやはり、パーフェクトで抑えてしまったほうが、気分的には楽になる。
普通なら達成においてプレッシャーがかかるものだが、もはやこれは日常的な成績なのだ。
三年の秋、直史にとってはおそらく、全力で挑める最後のリーグ戦。
頭のおかしな記録は、ずっと続いていきそうである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます