第110話 舐める

 常識的に、あくまでも一般的な常識的に考えた場合、プロと大学、どちらが先攻を取るべきだろうか。

 リードしたまま終われば、九回の裏は存在しないことになる。

 ならば得点力がプロよりは劣るはずの大学選抜に、最後九回の裏まで、経験を積ませてやるのがいいだろう。

 そういうわけで、一試合目は代表側が先攻を取っているため、とんでもない事態になっている。


 一回の表、日本代表の先頭バッターは白石大介。

 いきなり先取点のチャンスである。


(これはあいつの考えたことだろうな)

 直史はあっさりと冷静になった。

 大介なら、これぐらいのことは考える。

 おそらく大学選抜内での、紅白戦の結果も知っているのだろう。

 だから、一番パーフェクトを防げる可能性が高い自分を、一番にするように言った。


 無茶苦茶である。

 さすがの直史も、プロの中でもトップレベルの選手が揃う中で、パーフェクトを狙ったりはしない。

 辺見との約束は、一点を取られるまでは代えないというものだ。

 だからヒットまでなら打たれても、別にそれはいいのだ。


 だが、大介か。

 ノーアウトで迎えるのは、一番嫌なバッターである。

 一人で点を取れる長打力があり、そして塁に出たら盗塁を決めてくる足もある。

 もっともこちらも樋口の肩と直史のクイックを考えれば、そう簡単に走られるとは思わないが。

「白石か……。どうする? 先頭打者で来るパターンは、さすがに考えてないぞ。試合が進んでない、全く動きのない状態でこれは、流れもクソもない」

 樋口が苦々しい声で言うが、直史としても想定外だ。

 だが想定外でも、対処出来ないということはないだろう。


 大介を抑えるためには、他のバッターへの撒き餌も必要だと考えていた。

 そう、『白石大介』を抑えるために、他のバッターにわざと打たれたりなど、そういう手段まで考えていたのだ。

 しかし、先頭打者で大介。

 おそらくホームラン以外の何も狙っていない。

「ものすごく頭は悪いけど、かなり有効な手段かな」

 直史はそう言わざるをえない。




 野球には流れや勢いといったものがある。

 それを制圧する力があるのが、エースと言われるようなピッチャーだと直史は思う。

 だがこの打順には、流れも勢いもない。

 いきなり最初に、原爆が落ちて終わりだ。情緒もへったくれもない。


 大介にしても、果たしてどれだけ、この作戦が有効か、論理立てて説明は出来ないのではないだろうか。

 だが直史には、これが試合の支配権を握る、かなり有効な手段だと分かる。


 野球はピッチャーが投げないと、プレイが始まらないスポーツだと思っていた。

 だがスタメンが発表されて早々に、大観衆はヒートアップしている。 

 これこそまさに奇襲だろう。

「いっそのこと歩かせるか?」

「それもいい考えだとは思うんだが、それをするとダブルプレイで処理しない限り、最終回にもう一度大介に回る」

 別にその後をパーフェクトに抑えられるとも思わないが、可能性は0.1%ずつでも減らしていきたいのだ。


 ただ、敬遠はない。

 結果的にボール球を振らせることに失敗するかもしれないが、最初から逃げるという選択肢はない。

 目的が一番最初にあるのだから、ここで避けては意味がない。


 何を投げれば打たれないかを考えるが、外に大きく外す以外は、何を投げても打たれそうな気もする。

 だがそれでも、初対決はピッチャーが有利。

 高校時代の直史のイメージが残っているなら、むしろそれを利用して対処することも可能だ。

「大胆にリードするしかないか」

 樋口が呟き、そして試合が始まる。




 まず大前提として、大学選抜とプロ選抜、原理的にどちらの方が強くなりやすいか。

 おそらくは毎年オールスターをやっている、プロの方であろう。

 だがそんな多少の理屈は全てぶち破って、一番ショート白石である。


 お互いの練習時間も、観察はしていた。

 直史はキャッチボールとストレートで肩を作ったが、球筋を見られるのを嫌って、最近有効なボールは試していない。

 マウンドに登る直史。

 そして大介が、バッターボックスに入る。

 プレイボールだ。


 初球をどう入るか。

 大介相手では、これも難しい問題だ。

 外に外して様子を見るというのは愚策である。

 その初球は大介は、プロでは散々にされてきたはずだ。

 単にボールカウントを悪くするだけなので、何も意味がない。


 初球はゾーンに入れる。あるいは、空振りを取れるボールを投げる。

 当初予定では縦に大きく割れる、スローカーブを第一候補に考えていたのだが。

 その大きなカーブをストライクに取ってもらえるのか。

 それらも考えて、初球は決まる。


 力感のない佇まいから、すっと足が上がって、そこから捻りを加えていく。

 タイミング的にはクイックに近いスピードなのだが、やや体の捻りはトルネード気味でもある。

 これが今の直史の、ややクセのある投球フォーム。

 捻りがあるというフォームなので、速球系かと考える。

 あるいはそれをも錯覚させた、チェンジアップか。


 初球。

 ストレートだ。大介はスイング。

 バットの上に当たって、真後ろに飛んでいった。

 おそらく可能性は一番低いであったろうはずなのに、そして高めにそれなりに外れていたのに、タイミングはばっちりだった。

「152かよ。なんかもっと速く感じるな」

 高めに外したから、それだけ回転数を増やすことが出来た。

 それだけ伸びたボールだったのに、しっかりと当ててきた。

 樋口としては、やはり規格外のバッターと思うだけである。


 ただ、これは想像の範囲内。

 大介は高めに外れても打ってしまうが、初球にストレートであれば、その外れ方も球筋から見極められないと判断したのだ。

 一番いいのはこれを打たせて、高く上がるフライにしてしまうことだった。

 だが直史のボールが思ったよりも伸びたので、ファールにしかならなかったのは惜しかった。

「樋口、お前にも借りがあったよな」

「バッターが呟き戦術か」

 樋口はそれだけの反応をして、あとは無視する。

 大介もバッターボックスの中でバットを回して、すぐに直史へと集中する。


 ストレートに強い大介に甘めの高いストレートと見せて、高すぎるストレートを投げた。

 これがスタンドまで届かないフライであったなら一番良かったのだが、ボールの下を打ってしまったということは、直史の球威が大介の予想より上ということでもある。

(二球目はカーブを)

(二球目はカーブだろ)

 緩急的に考えて、ストレートとの対比も考えて、樋口は分かっていても打てないと思うし、大介は確信を持って振っていく。


 だが、直史は首を横に振る。

 カーブは狙われている。

 そして狙われたら打たれる。どの種類のカーブでも。

(スルーを使うか? いや、それなら……)

 次のサインには頷いて、第二球。

 内角ベルト高から、高速で落ちるスプリット。

 それがわずかに斜めに変化して、大介はどうにかバットの根元でカットした。

 下手をしたら内野ゴロで終わっているボールであった。




 二球で追い込んだ。

 ただどちらの球にも、完全に速度的には対応できている。

 三球目で勝負してくるか、それとも次で決めるために視線を誘導するか。

 樋口としては、直史が無駄な釣り球や見せ球を投げたくないのは知っている。

 だがこの場合、下手に三球目で思考を誘導してしまうと、相手に材料を与えてしまうことになる。


 読み合いと言うよりは、ほとんど賭けに近い。

 ただ、意表を突く球ではあるだろう。

 事前に考えていた配球に、直史も頷く。


 全く変わらないフォームから投げられた第三球。

(ストレート!?)

 高めだが、これはゾーンに入っているか。

 打てると思ったスイングはわずかに球にかすりはしたものの、そのまま樋口のミットに収まった。

 三球三振である。




 まずは一息。

 変化球ではなく、ストレートで大介から三振を奪った。

 球速は151kmと、むしろ初球よりはわずかに遅い。


 どういう結果が出るかは、バッテリーも分かっていなかった。

 だが結果としては、大介は対応し切れなかった。

 リリースポイントをやや移動して、角度をやや変えた。

 球速はほぼそのままに、ホップ成分を増やしたストレート。

 これでまずは第一打席を三振に取った。


 年間に30回しか三振しないバッターから、三振を奪ったのだ。

 初見はピッチャー有利とは言え、大介の大好物のストレートで。

 ファールチップで良かった。想定ではフライになると思っていたのだ。


 つまり大介は、直史の成長曲線を、実際よりも低めに見誤っていた。

 あそこまでストレートに伸びがあるとは、思っていなかったわけである。

 しかし一人のバッターに三球投げただけで、ここまで消耗するとは。

(二番も織田さんなんだよな)

 高校時代直史が対決した中では、一番注意したバッターである。

 結果的には完全に勝利したが、その実力は認めている。

 素晴らしい守備範囲と肩を持つ、高打率の俊足打者。

 本来ならこの人が一番バッターなのだろう。


 ここからは配球は全て樋口に任せる。

 大介以外に頭を使うのは最低限でいたい。




 織田に対しては初級カーブから入った。

 落差の大きなカーブを織田は見送ったが、ストライクである。

 高いところからあれほど下に落ちてくるなど、やはり変化量はカーブが一番大きい。

 二球目はチェンジアップで、緩急差から速いボールを待っていた織田は体勢が泳ぐ。

 そのまま無理に当てようとはせず空振りして、あっさりとツーストライク。


 三球目は振ってくれた儲け物の、高速シンカー。

 これは見極められたが、ここであれを使う。

 低めにわずかに外れるスルー。

 織田のバットの下を潜り、樋口のミットに収まる。


 三番、本来なら大介が入るであった打順に、埼玉の強打者が入る。

 トリプルスリーも達成したことのある、強打者にして巧打者。

 27歳の最盛期にあるこの選手は、一球は外に逃げる変化球を使ったのだが、それなりに際どいところなのに振ってこなかった。

(嫌になるな)

