第199話 露払い

 人間の才能には個人差がある。

 だがこの結果を、単に才能の産物と言っていいのだろうか。

 佐藤武史は考える。

 ピッチャーという生命体の究極の形は、兄の姿をしている。

 投げて、0に封じる。

 味方打線がいくら調子が悪くても、エースが相手を抑えない理由はない。

 甲子園でも援護をなしに、延長まで淡々と。

 特に二年の夏に投げた、タイブレークの条件での試合。

 本来は打たせて取るタイプの兄にとっては、あの条件はかなり厳しいはずであった。


 ランナーがいる状態で、ピッチャーに許されるのは、三振か内野フライ。

 外野フライでもタッチアップで進塁出来るし、内野ゴロでも進塁出来ることがある。

 あそこはたとえバントをしてきても空振りが取れるような、そんなボールを持っていないと負ける場面であった。


 それなのに勝ってしまう。

 魔球モドキを使う、コントロールで勝負するピッチャー。

 直史は魔法のように、アウトを積み重ねた。

 二度目は決勝戦であったため、それはより劇的であった。

 甲子園の決勝を15回まで投げてパーフェクトに封じるピッチャーなど、今後絶対に出てきたりはしない。

 それに次の日も投げて完封というところが、完全にもう高校野球神話の世界である。


 絶対の強者など、高校野球にはいない。

 だがあの年の夏の白富東には、絶対があった。

 その絶対の勢いで、翌年もどうにか二連覇出来たように思える。




 三振を奪う力は、直史よりも優れていると言われる。

 確かにそういう数字は残っているが、直史はあえて球数を減らすため、打たせて取っているのだ。

 ただ打たせるということは、アウトを取る方法をある程度はバックに任せるということ、

 それが上手く機能して、完全試合を達成する。

 投げる球数が少ないだけに、より負担が少なく調子を持続させることが出来る。


 武史も完全試合は一度達成したが、やはり基本的には、ランナーを出してもその後を全て三振で点を取られないピッチャーである。

 秋のリーグの第六戦、武史の先発前の依頼に、色々と考える樋口である。

 100球以内の球数で勝ちたい。

 武史も何度かは達成しているが、それが通常運転の直史に比べると、平均して120球の手前ほどには投げている。

 直史のスコアを見ると、球数を多く使ったら奪三振の数も増やすことが出来ている。

 三振を奪う力が足りないのではなく、奪三振の記録以上に、球数を制限させることを優先させている。


 高校時代、甲子園の準決勝と決勝で、それぞれ延長を投げた。

 特に三年生の夏は15回を投げた次の日にも九回を投げていて、最後には倒れている。

 15イニングを投げて154球の22奪三振。

 決勝にはタイブレークがないので、結局点数は入らなかった。

 次の日は九回を投げて、90球で完封。ただし明らかに七回以降は球威が落ちていた。


 プロに行けば武史は、間違いなく先発として起用されるだろう。

 レックスを志望しているというのも、あそこは監督がピッチャー出身で、そのくせ変な口出しもしないので、悪くはないと思う。

 樋口の志望する中の一つなので、またバッテリーを組むこともあるかもしれない。

 長く現役を続けるには、球数を減らすピッチングを身につけることは確かに必要だ。

 若いうちは球威を伸ばすだと言われるかもしれないが、樋口はもう上杉というその完成形を知っている。

 それに球威だけで勝負できるピッチャーは、正直嫌いなのが樋口である。


 武史の依頼は、リードで打たせて取ること。

 ただ樋口からすると武史の場合は、序盤のアイドリング状態のために、ある程度球数が必要になってくる。

 ストレートで押し切る中盤以降の前に、変化球で上手くアウトカウントを稼ぎたい。

 上手いピッチャーというのは確かに打ち取る方法も優れているが、樋口としてはダブルプレイを打たせることが出来ればありがたい。

 リーグ戦を制して神宮まで進むとしても、もう樋口の大学野球生活は終わりに近い。

 その残された時間を、後輩を育てることに注いでもいいだろう。




 佐藤兄弟の中で一番、頭を使わずに投げているのが武史である。

 素の頭が悪いわけではないのだが、下手にボールの力だけで押せるので、投球術に関してはまだまだ成長の余地が多い。

