第177話 白富東閥
早稲谷大学には北村以降、白富東の主力級選手が入ることが多い。
指定校推薦もあるが、自力で入ってくる者もいる。
そんな後輩たちに対し、直史はあまり面倒を見たりはしていない。
あまりにもすごすぎて声をかけにくいというのもあるが、とにかく直史は忙しすぎるのだ。
それに比べると武史は、隙の多い性格だ。
義弟である淳が話しかけるのに加えて、その同年に入学した白富東出身者は多い。
武史と同じ年には、それほど野球部に入る者は多くなかった。
だが淳の同年代には、三年の夏には四番を打っていた久留米も、実は入ってきたりしている。
他には白富東の時代から、守備職人と言われた佐伯もだ。
次の年にはもっと多くなり、キャプテンをしていた宮武に、キャッチャーの上山、そして甲子園でサヨナラを決めた石黒などだ。
元々白富東は、早慶レベルにそれなりの合格者を出す学校なのである。
すると野球部の選手の出身校は、さすがに早大付属が一番多いのだが、白富東の選手も多くなっている。
直史が四年生になる前、西郷が引退した時には、当然ながら次のキャプテンが選ばれることになる。
これは実力だけではなく、人格やキャプテンシーというものも求められる。
頭脳でチームを引っ張るなら、樋口がやれば良かっただろう。
だが樋口はあくまで参謀タイプで、全員を率いていくという人柄ではない。
結局無難なところで、早大付属から入学した、近藤がキャプテンをすることになった。
同学年の土方たちだけでなく、多くの部員と辺見からも指名されたものである。
近藤は公正な男であるし、人柄もおおらかで、さらにそれを補佐する人間も土方などがいる。
ただ、土方はチーム全体の規律を重視する。
近藤が飴で、土方が鞭のような役割なのだろうが、それとは別の軸も存在する。
それがまったり野球を楽しみたい、白富東派閥である。
いや別に白富東の出身者も、練習をサボったりするわけではないのだが。
単純に白富東の人間は、上下関係があまりないのである。
これはそもそも進学校であったことや、完全な合理主義、そして下からの意見も吸い上げるという考えから発している。
白富東では練習後の片付けも、一年生だけにやらせることなどなく、全員でやってしまう。
夏場の草むしりなども、全員で一気に終わらせてしまう。
下級生による上級生いじりもあるし、生意気な一年生は単純に、人間関係の構築が下手なのだと捉える。
現在でも野球部としては、かなり珍しい体質と言える。
単純に上下関係の厳しさは、合理的ではないと考えるのだが。
日本のスポーツの中でも、特に野球だけが異質である。
それは野球がまさに、古来から愛されてきたスポーツであるからこそ、伝統的なものが残っているのだと言える。
ただ武史などからしても、部活の中で上下関係などを、単純に年齢で判断するのは理解しがたい。
少なくともバスケにおいては、上下関係など厳しくはない。
野球と違って、チームスポーツの中でも、動きの止まらないスポーツは、ポジションに違いはあっても、必要度は同じである。
そこに変な上下関係などを持ち込むと、チームが有機的に動かない。
野球はプレイの止まる時間が頻繁に起こるというのも、この意思疎通をさほど必要としない理由になるのか。
つまるところ問題となるのは、上下関係を必要とするか否かだ。
監督の辺見としては、当然上下関係があった方がありがたい。
だが今の早稲谷には、そういったものが少なくなっているのは確かだ。
それで結果を残しているのも、新たな変革の時代になっていると考えられる。
直史ははっきり言って、特別すぎる存在だったのだ。
だがそれには及ばないが、武史も特別すぎる存在だ。
佐藤三兄弟に加えて、その後輩の白富東出身の選手たち。
そしてそれとは別だが、最近は練習試合で、かなり投げさせてもらっている星なども、考え方は白富東側だ。
もちろん樋口も、上下関係など歯牙にもかけない。
こいつは高校時代、上杉勝也にキャッチャーの立場から、色々と注文をつけていたのだ。
今の四年生は、早大付属の出身者以外は、おおよそ白富東出身の考えにまとまっている。
つまり二つの派閥が、チーム内に発生してしまっているのだ。
辺見としては頭が痛いだろうが、これは野球部を永続して変革していくチャンスでもあるのだ。
早稲谷の野球部は、古くから多くの名選手を輩出している。
だがそれを伝統と言って、何も変えていかないというのは違うだろう。
野球部内でしか通用しない常識を、伝統といっていつまでも続ける。
そんなことをやっていると、野球はしたいが早稲谷には行きたくない、という人間を増やすだろう。
そもそも早稲谷の、新入生にしか入部を認めておらず、途中入部不可というのも、随分と傲慢なものだと言える。
六大学の中では、慶応と帝都が、部内の改革に大きく手をかけている。
今の早稲谷が強いのは、はっきり言って個人の力に頼っているからである。
ブランド力で選手は集められるかもしれないが、本当に野球で将来を考えている者は、他の合理的な大学に進学してしまうだろう。
事実今の早稲谷には、三年生以下でしっかりプロを意識している者は、武史と淳ぐらいしかいない。
他にプロのスカウトの目に、とどまる者はいないのだ。
早稲谷の暗黒時代。
ピッチャーに武史と淳がいる間は、おそらく大丈夫であろう。
だがその内の一人が欠けてしまったら、あるいは普通に卒業してしまったらどうなるのか。
選手にとって魅力的な要素を持たないと、チームは強くならない。
今でもプロを目指すなら、東亜大学や東名大学などを目指した方が、指名される者は多いとさえ言われる。
そんな背景はあるのだが、土方はしっかりと部内の規律を正していく。
ただしピッチャー陣が全員、白富東派閥に入ってしまっているのは痛い。
もっとも淳などは、どちらに入ってもいい考えでいるのだが。
リーグ戦でもそれなりに投げているし、練習時代ならもう何度も完投経験もある。
そしておそらく、自分はプロでも通用すると、確信を持ててきた淳である。
そんな彼にとって一番重要なのは、怪我をしないことだ。
直史と樋口が目を光らせていると、怪我の兆候が見られるものは、すぐに練習から外される。
だが土方にはそういった視点はない。
直史と樋口は、本人としてはあまりそんなつもりはないのだろうが、全体に目を向けるのに向いている。
樋口としては正捕手として、チーム事情をしっかりと把握しておく必要がある。
直史がそういうことに目が向くのは、観察しているからだ。
誰かの動きを、自分の中に取り入れられないかという観察。
それはもう、野球からは離れると決めている人間としては、あまりにもリソースを割いている部分だと思うが。
直史はもう、どれだけ力を入れずに、それだけ全力に近いボールを投げるかという、そういうことを考えて投げている。
短い時間での練習は、技術の維持を確認するために使っている。
だが短時間の間でも、しっかりと肉体の性能も維持している。
まだ寮にいる直史は、寝る前には柔軟やストレッチなどをしている。
これは別にトレーニングでもなんでもなく、単なる健康法の一つである。
体を適度に動かすことは、頭の働きにもいい効果がある。
こういったことを特別なことだと考えず、生活習慣の中に組み込んでしまうからこそ、直史は能力を維持できているのだ。
わずかに筋肉に負荷をかける、ウエイトトレーニング。
直史は現代では必須と言われているこれを、本当にやらない。
小さな負荷で体を動かす、インナーマッスルは鍛えていくのだが。
そして重要なのは、体幹トレーニングと、体軸の意地である。
筋肉をつけるよりも、体のバランスを維持することの方が、よほど大事なのだ。
自分のことを考えていることが、自然とチーム全体のためにもなる。
土方は確かに口やかましいが、ただ言葉で言われるのではなく、自分がやっているところを見せるのが、後輩たちにはいい見本になるだろう。
派閥の筆頭と見られながらも、直史は普通にそんなアドバイスをする。
プロ志望の土方と違って、直史はもう、気分よく野球を出来たらそれでいいのだ。
土方も目的と手段を間違う人間ではない。
それに近藤は確かに、自分の姿で後輩たちを導いている。
直史が練習やトレーニングの、適切なやり方を口にするのは、他の誰よりも説得力がある。
その残した実績は、大学野球のみならず、純粋に日本野球史をひも解いても、匹敵する者はいないだろう。
技術は卓越しているが、身体能力は柔軟性とバランス感覚を除けば、近藤や土方よりも低い。
野球は技術でやるスポーツである。
圧倒的なフィジカルや、ましてや精神論でどうにかなるスポーツではない。
現実的にはフィジカル強化は、もちろん必要なことではあるはずだ。
