第202話 ドラフトの主人公

 ドラフト会議までには、高校生と大学生は、プロ志望届を出す。

 これを出さなければ球団の方も指名は出来ないわけで、おかげで昔に比べると、ずっと平和なドラフトになったものである。

 強行指名のあった頃は、本当にとんでもないことが起こったものだ。

 選手を取るためには純粋に契約金と年俸だけでなく、その選手の周りにも金を使って、どこどこ以外は行かないだとか、進学を決めていた高校生を家族ごと面倒見るとか、そういう時代もあったのだ。

 さらに言えば逆指名時代は、一人の選手に10億の金が動いたとも言われている。

 実際には10億どころではない金が動いたものであったとも言われている。


 そんなドラフト会議であるが、注目される選手はやはりいる。

 高校生では夏の甲子園でユーキと投げ合った蓮池が、ピッチャーとしてだけではなくバッティングでも、高い評価を得ている。

 150km台半ばのストレートに、左右に鋭く曲がる球があれば、プロでも通用するという評判だ。

 ただ不安なのは夏の大会で肩を痛めていると言われていることで、確かに準々決勝では精彩を欠いて途中で交代となった。

 ただスペックと伸び代ならば、間違いなく一位だ。

 ホームランもボコスカ打っていたので、ピッチャーでなくても通用されると思っている。


 バッターとしては法教大の谷や、畿内大の近衛が注目株か。

 即戦力級のバッティングと言われているが、両者共に佐藤兄弟に完全に抑えられた。

 もっとも直史と武史が抑えていない選手などほぼいないのだが。

 谷は武史からホームランを打ったが、武史は大学入学以来、二本しかホームランを打たれていないので、その点でも大したバッターである。

 