 直史などはあの、セットからのクイックによって、バッターの心構えがしっかりと出来る前に、ボールを投げ込んでいく。

 ある意味武史よりも、ボールが速く感じるのはそのためだ。


 秋のリーグ戦、残るカードは二つのみ。

 帝都大にはジンがいる。

 武史の目から見ると、ジンもまた不思議な人間であった。

 白富東の司令官であり、直史と大介を投打の軸に、しかし岩崎もちゃんと活用して、自分やアレクたちも上手く活用していた。

 プレイヤーとしては天才ではない。

 だが指揮官としては、おそらく天才であった。


 高校野球の世界で生きるため、大学卒業後は母校の白富東ではなく、帝都一に赴任することになるという。

 教員でありながら同時にコーチも行うという、下手にプロに行くよりも、ずっと独特なやり方で野球に関わっていく。

 先輩としては確かに、白富東を居心地のいい場所にしてくれていた。

 ジンも、その上の手塚も、ついでにいれば大学に入ってからは北村も、武史の想像していたような野球部のキャプテンらしいキャプテンではなかった。

 だがそれでも有能で、結果は残したのだ。


 もしも早稲谷が負けるとしたら、その相手は帝都ではないかと思っている。

 慶応は春ほどの強さはないし、何より春のリーグ戦で、慶応よりも大変だと思ったのが帝都であった。

 無失点には抑えたものの、球数は随分と投げさせられた。

「球数を少なく、か。悪いことじゃないな」

 樋口は話が早い。

 直史は色々と理屈を必要とするが、樋口は結論から過程を導き出す。

 勝てば良かろうという部分は共通しているが。




 実際のところ帝都のジンは、春に勝てなかった時点で、試合は諦めていたりする。

 選手個人の中でも、特にピッチャーの能力が隔絶しすぎているのだ。

 直史と武史に加えて、村上や淳といったあたりもいるので、一人だけを攻略しても勝てない。

 下手をするとプロのチームに混じっても一年間戦えるのではないか。

 そんなことを想像させるほど、早稲谷の選手層はピッチャーがえげつない。


 一つだけ、付け入る隙があるとすれば、それは時期である。

 ドラフト会議がもう目前に迫っている。

 帝都との週末の試合が終わった、次の木曜日がドラフトの開催日だ。

 今さら指名の順位が変わることはないだろうが、早稲谷の面々には志望届を出した選手が多い。

 四年生が中心となったチームは、この時期にどういう精神状態であるのだろう。

 もっともプロを志望している中で、最も試合に影響を与えやすい樋口は、会議の前だからといって何か変わるような、生易しい人間ではないだろう。

 だが近藤に土方、あとは村上といったあたりも志望届を出していて、チーム内の雰囲気は悪くなっているかもしれない。

 そんなことに期待でもしないと、とてもまっとうに勝つことは出来ないだろう。


 早稲谷が一番強かったのは、西郷が四番に座っていた去年だろう。

 だが今年の早稲谷も打撃力が低下した以外は、それほど去年に劣っていない。

 それに平均的には西郷ほどは打たないが、いいところで打ってくる樋口がいる。

 高校時代はバッター樋口に、してやられたことがあるジンである。

 だが次の年にはリベンジしているので、そのあたりは考えなくてもいい。

 純粋に戦力で、早稲谷が上回っているのだ。




 土曜日の第一試合は、武史の先発である。

 もちろんジンの作戦では、相手が160kmオーバーのピッチャーであろうと、勝利を模索していく姿勢に変わりはない。

 ただ高校時代よりも、さらにパワーアップしているピッチャーだ。

 肉体の才能であれば、直史よりも上とはよく言われている。

 メンタルが野球選手らしくはないが、それでも集中した時は、すさまじいパフォーマンスを発揮する。


 ジンの大学時代は、完全に直史と重なっているため、栄光に満ちたものではない。

 そもそも西郷がいる時点で、早稲谷は一発で点が取れるチームであった。

 そして一点あれば抑えてしまうのを、ジンは良く知っている。

 高校時代も地区大会では当たり前のようにパーフェクトをしていたが、そういう時は他のピッチャーに出番を譲ったり、コールドが成立してしまったため、実は案外ノーヒットノーランも完全試合も少ないのだ。

 それよりも平均レベルが上の大学野球で、数々の偉業を達成してきた。

 せめてキャッチャーがもう少し劣ればよかったのだが、樋口はジンが知る限りでも、かなりトップレベルのキャッチャーである。

 それでも一年の秋には、投手運用の隙を突いて、黒星をつけることが出来たものだ。


 帝都からもプロ志望の選手は出ているが、格というものが違う。

 チャンスの時に当たり前のように点を取り、ピンチの時でも自力で抑える。

 そんな選手が帝都にはいないのだ。


 対策は基本的に春と同じである。

 序盤に多投するムービングには安易に手を出さず、まだ速いだけの段階のストレートを打つ。

 しかしこの試合の武史は、あまり三振を狙ってこない。

 ゾーンの中に動く球を投げ込んでくるが、どうにか打てるものだ。

 この序盤にどう点を取るかが、春にも課題であった。

 しかし150km台で手元で動く球は、やはりクリーンヒットは打てない。

 そして左バッターに対しては、ナックルカーブを使ってくる。


 速くて大きく曲がる球だ。

 真田ほどのキレはないが、おそらく大介にもかなり通用するタイプの球。

 実験のようにこの球を、左バッターに対しては一球ずつは投げてくる。

 別になくても打ち取れるが、この大きな変化球が厄介だ。

 そして右に対しては、普通に内角と外角で攻めてくる。

 粘ろうとしても打てそうな球を投げられて、勝負に行かざるをえない。

 そして早いカウントで凡退する。


 ピッチャーとして、直史は技巧派の究極とも言えるが、武史は武史で、己のスタイルを確立しつつある。

 ストレートで勝負出来るスピードを持ち、ムービングで打ち損じを狙い、球数を減らせる。

 アッパースイングでホームランを狙ってくるバッターには、チェンジアップとナックルカーブが有効である。

 160kmオーバーでホップ成分が極めて高いストレート。

 ムービングと緩急、そして大きな変化があるので、バッターを翻弄することが出来る。




 この日ジンは、武史のボールを見るために、スタメンで試合に出ていた。

 近くで見て何かを感じ取れないかと思ったのだ。

 だがジン相手には、コースだけを変えたストレートを投げるだけ。

 樋口のリードは完全に意図を見抜いている。


 直史と大介がいて、その後にもアレクや武史、そしてその後もプロ野球選手を毎年輩出していた白富東。

 今年はプロ志望届を出す者がいがいのでその記録が途切れるが、この四年で一位指名が三人もいたのだ。

 そして来年はまた武史が、一位で指名されるだろう。

 正直レックスには、サウスポーのピッチャーはもう充分だと思うのだが。


 最初は白富東を選んだのは、人生で失敗しないための学歴を身につけるためであった。

 岩崎を誘って、三年の夏までには戦力を集めて、一度ぐらいは甲子園にいけるかと思っていた。

 だがセイバーが現れて、外国から戦力を調達し、ついには学校の制度までもが変わってしまった。

 ジンとは入れ替わりだが、悟と宇垣の強力なクリーンナップは、SS世代の影響がない中で、全国制覇を果たした。


 史上最強とも言われるチームが、どうしてああやって誕生したのか。

 セイバーの意図が大きく働いていることは間違いないが、直史と大介は、本当に学力のみで学校を選んだ。

 そしてアレクや倉田はともかく、武史と鬼塚は自分で選んで白富東に入り、そして武史は中学時代は野球をしていなかったのだ。


 バスケットボールを大きく投げるのが、肩の強化につながったのか。

 あまりそうとは思えないが、結果として武史は全国制覇の戦力となり、四連覇を果たす主力となった。

(佐藤家は異常すぎるんだよな)

 確実に遺伝子が、共通している四人だと思う。

 だがその両親や祖父母を見たら、意外なほど普通で逆に驚いた。

 ただ四人の子供たちに、幼少期は習い事をさせるぐらいに、教育のことは考えていた。

 あるいはあの四人は、四人だからこそ、それぞれの素質を開花させることになったのか。




 中盤からはストレートが魔球化する。

 このストレートをホームランにしたというだけで、法教の谷の評価は上がったものだ。

 ここから先は奪三振ショーの始まりだ。

 バッティングを見るのが好きな人には退屈な、ピッチングを見るのが好きな人には熱狂する、三振の山。

 全身の筋肉を連動させたストレート。

 それはホップ成分がありすぎるため、どうしてもバットはボールの下を振ってしまう。

 当たりをつけてスイングしても、今度はチェンジアップが飛んでくる。

 これを大学生で打てる選手は、おそらく五人もいない。


 序盤の内野を抜けたヒットと、粘った四球があってよかった。

 しかし中盤以降は、試合を支配したというよりは、こちらを蹂躙するような内容であった。

 おそらく課題としていたのか、球数も100球に満たない。

 打線の援護も二点しかなかったが、ジンが上手くリードして二点なのだから、やはり選手層が違うのだ。


 九回29人を相手に、被安打一の与四球一。

 奪三振は普段よりも少な目の、14個。

 当然のように無失点で終わったこの試合、武史は98球しか投げずにすんだのである。

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