第176話 佐藤家の正月
去年の佐藤家のツインズは、芸能活動をまた新たな局面に移すこととなった。
これまでの二人は、イリヤの作った曲を歌う、人型楽器であったと言っていい。
その二人とイリヤに、他の芸能事務所も関わった、音楽ユニットの話がやってきたのだ。
「わざわざ事務所をまたいで行うこと?」
それが二人の担当マネージャーの言葉であったが、なんでもボーカルとベースが禁止薬物で警察沙汰となり、バンドが解散。
ドラムとギターの二人だけが浮いて、代わりのメンバーを探していたのだとか。
「そんなのもう潰したらいいのに」
マネージャーはそう言うが、確かに音楽業界ではそちらが普通である。
ただ残ったドラムとギターが女の子であったため、ガールズバンドとして立ち上げられないかと、考えてきたらしい。
ガールズバンドで成功した例など、どれだけ昔のことになるやら。
アニメのガールズバンドが、一番最後に人気があった存在ではなかろうか、などという暴論も出てくる。
なにしろガールズバンドは、ある程度のアイドル性も出てくるため、取り扱いが難しい。
ただギターの子がやたらに上手いので、このまま潰すのには惜しいという気持ちがあるらしい。
そんなことを言われても、こちらはイリヤ単体だけで、どうにでも売ることが出来るのだ。
しかしそれは逆に、イリヤがやってみたいと思ったら、成立してしまうということでもある。
「まあ確かに、サキたちはどっちも、ベース弾けるのよね?」
「練習すれば」
そしてあっさり、技巧的にはそれなりのところまで弾けるようになるのがツインズなのである。
アンプごとイリヤの前に現れて、ギター演奏を聴かせるという強硬手段を取って、その関心を引いた。
ドラムの方はまあ、確かに上手いなという程度だが、高校を卒業したばかりの18歳の女の子が、そこまで弾けるというのは興味を引いたらしい。
もっともイリヤからすれば、アメリカにはもっと上手い奏者がいくらでもいたのだが。
単純に彼女がガールズバンドをやってみたかったのだろうか。
「明日美も引っ張ってきたら面白いかもね」
そうイリヤは言ったが、明日美は現在主に、女優業をしている。
大学に通いながらドラマ出演など、かなり無茶なスケジュールを組んでいる。
好き放題に生きているツインズや、学校などの縛りから抜け出たイリヤとは違うのだ。
そもそも明日美は確かに華があるが、歌唱力自体は並である。
ドラムにギター、キーボードと揃ったところで、欲しいのはもちろんベースである。
そしてベースは、ツインズが練習すればそれなりにはあっさり形になるのだ。
「弦が少ない分、ギターより簡単だし」
全国のベーシストの皆さんに、殺されそうなことを言うツインズである。
そんなわけでツインズは、またも紅白歌合戦に出ているわけである。
そしてそれが終われば、実家に戻ってきて正月だ。
親戚一同が集まって、子供たちはお年玉を集めまくる。
どうにかした方がいいんじゃないかという風習であるが、これもまた商業主義の結果。
より金銭の使い方を知らない子供に、安易に金を使わせようというものだ。
大学入学以降、直史は無償の奨学金という形で、実質金を稼いでいる。
なのでもうお年玉をもらう立場ではない。
ただ就職もしていないので、あげる立場でもない。
金銭的なことを考えると、やはり野球はやっていた良かった。
そう思う直史は、三が日が終わればようやく体が空く。
それから改めて、瑞希の家に向かう。
瑞希の両親に挨拶をした上で、今後の話などもする。
「直史君は、本当にそれでいいのかね?」
瑞希の父は一応元高校球児である。
それでなくとも千葉にはプロ球団があるため、仕事先に野球好きは多かったりする。
もうほとんど既定路線のように、直史は瑞希と結婚するらしい。
そして二人で事務所を継いでくれるつもりのようで、確かにそれは嬉しいのだ。
直史が本気で弁護士になって、野球は趣味でとどめるつもりだというのも、言動を見ていれば分かる。
ただ、弁護士という職業は、法律を司る存在であるが、実際は人間社会の人間関係に大きく関わる職業である。
人に寄り添うことは必要だが、共感してしまっていても仕事にならない。
そのあたり確かに、直史はドライでいるような気がするのだ。弁護士には必要な資質である。
偽りのない現実を見ているだけに、むしろ野球選手のような、虚業と言われてもおかしくないものに、価値を感じる。