 畿内大の近衛はリーグ戦での成績が圧倒的であったため、そこが評価されている。

 直史には完全に抑えられていたが。

 秋のリーグ戦があと一試合。そして神宮大会があるが、結局直史はその大学生活において、一度もホームランを打たれることなく終わりそうである。

 つまり最大の目玉になるべき選手であるのだが、志望届を出さなかった。

 最後まで待っていた者もいたが、今さら考えが変わるはずもない。


 そして樋口である。

 六大学のリーグ戦において、三年からはホームランを打ち出して、四年になってからの春のリーグでは首位打者を取っている。

 バッティングも注目するべきであったが、とにかく彼は直史に武史、そして淳の三人の違ったタイプのピッチャーの球を受け、そしてチームを優勝に導いてきていた。

 もちろんピッチャーの性能が良すぎるということはあるが、それは高校時代から変わらない。

 国際試合の経験も豊富であり、何より勝負強いところが評価されている。


 高校二年生の夏、準決勝で四連覇を狙う大阪光陰を撃破し、決勝にまで勝ち進んだ白富東。

 九回の裏からの逆転サヨナラホームランで、新潟に初めての優勝旗をもたらしたのは、上杉正也と樋口のバッテリーであることは間違いないのだ。

 そして大学に入ってからも、直史が0に抑えていながら点が入らない時は、だいたい樋口が打って試合を決めていた。

 決定力では同学年の近藤はおろか、一つ上の西郷や、あるいは大介よりも決定的な一打を放っているかもしれない。


 本人は特にレックスかスターズを希望しており、他の地方球団なら社会人に行くとまで言っている。

 どちらか片方が一位指名してくれたら嬉しいなとは思うが、キャッチャーを一位指名するというのはなかなかの冒険である。

 ただ打力、走力、肩力、戦術理解など、完全にキャッチャーとしては優れているのは確かだ。

 打率が高い上に、長打も狙って打てる。

 本人がかなり強めに球団を指名しているが、この逆指名がどう働くか。


 他に早稲谷から志望届を出したのは、近藤、土方、村上。

 そして星である。




 正直なところ、レックスから調査書が届いただけで、指名するにも下位になるだろうと言われている。

 リーグ戦では中継ぎでいいピッチングをしていたものだが、高校時代から彼を見ていたスカウトでないと、なかなか調査書までは出さないだろう。

 ただスカウトが大田鉄也というところが、この案件を微妙なものにしている。


 星がこの件について話をしたのは、高校時代からの戦友である西でも、客観的に見てくれる樋口でもなく、直史であった。

 通用するのか、通用しないのか。

 直史なりの意見が聞きたかったわけである。

「重要なのは通用するかどうかじゃなく、自分がプロに行きたいかどうかじゃないかな」

 星が教員志望であるのは、野球部の者なら誰でも知っていることだ。

 彼は平凡な戦力しかなかった三里高校を、センバツに連れて行った国立のことを、強く尊敬している。

 国立からすれば、むしろ星がいたからこそ、甲子園を狙えたのだと言いそうであるが。


 直史の場合は、どうであるのか。

「俺はもう高校生の時から、将来像は決めてたからなあ」

 そうは言う直史であったが、考えたことがないわけではない。

「司法試験が二三年プロで遊んでからでも通るような甘い試験だったら、本当に二三年遊んでも良かったとは思う」

 直史的には、プロの契約金ぐらいはさすがに魅力的である。

 霞を食べているわけではないので、直史は金銭に対する、一般的な欲求は存在する。


 樋口もまた、進路変更した人間である。

 女のために、未来図を少し変えた。

 プロ野球で知名度を上げれば、それはプロ引退後の大きな武器となる。

 そういった計算高いところが、樋口にはあるのだ。


 つまるところは、司法試験が難しすぎたのだ。

 あるいは予備試験に大学時代に合格し、法科大学院に進まずに司法試験に通れば、少しは違った未来になったかもしれない。

 だが現実は、そこまで直史に甘くはなかった。

 グラウンドではどんな奇跡もお手の物の直史でも、こちらの世界には限界がある。

「瑠璃ちゃんはどうって?」

「どうせなら大阪に来いって言ってたけど」

 星と付き合っている水沢瑠璃は、実はライガースファンである。

 教師になるのは、教員免許を取っているため、星にはすぐになる理由はない。

「まあ強いて言うなら、支配下登録なら下位でもいいけど、育成なら行かないほうがいいっていうぐらいかな」

 育成は金銭的にも、かなり普通の指名よりも安い。

 レックスはそもそも、それほど育成に力を入れていないのだ。

「それにドラフトは指名の順番によっては、事前の約束なんて関係なく指名されないこともあるし」

 編成はピッチャーや野手など、必要とする人数を決めている。

 上位でその年の分のピッチャーを指名できれば、結局は指名されないことは考えられるのだ。


 個人的には星が、将来的に野球を教える立場になるなら、プロの世界を見ておくのは悪いことではないと思う。

 芽が出なくて数年でやめるとしても、それはいい経験になるだろう。

 直史にとっては選べない選択肢であるが。




 秋のリーグ戦の最終週、慶応との対戦前に、ドラフト会議が入っている。

 そしてここで、選手たちはその未来を決めるのだ。

 直史は自分が関係ないので、クラブハウスにも行かずに勉強をしている。

 結局プロの道へは進まないまでも、なんらかのコメントは欲しかったマスコミは、その時点でも拍子抜けである。


 ドラフト会議が始まる。

 メインとなるのは四人までだが、それをほげ~と見つめているのは武史たち下級生だ。

 来年は自分があそこに座るのかと考えていると、不思議な感触もある。


 去年は野手は西郷と悟に指名が集まり、他にはピッチャーの一本釣りが多かった。

(今年は高卒の蓮池、あとは大学からだと、近衛とか谷が即戦力かな)

 のんびりと指名を待っていた樋口であるが、いざ夕方からそれが始まると、予想外のことが起こった。

 蓮池は故障の話が響いたのか、一球団が一本釣り。

 そして樋口に対して、四球団の一位指名が集まったのである。


 関東以外は社会人と言っていたのに、東北ファルコンズも含めたの四球団の競合となったのである。

 あそこまで言っていたのに、特に東北はなんでだと、頭の中で思考を回す。

 現在の東北ファルコンズは、打力が足りていない。

 それに正捕手の年齢が40歳を超えていて、確かにもう新しい捕手がほしかったのだろう。

 打てる捕手ということで、樋口をほしがるのはおかしくない。

 それに仙台であれば、東京までそこそこ近いという考えでもあるのか。

 樋口が問題としているのは、そういうところではないのだが。


 また他の場合は、その攻撃スタイルに、走れるキャッチャーである樋口が合うと思ったのか。

 確かに関東圏だけに、第二志望的に樋口も許容出来る。

 まあここに決まってもいいかな、と思えなくはない。

 ただぶっちゃけると選手の待遇、あとは年俸がちゃんと増えていくのか、不安なところはある。


 レックスとスターズは、まあ期待通りと言える。

 つまり希望する範囲は、四分の三。

 勝ち目の薄い勝負ではないが、むしろこういう時にこそ、ダイスの神様はイタズラするのだ。


 封筒を引いて、当てたのはレックスだった。

 全く予想外のところではない、計算されたような妥当な結果である。

 樋口としても安心して、深く息を吐いた。

 すると希望通りだと、来年は武史も入ってくるわけか。

 貧打のレックスであるが、投手力はさらに上がっていきそうだ。




 早稲谷の選手は無事に、様々な球団によって指名されていった。

 そしてレックスは八位で、星を指名した。

 まさかとは思っていたが、本当に指名した。

 これで早稲谷は同学年から、一気に五人をプロに送り込んだことになる。

 もちろんこれから話し合って、無事に入団にこぎつけたらという話ではあるが。


 樋口と星は、またチームメイトになる。

(俺ならこいつを活かせるな)