だがその頂点に立つ人間が、違うトレーニングをして結果を出しているのだ。
伝統だのなんだの、あとはフィジカル重視だのと言うのは、思考停止である。
必要なのは、各選手の将来を見通して、どういった練習を行えばいいのかを考えることだ。
体格、能力、ポジションによって、鍛え方は変わるはずなのだ。
大学に来てまで野球をやるのだから、それぐらい高度なことはすべきではないか。
フィジカルは重要だが、全てではない。
単純に筋力が、ピッチングにもバッティングにも出るのだとしたら、直史も、それに大介も、出している結果がおかしいではないか。
大介は純粋に、体が小さい。だが残している結果は、他のどのデカブツよりもすさまじい。
ピッチャーに関しては上杉という存在がいるが、成績だけを見れば上杉よりも直史の方が優れている。
白富東派閥というのは、ようするにどこまで、合理的に効率的に、体と技術を鍛えていくかというものなのだ。
高校時代に自分で考えて野球をしてきた者は、もう盲目的な練習内容には戻れない。
まして淳などは明確に、プロを目指して鍛えている。
試合に出たとしても、投げすぎだと思ったら自らマウンドを降りるだろう。
それを根性が足りないとか言うのかもしれないが、日本以外では通用しない考えである。
気合や根性といった精神論は、直史も樋口も好まない。
精神論は技術論を極めていった、その先に自然に存在すると考えているからだ。
実際に直史は、確かにテクニックも優れているが、ぶっ倒れるまで投げ続けるのは、明らかにメンタルだ。
そしてどんなピンチにおいても、絶対に崩れずに相手を封じるのもメンタルだ。
前近代的なメンタルの鍛え方を、直史は嫌悪する。
科学的でなければ、それは鍛えているとは言えない。
まあ生き死にがかかっている軍隊などでは、訓練などでふるい落とすことを、考えてもいいだろう。
だが野球においては、試合に負けても死なない。
点を取られても、点を取れなくても、死なないのだ。
あくまでも人生を彩るための娯楽。
もちろんプロが、過酷なトレーニングをして、それを発揮することは分かる。
だがアマチュアの時点では、壊れないことを一番に考えなければいけない。
「しかしまあ、派閥なんておかしなもの、なんで出てきたのやら」
「せごどんがいる間は、やっぱりあの重しが大きかったんだな」
白富東閥の中でも、中心と言われる黄金バッテリーは、練習後のクールダウンを行いながら、そんな会話をしたりする。
「やっぱり軍隊教育の名残が、残ってるのが大きいんだろうな」
直史はそういうが、彼自身はそういった環境には一度も置かれたことはなかった。
中学時代も、勝てない野球をやらされはしたが、野球を嫌いになることはなかった。
今思えばあれも、悪いことばかりではなかったのだと思う。
野球人口が減って、そして改革が必要となった。
その時に現れたスーパースターが、上杉勝也である。
野球人口が再び増加に転じることになったが、決定的だったのは白富東というチームの存在だと思う。
平日は長くても二時間半、休日は必ずどちらかは全休。
そういった環境でしっかりと結果をのこしてきたことが、野球の練習環境の改革につながっている。
明倫館や瑞雲、水戸学舎といったところも、その内容は白富東に近いのだ。
ID野球と言われるものがあるが、試合以前の段階から、野球は頭脳でするスポーツになってきた。
そして頭脳という点なら、直史も樋口も傑出したものがある。
直史は四年生になれば、野球部に顔を出すことも減るだろう。
だが樋口がコントロールしている限り、早稲谷がおかしくなることはないと確信できる。
本当の意味で頭を使うというのは、試合でだけで使うのではない。
戦争において必要なのは、最前線で戦うことよりも、むしろ兵站をどうするかを考えるのに似ている。
かつての前近代的な野球なら、気合と根性でどうにかなったのかもしれない。
だが今では気合や根性でさえ、数値化される時代である。
これに合わせていけなければ、試合に勝てなくなるのも当たり前のことなのだ。
二つの価値観が、いや、一つの価値観の二面性が、野球部の中には存在している。
そしてこんなめんどくさい環境の中で、直史の最後の一年が、始まろうとしていた。
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