直史ぐらい頭が良ければ、一度プロに挑戦してみて、そこから引退して弁護士を目指しても、それなりに上手く弁護士になれるのではないかとも思うのだ。
だがそれを瑞希に言うと、プロ野球の世界の、融通の利かなさが分かってくる。
日本のプロ野球選手は現在、全てドラフトで指名されて入団するのが原則となっている。
外国人の助っ人はまた別であるが。
そして直史がプロを志望したとしたら、どれだけの球団が競合して指名するか。
地元千葉や在京球団までならともかく、北は北海道、西は福岡まで、勤務先とも言える球団がどこになるかは分からない。
それに瑞希はこのまま大学院に進むとしたら、当然遠距離恋愛になる。
そして司法試験に合格しても、一年間は司法修習がある。
その後にも二回試験というものがあり、ここでようやく本物の法曹となるわけだ。
ここから最大限に上手くいって、三年と少し。
若い二人が離れ離れになるには長すぎる。
さらに二人は、法科大学院の二年になれば、同棲しようという話もしている。
今さら直史を疑うというか、遠ざけようなどとは、さすがに考えていない。
直史が大学の寮に無料で入っていられるのが、四年目、つまり法科大学院の一年めまでなのだ。
それが過ぎれば寮は有料になるし、あるいは他に部屋を借りることになる。
それならば二人で住んだ方が、色々と節約できて便利であろう。
既に週末は半同棲のようになっているらしいし。
いっそのこと暮らし始めた時点で、もう結婚してもいいのではとも思う。
学生結婚は経済的に難しいが、瑞希は本を出したあぶく銭を持っている。
東京に住んでも10年ぐらいは問題ない金であり、さらに追加が入ってきそうな状態であるという。
さすがに才能だけで食べていく、ライターのような仕事はしてほしくないが。
ただ瑞希は必要なことを短い文章で分かりやすく伝えることが出来る。
弁護士の中には副業として、執筆活動をしている者もいる。
事務所は地元の多くの企業と密接に関わっているので、地元の経済が崩壊しない限りは、食べていくのに問題はないと思う。
だが経済的な安定は、色々な観点からほしいものだ。
一緒に暮らし始めるのを機会に結婚。
まあごく自然なことではある。
二人は一緒にいても、勉学を疎かにしないことは、もう証明している。
あとは司法試験に合格した時か、二回試験を終えた時か、タイミングはいくつかあるだろう。
他に気になるのは、法曹となってすぐに、もう事務所の方に所属するのか。
あるいは他の事務所で、ある程度経験を積んで人脈を作るのか。
直史あたりは体力がありそうなので、修習期間に判事や検事としてスカウトされるかもしれない。
だがそれは公務員であるから、茨の道である。
それに何より、これは転勤を伴うのだ。
直史とは別に、武史は恵美理の家に挨拶に行ってきた。
恵美理の家は外国の血や風習が混ざっているので、日本とは新年の捉え方が違うらしい。
帰ってきた武史は、少し難しそうな顔をしていた。
直史が問いかけると、戸惑いながらも話し出す。
あちらの親御さんはやたらと、恵美理が一人娘であることを強調し、武史が次男であることを確認してきた。
全体的に鈍い武史であるが、なんとなくなら言いたいことが分かってくる。
「婿養子か」
そうでなくとも単純に、向こうの家に入ってくれということなのか。
別に経済的に困窮なとはしていないどころか、金持ちの恵美理の家である。
「神崎武史か。悪くないんじゃないか?」
直史はあっさりと言う。親戚に婿に入っている男性は、何人かいるのだ。
この家を継ぐのは直史がいれば充分だ。
ただ武史としては、将来のことをそこまで現実には、まだ考えられていないというのが正直なところだろう。
次にようやく大学三年生になるわけだし、順当ならプロの世界に進む。
「そういえば大介が、球団の寮から出るために結婚する人間もいるって言ってたな」
恵美理は恵美理で、その音楽の腕を活かして、ピアノ教室なりヴァイオリン教室なりを始めるなり、父親の伝手で音楽の仕事を始めるのかもしれない。
だがどちらにしろ、拠点は東京に置かなければいけない。
武史は千葉から離れることになるのだ。
血族が離散していくのは、当たり前のことだ。
佐藤家だって東北の方に、かなり大規模な親戚がいる。淳の家とは違う佐藤家だ。
広がっていく血統は、古い時代であれば、一族が絶えるのを防ぐ条件となった。
完全に連絡は断絶しているが、明治期には北海道に開拓に向かった、佐藤家の人間もいるはずなのだ。
ツインズだって同じことだ。