 そう思うと星を指名するのは、樋口の獲得が前提となっていたのだろうか。

 八位指名でも契約金はそれなりの金額になる。

 これは相当に期待されているのか、と考える樋口であった。


 樋口と星以外の三人は、近藤がスターズ、土方が北海道、村上がライガースから指名された。

 三人とも上位指名であり、特に不満がある者はいない。

 あとは契約の内容である。


 改めて、レックスかと考える樋口である。

 来年のドラフト、武史が既にレックスだけと広言しているので、それもこの樋口のドラフトに関係しているのかもしれない。

 武史にはプロのピッチャーとしては、致命的になりかねない欠点がある。

 そのあたりの調整は、樋口か直史でないと難しいだろう。


 予定していた四人に加えて、星までもが指名された五人がプロへ行く。

 これは相当に珍しいことであり、特に村上などは大学に入り、公式戦での実績が少なかった。

 全ては佐藤兄弟に吸われてしまったものだが、とにかく五人のプロ入りである。

 これは過去のドラフトの最多タイであり、早稲谷としては最多の同時指名となる。


 マスコミの合同記者会見での質問は、やはり最多四球団から指名された樋口へのものが多かった。

 しかし星の指名に対する疑問などもあった。

 調査書が届いたのはレックスだけであり、それも八位あたりでぎりぎり指名するかどうかという話だったのだ。

 レックスがあまり育成を取らないというは知っての通りであるが、最下位とはいえ支配下での指名。

 公式戦では、さほどの実績もない。


 ドラフトの指名というのは、上位でどんな選手が取れたかにより、下位での指名優先順位が変わっていく。

 全員ピッチャーでもいいという球団もあったり、バッター優先という球団もあったりするのだ。

 今年のレックスは大卒高卒社会人と、それなりに投打のバランスを取っている。

 この中に星がいるというのは、けっこう意外だと樋口でさえ思った。




 本当ならこのドラフトで、主人公にさえなれたであろう直史は、テレビのネット配信でその様子を見ていた。

 志望届を出した選手は、実は他にもいた。だが指名されたのが、事前にかなり有力と思われていた四人。

 それに星が最後に入ったのが、かなり意外ではあった。


 確かに大学のリーグ戦でも短いイニングや、練習試合ではそこそこ長いイニングも投げていた。

 だがプロの世界では、どういった使い方をするのだろうか。

 アンダースローとしては、間違いなく淳の方が優れている。

 それでもどうにか使えるから、指名されたと考えた方がいいのだろうか。

「星君と樋口君が一緒ね」

 隣に座ってテレビを見ていた瑞希も、ちょっと驚いた雰囲気である。

 星は確かに、身体能力はさほど高くない。

 しかし高校時代は中継ぎとして使われて、大学でも便利に使われて、そしてプロから指名を受けた。

 事前に聞いてはいたとはいえ、直史も意外だとは思っている。

 結局指名されないという確率が高いだろうと、西などとも一緒に話していたのだ。


 これからスカウトたちが、指名された選手の元へ挨拶に行くのだ。

 週末のリーグ戦に、果たして浮つかずにプレイすることが出来るのか。

 大学生活最後のリーグ戦が、早慶戦となる。

 直史は日曜日は予定を空けてあるが、他の曜日には用事があるのだ。


 これは、永い別れになるのかもしれない。

 武史がプロに進めば、なんだかんだ会う機会はあるかもしれないが、それでも人生の舞台が変われば、会う回数は変わるものだ。

 直史は司法試験に合格して司法修習が終われば、千葉に戻る。

 そこでは武史やツインズとも、あまり会わなくなるかもしれない。


 自分はあそこで生まれたから、あそこで死ぬのだ。

 直史が子供の頃から、ずっと考えていたことだ。

 他の人間とは、遠く離れていくことも、人生の上では仕方のないことだ。

 多くは望まない。

 もう名誉も栄光も手にしたのだ。それ以上には必要はない。


 寂しさは感じる。だがそれは進路が違う以上、当たり前のこと。

 ただ一人だけ、隣にいる人間だけは選んだ。それだけのことだ。

「有終の美を飾らないとな」

 直史は口にする。基本的には不言実行の人間が。

 アマチュア野球において永遠に残るであろう記録は、このまま持っていく。

 神宮大会で優勝するかどうかはともかく、リーグ戦では優勝しよう。

 別離の季節は、もうそこまで迫っていたのである。

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