第219話 社会人野球の世界

 クラブチームが企業チームになかなか勝てないことの理由の一つは、そもそも最初から良い選手を集めているから。

 社員として雇用し、給料も出た上で、野球部手当てなども出たりする。

 ある程度は仕事もしなければいけないが、基本的には学業の後の部活のノリで、練習を始めるのだ。

 この待遇のいい条件だからこそ、いい選手も集まる。

 そもそも給料を貰って、野球をしているわけである。

 これでどうしてノンプロと呼ぶのか、いささか奇妙に思えるところである。


 そしてもう一つは日程の関係がある。

 クラブチームに所属するのが、自由に休暇が取れる仕事の人間であればいい。

 だがもしも直史の試験と、試合の日程が重なれば。

 それでなくても本業の方が忙しければ、どちらを優先するのか。


 マッスルソウルズは主にマッスルソウルセンターという会社の従業員が、そのチームの構成員である。

 なのでシフト制であり、ある程度は自由が利く。

 こういう環境を整える時点で、チーム力の差が出る。

 ただマッスルソウルズの選手たちは、仕事も自分のトレーニングを兼ねていたりもするので、そこは本当に恵まれている。


 一次予選を通過すれば、二次予選に進める。

 四月に入るともう、その一次予選の準備に入る。

 マッスルソウルズとしては実は、都市対抗に出ることが絶対目標ではない。

 一番大事なのは、チームと企業の名前を周知して、利益を得ることである。

 もちろんそのための一番いい手段は、二次予選まで突破して、都市対抗の本戦に出ることだ。


 現在は東京ドームで行われる、社会人野球最大の大会。

 それが都市対抗野球大会である。

 その名の通リに、地区ごとに代表チームを選ぶわけであるが、東京からは四チーム出場出来る。

 だが東京の代表は全て、企業チームとなるのが普通である。

 マッスルソウルズは、確かにクラブチームの中では強い。

 だがそれでも企業チームにはなかなか勝てない。

 そんなマッスルソウルズからも、選手自体は都市対抗に出る手段がある。




 MLBを見ている人間などは知っているが、プレイオフ前に他球団の主力選手をレンタルしてくる手段がある。

 オフにFAになる選手などを、所属球団からもらうわけだ。

 もちろんFA権は喪失しないので、プレイオフ専用の短期決戦兵器となる。

 都市対抗にはこれとは違うが、レンタルの制度があるのだ。


 東京のチームが本戦に勝ち上げれば、敗退したチームから選手を借りる制度。

 昔はその人数が10人とかにもなり、その地区の主力選手をどっさりと借りることが出来た。

 つまりまさに、その地区の選手でドリームチームを作れたわけである。

 高校野球に例えるなら、白富東に勇名館やトーチバなどを含めて、都道府県ごとの代表チームを作るようなものだ。

 もちろん今では人数制限もあって、そこまで無茶苦茶なチームが作れるわけではない。

 特に東京などは四チームもあるのだから、順位順に選手の取り合いとなる。

 ただし現在は一チーム三人までの補強が可能なので、ぶっちゃけピッチャーとバッターの需要が高い。


 ピッチャーである能登などは需要が高いが、キャッチャーの誠二はあまり需要がない。

 なのでキャッチャーであっても、バッティングでアピールする必要があるのだ。

 そしてバッティングに関しては、優れたバッティングピッチャーの球を打つ必要がある。

 マッスルソウルズには優れたバッティングピッチャーがいる。


 中学時代には、打点になる外野フライを打たれた。

 だがあの中学最後の試合では、無安打に抑えている。

 馬場にキャッチャーを頼み、直史のボールでバッティングの練習をする。

 直史が下手に試合用に体力を残すことを考えないだけ、存分に投げてもらうことが出来る。

 直史としてもこれだけの投げ込みは、下手をすれば高校以来になるかもしれない。


 直史が投げられない球種は、ナックルだけである。

 実はスクリューも投げられないが、似た軌道のボールを投げられるため、必要としなかった。

 そもそもシンカーを高速で投げられたら、それはもう良く曲がるツーシームではないのか。

 いやもちろん原理的に大きく違うのだが、速度と変化は同じなのである。




 あまり練習にも参加出来ないが、参加した日には50球は投げてくれる。

 他のバッターにも投げたり、ピッチャーにもアドバイスしたりと、色々と忙しい直史である。

 ツインズと違って他のピッチャーのコピー能力はないが、他のピッチャーの決め球を似せて投げることは出来る。


 社会人野球の都市対抗予選というのは、対戦相手のデータもしっかりと存在する。

 なんでも投げられる直史は、バッターの弱点を的確に捉えることが出来る。

 そして肉体的に大きく違わない限りは、他のピッチャーの決め球を再現出来る。

 だすがにサウスポーやアンダースローは、投げる球の軌道が違うため、再現は難しい。

 横からも下からも投げられる直史であるが、ここまで残っているピッチャーであると、そのフォームも超一級だ。

 あと身長が高くて投げ下ろしてくるタイプのピッチャーも、再現は難しい。


 実際の試合においては、打席の中でアジャストしていく必要がある。

 ただそれでも、同系統のレベルの高い球を投げてもらえば、かなり事前の対策は出来る。

「ほんと助かる」

 誠二はそう言うが、直史としては自分も楽しいからいいのだ。


 傲慢なわけでもなく、直史はもうバッターに投げることに対して脅威を感じない。

 キャッチャー樋口の恩恵も多かったが、大学時代に薙ぎ払いすぎた。

 純粋に相手を封じることだけを、目的としていた大学時代。

 高校と違って、別に神宮で投げることに感慨などはなく、基本的にはトーナメントではなくリーグ戦。

 個人としては一試合も落とせないというプレッシャーはあったが、それでも直史は、自分が負けたら終わりという場面ではほとんど投げていない。


 直史は安全マージンを多く取りたい人間であったが、その上でちゃんとスリルのある勝負をしたいという、矛盾した思考の持ち主であった。

 高校時代は味方打線が打って行って、それを守りきるというのが条件であった。

 セイバーにしろジンにしろシーナにしろ、こちらの話を聞く指揮官であった。

 秦野の場合は、特に口を出そうとしたことはない。

 自分の想定どおりの計算した采配や、想像を超えた采配は見た。

 だが意図が全く分からない、間違っていると感じたことがなかったからだ。

 もっとも選択においては、どちらがいいのか分かりにくい場面はあったが。


 


 一次予選は日程も空いていて、ゴールデンウィークに行われる。

 だがそれでも休みは一日ずつしかなく、ピッチャー一枚で戦うにはかなり難しい。

 直史としては自分がどう使われるかよりも、自分の予定が空けられるかが問題であった。


 来年はこの時期、司法試験への最後の追い込みである。

 よって戦力にはなれないのだが、そもそも一次予選ぐらいはなんとかなるだろう。

「これだけの設備を整えていても、まだ企業チームとは差があるのか」

 直史が確認したのは、去年のトーナメントである。

 一次予選でマッスルソウルズは、あっさりとクラブ代表の座を勝ち取っている。

 だが二次予選では敗者復活まで全滅で、企業チームの本戦進出を許している。

 この敗者復活というのも、直史にとっては新鮮なものだ。


 二次予選の一回戦で負けたチームは、他の組み合わせの一回戦で負けたチームと対戦し、二回戦で負けたチームと対戦し、山の向こうから同じ条件で勝ちあがって来たチームと対戦し、そして二次予選トーナメント決勝で敗退したチームと対決する。

 つまり一回戦で負けても、まだもう一度チャンスがある。

 その敗者復活戦で一度でも勝っていれば、また敗者復活戦がある。

 そうやって最終的に、シードとはまた違った形で、トーナメントのクジ運で負けることがないように配慮しているわけだ。

 三連勝してトーナメント優勝をしなくても、本戦に出場出来る。

 だが去年のマッスルソウルズは、敗者復活でも負けている。


 日程的にピッチャーが二人いないと、厳しいものである。

 だが逆に二人のピッチャーを継投させて、疲労を分散させるという考えもある。

 企業チームに勝てないのは、このピッチャーの枚数が違うからであろう。

 さて監督の中富はどうするのやら。


 トーナメントの一発勝負が好きで得意だと思っていた直史であるが、この敗者復活戦も含めたトーナメントは、一番正しく実力を理解出来るのではないかと思った。

「佐藤君は連投は出来るんだよね?」

「出来ますよ」

 あの夏の甲子園、決勝再試合は、野球をしている者なら誰もが震えたはずだ。

 15回パーフェクトの後、翌日に九回を完封。

 白富東はもう一人ピッチャーがいたのにだ。


 プロで活躍する真田でさえ、二日目には最初は投げられなかった。

 後から投げてきたため、ちょっとした故障をしてしまったとも言われる。

 直史は二日間に渡って24回を投げて無失点。

 あれを忘れることは出来ない。


 だが大阪光陰打線であっても、おそらくは企業チームの打線には敵わない。

 後藤レベルの高卒即戦力級のバッターはともかく、他はおおよそプロ入りする選手を上回っているからだ。

 ただそのレベルであれば、六大学や全日本で経験したのと似たようなものである。

 つまり直史は、連投でもいけると判断した。


 ただ、このチームの目的を忘れてはいけない。

 一つにはチームが勝ち進んでマッスルソウルセンターというトレーニング施設を有名にすることだが、それが不可能ならレンタル選手を有名にするのだ。

 直史は補強選手としては、都市対抗の本戦に出るつもりはない。正確には日程によっては試合に出られない。

 いくら強力なピッチャーであっても、使えなければ意味がない。

 だからアピールするべきは能登や、誠二などでなければいけないのだ。


 直史は基本的に、クローザーとして使う。

 能登は出来るだけ投げてもらって、他のチームの補強選手になるのを目指すのだ。

 つまり一次予選よりも、二次予選が大切になる。

 誠二にしてもピッチャーほど分かりやすくないが、控えになるキャッチャーのバッティング力は脅威であろう。

 もっともバッテリーのことを考えるなら、誠二を補強するチームと一緒でなければ、なかなかピックアップされるかも微妙であるが。




 高校からプロ、大学からプロ、社会人からプロ。

 この三つはよく聞くことだし、最近では独立リーグからプロということもある。

 だがクラブチームからプロというのは、かなり難しい。あったとしても育成である。

 段階としてはクラブチームで活躍し、そこから社会人に入って、さらにプロ指名を受けたということもある。

 

 社会人をさらに経由するというのは遠回りに思えるかもしれないが、実は企業チームの社会人は、育成では指名されないのだ。

 既に蓄積がある選手を、さらに育成するメリットがないということもあるだろう。

 つまり社会人からプロに入るには、即戦力である必要がある。


 険しい道だ。

 高校や大学からと比べると、はるかにその道は細く感じる。

 だが諦めなかった者にしか、その道は開かれていないのだ。

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