 リードをしながらも樋口は溜め息をつきたくなる。

 プロはこんなに簡単に、ボール球を見極めてくるのか。

 もちろんここにいるのは、プロでも特に上位の、絶対的な才能と実力を持つ選手ばかりだ。

 しかし、ここでも決め球として使ったのはストレート。

 これを打たれたがショートフライで、まず初回は三人で切れた。




 三者凡退の直史は、調子は完全なものである。

 ただ織田の選球眼は確かであったし、無理に当てて内野ゴロになどしない。

 最後の打者も空振りが取れるかと思ったストレートを、確実に当ててきた。

 さすがは大学と違いプロと言うべきか、選手のスキルがそれぞれ、大学のバッターよりもワンランク上である。


「よくやったな」

 選手を誉めないわけではないが、直史を誉めることはあまりない辺見が、珍しく誉めてくる。

「一応想定内でしたけど、本当に想定のギリギリでしたね」

 樋口の報告に、辺見は頷く。プロとはそういうものだ。

「しかし三人で抑えた」

「肉体的なスタミナじゃなく、精神的な集中力が、最後まであるかが問題ですね」

 直史は氷砂糖を舐める。

 樋口の言う通り頭を使ったので、糖分の補給である。


 DHがあるので打席に立つこともなく、ピッチングに集中出来る。

 糖分も補給する。球数はわずかに11球で、ペースとしてはいい。

(壮行試合だから、わざわざ球数を投げさせて、消耗させることなんて考えないだろうし)

 そこが実戦と違い、直史にとって有利な点だと樋口は考える。


 ある程度抜いて投げても、一点ぐらいの失点で、九回を投げられるとは思う。

 しかし辺見との約束は、一点までである。

 別に意地悪なわけではなく、他のピッチャーにも機会を与えないといけないのだ。

 そんな他のピッチャーへの経験を奪っているという点で、直史は我儘なのである。

 だが、結果を出すことでそれを正当化する。


 相手のピッチャーは、先発が大京レックスのエース東条。

 日本人でも数人しかいない、160kmを投げられるピッチャーだ。

 打線の援護が少なく、あとキャッチャーのリードが微妙なので、本当のトップレベルに比べると各種成績は劣るが、樋口からするともっと評価されていいピッチャーである。


 ただ今回警戒すべきは、キャッチャーの方である。

 北海道ウォリアーズの若き正捕手山下。

 私生活においては変態に近い変人などと言われたりするが、二年目から正捕手の座をつかんだ、若手ではナンバーワンのキャッチャーである。




 リードが優れていたとか以前に、球速に押されて大学選抜も三者凡退。しかも三者三振である。

 大学トップレベルなど、プロのトップレベルの前では赤子同然とでも言いたいのか、あっさりと三振を奪うストレート。

 160kmを普通に初回から出してくるので、もちろん甘く見るなど出来ない。

「う~ん」

 樋口はこのピッチャーの攻略も考えたいのだが、プロ側はピッチャーが多いので継投させていくはずだ。

 なのでほとんど初見で、当たっていくしかない。


 ただ若手を集めた今年のWBCは、樋口の対戦したことのあるピッチャーもそれなりにいる。

 上杉勝也は別格だとしても、三年間バッテリーを組んだ上杉正也も参加しているのだ。

 正也もまだ高卒で二年を過ごしただけだというのに、同期のピッチャーの中では、北海道の島と同じぐらいにトップレベルの成績を残している。

 この二人が高校時代は、両方とも公立校に通っていたというのが、今から見てみると面白い。


 ただキャッチャーとしては、面白がっているばかりではいけない。

 今日は下位打線に置かれているので、ピッチャーの直史を最大限にリードしなければいけない。

 そして初回を三者凡退に抑えたのだから、二回は当然四番打者から。


 福岡コンコルズの南波は、去年外国人バッターを抑えて、パのホームラン王に輝いている。

 一番大介と同じことで、この回先頭になったこのバッターもホームランを狙ってくるだろう。

(白石に比べれば、そりゃ相対的には楽なんだろうケドさ)

 自分も氷砂糖を舐めようと考える樋口であった。


×××


※ 昨日群雄伝を投下しています。

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