今は学生であるから東京にいるが、本来は大介と一緒に大阪にいたいはずなのだ。
もっとも経済基盤を作るために、片方が東京に残って、交互に大介の元へ行くのかもしれない。
あるいは大介がいずれ、アメリカに行くことも考えているだろう。
イリヤと付き合っているうちに、英語はペラペラになっていた二人である。
そのイリヤは最近、アメリカと日本を行き来することが多いという。
アメリカに行くとして、ツインズは当然それについていくだろうし、イリヤも元々、拠点はアメリカなのである。
彼女が日本と言う小さな音楽マーケットに関わっているのは、世界的に見れば人的資源の無駄である。
大介の事実上の重婚状態というのは、まだしもアメリカの方が受け入れられるような気がする。
そして向こうで子供が生まれたら、アメリカの国籍を取ることが出来る。
大介は英語など全く喋れないが、それは慣れというものである。
いずれは日本へ戻ってくるのか、それともアメリカに骨をうずめるのかも、まだまだ未来のことで何も分からない。
今年の大介は、正月にこちらに戻ってはきたものの、一緒にトレーニングをしようとは言ってこなかった。
直史が忙しいということもあったが、西郷がライガースに入ったのが大きいのだろう。
まあもう少ししたら、野球しようぜと誘いに来るかもしれない。
その時にそんな状態にあるかどうかは、直史にも分からないが。
冬休みを終えた直史は東京に戻ったが、大学の練習に参加するよりは、セイバーの紹介のセンターで投げたり鍛えたりすることの方が多い。
大学の機材などよりもさらに、こちらの方がフォームやボールの分析を、しっかりとしてくれるからだ。
直史は基本的に、体の出力をこれ以上大きくしようとは思わない。
だが今の能力は保っていたいと思う。
ストレートの球速、回転軸、スピン量の調整。
下半身を柔らかく使うことによって、よりホップする軌道にストレートを乗せることが出来る。
一緒に練習するのは武史ではなく、淳であることが多い。
左のアンダースローの数値が手に入るのは、さすがに世界的に見ても珍しい。
ボールの軌道がオーバースローはもちろん、サイドスローと比べてさえ違うので、それほどの球速がなくてもバッターを打ち取れる。
実際に練習試合などでは、強豪の大学の一軍を相手に、充分に抑えているのだ。
直史と武史が化け物過ぎるだけで、淳のピッチングのレベルも、どんどんと成長してきている。
高校時代以上に野球漬けになることが出来る淳は、筋力増強に努めている。
ただしアンダースローと言うのは、単純に筋肉をつければいいというものではない。
下半身の安定と、そして柔軟性が必要だ。
力を入れるだけでは、体のありこちが故障する可能性がある。
人間の骨格は、野球のアンダースローから、強力なボールを投げるようには出来ていないのだ。
もっともオーバーハンドなども、純粋にはあまり最適な投げ方ではない。
試しにオーバースローで投げてみると、淳の球速は140kmを超える。
なんならこのまま、オーバースローとアンダースローをサイドスローまで混ぜて投げるピッチングスタイルを確立したら面白い。
実際のところ直史は、高校時代は相手の目先を変えるため、そういったピッチングをしていた時期もあった。
ただそれよりも、一番向いているであろうスリークォーターの精度を、高めていく方向にシフトしていったのだが。
化け物すぎる、と淳は直史のピッチングを見ていてそう思う。
他の誰にも、同じことは出来ない。
これだけの能力があれば、自分はためらいなく高校卒業の時点で、プロの道へと飛び込んだだろう。
大学でみっちりと鍛えても、高校時代の直史に届くとは思えない。
大学のチームは冬の間、遠征合宿を行う。
だが当然のように、直史はそれに同行しない。
もうどれだけ身近で、このピッチングを見ることが出来るのか。
淳は身内であるが、それでも直史の才能を惜しいと思う。
本人はこれは才能ではないと言うかもしれないが、衆に傑出した能力というのは、どうせ才能に分類されるべきものなのだ。
冬はまだまだ続いていく。
そしてその中で直史は、どんどんと野球からは離れていく。
そのくせピッチングの精妙さは失わないまま。
残り一年。
レベルの高い野球が出来るのは、残り一年だけ。
その後に直史の未来が、どのように広がっているのか。
日本のみならず世界の各所で、それに注目している者たちがいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます